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大分の広場*昭和のお話

HPで私の昭和を書きながらこちらの掲示板ができました。
皆さんのコミュニケーションの場であったり、共に情報交換の場であったり
皆さんの昭和を語りませんか。
大分からの発信!!
大分を語りませんか。紹介をしませんか。
故郷を思い出しながら語りませんか。
『よって、みらんね。』 どうぞお気軽に書き込み下さいね。お待ちしています。(^^♪

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No.457 ラジオ
NAME:あつこ

かっぱさんこんにちは、懐かしい木製でスピーカーの部分に布が張ってあり、スイッチを入れるとしばらくして「ブ〜ン」と音がしてからラジオ放送が聞けましたね。バリコンという テレビで例えるならばチャンネルを回す。雑音が入ったりしたけど家族みんなで聴きました。ドキドキしたり笑ったり 泣いたり、唄ったりとテレビと違ってまったくの受け身ではなかったですね。テレビと違ってチャンネル争いなんてなかったですね。


2007年10月08日 (月) 16時16分

No.458 ほんと懐かしいですよね!

NAME:かっぱ

あつこさん、こんばんは!バリコンご存知でしたか(^^)もう今では絶対に見ることができない部品ですね。選局に従ってアルミの扇羽根のような回転する部品ですがこれで選局同調させたですね。選局出来ると、ブーンと言う音が消え、放送が聞こえて来たものです。今では殆どラジオを聴くことが無くなりましたが、若い頃、徹夜仕事になると大抵、ラジオの深夜放送を聴きながら仕事したものです。確か「オールナイト・ニッポン」とかです。子供の頃、親戚の家に蓄音機付きの大きなラジオがあって、その中に人が入って喋ってると思い、ラジオの後ろに回った記憶があります(^^)。これが僕が電気に興味を持つきっかけになりました。で、電子技術者になりました。そう言えば蓄音機も懐かしいですね。

2007年10月08日 (月) 19時24分

No.456 真空管式ラジオ
NAME:かっぱ

快適な季節になってきました。今年の夏は暑かったです。今ではエアコンが無いととても過ごせそうにありません。でも、僕が子供の頃はエアコンなんてありませんでした。今ほど暑いと感じたことは少なかったような・・?多分、家の近くには川あり、山ありで、これがクーラーの代わりだったのだと思います?今やアスファルト・ジャングルです。
久しぶりで真空管式ラジオを聴きたくなり探しました。確か、7〜8年前にはまだ見かけたのですが、見つかりませんでした。非常に古い物で昭和20〜30年代のものだったと思います。当時の真空管は、ナスビのような大きさで、並4ラジオとか言われてました。間もなく、完全デジタル放送時代に入りますので、もう一度きいてみたいです。

2007年10月08日 (月) 11時18分

No.455 敬礼
NAME:あつこ

もうひとつ 敬礼も学びました。目上の人が下ろしたら 自分も手を下ろす。とか指を真っ直ぐにとか、かなり厳しかったですね。今 少し役立ったいますが。こだわりのある時代でしたね

2007年10月07日 (日) 21時11分

No.454 号令
NAME:あつこ

戦後 号令がなくなりましたが昭和36年から、昔ながらの「前、ならえ」と「右向け右」が復活したそうです。私達が小学生の頃、軍隊上がりの先生だったのでしょうね、かなり気合いの入った練習をやらされましたね。何も疑問に思わず、かけ声も軍隊調で気合いが入っていました。

2007年10月07日 (日) 21時06分

No.453 お姑さんの介護
NAME:良子

あつこさんのおむつカバーで思い出しましたのが、私が嫁いで、3年程してお姑さんが病に倒れ病院から帰宅して自宅療養されていた時の事です。ご近所の薬局の奥さんと話しをしている中で、病人用おむつカバーの話しに成りまして、なかなか乾きが悪いと愚痴を言っていましら、古い生ゴム製のおむつカバーが倉庫に4枚あるので使ってみたらと貰いました。確かダンロップのタグが付いていました。汚れても石鹸で水洗いしてバスタオルで拭くと、直ぐに使えて便利でした。

2007年10月01日 (月) 04時11分

No.452 線路際の看板
NAME:あつこ

むかし 汽車に乗って外を見ていると畑の中に大きな看板が立っていましたね。温泉旅館の看板が多かったかな?地元のお土産の看板もあったですね。今でも探すとあるかも。むかしは首都圏でもありましたよ。〇〇旅館とか〇〇煎餅とかね。懐かしい車窓です。

2007年09月29日 (土) 20時04分

No.450 おむつカバーの裏表?
NAME:あつこ

おむつカバーの終焉のころ、田舎に行ったら赤ちゃんがいました。親戚のおばさんが久しぶりにおむつ換えをしたようです。おむつカバーをあてようとしたとき、おむつカバーの裏表がわからなかったようです。「あら、どっちが裏かしら?」おむつカバーはウール製でした。ふたむかしくらい前のおむつカバーなら表はナイロン、裏はビニールとわかりやすいおむつカバーでしたからね、迷うのもわかります。

