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(61) 耳を澄ます = 投稿者:工藤順一 MAIL URL
教室の壁にはひとつの標語が貼ってあります。「急ぐな。立ち止まって考えることが国語なのだ。心の底から納得したものが正解だ。」という内容のものです。先日、朝日新聞の記者がめざとくそれを見つけて記事にしていました。

自分が納得できていないのに、いまの子どもたちは、いわゆる模範解答と違うと平気で×をつけています。それを、もう一度考え直してみるべきなのですが、それが本文の理解とあまり関係のないつまらないひっかけによるものだったりするととたんにやる気が失せますよね。あまりにも当然のことだと思います。

設問は何のためにあるのか。より深く考え、より深い本文の理解を導くためにあるのであり、決してひっかけて注意力なんかを試すためではないと私は考えます。それならそれで堂々と「注意力を試す」と名乗ったテストをすればよいのであり、国語の読解、すなわち文章の理解を試すものではないと考えるのです。しかるに、多くの入試問題や進学塾のテストはこの種のものが後を絶ちませんね。

つまらない枝葉末節のいいまわしにこだわると逆に本文の理解に支障をきたすことが多く、それらの見直しなんかやっているとほとんどパニック状態になるのが手に取るように私には感じられます。

何であれ、本質というものを理解するためには、それこそ別の意味で「注意深く耳を澄ます」ことが必要ですね。作者が言葉を越えて全体としていいたいことに耳を澄ますように読んでいく子どもを育てたい。それが私の願いですが、そのために、現在の水準の国語読解問題は多くの場合、障害にしかなりません。

「君のいまのままでいいのですよ。」
かわいそうに、その女の子にぜひそのように声をかけてやりたい。おそらくその子の方が、本なんか読まなくなってしまった教師よりもずっと大切なことをしっているのです。

教育に名を借りた暴力です。これは。

思いは深いからこそ、形とか客観にならない場合があることを受け止め「耳を澄ます」ことができるからこそ、国語の教師なのですよね。
2001年11月25日 (日) 06時34分



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