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メロディーズ伝言板

A Day In The Life

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[4401] 題名:感想 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年05月11日 (水) 07時58分

集団に属さないでも、党派的になることはわかりました。
自分がどうなのかは、まあ、考えてみます。

政治的に二つのイデオロギーと書いているので、多くのイデオロギーを認める自由主義も一つのイデオロギーになるのですね。

パウロに関する意見は興味深いです。
田川健三氏によれば、マルコ以外の福音書はそれぞれの属している教団の教義の示すイエス像を示しているらしいです。ただ、彼によればマルコ福音書のみがイエスの人生をありのままに伝えようとしているらしい。まあ、マルコ個人の偏向があるのでしょうが。
確かにパウロは自分の教義を絶対的真理とし信じており、教団運営に熱心だったから、党派的になるのでしょうね。ABさんがそういう目で見ているのはわかりました。

宗教家の多くは自分の信じることが真理だと思うでしょうし、また、そう考えながら、他人に係れば、党派的にはなりますね。

また、そう考えると、体系とか、教理的な真理ではなく、対話の中に真実が宿るという感じでしょうか。


ABさんの話を聞くと、本居宣長の物のあはれと漢心の話を思い出しました。関係ないかもしれませんが。


[4400] 題名:私が影響を受けた音楽5〜クラッシュ、ロンドンコーリング・サンダニスタ 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年05月11日 (水) 07時48分

クラッシュとジョーストラマーには、ピストルズのように、「やりたい事をしろ、言いたいことを言え」と言われた気がする。
それだけでなく、ロンドンコーリングやサンダニスタから「矛盾した現実に目を背けるな、そこで戦え」というメッセージもあったと思う。
クラッシュはピストルズより長く活動した。だから、初期衝動の「やりたい事をしろ、言いたいことを言え」ということだけではすまない現実に直面した。
それがロンドンコーリングやサンダニスタに表現されていると感じた。
矛盾、膠着、出口なし、解決なし、そうした現実に直面しながら、そこでも、「俺は逃げない、戦う、アイムナットダウン」だとジョーストラマーが歌っているように思う。(1曲目がロンドンコーリングで、ラス前がアイムナットダウンということは、そういうことを言いたいのだろう)

レベルワルツなどは負けているのに、まだ、そこに立っている感じ。
状況が悪くても、うまくいかなくても、逃げてはいけないのだと思った。

昔、大学受験前日で、緊張で寝られないときに、サンダニスタを聞いて、「ヒットビルUK」を聞いたら、妙に安心して寝られて、大学に合格したのは、忘れられない思い出。


[4399] 題名:憂慮 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年04月26日 (火) 06時39分

今回は、ABさんとのやり取りではないことを書きます。

私は、最近は憂慮があります。
憲法が改悪になって、緊急事態条項が入れられるのではないかということです。
緊急事態条項はナチの全権委任法と同じようなものとされており、これが憲法に入って、緊急事態宣言をされると、選挙や財産権がなくなり、首相が法律と同じ政令を作れます。首相が財政支出もできます。
つまり独裁国家です。
このことをほとんどのマスコミは報道しないし、情報提供しません。
私は日本から民主主義が奪われるのが怖くて仕方がありません。

もちろん、改憲は、国民投票が最終的な決定です。

果たして、今の国民の多くに緊急事態条項の恐ろしさを見抜く見識があるのか?
疑問です。

今すでに日本の民主主義が弱体化しているとは思います。投票率の低下から見ても。
我々の権利を自分で守るように考えないと、奪われてしまうと感じます。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」

さらに、様々なデジタル化による監視を感じます。
この書き込みも監視されているのだろうと感じます。

監視する独裁国家。
まるで1984年です。

自分の子どもの頃は、まだ、日本人同士助け合おうみたいな感じがあったと感じます。
今の支配者たちには、冷酷さを感じます。
コロナ騒ぎについてもそう感じます。

マスコミの報道もどこまで信じていいのか、疑問です。

こんなことを書いても仕方がないのか。
まだ間に合う可能性があるのか。
わかりません。
自由と民主主義がなくなることを恐れています。

私が最近自分に影響を与えたロックを振り返っているのも、このこととつながっています。


[4398] 題名:戦争、イデオロギー、松原正   名前:AB MAIL URL 投稿日:2022年04月21日 (木) 22時51分

帰属意識と党派性はかならずしも一致しない。玉川徹さんも自分の党派性を意識してはいない。ぼくは言説からその党派性を摘出しただけだ。現実には、みずからの党派性の本質を意識できていないことが、党派性というものの大きな性格のひとつである。党派性は無意識の領域でこそ、その本領を発揮する。
 ぼくの文章が下手なので無理もないが、もうすこしぼくの書いていることを正確に読みとってもらえるとありがたい。

