ひばる@管理人
「そういう考え方もあるのね」くらいの気持ちで読んで下さい。 異論反論、大歓迎。 別の考え方を思いついたら聞かせて下さい。 自分でも無理があると思います。なにか、何かすっきりする考え方をば。 スペシャルサンクス、友達と母。
◆天野屋はなぜシロを匿っていたか 確定していないので、仮説を紹介。
1、犬を演じる人間を、余興のつもりで飼っていた。(悪趣味な優越感) 2、生類憐みの令を逆手にとって、お上を皮肉った。 3、シロが犬を演じることを「忠義の体現」に見立て、内蔵助に見せ付ける目的。
3だと考えると、シロが1人で内蔵助のところに来るシーンは 天野屋の差し金だったのではないかと考えられます。 犬畜生に身を落として生きているシロを差し向けることは、 「お前も犬になれよ(=討ち入りをして命を落とせ)」というメッセージだったという考え方。
◆シロが内蔵助に向っていった理由 シロの心理としては、無理心中させられかけたおかるを守るため。 おかるを好いていた様子だし。
それに加え、「大石内蔵助が犬を斬る」ということが暗喩になっているのではないでしょうか。 前の感想にもチラッと書きましたが、「犬=忠義の象徴」とすると、 大石がシロを斬ったときに、内蔵助は「忠義を斬り捨てた」ことになります。 元々「忠臣蔵」は「大石内蔵助=忠臣」という話ですが、「冬の絵空」は内蔵助を忠臣としては描いていません。 最後にシロを斬らせることで、「大石内蔵助≠忠臣」の決定打としたのではないかという読みです。 このシーン以降、大石内蔵助は大石内蔵助ではなく犬男として登場します。 つまり、シロ(忠義)を斬り捨てたことで、大石内蔵助は完全に消失したのではないでしょうか。
ついでに、シロは生類憐みの令の対象なので、 シロを斬るのはお上への反逆だという話も出ました。 部下と恋人、支援者(天野屋)に偽者だと言われ、吉良には裏切ったと思われ、 お上には反逆し、完全に孤立した状態になったのでは、と。 個人的には上の説を押します。
◆そもそもシロは何者か シロのポイントは、どの物語(人間関係)においても当事者ではないこと。 いくつかの物語が同時進行していますが、シロはいつでも傍観者です。 そのくせ、全体像を把握していた節があります。 それが分かるのは、2回あるシロが言葉を話すシーン。
1回目は、おかると語るシーン。 見た目はおかるですが、中越さんの演技と台詞の内容から見て、 ここは老尼の語りだと考えるのが自然かと。 とすると、シロ(シロだった犬男)が老尼の語りに介入していることになります。
2回目は、内蔵助と戦うシーン。 ここで、シロは初めて当事者になります。
シロが傍観者であること、全体像を把握していたと考えると シロは観客に最も近いキャラクターということになります。 (観客は傍観者であり、全体像を把握している) 物語の中で、最も観客に近い者は誰かというと「語り手」です。 シロが老尼の語りに介入しているのは、「語り手」としての性質が表に出たものではないかと。 他の登場人物と同列に考えるのではなく 変な表現ですが「作者の手の者」と考えた方が分かりやすい気がします。 他の登場人物は、登場人物として思考し、行動しますが シロの行動には作者の意図が影響しているという考え方。
最後(シロとしての出番の最後)に内蔵助に絡むのは、まさに作者の意図。 上に書いた「内蔵助=忠臣」という定義を崩すための決定打。 なぜ抗う。なぜ生きようとする。など、上からというより 神の視点からの問いかけは、作者の言葉。 (神=創造主=作者の構図)
段々、間違った方向に深読みしてる気がしてきましたよ! もはや手遅れな気がしますが、これ以上ボロが出る前に切り上げます。 もうボロボロだよ〜 何か思いついたら足すかもしれません。
[84] 2008年12月18日 (木) 21時54分
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