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(120) Pさん |
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投稿者:工藤順一
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Pさん。そして、みちのすけさん、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 Pさんのおっしゃるとおり、学ぶということはそれ自体が楽しいことですね。人間はそもそもがそのようにできています。そして、世界は深々とそれこそ50歳をすぎたこの私ですら、学ばせ、楽しませてくれるのです。それを別の言葉でいうと遊びといってもよいぐらいでしょう。 ところが、そこに、勝ち負けが判定されたり数量で判断される人工的ゲームとしての受験が入ってくるとそうはいかなくなる。純粋な楽しみとしての深さへの探求がなくなり、水平的な勝ち負けに帰着してしまうと、敗者はもとより、その勝者すらも、もはや世界は楽しみとして学べなくなつてしまうのです。 私は、たとえば今日何点世界を学び得たのでしょうか。あるいは、私の50の人生は果たして勝ったのだろうか。負けたのでしょうか。そのような問いはナンセンスですね。ところが、子どもたちに限ってはそれを当てはめようとするのはなにゆえなのでしょう。 そして、いったんそのような発想に洗脳されてしまうと、それに気づいてもそこから脱出して本当に深々とした人生を楽しもうとするとき、なかなか脱出できなくなってしまっているのです。 階級制度のない日本社会は、受験などを媒介にして階層社会に、つまり、富める勝者とまずしい敗者に二極分解しているのですが、心の次元でも同じことが起こっているでしょう。心の貧しい富める勝者にだけはなりたくないものですね。みなさん。
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2002年01月12日 (土) 11時03分 |
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