 戦争とは、国家間の紛争解決における最終手段だ。
 党派というのは前回のべたように、イデオロギーを成立要件とする集団であるから、全体主義国家はひとつのでかい党派だといえるかもしれない。ところがわが国は自由主義であり、唯一のイデオロギーを掲げているわけではない。
 イデオロギーというのはひとつの概念であり、一定のカテゴリーだ。なんでもかんでもごちゃごちゃにするような議論はやめたがいい。概念とは言葉であり、言葉をおろそかにするのは悲劇的なことだ。

 私のみるところ、ウクライナはロシア軍の総攻撃を凌ぎきるとおもう。そして今年後半、反転してロシア軍を自領から駆逐することを狙うだろう。そのために英米はかげながら全力で支援する。それは独裁国家の専横を阻止するためであり、この戦争はふたつのイデオロギーの衝突という側面をもっている。

 だいぶまえの話だが、関西の見知らぬひとから、かれの運営しているSNSに参加してくれという依頼があった。しかも、「正かなづかひ」で。
 せっかくなので、テーマになっている時事問題について現代かなづかいで何度か書き込んだのだが、そうするとぼくにいろいろと絡んでくる男が出現した。ネット界では有名なひとらしかった。周りもみんな、かれの仲間らしく、ぼくは孤立無援だった。

 笑ったのは、その言葉つきが、あの松原正先生そっくりなのだ。「頗る」とか「手合い」とか、「極楽蜻蛉」「道徳的にいかがはしい」とか、その他いろいろ。相手を批判することを「叩く」といふ。
――クセがつよい。
 それだけでなく、松原先生の言葉を金科玉条とこころえて、ぼくにぶつけてくる。「政治と道徳」「外交を内政に利用してはならぬ」とか、ああいう名文句の数々を。おかげで、ぼくをなつかしい気分にさせてくれた。ピース。

 ぼくだって松原先生は尊敬しているし、先生の講義で優をとったことを、在学中唯一の自慢にしているくらいだが、かといって一定の距離感はある。だから平気で先生の名文句を否定してみせた。
 しかしその男に距離感はない。党派性とはそういうものだ。松原先生の生きた言葉は固定され、その豊かな内実を喪失し、イデオロギーと化してしまったのである。
 イデオロギーとは、そういう人間的かつ非人間的な構造をもった社会的政治的概念だとぼくは考える。かつては野原を自由に飛び回っていたトンボも、昆虫標本にされ、硬直した外形をとどめるだけのピンでとめられた抜け殻になる。

 松原先生ご自身はというと、ご存じのように、群れるのを極端に嫌ったひとだった。それは他者との距離を正確に測定していたからで、先生ほど党派に厳しい言論人をぼくは知らない。
 ところが、そういう先生に距離感を感じない「手合い」が出現すると、そこに党派がうまれる。硬直した抜け殻の名文句に照らして、それを指標に、敵か味方かをまず判断する。名文句は自明の理とされてけっしてうたがわれることなく、同語反復的ルーティーンとして自動化される。つまり、思考はそこでフリーズする。

 言葉は生きた状況で語られることで意味を生じる。おなじ言葉も、時間と空間を異にすれば変移する。
 
 イエスの場合もそうだ。かれは弟子たちにすこしも心を許してはいない。その生きざまは徹底した「貴族主義」だった。弟子たちはかれの思想の本質をまったく理解できなかった。
 パウロは党派をつくった。十字架上での死と復活をケリュグマにさだめて布教活動を行い、その線にそって原始教会をつくり、異端を取り締まったのである。書簡を読むと、かれはイエスの言葉など一顧だにせず、自己のイデオロギーに集中している。イエスの思想は無視して、メシアを信じるか信じないか、それだけ。やはり思考はフリーズし、信者それぞれが自分の頭で考えることは否定された。党派はそのようにして成立する。
 パウロをどんなに弁護しようとも、かれの書簡がすべて党派維持のために書かれていることは疑いようのない事実だ。
 だからぼくは、パウロが好きになれない。
 もっといえば、福音書もまた党派的に書かれている。それぞれの福音書記者の属していた党派のケリュグマにそっている。それに解釈をくわえている聖書学者も、田川建三のような少数のひとをのぞけば、おおむね党派的であるといえる。
 党派はかならず失せたる一匹よりも九十九匹の羊を重視する。

