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出逢いの頃の思い出 ・ モラルハラスメント? 早期発見のために

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[1124]/まりもさんへ /投稿者:あざみ [5330]
まりもさん、おはようございます。

あなたが幸せな結婚をなさっている様子に安心し、またわが事のように嬉しく思います。

はじめに書いたように、母親が不幸な結婚をしていると、娘も同じ道をたどる例が多いからです。

子供のためにといった、母親の辛抱が裏目に出てしまうのですから、間違った相手とは早く別れるべきなのですが、なかなかそうはいかないのが浮世の常です。

まりもさんのお母さんもどれほど苦しんでこられたことでしょう。

あなたの言うとおり、もう決断のときが来ていますね。

お父さんの抵抗は激しいでしょうが、子供さんたちが味方になってお母さんを長年の地獄から解放してあげてください。

今からでも遅くはありません。
せめてお母さんに穏やかな老後を送ってもらいたいと思います。

私が離婚できたのは、末っ子で実家には両親しかいなかったこと、比較的裕福な家で、気兼ねなく親子で転がり込めたことが大きかったのです。

その意味では亡き両親には感謝しています。
実は私が早く見合い結婚をしたのは、実家から出たかったからなのです。

母は悪い人ではなかったのですが、万事口うるさく、外出も制限されて、常に監視下に置かれているような生活から逃げ出したかったのですが、その結果はまさに地獄でした。

世間知らずの浅知恵だったと、つくづく反省したことでした。

結局私は口うるさい母親と最後まで一緒に暮らしましたが、母の希望で入院せず、ホームドクターと自宅で最後を看取ったときには、母は私に心から感謝してくれました。

父は物分りの良い人で、その点助かりましたが、最後の数年は介護の手がかかり、悲鳴を上げながらも最後まで自宅で介護できたのは、せめてもの恩返しだと思っていたからです。

娘もおじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられて素直に育ちました。

あなたもお父さんのモラハラの被害者です。
不幸な母親を見ていたら子供も幸せな気分になれるはずがありません。

お父さんもおじいさんの被害者かもしれませんが、モラになってしまった人は、切り捨てなければ不幸の連鎖は断てません。

長年の辛抱で、もうお母さんには離婚への気力は残っていないかも知れませんが、みんなで励まして新しい一歩を踏み出させてあげてください。
いつでも応援しています。





投稿日:2006年11月17日 (金) 10時54分

[1124への返信]/我が家も、とても似ています。 /投稿者:あやや [5332]
まりもさんへの返信と承知ですが…。
あざみさんの文章を拝見して、幾つも、私と私の家族と共通する点を見つけてしまいました。

>母親が不幸な結婚をしていると、娘も同じ道をたどる例が多いからです。

>子供のためにといった、母親の辛抱が裏目に出てしまうのですから、間違った相手とは早く別れるべきなのですが、なかなかそうはいかないのが浮世の常です。

私の父は、真性モラです。
私がそのことに「父はおかしい。」と気付いたのは、高校卒業した頃のことでした。
「普通の親は、子どものことを一番に考える」と思っていたのに、父はいつも「自分が一番」でないと気が済まない。
その頃は『モラハラ』という言葉なんて知りませんでしたが、「父は変だ。病院に連れて行ったほうがいい。」と直感したのでした。

また、母は父の攻撃に強気なフリをしながらも、いつも父の顔色を伺い、私達子どもにも、それを求めていました。(実家で過ごしている間に両親を観察?しましたが、今でもそうです。)
それは、「普通の家族。」を成り立たせるための、母なりの努力なのでした。

その結果、きょうだいの1人は「2番目のモラ」になり、私は「不幸な結婚」をしてしまいました。


>母は悪い人ではなかったのですが、万事口うるさく、外出も制限されて、常に監視下に置かれているような生活から逃げ出したかったのですが、その結果はまさに地獄でした。

私もまた、そうでした。
あざみさんと全く同じきっかけで、「とりあえず、合法的な家出。」と、妥協して結婚した相手がモラだったのですから。
結婚式に、知人が「ちょっと不釣合いじゃないか。」と漏らしたこと。
いま現在、弁護士さんから「結婚する相手を間違えたのだろう。」と言われたこと。
それらは私の、結婚当時の「若さゆえの焦り」を物語っています。
(当時はそれなりに、精神的に追い詰められた気分だったのですが。)

結果、10年近い年月が費やされ、現在がありますが、こうなったら「自分に必要な勉強だったのだ。」と割り切って考えることにしました。

おそらく来年には実家を出て、新しい住まいで母子3人の生活がスタートする(であろう)予定ですが、未だに父親の顔色、そして兄の機嫌を伺って毎日を過ごしている母親がとても不憫に思えて仕方ないです。

母は諸事情で、今すぐ実家からは離れられないのですが、長年苦しみ、これからも気苦労が耐えないであろう母親。
せめて、長年背負い続けている荷物を軽くするために、私に何か出来ることはないだろうか…。

まだ自分のことも完全にカタがついていませんが、少し落ち着いてきた今、実家に残る母親のことが、とっても気がかりなのです。

長文、失礼しました。

投稿日:2006年11月19日 (日) 02時06分

[1124への返信]/あややさんへ /投稿者:あざみ [5333]
あややさん、全ての不幸には根があることがよく分りますね。

私の結婚相手の家庭も、母親がひたすら父親の顔色を伺い、腫れ物に触るようにした結果の果てだったのでしょう。

私の母は幼いときに両親を失い、母の愛を知らずに育った人だったので、子育ての仕方がよく分らなかったのかもしれません。

愛情がないわけではなく、意地悪なところはない人でしたが、自分の感情をそのまま家族にぶつけて、不愉快にさせることが間々ある人でした。

私が小さい頃、家に手伝いに来てくれていた親戚の女性は、『おばさんは厳しかったが、食糧難の時代にお腹一杯食べさせてくれて、高価な着物も買ってくれた。私が一人前の主婦になれたのはおばさんのおかげ』と言っていますから、家族の愛を知らなかった母は家族に甘えていたのかもしれません。

