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大分の広場*昭和のお話

HPで私の昭和を書きながらこちらの掲示板ができました。
皆さんのコミュニケーションの場であったり、共に情報交換の場であったり
皆さんの昭和を語りませんか。
大分からの発信!!
大分を語りませんか。紹介をしませんか。
故郷を思い出しながら語りませんか。
『よって、みらんね。』 どうぞお気軽に書き込み下さいね。お待ちしています。(^^♪

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No.582 2008年も残り少なくなりました!
NAME:てんとう虫

お立ち寄り有難う御座います。

パソコンを使っての”年賀状印刷”が
今日、終りました。
小学校からの友達!結婚後の友達!恩師!
親戚!
今年は35枚の年賀状!
とても、中身の濃い年賀状に、”一言ずつ
書き込み”をしています。
『昭和の風景』で書きましたが
私の初めての年賀状は小学校二年生でした。
皆さん、年賀状にまつわる想い出はありますか?

私らの子供時代の冬休みは”凧あげ”でした。”やっこだこ”が主でした。
新聞紙を細く切って長いあしをノリで
つけました。刈り取られた田んぼで
”凧あげ”です。砂利道の道路は車の通りも
ほとんど、なくて、道路でも”凧あげ”が
出来ました。女の子でも”こま回し”も
しましたね。

小学校時代の思い出を、ちょっと、書き込みました。

2008年12月19日 (金) 12時01分

No.581
NAME:てんとう虫

メンズさま
昭和の思い出、いろいろありますね。

>ゆっくり、大人になれた最期の時代
 素敵な言葉と思いました。
 この一言で、あの時代を過ごした
 私らにとっては、全てが”わかりあえる”
 気持ちがしました。
 
 更新が・・・
 ちょっと、ありませんが・・・
 そこの処はお許し願って・・(笑)
 メンズさんのお話又、お聞きしたく
 思いました。

yoshi さま
いろいろ、思い出しました。
全てが私と”当てはまるかしら?”と
思いながら眺めていましたら、
”アトムのシール集め”
ありません!
”お誕生日会”
ありません!
私より、ずっと、ずっと、お若い方と
感じました。
ね。そうでしょう?(*^-^*)



2008年09月15日 (月) 08時53分

No.577
NAME:てんとう虫

yoshiさま。ママ大好きさま。
紙鍵盤!なつかしい言葉を聞きました。
音楽の教科書の、最後にありましたね。
私の小学校では三年生までは、各教室に
オルガンがありました。音楽授業が担任の
先生だったからと思います。高学年になると
音楽教室で、音楽担当の先生からでした。
ピオノは講堂に・・・入学式、卒業式、学芸会にだけ
聞けるのがピアノの音でしたね。

リコーダ、ハーモニカ、私が
小学生の頃、使った楽器とは、カスタネット
木琴、タンブリン、
今、考えたら、打楽器ばかりですね。
::お馬の、親子はなかよしこよし
  いつでも、いっしょに、ポックリ、
  ポックリ歩く
こんな歌、知ってますか。
カスタネット、木琴、タンブリンを使って
参観日に父兄に発表でした。
小学校二年生の頃のお話です。

2008年08月24日 (日) 09時26分

No.574 紙鍵盤
NAME:yoshi

昔は、学校に足踏み式のオルガンがありました。家庭でピアノがあるおうちはもちろんあこがれの家でした。今みたいに鍵盤ハーモニカもなく、みんな紙鍵盤で練習させられたのを覚えています。音が出ないのでちっともおもしろくなかった。一方、両手で弾ける子なんか即尊敬の的でした。