 ドストエフスキーの小説を読みかえして、ぼくが感じたのは。かれの作品にはけっしておもてにはでないが、ずっとそこに存在しつ
づけている登場人物がいるということだ。それはいうまでもなく、イエス・キリストである。かれの小説はいつも、イエスとの秘めたる対話が軸となっている。
 ドストエフスキーは信仰者であり、史上最強の宗教文学を書いた。 だがしかし、『カラマーゾフの兄弟』に端的にあらわれているように、ドストエフスキーはカソリックはいうまでもなくロシア正教会にすら批判的だった。教会を成り立たしめているイデオロギーを徹底的に批判している、教会の党派性は反キリストだ、と。つまりかれは党派的ではなかった。

 そして、イエスも釈迦も孔子もソクラテスも、けっしてイデオロギーをつくることなく、単独者に徹したのである。
 まさか、かれらが信仰者ではないとでも?
 


[4397] 題名:思ったこと 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年04月20日 (水) 09時56分

いろいろ考えてみて、どうも自分の理解が違っているように感じました。
まず「属していない」という言葉について、「党派には属していない」という意味ですね。

私は「どこにも属していない」という言葉から、坂口安吾とかラスコーリニコフとかを思い浮かべていました。
気持ちの上で孤立感が強いのかなと咄嗟に思った.。

初めから、党派に関して属していないという話だったんですね。
ABさんは、党派と人間的な関係をわけて考えて話していた。
一方、私は党派心と人間関係をごっちゃにして、「属していない」という言葉で、ラスコーリニコフみたいな、人間関係を切った人物を思いうかべていた。
その辺で話が、混乱したのだと思いました。

あと思ったのは、私は教会に帰属意識はないです。また悪魔とか悪魔崇拝とかの話をしても教会の大抵の人には通じません。ほとんどの人が「変な奴」と思うだけです。そういうセクショナリズムで、悪魔の話をしていることは全くありません。付け加えておきます。


[4396] 題名:疑問 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年04月16日 (土) 17時42分

党派について考えて、さらに疑問が浮かびました。

1 戦争は、個人の人間関係を超えて殺すことになります。外国の友人同士が戦場で殺し合うなど悲惨な場面も想定できます。戦争は、党派の現れですか?

2 宗教の教祖、例えば、パウロでも、日蓮でも、モハメットでも自分の宗教教理には絶対的な確信を持ち、言動します、そして教団を作ります。こうした人類史に残るような強烈な宗教家の人々も当然、党派的な存在ですよね。
そうすると、宗教を信じれば、必ず党派的になりますか?あるいは、主義、自分なりの真理とか信じれば必ず党派的になりますか?


[4394] 題名:ウクライナ・ナショナリズム・悪魔崇拝 名前:AB MAIL URL 投稿日:2022年04月10日 (日) 22時02分

党派と同胞意識はちがう。そのくらい知っておくべきだ。
 党派とはイデオロギーを成立要件とする集団だ。保守とか、リヘラリズムとか、キリスト教とかコミュニズムとか。人種は関係ない。それも細分化して党派は形成される。保守派だって、親米と反米がいるらしい。おなじプロテスタントでも、ルター派とクェーカーではかなりちがう。

 こんなぼくにだって愛国心はある。日本の歴史文化を大切におもっている。それがぼくをつくってくれているのだから。
 だがそれと、イデオロギーとしての民族主義はぜんぜんべつものだ。三島由紀夫のような思想は大キライである。

 素人パンク百姓も、ちょっと三島に似ている。英語の語源をふりかざすところも。
 
「人を助けるのは、相手が同胞の一人と感じているからではないでしょうか。」

 ぼくはわが目を疑った、これが敬虔なキリスト教徒の言葉か、と。なにをいっているか、自分で解っているのだろうか。

 前回、溺れた中学生の話を書いたが、かれが日本人だから、山口県人だからたすけようとおもったのではない。ロシア人だろうと、中国人だろうと、ぼくはおなじ行動をとったろう。
 民族意識に特権性を付与するあらゆる思想にぼくは反対する。

 あの日、晴れわたった人気のない晩夏の砂浜で、救急隊が到着するまで、ぼくは溺死体となった中学生とふたりきりだった。なにごとも無かったかのように、日の光はふりそそぎ、風がそよいでいた。汗ばんだ右腕に虻がとまり、ほくを刺した。潮騒だけが低くひびいていた。
 
