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出逢いの頃の思い出 ・ モラルハラスメント? 早期発見のために

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[1048]/依存というよりは生き方のクセなのかも /投稿者:chara_rara [4899]
シスターさんの書き込みを読んで考えさせられました。

「共依存」これって、凄くイメージしやすい言葉だからよく使われてしまいますね。
私は、今まで「何故か離れられない、お互いが相手に寄りかかっている」のが共依存だと思っていました。

でも本当はそうではないのですね。シスターさんの文章を読んで思い浮かんだイメージは「寄生」です。
その人の人生に寄生しないと、生きてゆかれない。その人の養分を横から奪い取らないと、とたんにしおれてしまうような・・・
夏草さんのモラ姑のくだりを読んで、さらにそのイメージは強くなりました。

逆に、この思い出版に来られる方々の書き込みやそこから受ける印象だと、育ってきた環境、価値観、あるいは自分の性格のクセによってはモラと一緒にいてしまうことが出来る。

例えば、世話焼きで相手の欠点さえも目をつぶって許せるような方なら、モラにとっては都合がいいでしょう。
モラと知らずに結婚してしまったものの、責任感の強さから相手を見放せない、とか。
モラの果てしない要求を「私のためを思って言ってくれているのだ」と頑張ってしまう頑張り屋さんな生き方とか。

何とか共存の道を探してしまう。だって一度は好きになった人だから、悪く思いたくはない。
わたしはこの心理を、一概に依存だとは思いません。誰もが持っている心理だと思います。

そして、モラ家庭に育ってしまって、何故かモラに捕まり続ける方の場合は、「モラに捕まるような生き方」のクセがあるのかもしれません。モラでない家庭とはどんなモノか知らないので、落ち着かないというのもあるかも。それがクセなんだと思います。


私の場合は、「がんばり癖」がありました。そうでないと母親に認めてもらえないのもありましたが・・・。
結果的にそれが自分を生きにくくしていることもあると分かったのは母親から離れたときです。
それもあって、ドリ男と付き合っていたときはそのくせがかなーり出ていたかもしれません。何しろ、こんな変な人と付き合うのは初めてで、おまけに年上なものだから彼の言うことは正しいのだろう、と頑張ったこともありました。

普通の関係なら、お互い成長していけばいい。そう思いますよね。
でも、モラとの関係はモラは全く成長しなくてそのくせパートナーにだけ過剰に成長を求める。成長すればしたで、その栄養というか養分を吸い取ろうとする。やってられませんよね。普通だったら考えられない、あり得ない関係です。だから理解されにくいのだろうとも、思います。

だから、これからは「私は依存しているんだろうか?」じゃなくて「どんな風に生き方のクセがあるのか」を考えていった方がいいのかもしれないですね。

モラは驚くほど、共通点が多いから「モラ臭をかぎつけたら、その場から離れるようにする」癖をつけた方がいいのかもw
職場関係のモラはそうはいかないのでしょうけど・・・。

こんな風に思ったので、書いてみました。
もしまずいところがあったら削除お願いします。

投稿日:2006年09月12日 (火) 22時36分

[1048への返信]/同感です /投稿者:マーチ [4902]
>普通の関係なら、お互い成長していけばいい。そう思いますよね。
でも、モラとの関係はモラは全く成長しなくてそのくせパートナーにだけ過剰に成長を求める。成長すればしたで、その栄養というか養分を吸い取ろうとする。やってられませんよね。普通だったら考えられない、あり得ない関係です。だから理解されにくいのだろうとも、思います。

↑これ、まったく同感です。
普通の関係なら、相手への思いやりやいたわりは、とても大事なことですよね。
でも相手がモラの場合は、それが通用しない。

相手の価値観にこちらの価値観を合わせることだって、ある程度は必要だと思います。
(もちろん、相手が普通の人なら、ですが。)
そうしないで、こちらの価値観は絶対だ、などとこだわっていると、
こちらがモラになってしまいますもの(笑)。

