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小説投稿掲示版〜!!!!

小説の投稿掲示版です!! あなたの作った小説をどうぞ ご披露ください!!!!

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[912] NIGHT -TRANCE WORLD-
ロキ - 2007年03月11日 (日) 23時26分















――アフリカ大陸 エチオピア

 












 荒れ果てた大地に、少女は座っていた。

眩しすぎる太陽に身体を照らし、飢餓すらも忘れてしまった感情を置いて

少女は空を見上げていた。

 辺りに蝿が舞う。どこから湧いているのか、わからない。だがその蝿はまるで少女を母とでも崇めるように飛行する。

服を着ない体が太陽に焼かれて爛れているが、少女は気にもしていなかった。

いまさら気にしたところで、少女にはそれを回避する術がないからだろうが。

 肋骨が皮膚を突き上げて、内臓が下へ下へと押される。腹は妊婦のように膨れていた。

 大人は辺り一体に何人でもいる。だが誰一人として、彼女に手は差し伸べない。

人としての良心も悪心も蔑ろにして、損得のみに動く大人達に、世界がそうすることを要求しているのだ。

 目が濁っている。

暗い。そして、醜い。

子どもの当然の権利のはずだ。

光を発することは子どもの権利であり義務であるというのに、少女は――。





 男が、彼女のもとに歩み寄る。

旅人なのだろうか。彼の素性は、もうどうでもよかった。彼女にとって、空を見ること以外、どうでもよかった。

サングラスの奥にある旅人の目に、少女はどう映っているのかはわからない。

ただ、旅人は少女に手を差し伸べた。

差し伸べられた手は逞しくて、筋肉がついている。この国ではありえない体型だ。

 少女は視線をそらさない。手をとらない。空に、空にしか興味はない。





 科学によって育った地球は、荒れ果てていた。

もはや七つの大罪は背負えきれなく、それを放置し、安息を求めるために障害は排除していった。

人は荒み、歴史は腐り、世界は溶け出していて

明けることない夜が、地球を包んでいる。

 この世界にもはや希望を見出すのは、砂漠の中で一滴の水を探すのと同じような状態になってしまっていて

男はしだいに差し伸べた手を身体へと引き寄せるようになった。




 「…助けてやるでやんす」

 黒いマントが風によってたなびく。

 「…こんな世界、オイラが変えてやるでやんす」

 握った拳は、血を流した。血の滴が、砂漠に溶け込む。

 「…こんな腐りきった世界…誰も望んでなんかいやしないでやんす…」

 心臓が締め付けられている。男は涙を流せずにはいられなかった。

 「…人が傷つく世界のどこが…平和だというんでやんすか…」

 涙も、砂漠に溶け込む。一滴の雫が、砂漠へ。

 「…助けてやるでやんすよ…絶対…」




 男は、踵を返した。

 空を見上げる少女は、まだ、空を見上げていた。


[926] 胎動の夜
ロキ - 2007年03月25日 (日) 16時06分










NIGHT -TRANCE WORLD-










1.




 威風漂う、いかにも金持ちらしい洋館だ。

所謂成金という奴だろうか。その洋風の建築様式に気品すらを覚えた。

 辺りは農家やその他一般の家庭がたたずんでいる中、その家はどこか浮いている。

 とはいえ、この家も前はほかの洋館よりも若干大きいだけの家だったのだった。

持ち主が一時期高額な資金を手にいれたことによる産物、その持ち主にとっては最高潮のボルテージが生んだ弊害だった。

洋館を購入した後、持ち主は破産。巨大な家だけを残して中身は普通の暮らしへと戻ることになった。

 門を明けると和風に習字で“小波探偵事務所(なんでも屋)”と書かれた木製の看板があった。

(なんでも屋)の文字は稚拙で、後から付け足したものなのだとすぐに理解できた。

 そもそもこの家の持ち主は、夢と浪漫を追い求めた冒険家だったのだ。

資金難により無理やり前々から行っていた(副職だったのだ)探偵業を生業としてはみたが、そんなにも金が儲かるわけでもない。

だからこそ彼は(なんでも屋)をつけたした。…意外に収入があったらしい。

 その持ち主…小波がいる部屋だけは埃がなく、丹念に清掃されいた。

珈琲の匂いが香ばしく、焚かせている線香の匂い(昔は線香に様々な匂いを持たせ、アロマテラピー?らしきことをしていたらしい)が優しく鼻を突いた。
 
 小波は万年筆を手にし、白紙の紙を見ると溜息を吐いた。

「……はぁ。スケジュールは真っ白か……」

「悲しいでやんすねぇ」

 助手的存在の、湯田。彼が書いた小波の冒険譚を語る本を出版したことで一時期成金へと伸し上がった。
…が、湯田のせいで成金から降格することになったのだが、それはまた別のお話。

「仕事〜……仕事〜……誰か仕事を持ってきてくれ〜……」

 仕事。浮気調査に事件調査に遺跡探検依頼、宝物発掘。幽霊退冶。そんな仕事がそう簡単に来るわけがない。
うすうす、この仕事を辞めた方がいいのかな、と小波は思っていた。
しかし辞めてどうする?ほかの仕事につくのか?といえば、NO。というかつける仕事がなかった。
 以前大学の手伝いをしたことがあるが、あのようなチマチマした作業をするのはしょうに会わないらしい。
しかも一手に収入を得れないということも、ネックだった。