明治生まれの女性の常で、女は家庭的が一番、外出好きの主婦は最低・・・といった信念を持っていましたから、娘たちに対しても家事は厳しく仕込み、用もないのに街をぶらつくことを禁じたのです。

でも子供の結婚に対しては、本人の選んだ相手を尊重して、嫁いびりの類は一切ありませんでしたが、末っ子の私には甘やかしたと言われたくないと、毎日きびしくしていました。

そんな母から自由になるのは結婚しかなかったのですが、口うるさい母から逃げた先にはモラ夫が待っていた・・・

モラ夫よりうるさい母親の方がましなのは自明の理で、結局母から私は逃れられなかったわけですが、孫には優しいだけの甘いおばあちゃんで、これがあの母親かと呆れたほどでしたが、娘のためには、優しいおじいちゃんとおばあちゃんが居てくれて本当によかったと思っています。

全ては軽率な選択をした私の責任ですが、娘には同じ過ちをさせたくないと、私が母にされた不愉快なことはしないようにしていたら、家が居心地がいいといって、35まで居座りました(笑)

半ば諦めていたところに良縁を得て、遅まきながら孫も生んでくれました。

私の母にしても、自分のやり方が結果的に娘の人生を変えてしまうなどとは思ってもみなかったでしょうが、自分の経験と皆さんのお話から、人の親になったからには余程心しないと、何代も問題を起こすことがよく分りました。

私は両親を送り、娘が成人してから再婚し、現在は夫と二人暮しですが、この夫の親も問題の多い親で、今は母親だけですが子供たちに嫌われて孤独な暮らしをしています。

夫は親への仕送りに追われていい歳まで結婚も出来なかったのです。

世の中には理想の親子関係の方が少ないのだと思います。

言い換えれば人間は愚かで弱い生き物だということでしょうか。

親子といえどもお互いに甘えず、ほどほどの距離を保つことが大事で、相手によっては切り捨てる覚悟も必要でしょう。

あややさんのお母さんも諸事情から辛抱するしかなかったのでしょうが、この先あなたの生活が落ちついたらお母さんと一緒に暮らすことも出来るかもしれません。

あややさんがお母さんの味方になってあげることでお母さんの気持ちは救われます。

世間を見回してみて、問題のない家庭はありません。

必ず何かしらの問題を抱えています。

私も離婚経験がその後の私にプラスになったと思っています。

不幸を知らない人は幸福のありがたみを知ることも出来ません。

あややさんの人生はこれから、お互い穏やかな日々に幸せを感じて生きていきましょうね。

投稿日:2006年11月19日 (日) 10時52分

[1124への返信]/これからは、気負わず、ゆっくり。 /投稿者:あやや [5334]
あざみさん、ありがとうございました。

ここは、本当は「モラとの出会いの思い出」を語るところなのに、もっと根本的なところから話を始めてしまいました。
(管理人のシスターさん、ごめんなさいね〜。)

>世の中には理想の親子関係の方が少ないのだと思います。

>言い換えれば人間は愚かで弱い生き物だということでしょうか。

私は、今までの結婚生活で、子供ときちんと向き合うことを許されず、そのために子供は「モラ夫」からの影響を少なからず受けてしまいました。

別居してからは、それらを「矯正」しようと、躍起になっていました。
でも、毎日それに神経を尖らせるよりも、(邪魔者も居なくなったし!?)親子で楽しく生活していくうちに、自然にモラ毒も薄れていくのでは、と思えました。

どうやら、私は「完璧」を、子供に求めていたようです。
(母親と同じやり方を、踏襲しかけていました。)
以前は、「あまりにも厳しかった母親とは同じ子育てをしないぞ!」と、思っていましたのに。

>あややさんがお母さんの味方になってあげることでお母さんの気持ちは救われます。

その言葉をいただいて、私の気持ちが少し楽になりました。
父と兄を抱えて苦しんでいる母を(悪い言葉ですが)見捨てて、私と子供達だけ、新しい場所へ避難することに罪悪感を感じていたものですから。

(父と兄もまた、成長過程で何らかの愛情不足だということは、感じています。悲しいことですが。)

自分でできることを、無理しない範囲でやっていこうと思います。

みんな誰でも、幸せに過ごすために生きているのですから…。

投稿日:2006年11月19日 (日) 23時50分

[1124への返信]/連鎖を断ち切る! /投稿者:まりも [5335]
あざみさん、暖かいメッセージありがとうございました。

あざみさんのような方が意見を発信していく事が、いかに重要であるか、お気付きですか?今後の益々のご活躍お祈り致しております。

両親の問題は、そのまた両親から来る事が多いとは、あぁ全くなんて根深いんでしょう!母方の両親も、5人兄弟の中のただ一人の娘である母に、つらくあたっていたようです。しかし母は私には愛情を持って育ててくれた事に感謝しています。

母の世代では、まだ時代が、とか、社会がが許さないという事があったのでしょうが、少なくとも私はこの自由な時代に生まれたのだから、意識的に自分で幸せになる道を選択していきたいと思います。

でもこの世に人間が現れてから何十世紀にもなって、みんな幸せになろうと努力してきたであろうに、未だに不幸を繰り返してしまうとは、まったく進化してませんよね…。

少なくとも私自身が進化するためには、私の家系の悪い連鎖の環はきっぱり断ち切らなくては。

それではまた、ちょくちょくここ覗かせて頂きます。







投稿日:2006年11月20日 (月) 09時15分




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