強迫性障害の案内板の掲示板2号
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ご無沙汰しております。不潔恐怖で、強迫対象は祖母の触ったものです。昨年、1月から父の看病のため、亡くなった祖母のものがたくさんある実家に数年ぶりに帰省しました。やはり、避けていた強迫対象の中に入るのは、大変苦痛でしたが、父のために、自分のために帰りました。何度も何度も、青森から病院へ通いました。昨夏、残念ながら父は帰らぬ人となりましたが、最後に父の願い通り、帰省できたこと、父と触れ合えたことは、良かったです。いま、自分にとって根本的な病気の改善、根っこの部分ができていないということも、ようやく考えられるようになり・・・マインドフルネスの箇所を読んで、呼吸に集中、何かが邪魔しても、一瞬気になっただけで元の呼吸に意識を戻す。それを、繰り返し毎日行っています。そして、管理人さんの作ってくださったHPを読み返しています。私の頭の中で考えたことの記憶・感じた感情・感覚であって、それは実際の危険性があるわけではない。記憶と実際の違いに気づくこと。錯覚していることを、理解する。これを、言い聞かせながら過ごしています。これは、私の治療に影響をあたえたY医師が、理にかなっているのかを意識しなさいといったことを思いださせた。私がこわがっていたのは、過去の間違った感覚の記憶にすぎない。改善に向かっていこうと、また思い始めました。不思議なことに、何年もさわれなかったものが、ついおととい触れて、きちんと片づけられたものがあります。実家の年賀状と一緒に届いた年賀状だけが、ずっと今の生活で触れていませんでした。ほこりをかぶっていました。でも、きちんと片づけることができました。ずっと触れなかったのに。自分の中で、1枚はがれた感じです。そのあと、以前祖母の葬儀に使用したその時に使ったかばんがあり、ずっと押し入れにしまい込んでいたものがあります。現在の生活で1番の恐怖でしたが、1日に1回触れて、その手で髪の毛や持ち物や、服をさわるということをしました。そのまま手洗いせず、行動します。まだ2日目です。でも、そのまま仕事もできています。嫌な感情が感覚が出てくると、もうこれは病気がそうさせているということを気づいています。きづいたら、そのままにしておけばいいのです。それを知っているので、2日目ですが無事過ごしています。これを、繰り返していく。私のいまの目標は、祖母の墓参りに行くことです。最初に管理人さんのところに、お話しを聞いていただいた頃は、病気の中で必死にもがいていました。初めて、やみくもに行動療法をしてしまったときは、頭がグラグラして、助けを求めてしまいました。今は、今のところですが、落ち着いていられます。ありがとうございます。亡くなった父が、私が初めて精神科に行ったとき、俺がついているからといってくれました。父のためにも、家族のためにも寛解を目指します。色々と、思いつくまま書いてしまいました。ここは、私の気持ちを話せる場所。その場所を下さり、感謝いたします。長文失礼いたしました。
そう、逃げ腰ではダメ。私は、向かっていく。今日も、強迫の対象をさわり、手洗いせず行動します。今のところ、大丈夫。その触った手で、触れた洋服も今日で3日目。下着と、シャツは着替えていますよ。一応、人前に出て仕事をしているので(笑)そのままに。触れば、ザワザワと心の中が動きますが・・・そのままに。自分が今する行動に、意識を向けます。それは車の運転だったり、本を読んだり、仕事したり、食事をしたり。ちょっとした間に、また触ったことを思い出しますが、次にすることに目が向きます。行動を、やるかやらないか?よし!やるぞ!って始めた次第です。以前、行った時よりすんなりできています。ひとつずつ、砂の城を崩すように。外側から、できることから始めてきた、積み重ね。前に進んでみよう。恐がって、進まないのがいいのか?恐怖に突入して、前にすすんでいくのか?私は、これからの人生のために、前に進むことを選びました。止まっているのは、やめようと思いました。先を、見てみたくなったのです。日常生活に支障はなかったけど、出来ないことがある。これは、理にかなっていないと、気づいていました。そして、もう一歩踏み出しました。自分のためです。それは、結果、周りのためであること。Y医師が、あなたならできますと言ってくれた言葉は、私を押してくれます。感謝です。