だから、重要なのは、相手がモラかどうか、早い段階で見きわめることなのだと思います。
わたしは、見きわめがついたときには、もう手遅れでした・・・。

投稿日:2006年09月13日 (水) 13時15分

[1048への返信]/なるほど・・・クセなんですね /投稿者:夏 [4903]
>モラでない家庭とはどんなモノか知らないので、
>落ち着かないというのもあるかも。

chara_raraさんの仰るとおりのような気がします。
今思えば、思いっきりサイレントモラの亡父、DV系モラ母の家庭で育った私は
人との付き合い方が判らなくて、いつも落ち着かない感覚がありました。

で、相手がモラだと馴染みがあるから安心するのかも。
ひょええぇぇぇ・・・。イヤ過ぎますが有り得てます。

投稿日:2006年09月13日 (水) 13時38分

[1048への返信]/すみません。途中になってしまいました /投稿者:夏 [4904]
うっかり途中で終わってしまいました。言いたかったことは、
依存じゃなくて「クセ」だと思うことで、随分、心が軽くなるなと。癒された気持ちです。
chara_raraさん、ありがとうございます。


投稿日:2006年09月13日 (水) 13時47分

[1048への返信]/前進だと思います /投稿者:シスター [4908]
正確に的を射た、的確で具体的な反省は、病名をつけるより、ずっと 回復への近道だと思います。

ちなみに、「共依存」という名の「病気?」も 非常に治りにくく、専門家たちの悩みの種のようです。

投稿日:2006年09月13日 (水) 22時36分

[1048への返信]/ /投稿者:chara_rara [4909]
<正確に的を射た、的確で具体的な反省は、病名をつけるより、ずっと 回復への近道だと思います。

これ、何となく分かるような気がします。
病名をつけてしまうと前に進めない。悪い方向に解釈してしまえば「だって、病気だからどうしようもないよ」ってその場でずっと足踏みし続けるようなものですね。

本当に「病気としての共依存」と診断された方は、かなりモラと強く結びついちゃってる状態なんだろうと思います。
極端な例、「モラという相手がいないと自分の存在価値が保てない」のであれば、引き離すのは至難の業。

でも、「こんな生活イヤだ、苦しい」と脱出を考える、または脱出した方、モラ彼と長年付き合ってしまったけど、別れることが出来た、別れようとしている方にたいして「長く付き合ってきたから共依存の気がある」ってレッテル貼りするのは危険だって、分かりました。今までそれやってしまった自分に反省です。
ある意味二次被害かも知れないです。

そう、「共依存だ」と言われて気を重くしてしまう、悩んでしまう人もいるということ、これはマーチさんの「救われました」って言う書き込みを見てはっと気がつきました。

共依存度が低いのに、モラ被害に遭ってしまう、ということを考えたとき「これは共依存というよりは、その人の価値観、生き方、考え方のクセによってそうなってしまっただけではないのか?」と頭に浮かんだので、書き込みさせてもらいました。

私達は、自分らしく生きる権利が当然ありますが、モラに対してはそれが通用しない。それどころか「自分を壊されてしまう」のですから・・・。
ならば、
「敵を知るには、己を知れ」
という姿勢も時には必要ではないか、と思います。

まぁ、モラを理解する必要はありませんが、モラに出会ってしまう、何故か付き合ってしまう自分はどうしてなのか、理解する作業は必須なのかも知れません。
もう二度と傷つかないためにも。

投稿日:2006年09月14日 (木) 01時04分

[1048への返信]/同感。 /投稿者:あやや [4911]
最近、忙しかったので、こちらの版をご無沙汰してました。

chara_raraさん、

>私の場合は、「がんばり癖」がありました。そうでないと母親 に認めてもらえないのもありましたが・・・。
 
私も同じような道をたどってきたかも。しかも、「がんばり癖」は未だに抜けきれない…。

>結果的にそれが自分を生きにくくしていることもあると分かっ たのは母親から離れたときです。

私がそれに気づいたのは、モラ夫から脱出したあとです。
「なんで、こんな目に遭ったんだろう。」と検証作業してるときに気がついた。

過干渉の母、それを良しとする環境が、「精神的自立は悪。」を肯定した。バカ素直な私も、年頃の頃に反発しながらも、従わざるを得なかった。

モラ夫は、私を食い尽くしたけど、ひとつだけ良いお土産をおいていってくれたのね。
でも、やっぱり感謝するきもちにはなれない…。
フクザツ。

投稿日:2006年09月14日 (木) 02時50分

[1048への返信]/回復したとき /投稿者:シスター [4913]
モラではなく 運命に感謝する気持ちになれると思います。
そして、親を赦す気持ちにも・・・

もしかすると 「飴と鞭」のしつけを受けて育ち、より怖い「鞭」に近づいてしまったのかも知れないけれど、自覚することによって、「言う事を聞かせるためなら、時の都合で 何とでも言う男」から 身を守る事ができるように 必ず なれると思います。

