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(628) 外からうちへ うちから外へ |
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投稿者:ぽん!
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コボ作をはじめて ちょっと気になることがあります。
コボ作は「本質をとらえ要約する」作業ですよね。 それは必要な力で、コボ作のおかげで娘ははっきり進歩しました。
ただ進歩した中で 気になりだしたのは「ことばでまとめることによって 人の思いや心がわかったような気になってしまう」ことはないか ということです。 「あっさり まとめないでよ〜」という場面もありますよね。
作文で言えば、1本の花を細かく丁寧に描写する。 まとめてしまえば「美しい」だけど その一言で言ってしまってはいけない何か・・・・ その方向の作文力もコボ作による力と同時に必要な気がするのです。
どんなものでしょうか? そしてどうやってその方向の作文力をつけることができるのでしょうか?
お考えを伺えれば嬉しいです。
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2004年02月23日 (月) 17時48分 |
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(629) お応えです |
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投稿者:工藤順一
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とてもうれしいご報告ありがとうございます。 ご質問は私の専門分野のことです。さまざまのことを思い浮かべます。たとえば、「痛い」という言葉があるから痛く感じるのか、それとも、その逆なのか。痛いのかむずがゆいのか中間的な場合にはなんていうのか。ご質問の内容は、言葉が先なのか、言葉によって指されるものが先なのか。とういうことなのでしょう。大人は、言葉をたくさん知っていることで、一言ではいえない微妙なニュアンスを表現できます。 ですから、答えは簡単なことです。 一度進歩しだしたからには進歩し続けるしか解決はないのです。 そして、今はまだその網の目が粗いというだけなのです。もっと細かくなるためにはもっと言葉を知っていく必要があるというだけなのです。そして、原理的には実は満足することはありえないのです。
ですから、「その方向の力」とは作文力ではなく、感受性でしょうね。この感じはこの言葉ではどうしても伝わらないという感じ方、違うと思うこだわり。これは「痛い」というより一ミリぐらい「かゆい」に近いとか、そのあたりの感覚的なものは母語でしか分からないといわれています。幼少時の言葉の環境が大切な理由がよく分かるし、私はいまだに、たとえば、英語でいう、「美しさ」であるpretty beautiful elegant おそらくもっとあるだろう、それらの言葉の使い分けがよくわかりません。この先どんなに英語を勉強してもおそらく10歳前後の帰国子女の子どもが持っているそれらの言葉を区別する実感が、私にはわからないのです。外山先生の言う「絶対語感」が英語に関しては私にはないのです。 それを知ってから、私はもう英語なんか勉強したくなくってしまいました。忘れたいぐらいです。お勉強だけではなぜ駄目なのかということのいい実例でしょう。
絶対語感は体験とか「読み聞かせ」などによってできていくと思いますよ。
逆に、では、そのあたりのことにこだわり始めてお子さんが「うん〜」とうなってばかりいて何一つ言葉に出てこない場合にはどうしますか。
それも簡単なことなのです。教えてしまえばいいのです。すると「ああ、こんなときにこんな言葉を使うのか」ということがよくわかっていくはずです。
コボちゃん作文はお母さんがやっても本当に目に見えて進歩がわかるはずです。 もっと続けてください。
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2004年02月23日 (月) 21時30分 |
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