From:通りすがり
エーテル体の検索をしていましたら、「人間の本質」のページに着きました。 『人間の本質は、肉体・エーテル体・アストラル体・自我である。 肉体とは物体のこと。 エーテル体とは生命体のこと。 アストラル体とは、感情体のこと。 そして、自我。 石は物体だけれど、生命体ではないの。石に命はないでしょ。 植物は、成長したり枯れたりするでしょ。だから、生命を持っているの。 そういうのを生命体、つまりエーテル体っていうの。 動物は、アストラル体を持っているけど、植物はアストラル体を持っていないわ。 植物が喜んだり、悲しんだりしないでしょ。 ま、サボテンに心があるっていう人もいるけど。でも、そんなの普通、見えないわ。 でも、犬とか猫は誰が見ても喜んでるとか怒ってるとかわかるわよね。 それは、彼らがアストラル体を持っているからよ。 で、人間だけが持っているもの。それが自我。 「自我ってなに?」 夫の冷たい声。 「自我は自我よ。自我の目覚めとか言うでしょ」 「だから、自我ってなによ」 「う〜〜〜ん」』
深い、〜倫理哲学の世界〜お悩みのようですが解決しましたか? 「自我」って、エゴとかスーパーエゴとか言うところの哲学用語ですよね。 ルソーの言うところの、 「ひとは、二度生まれる 一度は、在るために もう一度は、生きるために」 一度は、存在するために生まれて、もう一度は、生きる意味を見つけたときに(生まれる)、こと。 生きていくこと自体に(存在)理由が、必要なこと。 実のところ、これは、イエズス・キリストの言われた、 「人は、上から生まれないと (新たに生まれなければ) 、神の国を見ることは、できぬ。」 の言葉に対応(照応)しています。 一度目は、地上に肉体をとって生まれるための ─ 「命」 二度目は、死んだ「霊」を、生きる「霊」として生まれるための ─ 「命」 のことです。 こうして、人は、二度生まれなければ、天国に入れないと言うことです。 「霊」 は、人間の 「精神 spirit 」 をも差します。 人間の存在理由も 「霊」 によって理解します。 「霊」 は、神との唯一の交わり、会話、一致となります。 そして、生きかえった 「霊の命」 によって、地上においては、神への信仰(礼拝)を育みます。 ヨハネの黙示録に記される第一の復活とは、人間の霊が、死んでいた状態から、洗礼によって、もう一度、「霊の命」 を受け、生まれる=復活することを差します。 単純な表現を使うと、人間は、肉体、魂(ゴースト)、霊・精神(スピリット) の3つから成り立ち、譬えて言えば、リンゴの外皮は肉体に、実は魂に、核となる種は霊の部分に当たります。 つまり、自我とは、霊(精神:スピリット)を示しているようです。 エーテル体とアストラル体は、魂を示し、 肉体は、物体を示します。 神智学では、細分化されているようですが、基本は、3つに集約されます。 魂(ゴースト)のところには、目に見えない、感情、意志、本能(欲)などがあり、スピリチャルな学問などでは、いろいろと細分化された名称がつけられているようです。 よく言われる「幽体離脱」は、魂の部分です。 肉体と魂をつないでいる通称「銀のひも(伝道者の書12・3〜7)」を、死の天使(=死神)に切られると、死に至ります。 “霊” の続きは、URLにあります。 ご参考になればと思い、書かせて頂きました。
2012年10月10日 (水) 08時09分
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