「営業行って来たらどうでやんす? “なにかお困りはありませんか?”ってなみたいに」

「そんなこと湯田君に言われて、この前は憲兵呼ばれちゃったんじゃないか!」

 街に繰り出して手当たり次第誘ってみた結果だった。その時は、恥ずかしさと湯田への恨みで一杯だったのを思い出す。

「それは小波君のふぇいすが悪いのでやんす。オイラが言っていたら仕事どころか…グフフ」

「いや、それはない。絶対」

 顔のことを言えば五十歩百歩、といったところか。お互い、あまり笑えなかった。

「…はぁ」

「溜息がつきないでやんすねぇ」

「全くだよ」

「…仕事を入れたいのであれば、まずはこの辛気臭い空気をどうにかしてからだな。小波」

 聞き覚えのある声。だけれどしばらく聞いていなかった声。

ドアを開けて部屋に入ってきたのは珠子だった。

帽子を被り、洋装をしている。ポニーテールが目立ち、端整な顔立ちをしているわりに腰の刀が異常に目立つ。

警察に見つかれば帯刀違反で捕まるはずなのだが、彼女のことだ。きっと返り討ちにしているのだろう。

 小波は驚くでもなく、手をヒラヒラと振った。

「やぁ。タマちゃん。珍しいね」

「あぁ。…掃除くらいしたらどうだ。廊下は埃だらけじゃないか」

「この部屋は綺麗だろ?」

 珠子は見回すと、窓の珊を人差し指でなぞる。

先端に埃が付着している。それを一息で吹き飛ばした。

ふ、と鼻で笑う。

「まだまだだな」

「小姑みたいでやんすね」

「…何か言ったか? メガネ」

 腰に挿してある刀に手をかける。銀色の刃が光沢を放った。

「なっ…なんでもないでやんす!」

 手を大袈裟に振り反省の意をアピールしてみる湯田。珠子は刀を鞘に戻した。
 
 小波は、その様子を微笑んで鑑賞していると珠子が持つ書類に目をやった。

項目に帝都産業廃棄物処理場殺人事件と書かれてある。

「…で、タマちゃん。用があるんだろ?」

「ああ。そうだ。小波。お前に仕事を持ってきてやったぞ」

 仕事、その二文字の響きに小波はすぐさま食いついた。

珠子に小波が座っている椅子の前にある机を挟んである椅子に座るように促す。

珠子は足を組み、片手に持っていた書類を机に放った。

 その中に写真が入っていた。工場の写真だが、小波には皆目検討がつかなかった。

だが書類にそう書いてるあるのだから、きっとそうなのだろう。小波は勘で言ってみる。

「帝都産業廃棄物処理場…の写真だね」

「ああ。最近の新聞を見ているか?」

 小波は肩を竦める。

「お金が無くてね」

「……まぁいい。そこで最近、殺人事件が頻発しているのだ」

「……殺人事件…ねぇ」

「警察でもお手上げという状態なのだ。どうだ、小波」

 冗談じゃない。凶悪犯の相手をするほどの度胸はない。小波は、脳内に拒否の答えを用意させた。

遺跡探検や秘境巡りならば是が日でも行くところだが。

「…うーん。殺人事件か…。そこまで物騒な事件を扱うのは慣れてないからね…」

「礼金は国からの懸賞金と合わせて礼金も払わせてもらうが? 」

「是非やらせてもらいます」

「よろしい。詳細はそこの封筒に入っている」

 小波は書類を手に取り、中の封筒を取り出す。

懸賞金もさながら、礼金も合わせるととんでもない金額だ。

だが、それ以上に目を見張るものがあった。

「…タマちゃん? 」

 湯田から出された珈琲に口をつけるが、珈琲の苦味に顔を顰めた。

「なんだこの苦い珈琲は。珈琲には砂糖とミルクをたっぷりと決まっている。…おい。メガネ。砂糖とミルクだ」

「…オイラはパシリじゃないでやんすよ…」

「いいからもってこい!」

「うう…」

 珠子からの返答が返って来ない。もう一度、書類を見た。

――…やはり、とんでもないぞ?コレ。

 湯田が砂糖とミルクを大量に珈琲にぶち込むと、珠子は満足気な顔をしてその珈琲の入ったカップを手にとる。

「…タマちゃん」

「なんだ小波。お前は私が珈琲を飲むのをそんなに邪魔したいのか?」

「あ、すいませ…じゃなくて!!」

小波は机を叩き、書類を珠子にたたきつけた。そこに栄える19という数字。

「…なに、この数字は?」

「連続殺人の件数だが?」

「いくらなんでも…これはちょっと厳しくない?」

「大丈夫だ! お前ならどうにかできる、はず」

「さらにそこだけじゃないんだなぁ。タマちゃん」

 そういうと小波は書類の文章の一行、“死体は全て肉を削ぎ落とされ、猛獣に食べられてしまったような状態。原型はまったく留めていない”の部分をなぞった。

「…ぜったい、尋常じゃない事件だよね?」

 珠子はフフフ…と微笑む。

「だからこそお前向きの事件じゃないか」

「いやいやいやいや!!」

 ピクリ。珠子の表情を見て、小波の動きが止まる。

哀願するような珠子の表情。今までに見たことのない顔だ。

 目の奥に光る力強さに気圧される。だけれども、その力強さの反面に弱ささえも感じた。

「…頼む…! …お前しかいないんだ…!」

 小波はたじろいだ。珠子の急な真剣そうな表情に、小波はでかかった言葉を飲み込む。

そもそも何故珠子が礼金を払うのだろう。大抵、珠子は仕事を持ってはくるがそれは知人の事件だったりする。その時は知人が礼金を払う。

…が、今回は珠子が払うことになっているのだ。

第一、珠子は腕が立つ。小波に頼むまでもない。自分で解決できるはずだ、

 思案を巡らせる。



―――何か事情がある、のか?



「……なぁ、タマちゃん。事情があるのなら、話してくれないか?」

 珠子は視線を逸らす。表情が暗くなっており、先ほどまでの気丈さは何処へってしまったのか。

申し訳なそうに、珠子は髪をクシャと掴んだ。

「……すまない。今は、言えない」

ここまで、珠子が隠すもの。そして、気負いしてしまうもの。

珠子が重く背負っているものであることは間違いない。

小波は、迷う。湯田と視線が合う。

どちらを決断するのか、そういった湯田の視線が小波とかち合った。

 ゆっくりと、頷く。

「……わかった。この事件、受けるよ」

 珠子の視線が小波に戻った。

「…え?」

「タマちゃんが隠すようなことだ。何か重大なことなんだろ? それに、俺を頼るしかないようなこと。受けるしかないじゃないか」

にこやかに笑う。湯田は若干、顔をゆがめていた。

「……ありがとう。小波…」

「いやいや、困った時はお互い様ってね」

珠子は目尻に涙を溜めて、上目遣いで小波を見上げた。

その表情はとても愛らしく思えて、小波は思わず顔が綻びそうになったのを押える。

「…じゃ、後はまかせたぞ!」

「…え?」

 珠子はこれ以上ないだろうと思わせる笑顔を放つと、瞬時にドアへと移動した。

一瞬の出来事だ。流石、忍者。身のこなしは半端ではない。

ドアノブを開ける瞬間に珠子は小波たちに視線を向ける。

「小波、一つ教えておいてやる。」

ウインクして、ドアを潜る。

「“女は涙を安売りする”……覚えておくんだな」

ポカン、そうやって口を開けたままにしておくだけで小波は微動だにできなかった。

ドアのパタン、と静かな音がする。

珠子の革靴によってコツ、コツという小気味な音が部屋内に響き、そこでようやく小波は開きっぱなしの口を閉じた。

今にもあの世へ昇天してしまいそうな呆けた顔で、小波は机の角に手をあてがった。

首が前へ前へと倒れていく。そー…っと、小波は、静かに机に頭をぶつけ始める。

(…やれやれ、この人のお人よしはどうしようもないでやんすね)