 ぼくは、日本人である前にひとりの人間だ。
 ところが素人パンク百姓は、人間である前に、日本人であり、ルター派であるらしい。だからぼくの言動を「不思議だと思う」
 しかもそれを自明の理としてすこしも疑うところがない。だから前回、党派性を語った。つまり、「テオフィロのアイロニー」だ。自己矛盾に悩まずにいられる要因がそこにある。

 素人パンク百姓はゼレンスキーさんに、なにか後ろ暗いところがあるのではないかと、あいかわらず小心な猜疑心をはたらかせているが、ぼくにはどうでもいい話だ。かりにゼレンスキーさんがそうだとしても、それをいうならプーチンさんは桁違いだ。引退後に住む「宮殿」は二百五十億円以上と推定され、五兆円を超える資産を隠している。数十年にわたって国家を私物化し敵対者を殺戮してきた。

 ゼレンスキーさんにもプーチンさんにも、それぞれの「正義」がある。ぼくは、ぼくの立場から、相対的にどちらに分があるか判断するだけだ。今回はウクライナを支持する。素人パンク百姓のように、そこに道徳的評価を性急にもちこもうとはおもわない。ぼくはプーチンさん同様、ゼレンスキーさんになんのおもいいれもないし、かれ個人の肩をもつつもりもない。
 ただし、ロシア軍の戦略攻撃だけは許しがたい。そのうえ組織的虐殺とは――。

 どの党派にも属さないことは、素人パンク百姓のいうように、不安定ではある。身を預ける場所はなく、ものごとの是非を独力で評価しなければならない。だが、どこに属そうとも、つまるところ人間は徹底的に孤独だとぼくはおもっている。 
 しかし友人もいて家族もいる。それでたくさんだ。

 素人パンク百姓とは、若い時分に何度も旅をした。なつかしく想いだされる。その間、いく度となく激論を交わしたものだ。ぜんぜん、いまとかわってない。それでもいまだに親友である。それでいい、イデオロギーや知的な相互理解など馬に食わしてやれ。そんなものは、人間において二義的なものにすぎない。
 
 素人パンク百姓はぼくのことを、あの「地下生活者」のように考えているとおもう。一杯のお茶が美味しく飲めるなら世界なんてどうなってもかまわない、という感じがたしかにぼくにはあることを、これでも多少は自覚している。だから坂口安吾にはちっとも似ていない。でもあこがれはある。

 安吾のすばらしさは、学生の時分、上村先生の父君に、夕食をご馳走になりながら教わった。素人パンク百姓のご両親、Kのご両親、高田や源田のご両親、みなさんにとてもお世話になった。素人パンク百姓の父上はとてもやさしい方だった。こうした想い出は、ぼくにとってどんなイデオロギーや愛国思想よりもはるかに大切なものだ。もしロシアや中国が攻めてきたら、それだけで自分の命をかけるに足る動機であるにそういない。それはナショナリズムはおろか、同胞意識ともいっさい関係はない。

 悪魔崇拝云々については、たとえキリスト教的観点からみても、独りよがりな清教徒の世迷言としかうけとれない。まして一般人からしたらまるでつきあい難く、まともに論ずるに値しない。だから前回スルーした。
「悪魔」は党派的歴史的存在者だ。党派の外には実在しない。

 そして最後に、イエスからも一言。

――外より人に入りて、人を穢しうるものなし。されど人より出ずるものは、これ人を汚すなり。

 すべてはこの言葉に尽きている。アーメン。
 


[4393] 題名:撮りたいものを撮れ、それがパンクだ 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年04月10日 (日) 08時56分

パンクロックについて書いたら、新聞にハービー山口という人がジョーストラマーの写真を撮った記事が出ていた。
山口さんが1981年、ロンドンの地下鉄にいたら、ジョーストラマーがいた。写真家になりたい彼は、悩んだが、頼んで、写真を撮らせてもらった。その時、ジョーストラマーが言った言葉が、「撮りたいものは撮れ、それがパンクだ」。
その言葉に勇気をもらって、その後山口さんは有名な写真家になったそうだ。

https://former-cdn.cinra.net/uploads/img/interview/201712-watanabeyamaguchitanaka-photo7_l.jpg