2007年09月24日 (月) 13時55分

No.451

NAME:てんとう虫

あら、あら!ですね。
あつこさんのお話を聞きながら、
子供(赤ちゃん)大好きそうな姿が目に
浮かびます。
そして、このお話は、”おしっこ”が教えれるように、なった頃のお話ですね。
何度も失敗する我が子を思い出していました。

2007年09月26日 (水) 09時10分

No.447 産婆さん
NAME:良子

最近、救急車による産婦の病院たらい回しのむニュースがありましたが、一部医療の荒廃を感じます。昭和40年代前迄は、難しいお産の場合以外は、ご近所の産婆さんによって自宅出産が多く産婦の体調管理をしたり新生児を取り上げていました。私の子供3人も産婆さんにお願いしました。現在産婆さんは、病院の産科婦人科に勤務され、産婆さんの個人開業を目にする事が在りません。地域のネットワークのほころびを見る思いです。

2007年09月14日 (金) 23時38分

No.449

NAME:てんとう虫

そうですね。最近の出産はかわりましたね。
ホテル並みの個室を売りものに、してそうな
産婦人科!私は40年代後半からの
出産ですが一つの部屋に10数個の
ベッドを並べていましたね。
52年病院出産で、134000円でした。
今はいくらでしょう?

私の弟、二人は産婆さんで自宅出産でしたね。
10歳違いの弟の時は覚えていますが、
薪をたいて、湯をわかしました。
父と居間にいた私はそこで、産声を聞きました。
病院たらいまわしのニュースは
良子さんのおっしゃってる通りと
感じました。悲しく、つらいお話ですね。

2007年09月16日 (日) 10時42分

No.444 おむつ
NAME:良子

あつこさんは、昔のオムツカバーの事が詳しくて尊敬します。昭和28年に4歳の妹が、おむつが取れず母がご近所のお医者様によく相談していました。私は妹ばかり可愛がる母に嫉妬して、妹の穿いているゴムのオシメカバーを着け母に甘えたく思いそれを着けてみました。母に見つかりましたが、母はニコニコ顔で抱いてくれました。

2007年09月05日 (水) 06時15分

No.445 ゴムのおむつカバー

NAME:あつこ

良子さんはじめまして。お褒めいただきありがとうございます。確かに昭和20年代は裏に茶色のやわらかいゴムの張ったおむつカバーがありましたね。おむつ替えの時はさぞかし臭かったと思います。おむつカバーを広げたとたん、むぅ〜とゴムの臭いと オシッコの臭い。

2007年09月09日 (日) 12時55分

No.446

NAME:かっぱ

初めまして!「昭和の風景」懐かしい話題を拝見しました。僕も書き込ませて下さい。僕が生まれた頃はまだトイレが母屋とは別に建てられていて、一旦外に出ないとトイレには行けませんでした。当時は「手水(ちょうず)ば」とか「かわや」って呼んでいました。子供ながらに夜トイレに行くこと怖かったせいもあるかもと思うのですが寝小便がなかなか治らず、母からは非常に叱られたものです。小学校に入る前頃まで続いたと記憶しています。しかし、母はこれを気にしてかオムツをはずすことで訓練したかったようです。代わりに「ニワトリの鶏冠(とさか)を丸焼きにして食べるとおねしょが治る」と言って無理矢理食べさせられた記憶があります。そのせいの反動かどうか分りませんが、寝小便が治っても自分でオムツカバーを着けて寝ていました。この当時は、皆さんが書いておられますようにゴム引きのカバーでした。それと、このころに母がオムツカバーに似たゴム引きのパンツ(生理帯)を穿いてたのを目撃し、これが穿きたくて、内緒で箪笥から持ち出して穿いていた記憶があります。どちらも、一瞬冷んやりとした感触とゴム独特の臭いが今でも忘れられません。多分、母はこのことを知ってたと思うのですが、叱られませんでした。

2007年09月11日 (火) 13時05分

No.443 生理の思いで
NAME:良子

アンネさんが書き込みしている様に昭和40年迄の女性の生理帯はゴム引きで、直ぐに蒸れたり脱脂綿がよじれてスカートにシミがよく付きました。活発な女の子でしたので、初めて生理帯を着けた時大人になった気分で、生理以外の時もよく穿いていました。アンネさんも同じ思いでしょうか。

2007年09月04日 (火) 05時27分

No.440 おむつが濡れたのを教えてくれる道具
NAME:あつこ

昭和40年前後に赤ちゃんのおむつに挟んでおくと 濡れるとブザーがなる物がありました。あまり評判が良くなかったのか、あまり普及しなかったですね。ブザーの音で赤ちゃんがびっくりして泣いてしまったようです。やはりそんな機械を使わず、ママがまめにおむつカバーから指入れて おむつが濡れていないかみてあげるのが良いとわたしは思います。なかなか忙しくてみてあげられないママには良かったのかもね。おしめが濡れっぱなしで おむつカバーがビニールの時代ではおむつかぶれも多かったのでしょうね。

2007年08月30日 (木) 20時30分

No.442

NAME:てんとう虫

そんな、道具があったとはビックリでした。
お母さんと、赤ちゃんの関係は大切と
思います。
あつこさんが、おっしゃってるように、
オムツカバーの中をお母さんが確かめる・・
それ、いいですよね。
でも、おむつかぶれって、ありましたね。
悩まされましたね。