 ゴン、ゴン、ゴン。

しばらく小波の頭が奏でる音が事務所内から止むことはなかった。










悪臭が鼻を劈く。生活ゴミや産業廃棄物が腐臭を醸し、害虫などが湧いていた。
 
産業が飛躍的に向上したとともに、産業廃棄物も飛躍的の増えた。

それにより公害が多くなったが、大正以来全く改善されていない。

これの害悪に気づくのは、まだずっとずっと先のようだ。

 辺りを見渡せばゴミしか見えない。この光景に辟易しないものはいないだろう。

湯田は足取り重く小波を追っていた。

「……こんなことだから小波君は……」

「さっきからそればっかりだなぁ。もう来ちゃったんだからしょうがないだろ!?」

「それはそうでやんすけど…」

 湯田の視線が遠くを見据える。小波はその視線を追うと、誰かがいる。

白い服だ。神父の服に見えなくもない。それに手には十字架を持っている。

しゃがみこんでおり、背丈はよく確認できない。だが体格は良さそうだ。

 小波はゆっくりと近づく。

「こんにちは。なにをなさっているんですか?」

 男は小波を見た。眼鏡…いや、これはおそらくサングラスだろう。

「…ここで主の下へ向かわれた魂を祈りに」

「じゃあ、やはり神父様、ですか」

「ええ。とは言っても、モグリですが」

 モグリ。キリスト教を禁止された今の日本に、神父などもはや不要なのだが、宗教というものはどんなに妨げられようと根絶されることはないのだ。

こっそりと、どこか見つからないところで布教をする神父も、それを受ける信仰者もいるということだ。

彼も、その一人なのだろう。

「……私を、通報しますか?」

 サングラスによって、表情は見えない。小波はどう反応していいか、若干迷った。

「……いや、俺は基本的に利益にならないことはしない方ですから」

「そうですか…安心しました」

男は十字架を握った手を十字に交差させ、ゆっくりと立ち上がった。

男はやはり身長は高く、体格は良かった。

「…あなたは、何故ここに?」

「…あなたが今祈った魂達の死因を調べに来ました」

「…?警察…では、ないですよね」

「ええ。探偵です。事務所も経営しています。よろしく」

 男は、灰原と名乗った。

大正時代に海外に留学していたらしい。英語も堪能で、いわゆる秀才らしいところが伺えた。

 灰原は自ら言わなかったが、手のひらの皮の厚さを見ると、どうやら剣術かなにかをやっているのだろう。

分厚い掌だった。恐らくかなりの使い手だ。

「…では、私はこの辺りで失礼します」

「あ、そうですか。お引止め申し訳ありません」

「それでは」

 灰原が処理場から姿が見えなくなった後、小波はしばらく灰原が向かった方を見ていた。

湯田は辺りを散策している。…金目のものがないか探しているようにしか見えないが。

――あの神父…

「 ? …どうしたんでやんすか?」

「…いや、なんでもない。さぁ。調査を始めようか」

 小波は思った。どうせ、なにも見つからないだろうが。

…確証もなにもない。ただの直感だった。

だが、実際なにも見つからなかったが。

警察がしたのかはわからないが、血痕は1ミクロンも後はなかったし、事件に関するものは完璧に削除されていた。

“死体の後”さえも、完璧に。

 湯田は懲りずに必死に調査していたが、特にめぼしいものも見つからなかったようでちょっとするとすぐにへたり込んだ。

 だが、小波は灰原が祈っていた場所の地面をずっと見つめている。 

その場所にうずまく瘴気が、小波に確信させていた。



――ああ。確かにこれは、尋常じゃ、ない。




 湧き上がるような感情が、小波の中に生まれた。

 それも、確信だった。
 








[936] 晩餐の夜
ロキ - 2007年04月10日 (火) 15時45分

 








NIGHT -TRANCE WORLD-










2.









 夕暮れ時、窓からオレンジの光が差し込む。

窓から覗いた世界は、青年達が活発に動きながら野球をしていた。

汗が木綿のシャツに吸い込み、靴は擦れていている。それでも少年達は、笑顔で野球をしている。

 ピッチャーが振りかぶって、投げた。

中々速い直球――ではない。フォークだ。

しかしバッターも見逃さない。スピードもあり切れ味あるフォークを芯で捉えた。

センターに返した…と思いきやセカンドのダイビングキャッチだ。

少年達の技能は素晴らしいものだった。あのような少年達が甲子園に行くのだろうな。

その光景が和やかすぎて、小波は思わず笑顔になった。

――平和だなぁ

 柔らかいソファにもたれかかって、小波はお茶を啜る。

 その和やか過ぎた一部始終を、矢部は見ていた。

「……依頼はいいんでやんすかぁ?」

 たまりかねて、矢部は言った。

依頼を受けて二日目。小波は全く動こうとはしなかった。

ただ書類を読み、そして飲み物を啜り、時々便所に行くぐらい。

職務怠慢とはこの事だ。湯田は溜息を吐く。

「珠ちゃん、残念がるでやんしょね。依頼した人がこんなんじゃ…」

 む、と小波は湯田を見る。

コトリ、茶碗が重量感のある音を鳴らした。

「あのさぁ湯田君。俺にだって計画ってものがあるんだよ」

「1日中何にもしないのが小波君の計画でやんすか?」

「うっ…まぁ、ね。昼は何もしてないけど…夜はちゃんと考えてるよ。これを見てくれ」

 小波は机に書類を出した。帝都処理場での被害者たちのリストだ。

犯行日時に出生、趣味、生い立ち。細かく調べられている。

「…これがどうしたんでやんす?」

「それの、犯行日時を見て」

「えーと……2月3日…3月1日…4月5日……一月刻み、でやんすね」

「そう。それが何の日かもわかる?」

「……うーん……わからないでやんす……」

「だろうね。その日は、全部満月だったんだ」

「満月でやんすか」

「そう」

 そう言うと、小波は分厚い本を取り出した。

“月と悪魔の関連性”。オカルトな雰囲気の漂う本だった。

湯田は訝しい目でその本を手に取った。

「なんでやんす?このオカルティーな本は」

「まぁ、ある筋から。その中にある内容なんだけど――」

 “狂気と月の光の関連とその効果”

小波は湯田にそのページを開かせた。中身は極めて一般人には理解できない内容だった。

だからこそ、だと言うのか。小波は黄色い付箋でそのページを止めていた。

一度閉じてしまえばその文章は何処かへ行ってしまいそうな文量だった。
 
“月の光とは生物の全てに狂気をもたらす。奥底にある沸き起こる狂気を光が照らし、魔性が強まる。
  
 その最たる種族が狼男や吸血鬼である。
 
 特に吸血鬼は知識を持ちそれを行動するもので、最も邪悪なものであると言える”