2008年08月13日 (水) 19時13分

No.575 鍵盤でないハーモニカ

NAME:ママ大好き

 ようこそ!これからもたくさん昭和の思い出を聞かせてくださいね。
 紙鍵盤。懐かしいですね。私も少しだけ使った覚えがあります。それ専用の紙のこともありましたが、音楽の教科書の裏に書かれていたりもしていました。確かに全然おもしろくありませんし、あまり役に立たなかったと思うのですが。
 今の小学校では、低学年から鍵盤ハーモニカを習います。それは、鍵盤の扱いに慣れるという意味のほかに、3年生から始まるリコーダー(縦笛)のタンギング(舌使い)の練習になるからでもあります。昭和50年代から、そうなったように思います。
 私が小学生時代を過ごした昭和40年代は、鍵盤でない普通のハーモニカでした。上と下が銀色の鉄でできていて、吸ったり吹いたりして音を出すあれです。低学年用に、「どれみふぁそらしど」とか「ドレミファソラシド」とか上の鉄に書いてあって、どこがどの音なのかすぐわかるようになっていました。隣の音が混じらないように、吹く音の隣は吸う音になっているのですが、ラとシだけは吸うが連続しているのです。この2つの音は、穴が少し離れていたので、少しはよかったのかもしれませんが、やりにくかったのを覚えています。でも、3年生になってリコーダーを吹くようになると、全く使わなくなりました。今でも駅前などでギターとハーモニカを使いながら歌っている若い人を見ると、小学校時代を思い出します。

2008年08月14日 (木) 01時30分

No.573 優しいママの声かけ
NAME:あつこ

私もママ大好きさんと同じ考えです。今の紙おむつを替える光景をたまに見ますが、他のママさんとの会話をしながらおむつを替えたり、無言でカサカサとおむつを替えて 汚れた紙おむつはクルクル丸めてゴミ箱にポイと捨てて。なにか寂しいです。昔のように赤ちゃんに話しかけながら、おむつ替えに時間をとって おむつの洗濯に時間をとって欲しいと私も思います。テレビの育児番組でも赤ちゃんの話しの中におむつの話題はなくなりましたね。昔はおむつに関わる話題が多かっですね

2008年08月01日 (金) 17時43分

No.572 お話ししながらおむつ換え
NAME:ママ大好き

 最近布おむつが復活してきたという話を聞くことがありますが、本当にそうでしょうか?周りに赤ちゃんがいないので、よくわかりません。どなたか情報を聞かせていただけたらうれしいです。でも、古くは物干し場に、少し近い頃なら軒先やベランダに、布おむつと、おむつカバーがたくさん干してあって、ひらひらと風に揺れているのを見ると、赤ちゃんとお母さんの幸せな姿が思い浮かんできて、本当にいやされたものでした。
 今の赤ちゃんは、肌触りの劣る紙おむつで育てられていることだけでなく、おむつ換えの時、お母さんからあまり声をかけてもらっていないような気がして、それもかわいそうになってしまいます。
 昔のお母さんは、おむつを替えるとき、よく赤ちゃんに声をかけていたように思います。
「どうかな?いっぱいでたかな?」とか、
「あらあ、ぐっしょりね。気持ち悪かったね。」とか、
「大変大変、早く取り替えてあげようね。」とか、ニコニコしながら、たくさん話しかけていたように思います。お母さんは、赤ちゃんのおしっこやうんちが臭いとか、汚いとかいうことを少しも顔に出さず、ただただ赤ちゃんがかわいくて、おしりが濡れたこと、汚れたことが可哀想で、なんとかしてあげたい!そんな気持ちだったのでしょうね。
 赤ちゃんは、言葉がまだよくわかりません。でも、声の大きさなどの口調や、お母さんの表情から、愛情を感じ取るといいますよね。だから、おむつ換えの時、お母さんが赤ちゃんに話しかけながら取り替えてあげるのは、とっても大切なことなんだろうと思います。でも、最近はそんなお母さんが少なくなったような気がしてなりません。
 お話ししながらのおむつ換え。布おむつやおむつカバーはもちろんのこと、ママの優しい表情を見たり、優しい声を聞いていやされる。そんな風景も復活してほしいと思います。

2008年07月29日 (火) 13時48分

No.568 お久しぶりです
NAME:あつこ

てんとう虫さん 皆さんご無沙汰しておりました。懐かしい昭和の様子が思い出されます。改めて昔の白黒写真や色のあせたカラー写真で子どもの頃を見ると、今と違って小さな女の子のスカートの短いこと パンツが必ず見えることが可愛らしさでした。いやらしい感じではなくてかわいかったですね。吊りスカートも多かったですね。おむつカバーが見えた赤ちゃんもいましたね。夏は暑いのでさっぱりした格好の女の子が多かった。それでもあせもができましたね。

2008年07月01日 (火) 15時53分

No.570

NAME:てんとう虫

こんにちわ!

