強迫性障害の案内板の掲示板2号
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はじめまして。以前書き込みはしたものの、すぐ削除してしまいました。なので初めての書き込みです。強迫性障害の不潔恐怖と知り、通院をして1年になります。主に、糞への恐怖心がはんぱないです。色々なストレスが原因となり、悪化させてしまったようです。また、いろいろと困難な出来事が襲って困っています。土曜日に自動車を走らせていると、子供のおむつと見れるものが散乱していました・・・しかも一つじゃないのです!!あわててよけて、車の真ん中を通過させました。確認しても、目に見える汚れはついていませんでした。しかし、もしかしたらタイヤが踏んで汚れたかもなどと考えてしまいます。あとから洗車もしたのですが、すっきりとしません。毎日通らなければならないのに、片付いてもいない・・・一番悪いのは、散乱させた人なのですが。目に見えない汚れは、気にしないのが良いのですが汚れているイメージになって困っています。汚れに原因→タイヤ→広がる→ほかの地面にも→自分の靴→自分の身体にも・・・とこんな風に、汚れが広がっています。大丈夫だと思う反面、不安感もあり、皆さんも同じだとは思うのですが。まとまりのない文面となりましたが、目を通していただければとおもいます。
ヒュンクーさん、よく読ませていただきました。お話、本当によくわかります。私も不潔恐怖でこの間も道に汚物があり、しかも誰かに踏まれていて、その横を汚れないように気を付けて通ったのですが、その後、乾燥したものが微量に服についたのではないか、その服を着て家に帰ったのだから、玄関も汚染されているのでは、履いていた靴も、ジーパンも、上着も汚染されしまった。どうしよう、どうしよう。こういう考えに囚われてなかなか抜け出せません。頭では、いやいつも駅でこんな汚物の横を通っていて何もないじゃないか、いやむしろ過去も知らないところにあって横を通ったかもしれないのに、その時は気にしていないじゃないか、通常の人ならどう考えるだろうか、おそらく、あ、道に汚物があって嫌だな、避けて通ろう、と思うことはあっても、その後3歩も歩けば忘れるんだろう、と分かっているのです。頭では分かっているし、体もそのものを避けて通る選択をしている訳で、誰が見ても余程の汚染で歩けないのならば、引き返すとか遠回りするとかしている筈。その時に体が横を通るという風に決めたのであればそれは自分が大丈夫だと判断しているのであって、その自分のそのときの感覚に従おう。こう考えてなんとか切り抜けようとしています。いま、汚染されたかも知れない(と思い込んでいる)靴を履き、その靴下であえて部屋の中に入りこれを書いています。何度も汚染の恐怖が襲ってきますが、我慢してあえて無視しながら慣らしているところです。最近、こういうことを考えます。汚染したと思った時には、拍手(人のいるところでは指パッチン)を三回します。これで汚染は去った、と考えます。馬鹿馬鹿しいと思うかも知れませんが、そもそも汚染に囚われていること自体が馬鹿馬鹿しくそれから離れられないのですから、拍手で汚染が去るという根拠のないことも成立しなければなりません。そういうことなんです。お話を読んで本当に身につまされますが、こういうことで悩んでいる人は私も含めかなりいるということ、物理的な汚染は全く問題ないこと、逆にすべてのものは最初から等しく汚染されていて(これをまた逆に言うとすべてのものは最初から清浄)、そのなかで笑ったり悲しんだりして生活しているのがそもそもの人間存在であること、こう考えながらなんとかやり過ごしています。私が言うのも何ですが、汚染されていません。まったく心配ないです。何も消毒することもないし、必要ありません。大丈夫です。
なかなか同じ話題を共有できる人って、いないのでありがたい内容でした。確かに、目には見えてない汚れなんですよね。目には見えてないから、大丈夫なはずだし、実害はないはずなのに、気になる。そして悪循環に陥っています。それが影響して、やりたいことができなかったり、先伸ばしにしたりしてしまう。我慢して無視して慣らす物理的な汚染はないという認識たしかに、この二点は必要だと思います。うまく付き合うしかないのかもしれないですが、つらいですよね。目に見えない汚れは大丈夫、汚れていないそうとらえられるようになりたいものですね。