”赤ちゃんによかれと作られるのか、ママに
よかれと作るのか”を、疑問に感じる事があります。
”赤ちゃんの泣き声の見分け方”が売り出されましたと、聞いた時は、”子育ても
こんな時代になったのかしらと、淋しく
感じましたね。

又、お話有難う御座いました。

2007年09月01日 (土) 19時11分

No.439 雨具
NAME:良子

昭和30年前後の頃は、多くの方の生活は貧しかったです。雨の日の小学生の雨具は、てんとう虫さんの記しています様に蛇の目傘、こうもり傘がほとんどでした。数は少ないですが、男子や女子も赤や青のゴム引きレインコート着ていました。私のゴム引きマントが小さくなった後は、姉のお古の羽二重ゴム引きのレインコートを着ていました。このレインコートは私のお気に入りで理由は、表が玉虫色した絹の光沢が好きでした。しかしこの時代のレインコートは
裏地が薄緑色の厚いゴム引きで重くて汗をよくかきました。

2007年08月30日 (木) 06時03分

No.441

NAME:てんとう虫

昭和30年代は貧しかったと思います。
そして、大多数のお家が、そうですから、
子供心には、ちっとも感じられないが
30年代かも知れません。
現在は、”裕福、普通”とか、差が大きすぎるような気持ちがします。

>重くて汗をかきました。
 ほんとに、あの時代を物語っていますね。
 改良を重ねて今の時代、道具が出来たので すね。
素敵なお話、有難う御座いました。

2007年09月01日 (土) 19時00分

No.437 マント
NAME:良子

私は、昭和20年生まれです。このページを見て懐かしく思い出した事を書き込みます。小学生の後学年の頃に菜種梅雨の日には、ランドセルを背負いその上から赤いゴムマントを着せられ学校に通っていました。その頃のマントは、頭巾の部分が今の畑で働く方の日除け帽に似て
ギャザタックされてつばの付いていてマント表がゴム引きされ、内側は木綿の地でした。
その頃の小学図鑑には、やはり私が着ているゴムマントの挿絵が載っていました。少し昭和の香りがこざいましたでしょうか。

2007年08月28日 (火) 05時56分

No.438

NAME:てんとう虫

はじめまして!お立ち寄り有難うございます

ゴムマントなんて、すごいです。
年齢的にかわりませんのに・・・
私は、田舎育ちで、書いてますように、
農家で使うビニールを切ったもの。
頭からかぶり、雨よけでした。ビニールを伝って、くる雨で服の裾は
濡れていました。小学生の頃は蛇の目傘の
時代ですので、、重いので、雨が降りそうかしらの、日には、ランドセルに、”ビニールを持っていく”でした。

30年代の田舎と町は、随分違っていました。同級生である、町育ちの彼女と今、
知り合って聞くと、小学校にプールがあり、水着を着て泳いでたそうです。
私らは、夏休みだけ許される川での
泳ぎ!男の子も女の子もパンツで泳いでいました。
良子さんもきっと、町育ちの方では
ないかしらと思いました。
赤いゴムマントきっとお似合いだったこと
でしょうね。

2007年08月28日 (火) 22時38分

No.434 ゴムのオムツカバー
NAME:アンネ

昭和25年頃、長屋の共同物干しには、防水ゴム引き又は裏ゴムのオムツカバーや黒い生理帯が堂々と干されていました。私は、中学生でゴム引きの生理帯が好きでよく穿いていました事を思い出します。

2007年08月26日 (日) 05時54分

No.436 いらっしゃいませ!

NAME:てんとう虫

昭和の時代って、どこのお家でも
オムツが干してありましたね。
私は弟のオムツの洗濯をしていました。
”桃太郎”のお話と同じく、川での
洗濯でした。
思い出とは、良いものですね。
歳を重ねるごとに、昔をなつかしめます。

書き込み有難う御座いました。

2007年08月26日 (日) 10時28分

No.433 動揺「汽車」
NAME:あつこ

懐かしい童謡「汽車」もたくさんありますね。歌のモデルになった線区は御殿場線とか常磐線とかいろいろな節があります。広野原という文句は常磐線の広野駅だという節もあります。汽車の窓から海を見たり山の緑をみたり畑に四季を感じたり、窓の開かない今の電車は寂しいな。暑くても窓の開く茶色の客車が懐かしいです。てんとう虫さん暑さに負けず頑張って下さいね。

2007年08月24日 (金) 20時55分

No.435 こんにちわ!

NAME:てんとう虫

あつこさんの情報はすごいです。
実は歌詞を書こうとして、漢字で書くと
間違えるかしらの、心配で平仮名で書いた
私です。
実を言いますと・・あかしますと・・です。
(笑)
以前、砂の器のドラマで、蒸気機関車が
あり、”蒸気機関車のある処があるのかしら”と日記に書いて、それを読んだ方から
教えていただいた事があります。

掲示板の会話っていいですね。

2007年08月26日 (日) 10時22分






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