昔の写真はなつかしいですね。
スカート丈は短かったですね。
白いパンツでした。私はあつこさんより
ずっと、上だと思いますから、白です。
色つきなんては
中学校の頃から、お店には売っていましたと
いう感じでしたが、色つきなんては
誰も・・・・・?
あらっ!クラスに一人いました。
おませな彼女でした。(笑)
あつこさんのお話から久しぶりに彼女を
思い出しました。(笑)

2008年07月07日 (月) 18時40分

No.565 お腹に抱きついての頭洗い
NAME:ママ大好き

 幼い頃、母はよく私の頭を洗ってくれました。昔はシャンプーハットなどなかったので、石鹸やシャンプーが目に入ると、それこそ痛くて大変でした。昔の石鹸やシャンプーは、今の物より痛みが激しかったように思います。
 そんな痛さが時々あるせいか、その頃の幼な子にとって、頭洗いはとっても怖いことでした。だから、シャンプーが目に入らないよう、しっかり目を閉じて、お母さんのお腹に思いっきりしがみついて、母に洗ってもらっていたように思います。母のお腹にしがみついていると、少しは怖さが減るように思えるし、母が自分を守ってくれるようにも思えたのです。母の大きなお腹も、幼い私に安心感を与えてくれました。
 泡が顔の方に流れないよう、手を添えながらお湯を流してくれた母の優しさ、心遣いが懐かしく、またやってほしいなあと、時々無性に思います。

2008年06月23日 (月) 15時43分

No.566

NAME:てんとう虫

こんにちわ!
いつも拝見しながら、私自身の子育てを
思い出しています。
赤ちゃんを湯ぶねに入れるときは、
”しっかりと、かかえときましょうね”と
出産後、聞きました。赤ちゃんは体に
ふれるものがあれば、安心するのですね。
洗う時はお腹の上にタオルをかけて
いました。

シャンプーしてる処が目に浮かびそうでした。
愛情いっぱいの、お母さんですね。

2008年06月28日 (土) 20時14分

No.564 書き込みから昔を、思い出しています。
NAME:てんとう虫

まささま
こんにちわ!度々の書き込み有難う御座います。
”授業中のおもらし”小学生の頃、
ありましたね。”トイレは休み時間に行きましょう”でしたが、忘れた子供が我慢できなくて・・・
その時の先生の解決策とは、手をあげて言いましょうね、
「便所に行かせて下さい」
と・・・
そう言ってから生徒はトイレに行くようになりました。
それから”おもらし”はなくなりました。
私の小学生の頃、”トイレ”の言葉は
ありませんでした。田舎だからかしら?

みきさま
はじめまして!お立ち寄り有難う御座います。いろいろのお話を、眺めながら、私のあの頃を思い出しました。
五右衛門風呂が沸かせる日は
幸せな日です。夏は庭にタライで行水を
良くしていました。
当時の子供は、今のように、清潔では
ありませんでしたね。
私位の、田舎育ちの年代でしたら、
”毎日入れるお風呂!”なんて、考えられない時代でした。

先日の”雨トーク”のテレビで
”給食に鯨肉があったか、どうか”で
年の違い話で盛り上がっていました。
鯨肉って、昔のお話となったのかしら!

