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(727) ---その2 |
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投稿者:工藤順一
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昔からの「読み・書き・そろばん」は、現代では、「読み・書き・考える」という項目に置き換えていいでしょう。そろばんはコンピューターがやってくれます。
20世紀はひとつの正解があった時代でしたが、21世紀は、もはや、そのような正解のない時代であると言われています。新しい世界のデザインや常識は、自分で考え作り出して行くしかないのです。競争社会であることはますます過酷になりつつあり、その中で、「自分で考える力」をもつものが勝者になり、他者の考えに追随するものが負け組みということに、否応なくなっていくでしょう。必ずしも認めたくはないですが、現実はますますそうなりつつあるのだと思います。
文部科学省の路線は完全に失敗して、不登校もニートも増え続ける一方で学力低下まで問題視されてしまいました。
小学生とはこれから学んで行かなければならない存在です。ですから、学力というものを何か蓄積した知識のようなものととらえるのは大間違いで、これからの可能性としてとらえなければなりません。
その可能性とは、だれが考えても分かるように、計算のスピードとか漢字を暗記しているという測りやすい能力で測られるものではありません。
それは器のようなものといってもいいかもしれません。小学生は、じっくりと「考える」能力をつけてその器づくりをしなければならない期間なのです。
そして大器は晩成するもの。
ところが、皮肉なことに、「考える」問題に対処するために、「考えてはいけない」問題ばかりを時間に追われてやらされている子どもたちが存在しています。すなわち、暗記と条件反射という「考える」こととはおよそ反対の「小器」の能力で合否が決まる中学受験があります。
そのようなやり方では目先の勝者が近未来の敗者にもなりかねません。いや、それどころ ではなく、思考力を破壊されてしまったたくさんの小学生が存在している現状があります。
**********そのような意味でも、この本を進学塾に通い、「考える」力を奪われ続けている生徒たちに対しても捧げます。
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2005年06月02日 (木) 23時08分 |
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