出逢いの頃の思い出 ・ モラルハラスメント? 早期発見のために
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[964]/書きなぐり風の長文でスイマセン。 /投稿者:ちりん [4586]
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書きたくなったので、思い出と共に書かせて頂きます。
離婚1ヶ月前の事・・・
私はモラ夫に耐え切れず、家庭内離婚宣言をし 「バカな私の喋る内容(考え方)が嫌いだと言うなら、今後は子供の話題しか出さない。 これからは友達で居よう。」と伝えました。 「10年経って子供が成人したら、キチンと別れよう。」と付け加えて。
私のそんな提案を、無言で聞いていたモラ夫 それ以降は殆ど機嫌が良く、とても楽しそうに過ごしていました。 私は、そんなモラ夫を横目で見ながら 「これでイイんだ。子供の為だし。」と、その先10年我慢するつもりで腹をくくりました。
それから少しして、いつも遊びに来る共通の友人に (そんな私達を見て不自然に思われたら困るので)メールで状況を説明したのですが 「全く意味が解らない。どういう事なの?」と問われるばかり。
言いたくない事を省いて説明したので、全く相手に伝わらなかったのです。 だって全てを話したら、モラ夫への悪口ばかりになってしまうんですもの〜(笑) 共通の友人だからこそ、真実を語れなかったのです。
それから暫く私一人で、その友人への説明に言葉を尽くしたのですが 言葉を尽くせば尽くすほど、自分の中に疑問が生じて来て 最後には、今まで誰にも言えなかった真実を、全て吐き出していました。不可抗力でした。 (結果、その友人はモラを軽蔑し、私とだけ付き合う様になりました)
全てを吐き出してしまうと、次にはその際に生じた疑問を考えずには居られません。
「子供の為に、一緒に暮らすと決めたけれど・・会話の無い環境で育つ子供は幸せなの?」
「児童心理学を齧って子供の心理が解ると言ってたけど、ただ解るってダケで、子供への対応が異常じゃない?」
「夫が子供に対して言う『普通』という基準は、少しオカシイぞ?」・・・などなど。
色々と考えている内、「子供達が問題児だから、私一人じゃ育てて行けない」という考えが →「子供達が問題児なのは、夫の所為なんじゃ?」という考えに変わって行きました。
・・いえ本当は、子供達が問題児だったのはADHDだったから・・なんですけどね。 当時は、そんな言葉も知らなかったモノで。^^;;;
でも、子供がADHDかどうかなんて関係無く モラ父親と暮らして、子供が幸せに育つ筈が無いんですから 結果的に「私の判断は正しかったのだ」と、胸を張って言える・・そんな私は偉い!と思います。(笑) 実際、モラ夫と離れたら、子供達の症状も軽くなったし。^^
・・・と、脱線しましたが・・・ そう判ったら、もうモラ夫と暮らさねばならぬ理由は、一つも見当たらなくなり 「な〜んだ!別れて良いんだ!? てか、一緒に居る方が子供の為にならないじゃん!離婚だ離婚♪」という単純明快な答えが、頭の中を駆け巡りました。
そう判断した翌日、モラ夫に「離婚しよう!」と伝えました。 モラ夫は、いつもの不機嫌な顔をしたまま、フライパンでソーセージを転がしつつ 「・・・そうか。」と、答えました。
その後はコマゴマと揉めましたが、、私の変わらぬ決意に圧倒されたモラ夫は 濁流に押し流されるように、「私達の家」から出て行きました。
離婚届けが受理された後、モラ夫の新居が決まるまでの十日余り 嫌悪していた筈の私の実家で、毎晩愚痴を垂れたり、自慢話をしたり、子供が成人したらヨリを戻しても良い等とノタマったり 悪口を言っていた、私の友人宅に押し掛けて、逆に私が友人の悪口を言っていたと吹聴したり 私のPCを勝手に開けて、パスワードを打ち込み(これは油断していた!)日記をプリントアウトして 「ちりんはこんな事を書いてるんですよ!見て下さいよ!」と、私の母、姉、弟に読ませたり(←つい最近母から聞いた
兎に角、ありとあらゆる最後っ屁を引っ掛けて、モラ夫は出て行きました。(笑)
モラ夫に「家庭内離婚」を宣言してから、離婚届けを提出するまで、約1ヶ月。(コレは早かったのに〜^^; それから1年以上は身体の抵抗力が落ちて、寝たり起きたりの生活が続き そこから抜けて、普通に近い生活が出来るようになっても 更に2年以上も続くフラッシュバックに苦しんでいました。
でも、先月からコチラへお邪魔するようになって 皆さんに励まして頂き、時には涙している内に・・ 全く後遺症が無くなりました。^^ケロリンパ! ソロソロそういう時期だったのかも知れませんが、コチラで開眼させて頂いた事は間違いありません。
本当に、今の私が信じられません。 周りが風邪をひいていても、元気一杯な私には移らないし 子供に、何の躊躇いも無く「モラのモラたる話」を、笑いとばしながら出来るし 本当に幸せ一杯、目一杯!!です。心に何も陰が有りません。
だから・・・今悩んでいる皆さんも、悩んだ後に後遺症が残っている皆さんも お願いします!諦めないで!!!