2008年06月11日 (水) 17時31分

No.553 懐かしい昭和
NAME:みよこ

初めての書き込みですが、28年生まれで気がついたら50代のおばさんになってしまいました。農家で田舎だったので食べ物はほとんど野菜が多く行商がきて魚が時々あったくらいであの頃は貧しかったです。
風呂は外風呂の五右衛門式で冬は寒くて大変でした。今だったら考えられませんよね。
おむつの話もすごく多いですね。
確かに今は紙パンツですものね。姉弟が4人だったので、私が小5までは物干し竿に雪花
とか格子のおしめがびっしり干されていました。カバーはどんな柄だったか覚えていないけど、茶色のゴムでガバカバして今のより
大きい感じだつた気がします。私は冬だけ
小1まで付けられて寝ていました。
懐かしくちょっとはずかしい話です。

2008年04月27日 (日) 16時34分

No.555

NAME:てんとう虫

はじめまして!お立ち寄り有難う御座います。

みよこさんのお話を聞きながら当時を
思い出しました。
行商のお話なんて、昭和の30年代初めの
頃までありましたね。
私も田舎でお店までは、かなり離れてまして
徒歩で買い物ですから、行商は、助かっていました。
魚、鯨肉がありましたね。
肉は鶏肉!お祭りや、正月などに
”お家で飼ってる、鶏を食べます”が
当時の田舎でしたね。肉を食べるなんてはほとんど
ありませんでしたね。

>私は冬だけ小1まで付けられて・・・
 暖房の無い部屋でトイレにいくのが
 いやだったを思い出したのですが・・
 冬だけってのが、そうなのかしらなんて・・・
 きっとお母さんの知恵だったのでしょうね。
 優しい愛が感じられます。

2008年05月03日 (土) 08時23分

No.563

NAME:みき

昭和33年生まれのおばさんの私にとって懐かしいお話しばかりです。

五右衛門風呂、懐かしいですね。私の家では四角いタイル張りのお風呂(焚物で沸かします)でしたが、近所の友達の家は、内風呂でしたが、五右衛門風呂でした。何回か一緒に入りましたが、浮かんでいる板の上に乗るのが難しかった思い出があります。

鯨肉。懐かしい。小さい頃は、近所のお店に鯨の塊が売っていましたよね。それも安く。
夕食に、鯨肉を焼いてソースでかけて食べましたよ。小学校の給食に鯨の蜂蜜揚げが出る時は楽しみでしたね。

昔はよく、おむつカバーが干してある家を見ましたよね。私の時代には既に内側がビニールでしたね。
妹も3年生くらいまで夜だけ、おむつして寝ていました。今では大きい子用の紙おむつも売っているようですが、昔は小学生くらいの子のサイズのおむつカバーもありましたよね。
妹のカバーは、ホック付きで腰のところに紐が付いていたと思います。
昔のカバーってギャザーがきついのか、妹の太もも周りによく跡が付いていました。
妹が3年生くらいの時に、友達にギャザーとかホックの痕を言われたと騒いでいました。
確かにホックの痕って付くんですよね。
妹に言われてあらためて体育とかプールで監察すると。
妹と同じくらいの子でも、カバーの痕らしき模様足に付けている子って時々見かけましたよね。
私のクラスメイトにいた時は少し驚きましたが、妹で経験済みなので、確信をもってしまいました。その後その子と話す時は少し顔が赤らんでしまいました。
今の子は、紙でいいものがでていますから周りを気にしなくて済みますよね。

2008年06月01日 (日) 06時14分

No.549 だっこ
NAME:あつこ

ママ大好きさん、たしかに昔はママが赤ちゃんを抱っこしておしっこさせてる光景がよくありましたね。私も見ましよ、まずママが赤ちゃんのおむつカバーからに指を入れておしめがぬれてないようだったら、おむつカバーとおしめをはずし、だっこしてました。おむつカバーは勿論ビニール製でした。「シー・トトト」と言って、赤ちゃんがおしっこすると、ママはうれしそうにまた赤ちゃんにおむつをあてます。赤ちゃんのおむつカバーはやはりビニール製が多かったですね。たまに間に合わなくて、おむつカバーをはずしてるときに、チャーとおしっこをしたのを何回も見ましたよ。「アー、おむつカバーにやっちゃったわ」「おむつカバーがなんてびちょびちょだわ」なんてママが泣きそうでした。

