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メロディーズ伝言板

A Day In The Life

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[4406] 題名:改憲・緊急事態条項・選挙 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年07月01日 (金) 08時38分

今回は改憲について書かせてください。以前書きましたが、もう一度書かせてください。すみません。
改憲の緊急事態条項について本当に恐ろしいと感じています。

今回の参議院選挙の最大の争点は、改憲ではないのでしょうか?そして、改憲の大きな問題点は緊急事態条項を憲法に入れるかどいうかだと思います。それなのにどの政党も候補も「私は憲法に緊急事態条項を入れさせない」とは言わない。緊急事態条項はナチの全権委任法と比べられる条項。これが入ると、緊急事態と決定されれば、以下になります。
行政の長の首相が法律と同じものをつくれる。
選挙はなくなる。
国の財政を国会ではなく首相が動かせる。
国民の人権(言論の自由、集会の自由などもです)を制限できる。
国民の財産を措置できる。
こんなことができるのです。また、これは100日ずつ延長できます。つまり、独裁政治になります。国民の人権を勝手に制限され、反対や社会活動はなし、選挙はなし、財産を財産税などの形で国に奪われる可能性もあります。つまり、国民は、独裁政治の下の、奴隷みたいです。現状、改憲がすすめられ、恐ろしいことが進んでいるのに、マスコミは沈黙。候補者も言わない。
私は2013年の麻生太郎副総理(当時)の発言を思い出しました。「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」
恐ろしいことです。
この死んだような平和。暗黒を目の前にした沈黙が怖いです。

麻生発言は以下を参考に。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E7%99%BA%E8%A8%80


[4405] 題名:8月の光、レイナードスキナード、黒人ゴスペル、南部の黒人差別 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年06月30日 (木) 08時44分

8月の光というフォークナーの小説を読んだ。
1930年代のアメリカ南部を舞台とした小説だ。
あまりおもしろくないけど、当時のアメリカ南部の状況がわかる。
小説から黒人へのとんでもない差別を感じる。南部の人は北部のアメリカ人さえ、ヤンキーと呼んで、差別をしていた。小説には北部の女性も出てくるが、孤立している。
主人公は黒人の血をもつかもしれないジョークリスマスという男。
黒人の血をもつということが、どれだけ、恐ろしい絶望感を持たせるかが、書かれている。もう黒人は人間じゃないみたいな感じだ。

1930年代といえば、ロバートジョンソンが演っていたころ。
こんな中で、ロバートジョンソンたちはブルースを演奏したのだと思った。

それから、久しぶりに、レイナードスキナードのセカンドを聞いた。
その中に、カーティスローのバラードという曲がある。
10歳の少年(おそらくメンバーの子どものころ)が瓶集めで稼いだ金を、近所の黒人ブルースマンにあげて、ブルースを弾いてもらう歌。
曲には黒人ブルースマンへの敬意と親愛があふれている。
ここからロックが始まったのだと思った。
10歳の白人少年が、60歳の黒人ブルースマンの演奏を「かっこいい」と思った瞬間に。
8月の光の絶望的差別の世界を知ってから聞くと感動が増す。
また歌詞に「母親が鞭で打ってけど彼のところに行った」とあり、当時の差別の激しさも感じられた。

レイナードスキナードは飛行機事故で3人のメンバーが死んだけど、その前のレコードジャケットはメンバーが炎に包まれている。レコード会社も参加した陰謀かなど思ってしまう。そう言えば、エルビスも飛行機事故で九死に一生を得たそうだ。

それから、ミシシッピマスクワイヤという南部黒人ゴスペルも聞きなおした。
8月の光の絶望的差別の中で、キリスト教と教会をよりどころにして生き抜いた黒人もいることを改めて思った。

差別という観点で音楽を聴きなおして、いろいろな人生が感じられて、新しい発見があった。


[4404] 題名:私が影響を受けた音楽7〜ジョニミッチェル・ブルー 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年05月23日 (月) 05時39分