「……で、これがどうしたというんでやんすか」

「端的に言えば、僕が考えてるのはそういう化け物の類じゃないのか、ってことなんだ」

「小波君遂に頭に蛆が湧いちゃったんでやんすか?」

「失礼な!!」

「そんな考え……まるで服部教祖みたいな感じでやんすねぇ」

 服部教祖。希代の占い師だがそのインチキさが祟り、まったく売れない占い師。

だが霊力は本物で、小波たちと一緒に様々な事件を解決したりした。

…今は霊力もなくし、本当のインチキ霊能者だが。

「……これにはちゃんと理由があるんだ」

 そして被害者リストの下に敷かれていたもう一枚の書類。殺害現場の写真だった。

克明に写るその惨劇の光景はあまりにも残酷で、目を覆いたくなる。

「一つ聞こうか」

 一枚の写真を手に取る。

「普通の人間が、人間の体をこんなにぼろ雑巾のように引き千切ることは可能かな?」

 五体がバラバラだ。常識的に考えても、人間にそんな力があるとは思えない。

「いや……でも、物凄い怪力な化け物みたいな人間かもしれないでやんす」

「……そんな人間いるわけないだろ」

「うっ……」

 そしてさらにもう一枚の写真。白骨化に近い、ミイラのような遺体の写真。

小波は前の写真とその写真を並べて見せる。

「それを考慮して、例え化け物みたいに力が強い人間がいたとする」

「やんす」

「比べてみよう。この写真の共通点はわかるかな」

 湯田はその二枚凝視した。

あまり見たくはない写真ではあるが、人間ではなく野獣等の屍骸は山ほど見てきた。

そこまでの抵抗はなかった。

「……うーん……。両方、女性ってことでやんすか?」

「おしいね。確かにそれもあるんだ」

「うーん……?」

「殺人事件にしては、ありえない光景だ」

「……あっ」

「わかった?」

 湯田は確認するようにもう一度写真を見ると、人差し指と中指で二つの写真を指した。

「……血痕が、ないでやんす」

 そう、と小さく言うと、小波は引きつって笑う。

「それだけの惨状だ。まず血は散乱しているはず――だのに、だ。一滴二滴落ちてるだけで、ほかはない」

「……」

「普通に、常識的に考えてみてくれ。 ……人間には、無理だろ?」

 …確かに。そういわざるを得なかった。

しかし、それを認めてしまえば湯田はこれからそれを追うことに対する恐怖心を感じてしまう。

その恐怖をどこかにやってしまいたくて、湯田は言葉に発せなかった。

 意を決して、言う。

「……それで、どうするんでやんすか」

「うん。……以上の点を踏まえて、満月・夜。つまりは、今日。その犯行が起こる確率は極めて高い」

 小波は机の引き出しを開けた。

銀色の銃。コルトガバメント。弾倉の予備が何本か入っている。

銃弾を弾倉につめて、差し込む。

「とどのつまりは…俺達が行動すべきは今夜ってことになるわけだ」













 帝都処理場に向かうには長い道路を行くことになる。

しかも玄関には門番がいるため、私立探偵である小波は徒歩でしかも泥棒にように侵入するほかなかった。

夕方に、土手沿いを歩いているのもそのせいだ。

交通手段であるバスは使えない。したがって、重装備の湯田は疲弊が激しい。

小波は軽装備である。銃一丁に、銃弾と弾倉2本。
 
 先ほど窓から覗いていた少年たちはまだ野球をしていた。

シャツも汗で随分湿っている。

「うーん…。青春だねぇ…」

「あんな爽やかさが女子どもからモテる秘訣なんでやんすかねぇ。全く忌々しいでやんす」

「そういう僻みは良くないぞ」

「いいやっ。言わせて貰うでやんす!そもそもあんな系統の男子さぇいなければ…」

 きっと、彼等みたいな系統の男子がいなくても湯田君はきっともてないだろうな。

心の中で嘲笑してみる。思わず苦笑いをする。

 けれどきっと湯田は、この少年達を好ましく思っているはずだ、と小波は思った。

元々彼は高校球児で、身体能力はなかったが野球には一途な青年だった。

残念ながら根底の性格が祟り、もてはしなかったが。

湯田の球児を見る眼鏡を見ると、その好感がひしひしと伝わってくる。

「……今、日本が欧米諸国と険悪な関係なのは知ってるでやんすか?」

 突然、声色が変わったので小波は若干動揺する。

「……え?うん、まぁ……」

「そろそろ戦争に突入してしまうか、ってぐらいにまで行ったらしいでやんすよ」

 湯田の眼鏡がオレンジの空を写した。

湯田の持つ銃器の音が、ガチャガチャと沈黙の間に大きく聞こえた気がした。

「……そうなれば、オイラも小波君もこの野球している少年達も……いずれは徴兵されるようになるんでやんしょね」

 妙に真剣さを醸していて、小波はどう返したらいいかわからなかった。

「いつも小波君たちの戦いを見て思うのでやんす。暴力はやはり醜いことだ……って」

 だけど、一度いいかける。いいかけて喉にとめた声を、やはり吐き出す。

「でも……。力なき正義は無力で、平和なんて……暴力なくして、平和は絶対に得られない……」

「……うん」

「……小波君は。力ある正義を持っている数少ない人間でやんす」

「……うん」

「もしも、戦争なんてものが始まった時。その時少年達の未来を救うのはきっと小波君だた思うのでやんす」

 カコン、と音がした。使い込まれて、ほつれ、茶色くなった白球がコロコロと小波のもとへ転がってくる。

見下ろすと少年が、なにか叫んだ。聞こえなかったが、恐らくボールをとってくれという内容なのだろう。

小波は腰を折ってボールを拾う。

握ると、よく使い込まれていて丁度いい柔らかさになっていた。

 腕を振る。シューと風を切る音が聞こえた。

「頼むでやんすよ。小波君」

 湯田のその言葉を皮切りに、沈黙が続いた。

そろそろ夕日は落ち始めて暗くなりだす。月が優しく顔を出した。

「……なんで、今そんな話を?」

 無粋な質問ではあるが、兎に角聞いてみた。

「……なんとなく、でやんす」

「なんとなくぅ?こんな話をなんとなくでするかぁ!?」

「漢にはそういうときがあるのでやんす」

「漢っていうな漢って。男って言え」

「言ってるじゃないでやんすか漢って」

「いや、きっと湯田君は別の漢字を使ってる」

「どうでもいいでやんす!そんなの!」

 ぎゃあ、ぎゃあと騒ぎ立てて、小波たちは歩いた。
 
 太陽が眩む。まるで暗闇に吸い込まれるように。

シンメトリーの月が、姿を現し、そうして、夜は現れ始める。

  