人間は単純な生き物じゃないのだから、時間はどうしても掛かるんですよ。 そればっかりは仕方が無いんです。
でも、正しい道を探したり、決断をした後は、絶対に苦しんだ分だけの「ご褒美」が返って来ますから!!
だから、メゲナイで、焦らないで、自分(と、子供)の人生をシッカリ見つめながら「人間として」生きて行きましょうよ。
折角、この世に生れたんですもの。・・・みつをじゃナイけど。(笑)
投稿日:2006年08月18日 (金) 14時20分
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[964への返信]/そうですよね /投稿者:日本海 [4599]
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私も何で過去自分がモラを家に置いたまま、荒れた子供を何とかしようとしたのか、よくわからない。 子供の心が荒んでいるのはモラ父が原因なのだから、モラ親父のいない環境を作れば良いのだ、とどうしてすぐに思いつかなかったなあ。
多分私にも、離婚はいけないことだ、とか、家族揃っての幸福、とか、夫を捨てるのは卑怯だ、とか、思い込みがあったのでしょう。 今は考え方もすっかり変わりました。(笑)
夫にさんざん「中年の女が一人で生きてはいけないぞ」と脅されましたが、今の日本で飢え死にしたら新聞に載るわ。 中年の女でも飢え死になんかしないし、モラ親父と暮らすより余程楽でした。
勇気とか決意とか固い意志とかがあれば、幸せにはなれるんだなあ、と決断が苦手な私は感じている。
投稿日:2006年08月21日 (月) 03時50分
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[964への返信]/ /投稿者:ちりん [4600]
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表現に問題が有るかも知れませんが・・・
「心が乞食」より、「本当の乞食(ホームレス)」の方が、余程マシだと思う様になりました。
以前の私の心の惨めさは、乞食どころじゃ有りませんでしたから。^^;
投稿日:2006年08月21日 (月) 09時52分
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[964への返信]/ /投稿者:日本海 [4640]
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とんぼさんだったか、「なんだ、恋なんて又できるんだ」とか言ってたけど、私もモラと離れて思った、「なんだ、生活費くらい何とでもなるじゃないか」と。
もうひとつ、「なんだ、モラ親父がいない方が、子供だってのびのびなったじゃないか、子供のためにもなったじゃないか」と思った。 心配することなかった。 不安を持ったのが馬鹿みたい。 親父に脅されて私が萎縮してただけじゃないか。 モラと離れたら人生ばら色なんだから、早く離れればよかったんだ。
投稿日:2006年08月24日 (木) 15時58分
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[964への返信]/そうなんですよ〜 /投稿者:ちりん [4647]
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>日本海さん
>モラと離れたら人生ばら色なんだから、早く離れればよかったんだ。
そうそう。本当に、そうなんです。 そういう実感が有るから、最近は簡単に離婚を勧めちゃう。 昔は保守的だった私なのに。^^;;;
投稿日:2006年08月25日 (金) 10時43分
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