はじめまして。ころりんと申します。書き込みをみて私も仲間に入れて欲しくて投稿しました。私も不潔恐怖で排泄物が一番苦手ですのでお二人のおっしゃってることがよーく分かります。汚いものに触ったかもしれないという被害妄想的な気持ちから私もなかなか抜け出せないでいます。私は主に鳥の糞が苦手で外を歩くときは異常に神経を遣います。先日、息子が自転車をこいでいる私をみかけたけど相変わらず険しい顔してたと言いました。図星です。常に汚いものを警戒しながら慎重に行動しているのがそのように映ったのでしょうね。私も目に見えない汚染の負の連鎖は拡大しています。道路に落ちている鳥の糞を踏んだかも?→靴、自転車のタイヤが汚れた→靴やタイヤで踏んだものは汚い、といった感じです。「拍手を3回したら忘れる」なんていいアイデアですね。私も何か自分なりに解決策を見いだせたらいいのですが。。。またよかったらお話し聞いて下さいね。病気ではない人にはなかなか理解して貰えないので。宜しくお願いします。
お世話になります。意外と同じ苦しみを持つ方が多いようで、同じ立場の共有をできるのはうれしく感じます。鳥のフン、よくわかります!でも私の場合は、鳥のフンも苦手ですが、動物の糞の方が恐怖心は大きいです。私の場合、はじめに書いた不安がぬぐえず(もう2週間以上たってるし雨も降ったから問題ないのですが)、近いうち新品のタイヤに交換します(笑)こんなふうなので、靴は1000円、高くて2000円以上のものは買いません。これは、何かあっても処分できるようにするためです。経済的な損失は、おかげで少ないように感じます。
私も同じ事で悩んでいる方が結構いらっしゃるのを知り、なんだか安堵?しました。現実の生活で身の周りでは、うつやパニックはあっても強迫神経症なんて聞かないですもんね。私も勿論動物(犬や猫)の糞も苦手です。通勤路がちょうど犬の散歩コースとなっているのでやたらと落ちていてよけるのに苦労しますし、電線に鳥がとまっていたら糞が落ちてきそうなのでそこも気をつけて通ります。実際、すぐそばで鳥の糞が落っこちてきたことが何度かあったので必要以上に神経質になっています。そうそう、私の靴も\1,000〜\2,000の安いものです。理由はヒュンクーさんと同じくいざという時に処分してもさほど罪悪感のない価格だから。洋服も汚れたら(気になったら)すぐに洗えるような素材のものばかりで本当はおしゃれしたいけれどクリーニングに出すようなものは経済的にも負担なので。。結構買ったまま袖を通していないものもあってもったいないことをしています。おまけにウェットティッシュや石けんが身の周りに常にないと不安で常備しています。せっかく働いてためたお金がそんなことの為に遣われていくのが虚しいです。
ころりんさん、レス有難うございます。皆さん、殆ど同じ思考回路を辿って悩んでいることが分かりそれだけでもかなり楽になります。例えば、道で一人で汚物に遭遇したときと、駅で周りに何人も人がいて遭遇した時の悩み具合は私の場合全然違います。後者の場合は軽いです。何故かといえば、他の人があまり気にしていないことがその場で分かるからです。感覚的には悩みが人の数で薄まっているような感じです。本当は一人で遭遇したときと状況は変わらない筈なのです。そう思ってやり過ごそうとすることもあります。拍手を3回、というのはいわば思考実験のようなもので、実際に行ってはいません。苦しいときに、実態のない苦しみが成り立つのならば、同じように根拠のない行為、拍手で浄化するということが成立しないのは論理的におかしい、と考える、ということです。実際にしたらよりよく分かるかも知れませんが、それが儀式強迫になってしまうのも嫌なのでやらないということもあります。あれから、自宅のふろ場で家族の汚物を手に取ることがあって、普段の自分から卒倒するかと思ったのですが、意外と冷静で自分でも驚きました。普段はそんなことはありませんが、家族は高齢で、風呂場で下着についた拭ききれていない豆粒大の便の一部が落ちていたのを何気なく素手で拾ってしまったのです。すぐに始末し風呂場は希釈ハイターで塩素消毒しました。ただ、この消毒は強迫によるものとは違います。普通の人でも消毒するでしょうから。意外と冷静で驚いたのです。それほど後に引く感じがないのも驚きでした。本人もかなり動揺しているのをみてかわいそうになりました。今後、もっと高齢になれば下の始末もしなければならなくなる日がやってくるでしょう。でも不思議と案外できるかも知れないと思いました。世の中、介護で赤の他人の汚物を毎日扱う人もいるのだと思い至りました。今回のことで気が付いたのは、いつも苦しんでいることの正体は、「対象の得体が知れないことへの恐怖」です。実物が根拠を伴って現実になれば、案外それほどでもない、と思えたのは母のおかげです。ただ、やはりそれでも毎日なにかしらの汚染恐怖が拭い去れないのがつらいですが、いつか気にもとめないで過ごせる日がくると思ってやり過ごすしかありません。
