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(364) その2、測ることと伸ばすことは違います。 |
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投稿者:工藤順一
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進学塾というところは、テストし=測ることで常に他者と競争させて伸ばそうとします。それによって席替えすらする塾もある。そのような競争が好きな子どもも確かにいます。でも、嫌いな子どもの方が多いでしょう。なぜなら、それでほめられるのは常に優秀とされる一部の生徒だけだからです。普通ではだれもほめてはくれません。
それはあくまでも進学塾の側には有利なことでしょう。一番の席には誰が座っても構わないわけですから。このようなシステムで常に事前にふるいわけをしているだけなのが進学塾というところなのです。ひとりの生徒の成績を伸ばすノウハウがある訳ではないのですね。
しかし、もしも、自分の子どもを伸ばしたかったら、自分の子どもを絶対に他者と比べないことです。家の外ですでにいやというほど比べられているのです。親や教師であるなら、たとえどんな子であれ、我が子は、かけがいのない子=only oneと思うはず。そして、それをきちんと伝え、もしも比べるならその子の過去と比べて下さい。するとすごく伸びているのです。それをこそほめてやるべきです。
子どもにとってそれは何よりも喜びになります。喜びが原因のとき、人はどんどん伸びていくでしょう。
常に他者と比べて自己を判断すること。それは、常に他者が基準である生き方しかできない大人を作ることになるでしょう。個性よりも人並みを、自立よりも依存と和をよしとしてきたこれまでの日本社会のあり方が問われているのです。 偏差値とか点数による比較はまるでブロイラーのグラムによるたたき売りを思い出させてしまい、笑えます。これは冗談のつもりですが、こんな冗談が現実に横行しているという笑えない現実があります。だからこそ、親は、そして私たちは強くそしてしたたかでなければなりません。そうでなければ、そんな現実の被害者になってしまうだけですから。
もちろん、現実の社会では競争は存在します。それをも否定しているわけではありません。そして、現実の入試では比べられます。一回のみの選抜試験です。でも、それは十分に伸ばした後の結果のことです。伸びていく過程で他者と比較するという方法はもっともまずいやり方ではないでしょうか。
少しでも考えてみれば分かることです。他の生徒も同じように伸びているのです。しかも、条件として同じテキストとか同じ教師の下でやっていることもある。
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2003年04月18日 (金) 15時04分 |
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