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(435) テストは何を測っているのか |
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投稿者:工藤順一
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人間の持つさまざまな能力の中で、点数で測れるものはごく限られたものばかりで す。でも、昔は、その限られたサンプリングで測るだけでも、他の能力を伴っていた 場合が多かったのです。はやい話が、その限られた能力のある生徒つまり勉強のでき る生徒は、たとえばモラルの面でもすぐれたものを持ち合わせていることが圧倒的に 多かったわけです。ですから、その少数のサンプルを測ることは意味のあるものでし た。勉強ができる人は他のいろいろな面でも優れた能力を発揮したのです。
ところが、現代のように塾・予備校など人工的な薬のようなものが完備された社会 で、お金さえだせば、測ることのできる能力のみに関してはアップができるように なってきた。このような社会では、勉強ができることだけでは他の能力を伴っている かどうかかなり疑わしくなってしまったわけです。
いや、それどころか、その薬の副作用のせいで他の能力を犠牲にしてしまうケースが 増えているのではないでしょうか。
たとえば、愛とかモラルとか優しさとか創造力も生きていくうえでとても必要なこと であり、測ることはできないけれども、学ばれ、育てられるべき能力でもあります。 これらも昔は、家族の中で、あるいは社会生活や共同体の中で育てられました。これ もまた現代では、家族が崩壊し、共同体が崩壊しつつあり、非常に難しい局面にあり ます。文部科学省の唱えた「生きる力」もかけ声だけはりっばなものでした。
勉強だけができる人が、これからのますます複雑化する現実社会で、答えのない問題 を解決していくことはとてもできません。たとえ、この先、学問をしていくにして も、勉強だけのできる人間には、その学問すらできないでしょう。たとえば、受験数 学のできる人は学問として数学にはむいていないといわれています。
現在の日本の停滞は、この勉強だけができる人間が官僚になって日本を支配している からだと指摘する人がたくさんいます。その通りではないでしょうか。
もうひとつ例をあげましょう。最近の入試問題は「思考力を測る」問題が出るといわ れています。進学塾のキャッチコピーにもなっています。ところで、思考力がたった 一時間のテストで測れるものでしょうか。とんでもないと思います。思考力とは、持 続する力でもあるのです。同じ問題を一年も二年も考え続ける能力でもあるのです。
かくして、「テストのできる子ども」ほど、実は長い目でみれば要注意であることが 多いのです。
夏休みはテスト以外の能力を養う絶好の機会だと思います。
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2003年07月27日 (日) 18時08分 |
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