無償の愛 と言えば1番に母親の子供に対する愛を思い浮かべます。しかしそれはひとつの概念のようなものであって 決して当たり前のものではありません。人は誰もが簡単に 無償の愛 というものを表現し続けられる生き物ではなく、だからこそ今世に命を授かり、それぞれに見合った修行をさせられているのだと思っています。 ただ自分の周りに、1人でもこの 無償の愛 と言うものを『この人は魂で知っているんだな〜』と思わせてくれる人…、まさにその人の人生をかけて体現し続けているような存在が居るか居ないかでは、大きく自分の人生が変わると思います。 わたしには1人おります。 その人は〈自分を素材として見極め、その人なりに技術を高め、いつも自分自身を究極に生かしたいと願いながら自分を求めてきた相手に対して真摯に尽くす〉。 その人の高貴な姿勢に触れるたび、わたしは、まだまだ到底自分は叶わないないな〜と思い知らされるのです。 だからこそ、わたしは人としての目標を見失うことはありません。 でもいったいどうしたら貴方のように自分の自我を、より相手の役に立てるように〜という祈りのエネルギーに転換させながら、そのエネルギー(ひとつの目標)を自分なりに きちんと終着させるまで一切弱音を吐かず、駆け引きせず、どんな対応をされても愚痴をこぼさず、誰 他人に甘えることなく、決して愛を欲しがらず。 ただ、その時の自分が相手に与えられる最高のものを思い描きながらに愛というエネルギーを与え続けることが出来るのでしょう。
今はただ、この人を私の人生で感じさせてもらえることこそが、神から私への最高の贈り物であると気づいてはおりますが、最近はっきり そう認識しながら毎日を生かして頂いております。
Misao
23:14:21
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