今朝も、祖母の葬儀の際に使用したカバンを触り、手を洗わず行動。今日は、燃えるゴミの日でした。ゴミ出しをしたあと、手を洗いますが、今日は行動中だったので、手は洗わずそのまま行動しました。手をみて、何も汚れていなかったからです。そのあと、化粧をするので、手洗いしたかったのですが、あえてやめてみました。やっぱり、まだ触るときにエイッと気合を入れてしましますが、それも仕方ありません。6年も放置してしまったのですから。1時間くらいすると、不快感は消えています。触ってすぐに、仕事に出かける準備をするのは、苦痛ではありません。ここまでくるのには、長い時間がかかりました。
私は、対人関係を苦手としているのだと、感じています。強迫の原因は、祖母との関係です。亡き父は、祖母が離婚して手放した母に対する感情を、孫の私にぶつけているようだったと言いました。祖母と自分の関係、家族と自分の関係。深い人間関係を大切にしすぎるるあまり、苦痛と感じているように感じます。最近、人それぞれなんだ、それは家族も同じことで、自分の尺度にあてはめてはいけないんだと、考えようとしています。自分は、自分の考える正しいことを、行って生きています。でも、それは自分がするだけでいいのです。Y医師に、祖母の過去を話したことがありました。Y医師は、それはおばあさんの人生であって、あなたの人生じゃありませんよと、おっしゃいました。私は、自分以外の家族のことでさえ、何とかしたいと思っていたのです。家族以外は、どうにもならないからと思えるのに、家族に対しては自分をぶつけてきたように思います。どうにもならないこと、変えられない過去、自分じゃないことを、自分にあてはめ悩み苦しみ、辛く感じました。私は、ずっと、祖母を避けてしまい、そのことにひどい罪悪感がありました。最後に会ったのは、老人ホ-ムに見舞いに行った時です。そのとき、そばに座りなさいと言われましたが、行ってあげられなかった。祖母は、最後にバイバイと手を振ってくれました。かわいそうなことをしました。病気がはびこる私は、そのとき会いに行くことだけで精いっぱいでした。そばにいってあげたくとも、出来なかったのです。それを思うと、涙が出ます。ただ、祖母を受け入れることは、自分を許すことにつながると思って、いま行動を始めました。間違った行動を修正できると思います。私は、祖母を嫌いでなかったことが、とても良かったと思います。子供のころの、楽しい思い出もあります。私は祖母の辛い人生に、心が傷ついていただけだった。祖母も早く病気が治ることを、待っていると思います。またそばに座りなさいっって言われたら、私は隣に座ってあげます。今は、少しザワザワした感じがするかもしれませんが、すぐに次の行動に入れます。祖母の言葉を、断ったあの時と違います。なつかしい昔話を、話せたらいいなと思います。夢の中ででも、会えたらいいなぁと思います。過去は過去で、今を大切に生きていきます。過去を不安に思ったり、何とかしたいと思うのは、どう考えたって無理なことです。将来に対しても、不安は多いですが・・・なるようにしかならない、何とかなると言い聞かせ、今を大切にそれを積み重ねて、いずれ来る死ぬ時まで精進できたらよいなぁと、思います。