 舞台は、幕開けた。
















「なんど来てもここは臭いな……」

 夜の冷えた空気などはありはしない。鼻を曲げるような異臭だけ。

小波は銃を片手に持ち、そこらを徘徊していた。

湯田も、ウィンチェスタを構える。

 ゴミゴミとした場所での夜というのは気味悪い。さらに殺人鬼がでるというのならなおさらだ。

チュチュ、と故意に驚かせるようにねずみが動く。それに反応してしまうのが湯田だった。

「っ…!もうなんなんでやんすか!ネズミ野郎なんかに…もう!」

「もうじゃないよ。静かにしてくれ…」

ふと、小波は気になった。

さっきから虫やネズミなどの動きが活発だ。

ざわついているような…そう、まるで何かから逃げているようにそれらは小波たちの進行方向から反対へと走った。

昨日来た時は、こんなことはなかった。

人間が近づいても虫達は動揺さえも見せなかった。

 ……練達した“勘”が、何かを告げる。

今まで様々な修羅場を抜けてきた、その勘だ。信用するには値する。

勘が、言う。


――ここは、危険だ


 不意に、腐臭以外の臭いが劈いた。

鉄の、臭い。そして、戦場を抜けた時に嗅ぐ、肉の臭い。

――死の臭い

 鳥肌が立つ。銃を構える。湯田は気づかないで、虫らを気にしていた。

ゆっくりと前へ歩く。

見えてくる人影。

…“人”、影。

「……神父様でやんす」

 そこに突っ立っていたのは、灰原だった。

その下にずたずたにされている死体。灰原は十字架を持ち、祈る。

「先ほど来た時、すでにこの状態でした」

 自分の弁明をするように、灰原は小波たちへ言った。

「……ならば、危険ですよ。まだ化け物がこの辺りにうろついているかもしれない」

「いえ、大丈夫です。それはもういないはずです」

「何故?」

「いるなら当に私達は殺されているでしょうから」

「そうですか」

 灰原は死体を見下ろすと、もう一度十字架を握る。その腕はプルプルと震えていた。

湯田は怯えながらもその死体に近づいてみる。

その死体は例に漏れず、血が枯れたかのようにミイラになっていた。

四肢などもはや形状を留めずに、肉の塊と化していた。

「……ところで灰原神父」

「なんでしょう」

 銃に、弾丸が入っていることを確認する。

「先ほど、俺は化け物……といいましたが。何故おわかりになったのですが? ソレが、化け物かもしれないことを」

灰原のサングラスで隠れている目が光ってた気がした。

「……この惨状を見たら、そう思うしかないでしょう」

 なるほど、そう頷く。

「では」

引き鉄に指を宛がう。

「――その歯に付着した血液は一体?」

 ハッと灰原が口を覆う。

瞬時に構える。そして引き鉄を引いた。

 脳天を突き破り、頭に押しこまれた銃弾。

螺旋の回転が弾痕にこびりつく。

血を噴出して、灰原は倒れた。

「小波君!?なにやってるでやんすか!」

「……こいつは多分、これの犯人だ」

「で、でも!まだ不確定すぎたでやんす!」

「神父にしては修練されたコイツの掌。不自然にここにいること。そして、今の慌てよう。……ほぼ間違いはない」

「歯には血液なんてなかったでやんす」

「でもコイツは慌てた。つまりは、こいつがそうなるような事をしたってことさ」

 湯田は無理やりではあるが、納得したように頷く。

そして、後ろ――灰原の遺体があるはずの方向を向く。

そこに、灰原の遺体はなかった。代わりに灰原の生きた体が、あった。

 動くはずない腕が足が、動いている。

「―――!?」

 灰原は神父服の内側に入れていたらしい刀を取り出した。

「……やれやれ」

弾痕の後を擦る。血が流れているが、相当な速さで傷は塞がれていった。

「……このままやり過ごしておけばよかったものを」  ああ、ちくしょう

小波は一歩後ずさる。

「……ああ。それもこれも、こんなにも月が綺麗なせいだからかな。小波勇一郎」   やってしまった

そして、鞘から刃が開放された。





「――いい夜だな。人間ども」    疑わなくていいものを、真実を知る必要もないものを知ってしまった。




これだから探偵業ってのは嫌いなんだ。






[951] 破滅の夜
ロキ - 2007年05月11日 (金) 18時28分









NIGHT -TRANCE WORLD-









3









 満月だ。

宵闇に唯一光を与えたもうその光源は、小波たちのどこかを擽る。

小波たちとは、小波であり、彼であり、植物であり、全ての動物であり、そして、アレ。

満月は、例外なく狂気を擽る。

恐らく元々の狂気があるのならば、それを増長させるのだろう。

 そんなことを、小波を思った。

そして、銃を構えた。

 銃声が咆哮した。先に撃ったのは湯田だった。

大口径のウインチェスタを放ち、吸血鬼はぐらりと揺らぐ

二発目に、小波が足を狙った。両方の脛に照準を定め、連続で撃ち込む。

すでにアレは血で染まっていて、まるで小波達が殺人鬼のようだ。

「……殺った、か?」

「……やんす。これで死なないとなれば…」

 禍禍しい憎悪というのは、有象無象区別無く全てを威嚇するらしい。

空気が揺れた。そんな風に思わされるように脳を振動させられた。

 刹那、刀が小波の目前に現れた!

小波は腰に提げたナイフを即座に抜き取り、交錯する!

「……この程度か!人間!」

 銀の歯が毀れ始める。灰原の持つ日本刀は相当の業物のようで、鋭い波紋を打っていた。

「ッ―――!!」

 ナイフにヒビが入った瞬間、何発かの銃声が小波の耳に響いた。

灰原の頭がぐらんと揺れ、血を噴出す。

湯田のウインチェスタが炸裂したのだ。

 小波は灰原の気が抜けたところを手持ちの銃で連射する!

額にひたすら弾丸を打ち込む。一発――二発――。

気の抜けたトリガーの音。弾切れ――!

湯田が打ち込んだウインチェスタを放り投げると、散弾銃を撃つ。

その攻撃に乗じて小波は弾丸の装填し、そしてもう一度連続で撃つ。

 長く銃声は続いた。どれだけソレに銃弾を打ち込んだかわからない。

血が池のようにたまりこんで、その池にソレは沈んでいた。

「……死んだ、でやんすよね。今度こそ」

 小波は恐る恐る足を動かして、ソレに近づいた。

銃を構えつつ、前進する。革靴が血溜めに入ってしまうが、そんなことを気にしてる場合ではない。革靴など、意識することもできないほど緊迫していた。

……気にしてる場合では、ないはずだった。

「……―――?」

 足の裏に違和感を感じる。

最初は、針のようなチクチクとした痛み。次は、ぞわぞわと全体を蝕む火傷のような痛み。

ようやく気づいた。

 革靴が、熱い。

 血液が沸き立つ。ふつふつと泡立ち、空気中に消えていき、そして、それは渦を巻く。

その肢体は銃弾を受けていた足を基礎に、立ち上がった。

右手に持つ日本刀に、血が滴り、血の池にぽちゃんぽちゃんと音を立てる。

灰原は首にかかる十字架を握り締めて、目をつぶった。額の穴から血が滴り、金の十字架を紅に染める。

「AMEN……」

 ガキィンッ!

刃と銃が交錯した。銃の丁度半分の場所に、刃は入れ込まれていた。

 左から弾ける拳。黒いサングラスで隠れた灰原の殺意が押し込まれてるようだった。

「がはッ……!」

鳩尾に捻じ込まれる。小波は嘔吐した。そして、大きく後ろに飛ばされる。

ゴミ等がけたたましい音を立てて散乱した。

 肋骨が、砕けただろう。内臓はどうだ?恐らく破損してしまったかもしれない。

再び嘔吐する。今度でてきたのは血液だった。

「……ひ弱だな。人間」

 湯田に視線を寄せてみる。恐怖に怯え、動けない表情をしていた。

「……これが、“元の私”と言うわけか。……反吐がでる」

小波は、すでに意識朦朧としていた。灰原の言葉もろくに聞こえてはいないし、見えてはいない。

それでも何か怒りとは、違う。何かの感情を沸々と滾らせていた。

「虫けらだな。貴様等は虫のように、…いや、それすらも許されない。塵のように存在を示すまでも無く消え去るべきだ」

 そうして、灰原は刀を振り上げた。



 パァン


 
 気の抜けた音が、鳴った。

湯田の小銃だ。両手で握り締められたそれは銃口から煙を上げていた。

灰原は一瞬湯田に視線を向ける。腹部に、銃痕がある。

だが灰原には全く効いていないように見えた。

とたんに、小波は灰原へ立ち向かった。腰に挿してある折れかかったナイフを抜く。

内臓が悲鳴を上げ、骨骨がそこらを刺す。

だが小波はそれらを感じていないかのように、腕を振り上げた。

 皮膚を切り裂き、肉に到達したころ、血管が切れ、血が噴出し始めた。

そしてそれらを切り裂いた後に、中の臓器に到達し、それを銀の刃が破く。

ドポドポと血液が噴出した。だが、灰原は表情一つ変えずに小波のそれを見ていた。

 刺した後に、小波はずるずると地面に堕ちて行った。

丁度、灰原の血液が溜まっている池のようなところに、小波の顔が埋まる。

 

 腹部の焼けるような痛みを残して、小波の意識は霞へと消えた。


 

[969] 自戒の夜
ロキ - 2007年06月07日 (木) 20時06分










NIGHT -TRANCE WORLD-









4









 弦楽器の音が、旋律を奏でていた。

細い音だ。空へ上がるような音も、地を這う音も、どれもが生命の糸のように細かった。

 旋律に感情、というものを感じた。

悲しみ?違うな。怒り?…それも違うな。

言葉に、できない。何か別のものを感じる。

敢えて言葉にするのならば、懇願…。何かを必死に求めている。

そんなメッセージを、感じた気がした。

 辺りは暗い。闇だ。そもそも、ここには空間というものがあるのか。それさえも疑問でいる。

そして俺は肉体として存在しているのか?