私の書き込みに、思ったより反響があり励まされております。さて、タイトルの「問題提起」なのですが、必ず入る「トイレ」のことです。便をした後の手洗い、私にはしばらく課題になっています。用が終わり、石鹸を泡立て手を洗う→タオルでふくの作業を8〜10回程度しなくては大丈夫の感覚が得られません。困ったもんです。以前、主治医に相談したところ「30秒も洗えば大丈夫」とは言われましたが、それを受けいられず(30秒では少ないような・・・)現在に至っております。みなさん、どのような手洗いをしているか、不思議でたまりません。
私も今まさにトイレが最大の難関です。今まで試行錯誤していろんな方法をやってきました。最初は大のほうをした後は風呂場で洗っていました。そのあと小の時はトイレで水洗いした後に洗面所で石けんをつけて洗いました。今は住むところが変わって古い家なので洗面所がなく、また仕事をしているのでいちいち風呂場で洗う時間もなく、でも気になるのでお恥ずかしい話、服は汚れが気になるので下着姿で用を足し、そのまま風呂場で肘から下を石けんをつけて洗います。その後、着替えてから今度は台所でもう一度今度は手首から下を石けんをつけて洗います。なぜ、そんなに上のほうまで洗うのかばかばかしいと思われるかもしれません。ただ、息子が時々便座を濡らしたりしているので知らずに座ってしまって自分が拭く時に腕のほうまで汚れたように思うので。昔は比較的きれいで広いトイレなら入れたのですが、今はどうしても外のトイレには行けなくなってしまったので外出にも困るありさまです。問題の手を洗う回数ですが、私の場合はちゃんと汚れがとりきれて洗えているかというよりは気になる所にちゃんと石けんをつけて洗ったかどうかが気になって何回も繰り返します。管理人さんのサイトの補足で手の洗い方が出ていましたがご覧になりましたか?これが普通の感覚なんだと思いますし、周りの人もそうしているようです。ただ、病気ではない人でも潔癖症で頻繁に手を洗う人はいると思いますが、私のように生活に支障をきたすようになるかどうかが病気との境界線なんでしょうね。
手洗いはこのサイトでも触れられているように私は2回洗いをしています。1回洗いを長くするより2回洗いにした方が効果が高いようです。どこかのサイトにも実験データがありました。何度も手を洗っていると、冬は特に手が荒れますよね。ハンドクリームの消費量もかなりになってしまいます。手を洗うというのもそうですが、例えばスーパーで買ったものを洗うということはしますか。陳列されているものはいろんな人が触っています。店の人が陳列するときにもよく床に落としているのを見ます。そんなことを考えてしまって、買ったものはアルコールウェットティッシュで拭ったりしています。これはするときとしない時があります。これもスーパーですが、セルフサービスでてんぷらとか焼き鳥の串とかが置いてありますが、これも以前に前でくしゃみをしているひとを見てから買うことが出来なくなりました。サラダバーとか、コンビニのおでんなども無理ですね。これは異常なのでしょうか。それとも一般的に衛生的でない、とされることでしょうか。セルフサービスは覆いをしていれば随分と違うと思いますし、普通の人がそう思うこともあるでしょう。それをどの程度まで汚いと思うか、その後の行動はどうなのか、この辺りで違ってくるのだろうと思います。
手洗いに関して、みなさま二回洗い程度なんですね。ここ二年位でいまの洗い方が身に付いてしまったので、減らしていくには時間がかかりそうな気がします。ただ、手洗いでバランスを取っているようなことがあるみたいなんで意識しなければ減っていくのかもしれません。気長に付き合っていこうと思います。本当は汚れが可視化できたらいいのにと、常に感じています。あと食べ物に関しての汚いですが、食べ物の汚いの基準は食中毒やノロウイルスではないかと思います。食べても食中毒にならない→それは大丈夫という判断ができそうです。食事の苦手、私は卵かな。卵に触れると、手洗いしてしまいますね。殻に見えない汚れがついているように感じてしまいます。