やってみれば、出来るものだなぁと、感じている。昨日は、8時半対象のバッグを触り、13時に昼食の用意をするまで、1度も水に触れなかった。トイレに行った後は、手を洗う習慣。手洗いの習慣を、しないでもすむということ。自分の手が汚れていない、そのまま違うことをする。前夜、日記に書いた。大便のあと以外は手洗いは、しないでみたらどうか?と自分に提案した。大便の後、紙で処置した手は、何もついてはいなかった。本当は、手洗いしようと思った。雑菌がついたもので、他を触らないように・・・大便の時は、手洗いするのではなかったのか!?昨日は、あえて思い切ってもう一歩、そのままに。1日の中で、手洗いをしないで過ごした。できるものだなぁと、感じた。汚い話をしまして、すみません。いま、ここまで私は変われました。人は、変えようと意識すれば、変えられるものですね?でも、勇気がいりますね?できましたが、まだちょっと大の後は罪悪感。しかし、自分次第で、変わっていける気がしました。ひとつずつ、考え方のくせを修正していく。一歩ずつ。出来そうなとこから。
3/9から書いていていただいているメッセージ、読んでいます。正確な年齢はわかりませんが、いろいろな役目を抱えている世代の方かなと思いました。あと、行動療法らしきものをされているようで、そこに踏み切った動機は共感できます。ただ、掲示板越しには、面識のない方には、応援はできません。特に、40代以上の女性の場合、無理なことをしたために、その影響と思われる障害を負った人を何人か知っています。そのため、行動療法は、できるだけ経験がある治療者とともにすべきだと思っていますし、私も、その世代の女性に治療する場合は、慎重に行っています。ですので、心配な面もありながら、読んでいます。
ご心配を、おかけしてすみません。私の年齢は、今年50歳になります。発症は、12歳だったと思います。祖母が触った気がして、衣類にアイロンかけをすれば、殺菌されると考えるようになったころです。自分で洗濯し始めたのも、そのころからです。そして、40歳になるころ、これは病気だったと知りました。病気なら治したくて、PCを検索していたら、このHPにも出会いました。管理人さんには、そのころから温かい言葉をたくさんいただきました。病気と知ってからずっと薬物療法で、ルボックスを服用していましたが、昨年父の看病から法要などで忙しく、通院しないうちに、薬を飲まないこと1年。行っていた病院は、医師が変わっていて、通院を辞めました。月に一度、数分程度の話をするだけに、あまり意味が感じられなくなりました。自分でも、一人でやっていることは不安でした。でも、私が前に進まなければ、家族を支えられないのではないかと、あと一歩を踏み出したかったんです。行動療法をサポ−トしてくださる場所があれば、自分で行けるような場所でしたら行きたいのですが、なかなか近所にはありません。勝手にするのは、危険なんですね。やめたほうがいいのでしょうか?と言っても、NET越しでは助言は難しいですものね?帰省の際、管理人さんのところへ伺えるようにしようと思います。以前勧められた、SKYPEも設定までは、出来たのですが・・・そして、まずは、もう一度精神科へ行ってみようと思います。主人に、病院に行くと、キチガイと言われるのがとても嫌だったんですが。でも、何を優先するかですね?キチガイと言われようが、病気を治したいんですから。
返事が遅れて、すいません。>でも、私が前に進まなければ、家族を支えられないのではないかと、あと一歩を踏み出したかったんです。この気持ちは、とても大事にしていただきたいです。ただ、行動療法は無理なく、自分の心身を観察しつつ、ペースを作っていけるといいと思います。登山みたいなもんだと思います。
投稿読ませていただきました。ものすごく頑張っている姿が伺えて感心してしまいました。当の私はというと現状維持でなんとか仕事に行っている状態です。実は先日私にとって衝撃的なことが起こりそれから被害妄想がひどくなりました。お風呂に入ろうとそばにたたんであったタオルを手にとったら鳥の糞がついていました。しかもタオルをつかんだ手がちょうど糞の上にある状態になってしまってしばらくどうしていいか分からず固まってしまいました。私にとって排泄物、特に鳥の糞は一番苦手なものなのでかなりなダメージを受けました。とにかくそのタオルは捨てて汚れたタオルの上に重ねてあった洗濯物も再度洗濯行き周辺を何回も除菌ティッシュで拭いてファブリーズをして寝付いたのは朝方でした。