2008年04月21日 (月) 14時37分

No.550 たっちしたままおむつ替え

NAME:ママ、大好き

 お返事ありがとうございます。赤ちゃんって本当に可愛いですよね。ママにうまあく「おしっこ」って言えて、おむつをぬらさずにすんだり、せっかくおむつカバーを開けたのに、間に合わずにおしめにしっちゃったり…でも、ママだって、その時は泣きたくなっても、やっぱり赤ちゃんのそんな所がかわいくてたまらなくなくるものですよね。
 昔、布おむつが当たり前だった頃、すこおし大きくなってもおむつのはずれない子が、たっちしたまま、ママにおしめを取り替えてもらっているのを時々見かけました。赤ちゃんは少し大きいからたっちができるし、お出かけ先で、取り替える場所も見あたらない時など、昔のお母さんは、よくそうしていました。
 ママはまず、ズボンを降ろしたり、スカートの中に手を入れたりしておむつカバーのホックをはずします。横長なベルトをはずすと、ぬれたおしめがドサッと下に落ちてしまったりします。ママはそのおしめを赤ちゃんのおまたから引き抜くと、濡れたタオルなどでお尻を優しく拭いて上げて、おひざの上で新しいおしめを上手にたたんで、赤ちゃんのおまたにはさみこみ、上手におむつカバーで包んであげていました。お出かけ先では、おしっこだけなら、おむつカバーは替えないことが多かったような気がします。おしめを引き抜いたり、はさみこんだりするときなど、体が揺れたりするけれど、ママに気持ちよくしてもらっているせいか、赤ちゃんはママの肩につかまったりして、じっといい子にしていたように思います。見ていて本当にほほえましく、また、赤ちゃんがうらやましく思ったりしていました。周りの人々も、汚れやにおいなんか気にしない、大らかな時代でした。あの光景を見ることは、もう二度と無いのでしょうね。

2008年04月23日 (水) 18時54分

No.562 私も心ときめきました。

NAME:まさ

女の子におしっこをさせる母親には心ときめいたものでした。何ともいえない母親の愛情とほのぼのとして、今でも見たいです。特に女の子はだっこしなければできませんものね。お母さんといっしょに歩いていて、お漏らしをしてしまった時の母親のやさしい声、何ともいえません。何回かみましたが、その時のこと思い出してみます。家の前で三歳くらいの女の子、母親の後ろでしゃがんでしまいました。お母さんは「○○チャン、何してるの、早くいらっしゃい」と声をかけました。そのときしゃがんだまま、お漏らしをしたのです。「あらあら、おしっこ、いやねー」と云って手をひいて歩き出しました。「泣かないでおしえるのよ」とママ。もう少し早くおしっこと言えば、だっこでシーッが見られたのに、残念でした。こんなのもありました。雪が降った寒い日、歩いていると前にお母さんとやはり三歳くらいの女の子、足をやや開きかげんにして下を向いていました。お母さんも同じように下を見ていました。そのとき女の子のブルーのズボンがお股のところから裾にかけて一気に濡れて行きました。お母さんは「やっぱり、おしっこだったんだ」お母さんはその子の手を引いて歩きだしました。私はたまらなくなり、お母さんの声を聴きたくて、後をついて行きました。ブルーのズボンがびっしょり濡れて人目でお漏らしと気がつきます。すると向かい側から知っている人とすれ違いました。その人は「あら、どうしたの、転んだの」と言いました。お母さんは「ちがうの、おしっこしちゃったの」そして分かれていったのですが、逢った人も小学校低学年の女の子を連れていて、その子も「私もね電車の中でおしっこ漏らしちゃった」と話していました。可愛くてたまりませんでした。

