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(215) 裸足の1500マイル (2002) -DVD- 投稿者:か こ



<原題>「RABBIT-PROOF FENCE」(ウサギ避けフェンス)
<公開時コピー> 「お母さんに会いたい――。」

母に会いたいがために1500マイル(2400キロ)もの道のりを、90日間歩き続けた少女たちの健気な姿を描いた感動のドラマ。
1500マイル(2400k)というと、東京〜北京(2100k)、東京〜サイパン(2400k)、稚内〜那覇(2400k)位らしいです。
ウサギ避けフェンスは、食用およびハンティング用として輸入された野ウサギが19世紀後半に大量に繁殖し被害をもたらした為、政府が設置したフェンス。
オーストラリア西部を横断する全長5000マイルにも渡るフェンス。

当時のオーストラリア政府は、先住民族アボリジニの子どもたちを親から強制的に隔離し、白人社会に適応させようとする政策を実施していた。
そんなアボリジニの暗黒時代に実際にあった物語を、オーストラリア出身のフィリップ・ノイス監督が製作も兼ねて映画化。
原作は、本作のヒロインの実の娘にして、母同様に「保護」されてしまい(4歳で!)、そのまま白人に同化させられて育ったドリス・ピルキングストンによるノンフィクション。

・ナショナル・ボード・オブ・レビュー 最優秀監督賞、表現の自由を具体化した最優秀作品賞、優秀作品年間6位ランクイン
・豪アカデミー賞 最優秀作品賞、最優秀音楽賞、最優秀音響賞(最多10部門ノミネート)
・エジンバラ映画祭 最優秀観客賞受賞
・ダーバン映画祭 最優秀観客賞受賞 

<あらすじ> 1931年、西オーストラリアのジガロング。
14歳のアボリジニの少女モリーは、8歳になる妹のデイジー、従姉妹で10歳のグレーシーたちとここで楽しく平穏な毎日を送っていた。
ところがある日、アボリジニ保護局の人間がやって来て、時の政府の政策に従って彼女たちを拘束、母親から引き離して施設に強制収容するのだった。
粗末な環境下で、白人社会へ適応するための厳しい教育が始まる。
ある時、たまりかねたモリーたちは厳重な監視をかいくぐり脱走する。
そして、延々続くウサギよけフェンスの先にある母の待つ故郷へ向けて1500マイルの遥かなる旅路を歩き始めるのだった。。。

エヴァーリン・サンピ・・・・・・・・・・・・・・・・・モリー
ローラ・モナガン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・グレーシー
ティアナ・サンズベリー・・・・・・・・・・・・・・・デイジー
ケネス・ブラナー Kenneth Branagh・・・・・ネビル
デヴィッド・ガルピリル David Gulpilil・・・・・ムードゥ

■HP http://www.gaga.ne.jp/hadashi/

裸足じゃなかった。。。靴履いてたょ。

音楽はあのピーター・ガブリエル!!!
「裸足の1500マイル」は三枚目の映画音楽作品。
ガブリエル自身もその内容に深く感動し、今回のサウンドトラックを引き受けたらしい。

白人の先住民アボリジニに対する「隔離同化政策」は、実際70年代まで行われていたそうだ!!!
それぞれの民族や種族が、他の民族や種族に対して自分達の価値観や文化を押し付けることが、どれほど馬鹿げたことかこの映画を観て痛感した。
この映画ではアボリジニが白人にそれを押し付けられるけれど、第三者としてみてみればこれほど馬鹿げたことはない。
演じるケネス・ブラナーも好演。
追う側の保護局の局長の名前はネビル。 アボリジニの言葉で「デビル」というのも笑える。
「劣等人種を救い出す」という言葉が何度も出てくるけど、それがもうエゴなんだってばよー。
勿論、母子を引き離すことは非人間的、そこには白人なりの根拠もあるわけで。。。
もともとオーストラリア西部を南北に、2本になって横切る5000マイルもの長大なウサギ避けフェンスを作りに来た白人男性が、現地のアボリジニ女性に生ませた混血児が大量に存在したことから、この計画は始まっていた。
当時「野蛮」とされていたアボリジニの中に、白人の血をひく幼い娘たちがいる。
彼女たちをもとの野蛮な生活から隔離し、「教化」して、さらに白人男性の子を生ませることで、二代後には外見も白人と変わらない子供が誕生する――というのが「アボリジニ保護」の名目で行われていたのだ。
ネビルは混血を重ねたアボリジニのスライド映像の前で、政策支援の為に白人婦人達にこう主張する。
「混血児を文明化する、これがその答えです。人種交配も三代で肌の黒さは消滅します。
白人文化のあらゆる知識を授けてやるのです。野蛮で無知な原住民を救うのです」
彼は自分のしている事が本当にアボリジニ達にとっていい事なんだと思っているし、それが正義なんだと信じて疑っていない。

でも原住民にはその土地で生きるすべを生きながら身につけてきていて、彼らには彼らの価値観や文化がある。
それは自然と調和されたスタイルで、野蛮だとか生活水準が低いなどという言葉で片付けてはいけない。
映画の終わりに、白人がアボリジニに対してとったこの政策の期間を“喪失の世代”と呼ばれる、と字幕が。。。
まさにアボリジニの人たちにとっては、この時間は取り返しのつかないものとなっただろう。

キャンプでは決して虐待されているわけではなく、清潔な服を着て、白人の尼僧から教育を受けいる。
でも後々召使として働かせる為だったり、白人視点からでしか考えられていない。
それでも命の危険を顧みず脱走し、母の待つ愛する故郷に戻りた い一心で、執拗な追跡者と大自然の脅威にさらされながらも、ありったけの気力と知 恵を振り絞る少女たち。
「母をたずねて三千里」的逃亡劇、三人の少女達の眼差しがまた良い。
オーストラリア全土から1200人以上のオーディションを経て選ばれた、アボリジニの血を引く小さな女優たち。
そして祈りを捧げながらその帰還を待ちわびる母の姿。
そこにあるのは“愛”しかない。
後日談で語られる、モリーが結婚後子供産み、また子供ともども捕まり、さらにまた脱走し帰って来た、という話が凄い。
モリーとグレーシー本人がラストに登場。


2004年06月01日 (火) 15時24分




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