そのタオルは母がたたんでくれていたので本人に聞いてみると気が付かなかったと。。。たたんだ内側が汚れているなら気付かなくても仕方ないけどたたんだ表に黒い大きな塊がついているんだから重ねる時に普通は気が付くと思いませんか?もうありえないです!私は両親と同居していてフルで仕事をしているので洗濯物は母がたたんでくれていることが多いのでしてもらって文句を言うのも申し訳ないし誰のせいでもないと分かってはいるのですが怒りの矛先を母に向けて無神経すぎると思ってしまいました。この病気になってからはそうゆうことでつい短気になってしまう自分が嫌になります。
私、うまくいかなかった。いままた、避けています。祖母に触れたバッグ。強迫を無視しようとして、逆に気にしていた。自分が我慢している状況になっていた。我慢じゃないのだ。我慢すれば、強迫がいつの間にか一番、先に立っている。自分が一番前にいなくては!自分であればいいのだった。忘れていた。受け身じゃいけないことを。ただ、まだ深く理解できていない。だから、うまくいかないのである。きちんと理解して、たたきこまなくてはやっぱ、専門家が欲しい。また病院に行きたいが、行動療法が浸透していない現実。間違った方向に行かないため、専門家が欲しい。でも出来ること、増えていった。それは、うれしいこと。何より、実家に帰れること。本当の自分を取り戻すため、日々精進。できるかな(笑)
私にも、経験あります。一生懸命拭いたりして、疲れ果ててしまいますね?強迫とは、大切な時間を失っていきます。自分の時間をすべて、自分に使いたいですね。強迫さんに使われるのではなく!お互い、早く治りますよう願います。
対象物に触ると、ドキドキ、ザワザワと落ち着かなくなる。それが嫌で、避けようとした。でも、自分が今、逃げている自分に嫌気がさしている。自分が嫌になってくるのだ。祖母に触れた手で触ったカバン、洗ってしまおうと思ったことは、何度もある。ホコリもかぶり、本当に汚いのだ。妹に話すと、そんなの気にし続けないで、カバンなんて捨てちゃえば?って言った。逃げれば逃げっぱなしの人生になっちゃうから、捨てないのよと、そう私は答えた。触ったとしても、自分に危害は及ばないものに、おびえている。最初は、祖母のことが怖かったかもしれない。いや、何を注意されるか怯えていたのは事実だ。良い子でなくては、長女としての振る舞いは、色々なことを教えてもらった。祖母は、私をかわいがったのだ。過剰さゆえに、それに苦痛を感じただけ。祖母も、私も、悪くない。私は、対人関係に苦労苦痛を感じるタイプであろう。でも、苦手な人でも、挨拶を続け、自分から話しかけ、克服している。それと同じではないか?強迫さんに、自分から向かって行くこと。考えるより、まず行動で!恐くないものに恐怖を求めている?不安がないところを、何とかしようとするから、どうにもならない。問題があるものには、問題解決の方法があるけれども、実際死ぬわけでもなく病気になるわけでもなく危害を与えるわけでないものに、おびえ怖がるから、どうどうめぐりなんだろう。繰り返し、何とかしよう何とかしたいとしても、何にもないものは、いくら繰り返し洗ったり拭いたり確認したとしても、何にもないのだ。実際、何かよごれているのか?対象物に触った手で、知人に握手をしようとしたって、相手は受け入れるだろう。手に何かついているわけではないから、避けることはしない。これが油まみれだったり、汚物が手についていたら、相手は逃げるでしょうが(笑)そう思うようになった。数年前にも気づいたはずだった。不安がっても、そこに不安はなかったと、親に話した記憶がある。その時、少し前進したのだった。触れるものが増えていった。日常生活が、楽になって行動範囲が増えたのだった。だが、私はこれは出来ないと決め付けたものを作ってしまった。そう、かばん。全部、自分が気になるものは、つぶしてしまわないと終わらない。何にもないのだ。不安に思うことなんて。行動しよう。それしかない。人は、寿命、定められた命が尽きるまで、生きれる生かされるのだ。空想の不安に押しつぶされて、何にもしないよりは、行動したほうがいいと、私はそう思います。