ジョニミッチェルは、普通は表現しない、心の奥底を表現する人だ。ブルーを作ったとき、彼女は「世界中の人から心の奥底を見られている」と感じたそうだ。
きっと、その通りだと思う。
彼女の音楽の魅力を語ることは自分の心の奥底と関係するから、書けない気がする。
私は、ジョニミッチェルのほとんどのLPを持っている。ブルーが最高傑作だと思う。
漫画家の樹村みのりという人がジョニミッチェルの大ファンで、来日公演の時に楽屋に押し掛けて話をしたことを漫画に描いていた。妙に納得した内容だった。


[4403] 題名:食料問題、飢餓 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年05月15日 (日) 17時37分

畑をやっていて、今年の気候は異常だと思う。寒い、雨が多い。このままでは、夏、秋不作になる。
ウクライナロシアの関係で、小麦が入ってこないようだ。
このままでは食料問題が起きる。下手したら飢餓が起きる。
インドでは、自国の小麦の輸出を自国民のために中止したそうだ。
日本の政治家は秋の食料問題について手を打つだろうか?金があっても飢餓のときに、食糧は売らない。金では解決しきれないと思い。日本人も危機感があるのだろうか。


[4402] 題名:私が影響を受けた音楽6〜ボブマレー 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年05月14日 (土) 08時24分

最初は、パンクロッカーがみんな好きだからレゲエを聞き始めた。
しかし、年を経るごとにボブマレーの凄さがわかってきた。

音楽的創造、巨大な権力悪への挑戦と戦い、宗教性、個人的な愛の歌、すごいと思う。ボブマレーは今でも頻繁に聞く。
ポピュラー音楽のヒーローはジョンレノン、ボブマレー、マイケルジャクソンだと最近は思っている。

一番好きなのは一応、エクゾダス。バーニングもいいし、コンフロンテーションも素晴らしい、ライブ!のすごさも最近再認識した。

クレージングボールドヘッドとかスモールアックスとか、過激な歌も多いから、最近は聞かれているのだろうか?


[4401] 題名:感想 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年05月11日 (水) 07時58分

集団に属さないでも、党派的になることはわかりました。
自分がどうなのかは、まあ、考えてみます。

政治的に二つのイデオロギーと書いているので、多くのイデオロギーを認める自由主義も一つのイデオロギーになるのですね。

パウロに関する意見は興味深いです。
田川健三氏によれば、マルコ以外の福音書はそれぞれの属している教団の教義の示すイエス像を示しているらしいです。ただ、彼によればマルコ福音書のみがイエスの人生をありのままに伝えようとしているらしい。まあ、マルコ個人の偏向があるのでしょうが。
確かにパウロは自分の教義を絶対的真理とし信じており、教団運営に熱心だったから、党派的になるのでしょうね。ABさんがそういう目で見ているのはわかりました。

宗教家の多くは自分の信じることが真理だと思うでしょうし、また、そう考えながら、他人に係れば、党派的にはなりますね。

また、そう考えると、体系とか、教理的な真理ではなく、対話の中に真実が宿るという感じでしょうか。


ABさんの話を聞くと、本居宣長の物のあはれと漢心の話を思い出しました。関係ないかもしれませんが。


[4400] 題名:私が影響を受けた音楽5〜クラッシュ、ロンドンコーリング・サンダニスタ 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年05月11日 (水) 07時48分

クラッシュとジョーストラマーには、ピストルズのように、「やりたい事をしろ、言いたいことを言え」と言われた気がする。
それだけでなく、ロンドンコーリングやサンダニスタから「矛盾した現実に目を背けるな、そこで戦え」というメッセージもあったと思う。
クラッシュはピストルズより長く活動した。だから、初期衝動の「やりたい事をしろ、言いたいことを言え」ということだけではすまない現実に直面した。
それがロンドンコーリングやサンダニスタに表現されていると感じた。
矛盾、膠着、出口なし、解決なし、そうした現実に直面しながら、そこでも、「俺は逃げない、戦う、アイムナットダウン」だとジョーストラマーが歌っているように思う。(1曲目がロンドンコーリングで、ラス前がアイムナットダウンということは、そういうことを言いたいのだろう)

レベルワルツなどは負けているのに、まだ、そこに立っている感じ。
状況が悪くても、うまくいかなくても、逃げてはいけないのだと思った。

昔、大学受験前日で、緊張で寝られないときに、サンダニスタを聞いて、「ヒットビルUK」を聞いたら、妙に安心して寝られて、大学に合格したのは、忘れられない思い出。


[4399] 題名:憂慮 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年04月26日 (火) 06時39分