2008年05月29日 (木) 16時33分

No.560 近況です。
NAME:てんとう虫

今日は今から田舎に行きます。
主人は野菜作りをしています。
結婚まで、”いやと思えるくらい、土いじり”をしてた、私は、
『趣味だ〜生きがいだ〜』と言ってる、
主人にちょっとだけ、ついていけません。
(笑)

と言いながら、年間行事になってる我が家の
庭の草取りにも帰ります。
主人宅。私宅。どちらも空き家になっています。田舎は、年毎に、空き家が増えています。

今、旬の梅の味噌漬け、フキのキャラブキ
レシピが日記(土曜日の料理)の中にあります。
興味のある方、お試し下さい。

2008年05月29日 (木) 08時34分

No.558 お尻に巻かれたタオル
NAME:ママ、大好き

 おむつが取れて間もない3才の頃、まだ時々おねしょをしていた私は、夜寝るとき、母からお尻と腰にタオルを巻かれていたようです。これでは、おしめが取れていないも同じですが、まだしょっちゅうおねしょをしていたので、母はやむにやまれずそうしていたのだと思います。
 ある朝、またおねしょをして布団をぬらしてしまった私に、母はぐっしょり濡れたタオルをはずしながら、「このしょんべんぼうず!」と言いました。幼い私には、きっとショックだったのでしょう。この一言と、タオルをはずす母の姿が、強く印象に残って忘れられません。
 おねしょ用のタオルや、それをはずす母親も昭和らしい一こまですね。

2008年05月10日 (土) 23時58分

No.559

NAME:てんとう虫

ママ、大好きさん、こんにちわ!
書き込みを眺めながら、おかあさんの”愛”
が、見えます。
そして子供さんであった、貴方に記憶として
残ってるとは・・・・・
お母さんも、こちらをお知りになられたら
きっと、幸せと思います。
素敵な暖かい、ご家族だと、感じました。


2008年05月24日 (土) 10時18分

No.556 電車の中でおっぱい
NAME:あつこ

昔はよく電車や汽車の中でお母さんがおっぱいを出して赤ちゃんに飲ませていましたね。今は全くそのような光景は見ませんね。昔は周りも暖かく見守っていましたね、いやらしい眼でなくて。車内でおむつも替えていましたね

2008年05月05日 (月) 06時22分

No.557 おんぶひも

NAME:ママ、大好き

 そうですね。列車の中でママがおっぱいをあげたり、おむつを替えたりするの、ありましたね。本当に本当に、いい光景でした。おっぱいをあげながら、赤ちゃんの顔をのぞき込んでいる、おかあさんのやさしい顔。赤ちゃんをいすに寝かせて、それはそれは手際よくおむつを取り替えているおかあさん。本当にほほえましい、いい光景でした。こんな素敵な光景が見られなくなってしまったのは、本当に残念です。でも、授乳にしても、おむつ替えにしても、見ていると、ボクもやってもらいたくて、赤ちゃんがうらやましくて、たまらなくなりました。
 最近見なくなった物に、おんぶひもがあります。赤ちゃんをおんぶしたときに、おかあさんがしていた、胸の所でバッテンにするあれです。
 あれも本当に、おかあさんのやさしさがにじみ出て、素敵でした。おかあさんが、体をゆすり、赤ちゃんに話しかける姿。時々後ろを振り向いて、赤ちゃんの顔をのぞき込む時のそのやさしい顔。もう本当に素敵で、赤ちゃんがうらやましくてたまらなくなりました。
 今は赤ちゃんの顔が見やすいせいか、だっこひもが主流です。自分の幼い頃と違うので、あれを見ても何とも思いません。おんぶひも。あれも昭和だなと思います。

2008年05月06日 (火) 17時23分

No.554 懐かしい
NAME:あつこ

みよこさん、はじめまして。懐かしい日本の風景ですね。今の若い人に見せたいです。赤ちゃんに体当たりの育児。おしっこまみれ うんちまみれの育児ですね

2008年04月27日 (日) 21時18分






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