いきなり高い山は、登れない。越えられない。おそらく、私はそこが間違っていたのだろう。出来ないことは、カバンに触れないだけでなかったことに気付く。出来そうなとこから、また戻ってやり直す。登れない険しい道にいどんでも、無理なこともあることを知る。回り道をして、工夫して、上に上がっていく。山登りを遭難しないためには、間違ったときは、戻るんだそうだ。戻ってもいい。着実に登ればよい。自分のペ−スで家族のため、何より自分のためです。
何年か前、10年は経っていないが。曝露した時の気持ちは、こんな強迫を怖れていては、仕事にならない!時間ばかりかかってしまう。エイ!やってしまえ。嫌だったら、もう一度洗ったらいい。とりあえず、やってみようだった。結果は、あぁ、汚しちゃったな。やっちゃったなと、今まで守ってきたものを壊した気分でした。どこか外から自分を見ていて、あぁ〜あぁ、やっちゃったよ、大丈夫かよ〜って感じでした。一回一回、触るものを拭いていた生活から、不可ない生活になりました。慣れたんだなぁ・・・汚く感じたもの、触るものすべてに。でも、全部を汚していなかったのだ。触ったとしても、下着で守られた部分がありました。外部と触れない部分です。そう考えています。私の頭は!いま、風呂上りに乾いたタオルで触れない部分があります。汚しちゃうって思うからなんですよね?実際、汚すわけでもないし、温泉に行けば皆そんなのは気にしちゃあない。さぁ、汚しちゃえ、出来そうだよって、私が言っています。いま、少しずつ毎日訓練し始めてます。慣れるために!
こんにちは。メッセージ、連日の投稿、ありがとうございます。症状を改善したいという気持ちは、大事ですね。気持ちがあれば、かなり以前にも、書いたと思いますが、あとは必要な技術があるかです。そういう現実を直視して、あるがまま受け入れることも大事です。この掲示板、皆さんの役にたっているのか疑問に思うこともあるのですが、利用していただける人がいるうちは、続けようかと思います。m(_ _)m
こんにちはここ1週間、朝晩10分ほどやっていること。正座もしくは座禅をして、背筋を伸ばし顎を引いて、呼吸に意識をむけます。吸ってはいての、無意識にやっていることに、息を吸うとおなかが膨らみ、はくと縮むを意識する。集中しているつもりでも、驚くほど、たくさん雑念が湧いてくるのですが、雑念が起きたことに気づいたら、また呼吸に意識をむけるのです。その繰り返し。雑念は、自然に湧いちゃうから、仕方ありません。そうしたら、また呼吸に意識をむけます。雑念に気づく。雑念に夢中にならず、今は呼吸に意識しよう。そして、だんだん、雑念に気づくのが早くなっていきます。そのようなことを、1週間ほどしております。続けてみたいと思います。管理人様>この掲示板、皆さんの役にたっているのか疑問に思うこともあるのですが、利用していただける人がいるうちは、続けようかと思います。m(_ _)m私は、この場所を大切に感じております。病気であることを知った、きっかけになりました。たとえ病気が治ったとしても、帰省するように、ここを気にかけ見ていることでしょう。そして、掲示板に書き込めなくとも、見えない部分で利用されている方も多いと思います。一人でも多く、この病気に苦しむ方が病気を認識し、改善したいという動機づけを、この掲示板やHPのたくさんの情報をもとに得られ、1日も早く治りますよう願ってやみません。私の闘病記録も、誰かに役に立ちますように。そして、私も恐怖対象が全くなくなるよう、対象が現れても対応できる力を持てるよう、早くしっかりと治したいです。
MIKIさんが[5227]で書かれた>雑念は、自然に湧いちゃうから、仕方ありません。そうしたら、また呼吸に意識をむけます。雑念に気づく。は、マインドフルネスの考え方と共通しています。ただ、マインドフルネスだけで、OCDが治るのは困難で、一般的には、曝露反応妨害の基本を押さえて行うことが必要です。