今回は、ABさんとのやり取りではないことを書きます。

私は、最近は憂慮があります。
憲法が改悪になって、緊急事態条項が入れられるのではないかということです。
緊急事態条項はナチの全権委任法と同じようなものとされており、これが憲法に入って、緊急事態宣言をされると、選挙や財産権がなくなり、首相が法律と同じ政令を作れます。首相が財政支出もできます。
つまり独裁国家です。
このことをほとんどのマスコミは報道しないし、情報提供しません。
私は日本から民主主義が奪われるのが怖くて仕方がありません。

もちろん、改憲は、国民投票が最終的な決定です。

果たして、今の国民の多くに緊急事態条項の恐ろしさを見抜く見識があるのか?
疑問です。

今すでに日本の民主主義が弱体化しているとは思います。投票率の低下から見ても。
我々の権利を自分で守るように考えないと、奪われてしまうと感じます。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」

さらに、様々なデジタル化による監視を感じます。
この書き込みも監視されているのだろうと感じます。

監視する独裁国家。
まるで1984年です。

自分の子どもの頃は、まだ、日本人同士助け合おうみたいな感じがあったと感じます。
今の支配者たちには、冷酷さを感じます。
コロナ騒ぎについてもそう感じます。

マスコミの報道もどこまで信じていいのか、疑問です。

こんなことを書いても仕方がないのか。
まだ間に合う可能性があるのか。
わかりません。
自由と民主主義がなくなることを恐れています。

私が最近自分に影響を与えたロックを振り返っているのも、このこととつながっています。


[4398] 題名:戦争、イデオロギー、松原正   名前:AB MAIL URL 投稿日:2022年04月21日 (木) 22時51分

帰属意識と党派性はかならずしも一致しない。玉川徹さんも自分の党派性を意識してはいない。ぼくは言説からその党派性を摘出しただけだ。現実には、みずからの党派性の本質を意識できていないことが、党派性というものの大きな性格のひとつである。党派性は無意識の領域でこそ、その本領を発揮する。
 ぼくの文章が下手なので無理もないが、もうすこしぼくの書いていることを正確に読みとってもらえるとありがたい。

 戦争とは、国家間の紛争解決における最終手段だ。
 党派というのは前回のべたように、イデオロギーを成立要件とする集団であるから、全体主義国家はひとつのでかい党派だといえるかもしれない。ところがわが国は自由主義であり、唯一のイデオロギーを掲げているわけではない。
 イデオロギーというのはひとつの概念であり、一定のカテゴリーだ。なんでもかんでもごちゃごちゃにするような議論はやめたがいい。概念とは言葉であり、言葉をおろそかにするのは悲劇的なことだ。

 私のみるところ、ウクライナはロシア軍の総攻撃を凌ぎきるとおもう。そして今年後半、反転してロシア軍を自領から駆逐することを狙うだろう。そのために英米はかげながら全力で支援する。それは独裁国家の専横を阻止するためであり、この戦争はふたつのイデオロギーの衝突という側面をもっている。

 だいぶまえの話だが、関西の見知らぬひとから、かれの運営しているSNSに参加してくれという依頼があった。しかも、「正かなづかひ」で。
 せっかくなので、テーマになっている時事問題について現代かなづかいで何度か書き込んだのだが、そうするとぼくにいろいろと絡んでくる男が出現した。ネット界では有名なひとらしかった。周りもみんな、かれの仲間らしく、ぼくは孤立無援だった。

 笑ったのは、その言葉つきが、あの松原正先生そっくりなのだ。「頗る」とか「手合い」とか、「極楽蜻蛉」「道徳的にいかがはしい」とか、その他いろいろ。相手を批判することを「叩く」といふ。
――クセがつよい。
 それだけでなく、松原先生の言葉を金科玉条とこころえて、ぼくにぶつけてくる。「政治と道徳」「外交を内政に利用してはならぬ」とか、ああいう名文句の数々を。おかげで、ぼくをなつかしい気分にさせてくれた。ピース。