生きて、いるのか?

 鮮明に覚えている。

敢然と立つ灰原。振り上げられる刀。そして落下する殺意。

そして、意識がなくなる瞬間までも。



 …死んだのか?


…死んだんだろうな。




―――それにしても。

 死後の世界とは、こんなものなんだな。

俺という存在は消えるのか、それとも派手に罰を与え続ける地獄かどちらかだと思っていたのだが。

意識がないわけでもない。地獄というもののように、折檻を受けるわけでもない。

ただ、自らの感覚は無いままにぼおっとしているだけ。


 正直言って、暇だ。


死んでからこんなことを言うのは不謹慎だろうか?しかし、どうしようもなくなのだからしょうがない。暇だ。

残してきた湯田君のことも気がかりではあるが、俺の状態がこんなではどうしようもない。

心配したって、今更どうなることでもないのだ。

……そう、どうしようもない。



 ふと、思った。

俺が死んでいるというのなら、なぜ俺は聴覚を持っているのだろう。

それに、この音は?無空の空間から音楽が流れているのか?そんなファンタジーじゃあないんですから。


 ポツン、そんな音がしたように、耳という感覚が戻る。

それに連鎖したのかはわからないが、腕、足、腹部、頭。次々湧き上がる湯水のように感覚が戻ってくる。


 そして、俺は覚醒した。



 音の音源は、レコードだった。

ゆるゆると回転しながら音を空間に刻み、室内は音によって暗く澱みきっていた。

室内、と言ったが、ここは本当に室内なのだ。

ソファがあり、机があり、椅子があり、壁がある。

机を挟んでその間に二つのソファがあり、戸棚にレコードがある。

洋風な部屋だ。恐らく小波たちのセンスでは到底作れないような、そんな部屋。

 そんな部屋で、俺はソファに深く沈みこんでいた。



 最初、気が付かなかったが、一人の“人”が向かいのソファに座っていた。

どうやら男らしい。目のあたりは長い黒髪でわからないが、彫りの深い西欧人のような顔つきだ。

黒いロングコート。日本人では発想のつかない服。

背丈は大きい方だろう。足下を見ると、黒い革靴を穿いていた。光沢があり、新品のようだ。

 その男が、組んでいた足を組み替えたと思うと、ふと、音楽が止んだ。

「おはよう。深く安らかな睡眠を得られたかね?」

 以外に、優しい声だった。俺は思わず、はっ、はいと敬語で、しかも口ごもった。

「そうか。それはいいことだ。睡眠は知性を高ぶらせ、理性を強める。大事な事だ」

「……は、はぁ」

 男が、指を鳴らした。

すると、いつの間にかテーブルにワイングラスが男の分と、……恐らく俺の物だと思われる分があった。

赤いワインだと思う。男はそれを一口飲む。

 ワインは上手そうだ。だが、それより俺は気になることがあった。

「…あの、ここはどこなんですか」

コトン、ワイングラスがテーブルに置かれた瞬間に、再び音楽が鳴った。




「――――――――――」




「……え?」




聞こえない。

 小波の耳には、その声は聞き取れなかった。

擦れ声一つも聞こえない。その音…声は完全に小波の耳にはとどかない。

「―――――――――――」

 それでも、男は喋ることをやめない。

小波は困惑した様子で、男を見ているしかなかった。












「え?」











 今度の疑問は困惑ではない。驚愕だった。

 周囲の白い壁が溶け始めたのだ。壁がとけ、机、椅子、この空間に存在するもの全てがどろどろとマグマのように。

液体となり、それは鼻につく鉄の臭いを発しながらゆらりゆらりと空間内に広がる。

そしてそれは小波の周囲も例外なく、包んだ。

液体が、靴に触れた瞬間に小波の足の神経は悲鳴を上げる。それを脳に通じて、小波は熱いという感情を得た。

頭が真っ白になって、次の瞬間夜が訪れたように目の前が暗くなる。


 ゆっくりと、液体は小波の体を昇った。

灼熱の熱が小波の体を痛めつけ、そして破滅させようとしていた。

 
 目の前には、平然とあの男がいる。

怒りもなにも、それ以前に男に助けを懇願しようとした。



―――何故だ

 悲鳴さえもでない。



 気づけば、男と呼んでいたソレは、ただの木製のマネキンとなっていて、液体の浪に押し寄せられて、どこかへ消えた。



―――なんだ、コレは





 すでに腹部まで液体は来ていた。






もう、これは死に至る範疇なのではないか。

もう、死ぬのではないのか?




それくらいに、その灼熱は小波の身を焼いていた。



 そしてもう、顎まで液体は届いていた。


 口、鼻、目、……体全体を覆いつくして、小波は、体全体の力が抜けるのがわかった。




意識が消え行き、視界は閉じた。












 その暗闇に、一つの腕が見えた。

てのひらを開いて、俺に向かって、進んでいた。

ぽつん、ぽつんと腕はどんどん増えた。


 ぐわしと、俺は顔面を掴まれた。

もはや、何も感じず、何も感じようとも思わなかった。 






 











―――死にたくない


















 腕が、そう語りかけたような気がした。

[1014] 酩酊の夜
ロキ - 2007年07月04日 (水) 20時13分








NIGHT -TRANCE WORLD-










5.








「ふん、死んだか」

 灰原の刀が、鮮明に湯田を映す。月によって銀の輝きが増していた。

湯田は一瞬だけ小波を目視してみる。うつぶせに、血だまりに倒れて、もう意識もないようだ。

生きてはいないだろう、湯田は自分のことを考えるのに精一杯だった。

もはや銃弾は効かない。だが、逃走も恐らく実行不可能。



 湯田は死を悟った。



「さぁ、またせたな。次は貴様の番だ」

 腰が抜けて動けない。だがそれさえも湯田にはもう関係なかった。

動けようと抵抗しようと、湯田の死は不動のもの。そう確信していた。

目の色は消え、体から生気は抜けようとし、湯田は生きることを諦めた。

 灰原は、その哀れな人形を暗い瞳で見つめた。

「……生きたいか?人間」

湯田は、下を向いていた顎を上に向けた。

「生きたいか?……そう聞いている」

「いっ……生きたい!……生きたいでやんす!」

「そうか」

 灰原は刀を鞘に収めた。

湯田は心臓が鳴り止んだかのような錯覚を覚えた。恐らく生きている中でこれ以上の安堵はない。

生への希望が見えた。

 灰原の殺気は、まったく感じなかった。

まるで哀れな信者を祝福する神父のようで、今の湯田には神々しくさえ見えた。

 そして、鞘に完全に刀は納まった。

 オイラは助かった。助かったのでやんす

業務的なテロップロールが頭を巡る。

祝福の天使が、優しく舞い降りてきた。



―――生きれる



 …そんな気がした、だけだった。


「悪いな。聞いただけだ」


本来の湯田では全く見えなかったであろう、その剣筋を湯田の視線が捉えた。

一瞬、一瞬、写真一枚一枚のように見えた。



刃が迫る。安堵した心臓が跳ね上がる暇もない。








鮮血が迸る。

ビチャビチャと、湯田の体に血液が付着する感触を確かに感じた。

温かく、鉄分の臭いが鼻を劈く。







 だが痛みは無い。

死したから?感覚器官がイカれてしまったからか?







