[1021] 女神が舞い降りたとき |
- パワプロ人間 - 2007年07月19日 (木) 21時10分
もう早速なんですが書いちゃいます。
勝負の世界には「勝利の女神」というのが必ず存在する。 そう、何にしてもだ。 その女神は、勝者にしか微笑まない。 女神が微笑んだものには、必ずといっていいほどの幸福が やってくるのだ。 さて、時計の針を15年前に戻そう。 1992年9月28日明治神宮球場対ヤクルト第21回戦 2−2同点お互い一歩も譲らないゲーム展開に球場に駆けつけたファン達は固唾を呑んでその試合の行方を見守った。 この日、マジックを2として神宮に乗り込んでいる関西、 同率首位のヤクルトとの決戦勝てば優勝負ければ優勝を逃してしまうのである。球団創立初の優勝を果たす為にナインは一丸となった、しかしこの日の投手は伊藤智、あのスライダーを捉えるのは至難の業だ、しかしこの日、唯一この伊藤から安打、しかも2ランを放った選手がいる、延長12回表、この回は、ホームランを放っているクォークに打順が回る、二死走者無、で4番クォークを迎えるが、カウントをフルカウントとして6球目。 バットは伊藤のスライダーを完璧に捉えた、
カキィン!!!
物凄い衝撃音とともに、バットが折れる、 しかしボールは、風に乗り右翼ポール際に入る逆転ソロ 無心に腕を振って応えるクォークホームで仲間達が待つ ゆっくりホームを踏んだ、3−2逆転に成功したその裏の回は 2アウトとしてブンブン丸池山を討ち取って試合終了。 この瞬間、関西ミレニアム創立初の優勝がきまった、 選手達は思い思いに喜びを爆発させた。 そして遅れて指揮官が出てきた、上田監督と井上ヘッド マウンドにゆっくり向かい輪の中に入る胴上げが始まった、 1回2回と宙を舞う監督、その瞳には涙が浮かんでいた。 しかし、この胴上げが後15年間観られないとは誰も思わなかったはずだその翌シーズンから最下位を独走。 ファンの口からは「いつかまた…」 という諦めの声が出始めていた、いつしか、関西は球界のお荷物 とまで言われていた、さて時計を元に戻そう 2007年ついに15年経った、6年連続最下位の汚名を返上しようとしていたところに、訃報が舞い込んだ…
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