「論理に強い子どもを育てる」、「国語のできる子どもを育てる」の感想をお書き下さい。
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(399) おひさしぶりです |
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投稿者:hiro
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いつも、こちらのHPを読ませていただいて、励まされています。自分自身が納得した方法で、常に、国語の授業をやっていきたいと思います。
今年度は五年生の担当ですが、昨年度とは違い、なかなか指導が困難な子どもたちです。2グループの国語を担当しているのですが、今の悩みは、昨年度まで、四年生の教科書をすませたという子どもたちのグループで、今年度は理解が厳しいということで別グループになった子どもたちの教材についてです。子どものプライドもあるということで、はじめは五年の教科書の「新しい友達」という作品を扱いました。(他の二クラスは1年間でこの教科書を終わります。)この作品と新出漢字に、二ヵ月かかりました。もう1つ、説明文も五年教科書からやってみる間に様子を見つつ、これからの方針を決めたいと考えております。今は、まよっております。
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2003年05月31日 (土) 11時52分 |
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投稿者:工藤順一
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hiroさん、お久しぶりです。無謀にも私は--私たちは手話もキューの世界も知らずに、自然な姿勢でひとりの聾唖の生徒を引き受けましたが、一つだけ強烈に思い知ったことがあります。それは、手話もキューも手段でしかなく、根本的には関係ないのだということです。コミュニケーションというものに対する基本的な信頼と希求さえあれば、後はなんとでもなるんだという楽観です。 だってそうでしょう。母親はだれでも普通あかちゃんをそうやって育てていますよね。音の代わりに、文字や絵が手段になってくれます。逆に、書き言葉の世界はそれだけ聾唖者には大切だということにもなります。 その生徒さんは、コボちゃんよりも、ロダンが好きで、---あるいは犬が好きなことが幸いして、ある時からどんどん書き始めました。いまだに文末表現がおかしいのですが、細かなことは気にせずにやらせています。すると、やはり、ジャンプしたのです。と同時になかなか伝わりにくいおしゃべり=コミュニケーションも積極的にどんどんするようになっていきました。モモではありませんが、こちらに「聞いてあげる姿勢」さえあればいいのでしたね。手話も何も要りませんよね。 その生徒さんに接することで逆にこちらがいやされるようなことすらありました。どうか、あなたもがんばって下さい。
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2003年06月01日 (日) 02時47分 |
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