サイトの細かい点まで、読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m誤解されたかなと思い、修正しました。HOMEマークhttp://kyou89.fc2web.com/cope/ep_1.htm手洗い2回というのは、食品製造従事者などを対象とした衛生的な手洗いのための実験です。一般の人に日常の手洗いとして勧めるものではありません。それより大事なのは、日常的な手洗いでは、目に見える汚れが残っていないのに、30秒以上時間をかけても、科学的にはほとんど意味がないってことです。むしろOCDの人は、確認でも洗い方でも、繰り返しの動作はよくないことが多いです。一旦、繰り返してしまうと、強迫のモードになってしまい、よけい止められなくなってしまうってことが起きやすいためです。そして、OCDのような過剰な心配の方が、ストレスとなって自らの体に負担・ダメージを与えかねません。むしろ洗い方は、OCDの人にとってコントロールが難しいので、一般の認知行動療法ではエクスポージャー(曝露)が、取り入れられます。
管理人様、ご指摘ありがとうございます。2度洗いは避けた方がよいとのこと。なるほどと思いました。というのも、私の場合、先の書き込みで2度洗いと書いたので、これだけ見ると2度で終わっているように感じますが、実際は、2度洗いxN回なんです。2度洗いをして、ちょっと別の物を触ってまた2度洗い、さらに2度洗い、あれ、まだ足りてない気がする、もう切りがないですね。2度洗い自体がこれの呼び水になっていたんですね。誰が見ても明確に汚れていないならば、1度で済ませるようなんとか努力してみます。
私も実は卵が苦手です。といっても食べるのは好きなのですが卵の殻についている茶色の汚れは鳥の糞だと思います。スーパーで売られているものの中にはかなり汚れているものもあって買う時はすごく
投稿の途中で操作ミスで送られてしましました。続きです。卵を買う時はすごく慎重になります。他の人をウォッチングしてみたのですがさっとだけ一回りみてかごに入れる人(たぶん割れていないかの確認)や中には手にとってそのまま何も見ずにかごにいれる人もいます。私は結構慎重に汚れていないようなものをチョイスしているつもりでも帰宅してパックを開けてみたら汚れているものを発見したりします。なので冷蔵庫の卵入れに汚れたまま入れるのは抵抗があるのでウェットティッシュで拭き取るかどうしてもそれができない時は卵を割って容器に移す、それでも駄目な時はもったいないけれどそのまま捨てたりもしていました。異常ですよね。あと、スーパーで売られているものの中でお店によってはあまり陳列棚がキレイではないところもあって牛乳パックやヨーグルトの箱の底をひっくり返して汚れていないか確認してから買うようになりました。いちいちいろんなものが汚れていないか確認する癖がついてしまい買い物ひとつにも疲れてしまいます。ですが、不思議と私の場合、ウイルスについては気にならないです。
調子が良いです。去年の今頃に感じたいた過剰反応は少なくなったように感じます。私は心療内科で医師の診察も受けていますが、その中で甲状腺異常もわかりましたのでそちらも医師の診察を受けています。調子が良いのはいいのですが、今後また状態が悪化しないかも不安であります。震災から4年、あの日から生活が変わってしまったように感じています。
やはり震災の影響があるのですね。私も震災前に父が亡くなり、これに関連した心的ショックというのでしょうか、これがあるなかで直後に震災となって、随分不安定になりました。それからこの強迫症状が酷くなったと思います。これは自分でもはっきりわかります。それ以前もその傾向がありましたが、今ほどではなかったのです。最近は会社で行っているEAPで担当医師に相談してみようかと思っています。会社への守秘もあるようですので。なんらかの改善を期待しています。
はじめまして。25歳の実家暮らしの女です。2年半ほど汚染恐怖症で苦しんでいます。身近に相談できる人や悩みを打ち明けられる人がいないので掲示板を利用させていただきました。一緒に住んでいる弟がトイレの後に手を洗わない(私と母は洗面所で石鹸で手を洗っています)&スリッパを履かずにトイレに入るということに気がついてから元々あった潔癖症が悪化しました…。それより前は、ショートパンツを履いた友達を助手席に乗せたときに太ももの裏って洋式の便座にも触れてて汚いなって感じたのがきっかけだったような気もします。その頃から除菌スプレーやアルコールのウェットティッシュが手放せません。自分の部屋以外の弟が触る家の中の床や壁、ドアノブ、物まで全てが汚れている感覚がします。外ももちろん汚いと思うのですがまだマシだと感じてしまいます。外と自分の部屋までの間が特に汚いと感じています。家にいるより、外に出たほうが安心する。こんなにも手を頻繁に洗ったり、除菌したりで毎日疲れ切ってしまいます。同じように家でも落ち着かないって方がいましたらお話したいです。文章が読みにくくてすみません!
