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(607) コボちゃん作文再考--その二 |
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投稿者:工藤順一
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コボちゃん作文再考 その二
前著『国語のできる--』で、私は日記を書かかせるということを作文の練習としてさせるのは逆ではないか、つまり、日記を書けるようなら問題はない、というようなことを書きました。
同じように逆転した事態を国語教育の至る所に感じています。 そのもうひとつの例が「起承転結」という言葉です。 文章はたしかに起承転結で出来ている場合が多く、これは確かに知っていて損はない知識のひとつです。
ところが、では起承転結で文章を書きなさいと頭ごなしに教えて、そのように書ける子どもは皆無だと思います。たとえ、起承転結の起とはこう言うことで、承とはこうでと教えたとしてもです。---つまり、講義形式で演繹的なやり方です。これだと経験のない子どもに分かるはずがない。
コボちゃん作文はこの問題を簡単に解決してしまうのです。四コママンガそのものが起承転結で出来ている場合が圧倒的に多く、それをいくつか経験的に繰り返すことではじめて起承転結ということがどんなことなのか実感できるはずです。-----つまり帰納的なやり方ですね。作文とは実技科目なのです。
簡単そうに見えるけれど、このマンガをきちんとした書き言葉を用い起承転結で過不足なく書くのは----まして、子どもに「書かせる」のはかなりたいへんなことです。
自分では文章を書ける人でも、どのように書いているのかという自覚がないと指導もできません。
次に述べることはほんの一例にすぎません。
----ほとんどのお子さんが「承」では指示語をつかえばうまくいくことが多いということを知りません。指導者もしかり。 ----初心者は「そして」を多用します。それをどう修正指導すればいいのか分からない指導者も多い。
-----日本語で文章を書くことは、このような不文律(きちんと明示されない規則)のかたまりでできていてそこが英文を書くのとは雲泥の差があるところです。
というか、そもそも文章を書く指導なんて学校でも塾でも行われたことなんかないのではないかと思わせるぐらいです。
そして、何ひとつ教わらないまま高校生ぐらいになると、ある言い回しを覚えることになります。いわく、自分には「文才がない」という言い訳を覚えるのです。これは大人もしかりかな。とんでもありません。文章を書くのに才能なんか全く関係ありません。
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2004年02月01日 (日) 13時30分 |
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