自らの血ではないからだ。


恐怖によって縛り付けられていた視界が広範囲を確認した。

確かに自分の血ではない。それどころか自分を傷つけようとしていた男の胸部から銀色の凶器が顔をだし、血が噴出している。

 刃の先が、灰原の体から突き抜けていた。

「か…はっ…」

灰原が初めて見せた苦渋の表情。

今までは明らかに違う声色だった。

 後ろに回っていた人影が、声を発した。

「聖刀だ。いくら貴様等と云えど、我慢はできまい?」

 苦しみに悶える表情から、修羅のような表情を見せ、片目で自分を刺した人物を目視した。

「貴様っ……!やってくれるな……!肉が焼きついてくるぞ……!埼川…珠子……!」

 灰原の後ろに立っていたのは、埼川珠子。この依頼の依頼主だった。

忍衣装というのかはわからないが、湯田にとってはそう見えた。珠子の目は、殺人をする時のソレだ。

 刃に血は滴らず、それの周りは蒸発をしていた。

珠子は持った柄を一回転させ、肉を抉ると、灰原は珠子を押し飛ばし、逃げるように大きく飛躍して距離をとった。

 珠子は湯田をチラリと見て、すぐに灰原に視線を戻した。

戻した時に、小波が倒れているところも見たのかはわからない。だが、珠子の目は狂気と悲しみが凝固していた。

「湯田、小波を担ぎ上げて今すぐ私から距離をとれ」

「え」

「逃げるといっているんだ!急げ!」

「や、やんす!!」

 湯田は抜けていた腰をも気にせずに血だまりの小波を担いで、珠子から距離をとった。

殆ど、会話が聞こえないくらいに。聞こえるのはほんのかすかだった。

 
 対時した時、灰原は随分と消耗していた。

先ほどの余裕は全く無い。

刺し込まれた傷跡は治っていない。血が滴り落ちる。

 灰原は珠子が持っている飾りつけのしてある華美な小刀を見た。

本来ならばあのようなおもちゃで私が傷つくはずがないのだ、灰原は口を歪めた。

「貴様……何故だ?その聖刀…それに、持っているのは…」

「……ヴァチカンの宝物殿にある“祝福の十字架”」

「 ! ……何故だ。どうして私が吸血鬼だということを知っていた。貴様と私は初対面のはず、だが。それに何故、弱点を知っている?」

「貴様達が私達を探っていたように、私も貴様達を探っていたというだけ。それくらいの頭も使えないのか?」

「……言ってくれる」

 風が吹き抜けて、珠子の髪がその方向へと流れた。

珠子は小刀を抜き、握りなおす。臨戦態勢は十分だ。

「一つ、聞いておきたい」

「……答えられる範囲で、だ」

「……あの女は、…いるのか」

「……あの女?」

「綾華。……浅上、綾華はいるのか。貴様らの組織に」

 低く、呻くような笑いが聞こえた。灰原は、笑っていた。

「……何がおかしい」

「……ククク……なるほどな。そういえばそうだった。貴様等は……」

「……黙れ」

「ハハハ!なるほどなるほど!やはりくだらんな!人間の情愛など!ここまできてもそれなのか!」

 刹那、珠子は宙に浮いていた。着地、その瞬間首筋を狙う刃が輝いた。

鞘から刀を抜き、刃が交錯する!逆手であるにしても、灰原の力は圧倒していた。

「それ以上言うのなら、貴様を殺す!」

「手のほうが先にでているようだが…な!?」

 珠子をはじき返し、今度は灰原が斬りかかる。

「死…ね!」

大振りの刀が珠子を裂いたように思えた。

だがそれは空を斬り、目の前から珠子は消えていた。

頭が真っ白になる。空白の世界に、ほんの少しのノイズが見えた気がした。

ゆっくりと、ゆっくりとそれは確実に濃くなっていく。

 ――後ろだ!

直感的に灰原は気づいた。後ろを振り向きながら刀を横振りする!

キィンッ!

灰原の刀が聖刀を弾く。強力により珠子は灰原が振り抜いた方向に弾かれた。

「ちぃ…っ!」

弾かれた方向に回旋し、もう一度灰原に切り込む!

しかし灰原もその行動を余地しもう一度押し返す。すると珠子は一度上空へ飛躍し、クナイを投げる。

それを刀で切り払い、灰原は力押しで珠子に突進する。

だが珠子も、体制を立て直し持ちうる限りの全力の脚力で灰原へと向かった!




キィン!!




金属の軽い音しかしなかった。

お互いの心臓は、まだ動いていた。

「……人間のくせに、中々やるな」

「化け物の分際で生意気を叩くんじゃない」

「……一体なんなんだ貴様は。何が目的だ」

 すりあう金属は、互いに音を立てる。普段であれば不快に感じるこの音も、今この状況では全く関係なかった。

 珠子は、サングラスで隠された灰原の目の奥を見据えて、かすかに微笑む。

「……私の目的?……単純だ」

「……なに?」

顔を近づけていく。互いに接近していくが、珠子の方が余裕があるかのように不適に笑った。

「私を、貴様等の隠れ家へ連れて行け」

虚を点かれた。そう言わんばかりに、灰原は黙り込んだ。

 沈黙が起きた。しかし、お互いにそれは沈黙というよりも心の読みあい。

心理戦に近いものがあった。

体は静止し、頭脳は活発に働く。

血液が脈打つように、駆け巡った。

いくらかの時が過ぎた。どのくらいたったのか、わからない。

 灰原は刀を持つ力を緩め、珠子に言った。

「ククッ……、こういう展開も、悪くない」

 そう言うと灰原も珠子の額に、自らの額も近づけた。

互いに接触する。

「いいだろう。……連れて行ってやる」





 




 歯車は、急速に加速を始めた。

その起爆剤となった火種を、湯田は満身創痍の瞳で、一部始終を見ていた。




[1018] 異静の夜
ロキ - 2007年07月07日 (土) 09時49分









NIGHT -TRANCE WORLD-










6.








 湯田は、血まみれになりながらも奔走した。

 病院は、どこだ。

帝都廃棄物場は、僻地だ。近場に建物自体もなく、民家もない。

そもそもここは殺人事件の現場だ。誰も近寄るはずもない。

 小波の苦悶の表情が見える。しかし、その表情というのは身体的な痛みより精神的な苦しみのような気がした。

いや、そんなことはどうでもいいのだ。

湯田は小波を背負って、とにかく治療できる場所を探す。

疲労してるはずの足で闇雲に走る。

だが元々、体力もない湯田にそんな力仕事はできなかった。

戦闘に、そして逃走。湯田の体力は限界に近づいていた。

―――駄目でやんす

 “諦める”

三文字が浮かぶ。きっと、いやほとんどの確立で小波は失血多量で死んでしまうだろう。

ここまでの出血は見たことが無い。息をしてることが不思議なくらいだ。



 もう、いいじゃないか。



オイラはここまでがんばったでやんす。生きるあてのない死人を抱えて、よくここまで走ったでやんす。

どこまできたでやんすか?もう五キロはすぎたでやんす。

小波君はもう死ぬんでやんす。ここまで、する必要はあるんでやんすか?



