時習館 この地にありて 雪空き地
記念碑は 尋ね人なく 木立横
時習館は白石藩からの47戸が上手稲に入植した時、入植者の一人の三木勉が開いた入植者の子弟のための私塾である。塾があったのが西区西町南19丁目辺りで、旧中の川に沿った狭い広場にその記念碑がある。時習館の名は論語の「学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや」から採られている。この私塾は後の手稲東小学校に発展していくことになり、この小学校に時習館のモデルが展示されている。木の枝で壁を造り、木の皮で屋根を葺いた粗末な小屋であった。
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