投稿日:2006年09月14日 (木) 10時32分

[1048への返信]/よくわかります。 /投稿者:chara_rara [4914]
あややさん>
<しかも、「がんばり癖」は未だに抜けきれない…。

これ,よっくわかります。
いまだに私も頑張り癖が抜けません。
頑張ることは,向上心にもつながるし,悪いことじゃないけど,私は過度に頑張ってしまう。自分の心を壊してでも頑張ってしまうようなところが在りました。
始めは母から「おまえは人の3倍頑張らないと駄目!!」と呪縛をかけられ?(これは親心だと,理解はしているのですが)
そのまま突っ走ってきてドリ男と出会い,そのままますます頑張ってしまった。
さすがに,ボロボロになってきたので別れましたが・・・。
どんなにがんばっても「頑張って当たり前」と母に言われ,あんまり誉めてもらった記憶がないです。
私が頑張って出した結果を「私の子育てが良かった」なんていわれるとすごーく複雑。

こんなもんだから,今の夫には呆れるくらい些細なことでも誉めてもらって癒されています。誉めてもらう,認めてもらうって気持ちいいです。嬉しいです。
私も夫に対して同じように返します。そしたら夫も素直に喜びます。
でもいまだに「私頑張ってるよね?」なんて聞いてしまう。あぁ,悪い癖w



投稿日:2006年09月14日 (木) 12時43分

[1048への返信]/頑張り癖 /投稿者:あかね [4915]
あぁ、その通りです。
頑張りすぎてました。子どもの頃からず〜〜〜と。
「頑張ればなんとかなる」「一生懸命やれば道は拓ける」
モラに捕まる前までは、それで人生切り抜けてこれたし
結果もそれなりに出せました。
頑張った陰には、親への反発やら、友情やら、感謝する気持ちやら、単純に欲やら
いろんなものがフクザツに絡み合っていました。
シンプルに物事が考えられなくなっていたのかなぁ。とも思います。
カウンセラーには
「あなたは人を信じて、人生は楽しいものと考え、前向きに生きていける人」と言われました。
「困ってる人は助けてあげたい、素直にそう思える人」とも言われました。
困った時はお互い様で自分が苦しい時は誰かが手を差し伸べてくれる、辛い状況から抜け出すヒントをくれる、と信じて疑わないお人よしです。
これもクセなんですね〜。
そんでもって、ここがモラに狙われたのかー!
と後悔しつつも
私ってこういうヒトなんだも〜ん、と開き直ってみたりもします。
カウンセラーによると、
性格は変えられる部分と変えられない部分とがあるそうで。

4重構造になった核の部分は「気質」で絶対変えられない。
核を取り巻く外側の層は生育歴からの「人格」、
→習慣性格→役割性格となるそうです。
習慣性格から「いいひと」「悪いひと」に分かれ
役割性格のおもいっきり歪んだのがモラです。
私もどこかでねじれているのかもしれない。

役割性格は「良い見本」を数多く示す事でモラは学ぶんだそうです。
モラは分かりやすい良い見本があればすぐ飛びつきますよね。
それをエサに習慣性格→人格と徐々に核心にふれていくのだそうです。

この方法は、私たちの生き方のクセを治すのにも使えませんか?


投稿日:2006年09月14日 (木) 13時36分

[1048への返信]/みんな大丈夫! /投稿者:シスター [4916]
変な人につかまって、婚姻制度や世間の人々の意識によって、憂鬱にはなったけれど、決して彼らに境界線を越えさせはしなかった。

付き合ってしまった期間は、その間の状況にもよるし、いろいろですが、
今 きっぱりと縁を切って みなさん健康を取り戻していらっしゃる事がよく分かります。
とても、うれしいです。
思い出板の存在価値が 増したような気がします。(感涙!)

投稿日:2006年09月14日 (木) 17時32分




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