 ぼくだって松原先生は尊敬しているし、先生の講義で優をとったことを、在学中唯一の自慢にしているくらいだが、かといって一定の距離感はある。だから平気で先生の名文句を否定してみせた。
 しかしその男に距離感はない。党派性とはそういうものだ。松原先生の生きた言葉は固定され、その豊かな内実を喪失し、イデオロギーと化してしまったのである。
 イデオロギーとは、そういう人間的かつ非人間的な構造をもった社会的政治的概念だとぼくは考える。かつては野原を自由に飛び回っていたトンボも、昆虫標本にされ、硬直した外形をとどめるだけのピンでとめられた抜け殻になる。

 松原先生ご自身はというと、ご存じのように、群れるのを極端に嫌ったひとだった。それは他者との距離を正確に測定していたからで、先生ほど党派に厳しい言論人をぼくは知らない。
 ところが、そういう先生に距離感を感じない「手合い」が出現すると、そこに党派がうまれる。硬直した抜け殻の名文句に照らして、それを指標に、敵か味方かをまず判断する。名文句は自明の理とされてけっしてうたがわれることなく、同語反復的ルーティーンとして自動化される。つまり、思考はそこでフリーズする。

 言葉は生きた状況で語られることで意味を生じる。おなじ言葉も、時間と空間を異にすれば変移する。
 
 イエスの場合もそうだ。かれは弟子たちにすこしも心を許してはいない。その生きざまは徹底した「貴族主義」だった。弟子たちはかれの思想の本質をまったく理解できなかった。
 パウロは党派をつくった。十字架上での死と復活をケリュグマにさだめて布教活動を行い、その線にそって原始教会をつくり、異端を取り締まったのである。書簡を読むと、かれはイエスの言葉など一顧だにせず、自己のイデオロギーに集中している。イエスの思想は無視して、メシアを信じるか信じないか、それだけ。やはり思考はフリーズし、信者それぞれが自分の頭で考えることは否定された。党派はそのようにして成立する。
 パウロをどんなに弁護しようとも、かれの書簡がすべて党派維持のために書かれていることは疑いようのない事実だ。
 だからぼくは、パウロが好きになれない。
 もっといえば、福音書もまた党派的に書かれている。それぞれの福音書記者の属していた党派のケリュグマにそっている。それに解釈をくわえている聖書学者も、田川建三のような少数のひとをのぞけば、おおむね党派的であるといえる。
 党派はかならず失せたる一匹よりも九十九匹の羊を重視する。

 ドストエフスキーの小説を読みかえして、ぼくが感じたのは。かれの作品にはけっしておもてにはでないが、ずっとそこに存在しつ
づけている登場人物がいるということだ。それはいうまでもなく、イエス・キリストである。かれの小説はいつも、イエスとの秘めたる対話が軸となっている。
 ドストエフスキーは信仰者であり、史上最強の宗教文学を書いた。 だがしかし、『カラマーゾフの兄弟』に端的にあらわれているように、ドストエフスキーはカソリックはいうまでもなくロシア正教会にすら批判的だった。教会を成り立たしめているイデオロギーを徹底的に批判している、教会の党派性は反キリストだ、と。つまりかれは党派的ではなかった。

 そして、イエスも釈迦も孔子もソクラテスも、けっしてイデオロギーをつくることなく、単独者に徹したのである。
 まさか、かれらが信仰者ではないとでも?
 


[4397] 題名:思ったこと 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年04月20日 (水) 09時56分

いろいろ考えてみて、どうも自分の理解が違っているように感じました。
まず「属していない」という言葉について、「党派には属していない」という意味ですね。

私は「どこにも属していない」という言葉から、坂口安吾とかラスコーリニコフとかを思い浮かべていました。
気持ちの上で孤立感が強いのかなと咄嗟に思った.。

初めから、党派に関して属していないという話だったんですね。
ABさんは、党派と人間的な関係をわけて考えて話していた。
一方、私は党派心と人間関係をごっちゃにして、「属していない」という言葉で、ラスコーリニコフみたいな、人間関係を切った人物を思いうかべていた。
その辺で話が、混乱したのだと思いました。

あと思ったのは、私は教会に帰属意識はないです。また悪魔とか悪魔崇拝とかの話をしても教会の大抵の人には通じません。ほとんどの人が「変な奴」と思うだけです。そういうセクショナリズムで、悪魔の話をしていることは全くありません。付け加えておきます。




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