ちょっとコメント。強迫の人は、何かの場面を見てしまったために、気になるということがありますね。その場面を見なければ、気になっていなかったのに。つまり、実際の汚れがあるかではなく、見たという記憶が、嫌悪感や不安とリンクしてしまっているのだと考えられます。強迫って、このように実際とは違った嘘を、患者さんの脳に本当のように思わせてしまう性質があります。それと、不潔強迫の人は、自宅中の方が楽な人と、外の方が楽の人の2パターンに分かれます。
なるほど、その通りだと思いました。自分の場合、何か嫌なものを見てしまったとき、それに触れてもいないのにその先のストーリーを勝手に想像して苦しむことがよくあります。というか、殆どこのパターンです。もしあのまま進んでいたら踏んでいたなどと考えると、もう踏んだことが前提となって思考が始まってしまうのです。それから、不潔や要消毒のしきい値がおかしくなっている自覚もあります。どの程度が正常なのかが分からないために、それが不安の核となるのです。例えば、自分には塵埃車が通ったあとの道は歩けないというのがあります。塵埃車というのはゴミの回収車ですね。 何か「雰囲気の残滓のようなもの」が漂っているような気がして。(勿論、仕事に従事されておられる方には感謝しておりますし、これが自分でも異常な感覚と分かっているのです。)普通の人はどうしているでしょうか。辺りに匂いが残っている位ならば着ていた服を消毒するようなことまではしないでしょう。何かはっきりと飛沫や液が掛かったというならば別ですが。また、例えばこの間歩いていたらちょうど動物病院から獣医師が出てきて、すれ違いざま着ていた白衣をはたきました。動物の不潔な毛やチリなどが掛かったかも知れず、もしかしてクリプトコッカスに感染したかもなどと思って全てを消毒したくなりました。これも普通の人はどうしていますか。自分の場合は、普通の人が上記のような時に何もせず、気にもしていないのを見たり、はっきりと訊いたりしてあぁ、気にもとめていないんだなと安心することがあります。一度、カウンセラーと1日外出していろいろなシーンで「普通の感覚」を確認したいです。それでかなり楽になるのではないかと思っています。ちょうど自分はいま難病でステロイドを服用していますので、その離脱症状のせいか最近また症状が強まってきている気がします。貴サイトの、道の土を手に触れるページのような事例をもっと増やして頂けたらすごく救われる気がします。
お久しぶりです。日々なんとか生活しておりましたが、自分の力だけではどうしようもないことが起こり、助言をいだだいたほうがよいかと考え久しぶりに書き込みしました。いままでは「かも」ですんでいたのですが、今回は現実に起きてしまいまして。昨日、駐車場に車を止めたらなんか臭いよく見るとタイヤで動物の糞を登ったようで。洗車を三回かけて、なんとか汚れは落ちたし、納得するべきなのだと思いますが、汚れが感染るような感覚に陥り困っています。たぶん、タイヤの汚れは落ちたし、これで大丈夫なのだろうと思いますが、なんとも苦痛を感じながら今に至ります。普通の人の感覚じゃないから、このような感じなのかとおもいますが、汚れが感染る感覚でいまに至っています。あんまり整理できない書き込みで申し訳ありません。前向きな考えができればよいのですが。
強迫観念の繰り返し行為はあります、気持ちはわかります、しかし不潔恐怖にしろなにか、現実的な要因があるはずです、または脳の機能不全かも、しれませんね、要因をよく考えてください、現実的なストレスやら家族問題やらあるはずです、強迫観念はすべて空想です、うしなうものは、ありますよ、仕事や時間など、空想は無視するしかありませんね、完全無視です
空想といえば空想妄想といえば妄想なのかもしれません。冷静な捉えがある一方不安があります。完全無視してしまえばそれでよいのかと思います。2年前よりは、捉え方も違くなっては来ています。
はじめまして 初めて書き込みさせていただきます。 主に汚染、不潔強迫からくる洗浄、確認行為に悩んでいます。 特に鳥の糞や虫、雨が苦手です。 今日、晴れていたので窓をあけて掃除をしていたのですが、知らない間に雨が降っていて気づいた時には止んでいたのですが、風も少し吹いていたので、窓から雨が入って洋服タンスの服に雨がかかったんではないかと不安になってしまいました。 透明の洋服タンスで少し隙間があるので、そこから雨が入って服が汚れてしまったような気がして頭の中がプチパニックを起こしています。 こんだけ窓が開いてて風でカーテンがこんだけ揺れたとして雨が飛ぶとしたらここまでの範囲やから〜とかずっと頭で実況見聞してしまってます なんとか抜け出したいのですがなかなか止まらずしんどいです。 長々とすいません