考えてみると、「やりたいことをしろ」という言葉は欲望に従って生きるということではなく、使命感を持って生きろという意味に近い気がする。


[4392] 題名:私の影響を受けた音楽4〜セックスピストルズ・ネヴァーマインドボロックス 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年04月08日 (金) 11時51分

ピストルズはある意味、最も影響を受けた。
当時は、ガツンとやられて音楽生活がパンク一色になった。それまでの音楽はだめ、ビートルズもディランも一時、聞かなくなったほどだ。
パンクから私が影響はどんなだったろう。
「言いたいことを言え」
「やりたいことをしろ」
「現実から逃げるな。現実に直面しろ」
「戦え。」
「自分一人でも戦え」
「お前が問題だ。お前がどうするかが問題だ」

当時、不安や憂鬱や自己嫌悪に苛まれた、高校生が「すげえ」と思ってガツンとやられた。

パンクがなければ、ギターをもって人前で歌おうとは思わなかっただろう。

私も年を取り、日本人だから和の和合生活の心地よさも知っているし、和の処世術もそれなりに身に着けたつもりだ。しかし、自分の人生を他人に売り渡すつもりもないし、納得できないことをするつもりもない。(多少の妥協はしますが)。嫌なものは嫌、やりたいことをしたい。そうでないと何のための自分の人生かと思う。
仕事も、宗教も、農作業も、音楽も、社会活動も、基本自分のしたいことをしている。そうでないと長続きしない。
そういう意味では、私は、今でも、一人のパンクだ。


[4391] 題名:感想 名前:素人パンク百姓 MAIL URL 投稿日:2022年04月03日 (日) 08時41分

私の初めの分に感想いただき、びっくりです。
半ば冗談で書いたので、真剣に取られて驚きました。

ただ、ABさんは、私から見ると正直、よくわからないと思っていたところがあるので、今回、いろいろ書いていただき、わかったところもあります。

若いころは、ABさんは坂口安吾みたいな人かなと思っていました。時間が立つと、生活環境から、やっぱりいわゆる「保守派」なのかと思ったりしていました。

勝手に党派色分け的な書き込みをして、すみません。

ちょっとわからないなと思ったのは、どこにも属さないなら、人のために自分の命を危険にさらす必要あるのかなと思いました。
これは批判ではなく、単に不思議だと思ったということです。

ウクライナ人が戦うのは、ウクライナという祖国を守りたいからでしょう。ウクライナ人は、ウクライナという祖国に属している。だからウクライナのために自分の命を危険に晒しても戦う。あるいは自分が家族・一族に属していて一族を守りたいから戦う。

大の虫を生かして、小の虫をを殺すという言い方がありますが、自分という小の虫を殺して、家族や祖国という大の虫を生かそうとする。

人を助けるのは、相手が同胞の一人と感じているからではないでしょうか。

英語でもKindnessという言葉は同胞意識ということではないでしょうか。

私は日本人が、独特な同胞意識をもっているように感じます。日本人は、腹を割って話せば、お互い共感できると感じており、だから日本人は立場が違っても、みんなお互い同胞だと心の底では感じているように見える。
日本人が外国人との交渉である外交が下手なのは、外国人が日本人のことを食い物にしようと計算しているのに、日本人は相手が話せば分かる同胞であるような楽観性(お人好し)をもっているからではないかと感じる場合があります。(それだけでなく、卑怯で自分のことしか考えていない日本人もいるでしょうが。また最近はそいういう日本人の同胞意識がだんだん崩れてきた来ますが。)

どこにも属していない人間が自分の命を捧げるかもしれないことは不思議に思いました。

私自身の体験でも、かつて、どこにも属していない感覚で生きていたと思われる時期があって、その時は、憂鬱、不安、恐怖が強く、他人のため命を捧げるなんて、考えることもしませんでした。あらゆることに関して懐疑的で命がけのような気持になれませんでした。


あと話は変わりますが、ゼレンスキー大統領は、どうなんでしょう。
あの立場では、「祖国を守れ!」というのは私はいいです。
それしかないとは思います。

しかし、私は彼に背後に、EUやNATOや欧米の資本家がいるように思えてなりません。
彼はユダヤ人だし、ユダヤ金融資本との関係はどうなのでしょう?


あと、繰り返しになりますが、別に真剣に「反教会派リベラリスト」なんて思ってないですよ。長年の友人に簡単にレッテル張り、して事足れり、とかないです。
ただ、思ったのは、宗教的には私と意見が違い、かつ、ちょっと坂口安吾みたいだなと思っただけ。





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