 そんなことを、考えてしまうと、人はどうも張り詰めた糸が切れてしまう。

どっと、疲労感が足に沸きあがる。湯田は走るのをやめてしまおう――諦めてしまおうと、速度をゆっくりと、落そうと――



 きっと、ここで諦めたのなら、小波君は、本当に死んで――



「……湯田、君?」

 はっと、声がした方向を見た。

外国産らしい、赤い車の窓から顔をだした、大人びた女性。

やはりこの女性も見覚えがあるのだ。

「智美ちゃん!」




 車の中、後部座席に小波を寝かせて、智美はスピードを出して病院に向かっていた。

湯田は全身血まみれ、小波は傷だらけの死亡状態。 

智美はヒステリックに騒ぎ立てた。

「どういうこと!?なんで小波君が……!?」

「……オイラだって、知りたいでやんす」

「私はタマちゃんに呼ばれて、ここにきたのに……こんなことになるなんて」

 タマちゃん、……そうか、そういうことでやんすか。頭の回転がそんなによくない湯田でも、それがどういうことかは理解できた。

彼女はこうなることを予期し、智美を呼んでいたのだ。

「……悪女」

 信じた結果がこれでやんすか。小波君も馬鹿でやんすね。

自嘲気味に、笑ってみた。智美にわからない程度に、静かに。

「説明はあとでたっぷりしてもらうわ。覚悟しておきなさい」

 アクセルを強く踏む。

車が風を切って道路を突き進む。そして、智美はある異変に気づいた。

それがバックミラーを一瞬確認した時。

 まさか。そんなことが?

「湯田君?」

「……なんでやんすか」

「ちょっと小波君を見てみてくれる?」

 湯田は焦ったようにすばやく身をのりだして小波の安否を確認した。

死んだのか? そう思ったのだ。

だが、実際見た光景は――

「え?」

呆れるしかない。驚きの連続だ。

「……傷が、なくなってるでやんす」

「やっぱり、そう見えるのかしら」

血まみれの上着はとっぱらってあった。

そのためグロテスクな傷跡を目視することになっていたはずなのだ。

だが、無い。皆無だ。

肉どころか、皮さえ避けていない。

「……これは……」

 パァン!!

一発の銃声が辺りに木霊した。

慌てて湯田は振り返った。

 戦車が二台。兵力的に、50名ほど。目の前にいたのは、軍隊だった。

全員完全武装。

「一体全体、何が起きてるのかしらね?」

「……それこそ、オイラが聞きたいでやんすよ」

 一人、胸に勲章をつけた男が一歩前にでてきた。

拳銃を片手に持ち、湯田達に突きつけた。

「でてこい」

 大人しく湯田達は車から降りた。いや、降りざるを得なかったといべきか。

兵士達が一斉に湯田達を囲い込み、銃をつきつけた。

「なによ。たかが二人に物騒ね」

「黙れ。貴様等に発言権は与えていない」

「その高慢な口ぶり。自分が上になったつもりなの?」

「我々、帝国軍人は常に貴様等一般人より格上だ。学校で習わなかったかね?」

「くだらない」

そして、隊長らしい男が手を挙げると、全員がトリガーに指をあてがった。

「……どういうつもり?私達の罪状はなに?」

「罪状?そんなものはない」

「……ならどうしてこんなことになってるのかしらね」

「本日、亀田総統閣下が総統に就任成された……といえばわかるのじゃないか?

 亀田。忘れるわけがない。わからないわけがない。

大正時代に激闘を繰り広げた、恐るべき敵。一時は東京を壊滅させた、最悪の敵だ。

しかし、当時は軍隊もその闘いに、亀田を倒す闘いに参加していたはずだった。

亀田の脅威はわかっていたはずだ。

そもそも亀田が何故軍人に?

「撃て!!」




どういうことだどういうことだどういうことだ





 覚醒した小波は、ひたすらに頭の中で疑問を繰り返した。

「どういうことだ」

「ひっ、ひい!」

 銃を突きつけていた軍人の一人が、悲鳴を上げた。

頭を小波に掴まれていたからだ。小波はグッと力を入れる。

 グシャ、と風船のように爆ぜた。

「小波君!?」

「目標変更!!奴を狙え!!」

全員が照準を小波に向けた。

 だが、遅い。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」



小波は、当に人間を超越していた。

それを、現場の惨状を見た全ての人間が理解した。







[1024] 動き出した災禍
ロキ - 2007年07月20日 (金) 23時06分









NIGHT -TRANCE WORLD-










7.







 キレると、何をするかわからない。

 “キレる”そんな現代語で、世の中の粗暴者の怒りは一括りにされている。

だが、一体キレるとは何がキレるのか?疑問になったことはないだろうか。少なくとも私はある。

神経だろうか、それとも我慢?

私的解釈をさせてもらうならば、それは“理性”だと思うのだ。

理性とは、心を静止するブレーキであって、締め付ける鎖であると、私はそう結論付けている。

 そう。

キレると、何をするかわからない。

理性が途切れてしまうと、どうなってしまうかわからない。

 まさに、この惨劇。

死体と兵器の山を作った者―――小波は、まさにキレるとどうなってしまうかわからない人間なのだ。

 理性を途切れさせる原因が、在る。

それだけは、小波の中に確実にあった。





「……さて、これで晴れて私達は罪深い軍人殺し一行になってしまったわけね」

 智美は銃口を小波に突きつけて、溜息をつくでもないが、悲痛に声を洩らした。

小波は散々暴れた後に気を失ったように、がっくりとうな垂れている。

湯田は腰が抜けて動けないようだが、智美が銃口を小波に向けていることに動揺していた。

「……危険ね。もう理性は残っていないのかもしれないわ」

「だ、だいじょうぶでやんすよ。小波君なら……」

「なんの確証もないし……それに、この凶悪な力は危険よ。敵になる前に殺しておくべきなのかもしれないわね」

「敵になんてなるはずじゃないでやんす!」

 昔から、智美は用心深かった。

かつて欧米でスパイを生業として生きていたのだから、それはあまり不自然ではないのだろうが。

しかし、仲間だったものを信じようとしないその態度に湯田は不安を感じた。

―――まさか、本気で?

本気なのだろう。智美の表情は、本気だ。

「……私だってこんなことしたいわけじゃないわ」

智美は奥歯を強く噛み締めた。

「けど、きっと私達を害することを小波君はきっと望まない」

虚実を述べる時は、いつだってそうした。

「それなら、今。彼を殺しておいたほうが彼のためだと思うわ」

人間、死を前にしたなら誰もそんなことは思いはしないだろう。

だがここで、湯田を納得させておく必要があった。

後々、湯田に小波のあだ討ちをされてしまっては困るし、いらぬ確執を作っては面倒だからだ。

 湯田は、そうか。そうだったのか。そういわんばかりに俯いた。それが全くの嘘で智美の私情からの言葉だとは知らずに。

 湯田は、純粋だ。だが同時に、馬鹿だ。智美は哀れな男に心の中で「ごめん」、そう一言謝った。

 最後の仕上げだ。

「ごめんね、小波君」

こう言ってしまえば、誰も私を責めない。責められない。


一言。


――さようなら


音もなにも発せずに、それは無空の彼方へ消え去った。



「待ってくれ」



代わりに、もう聞く事は無いと思っていた男の声が聞こえた。

 小波がはっきりとした目で智美を見据えていた。いつの間にか、完全に覚醒していたのだ。

「俺は生きてるし、化け物になんかもなっちゃいないよ」

小波の体は完全に治癒していた。先ほど死に掛けていた男とは思えない。

小波は自分の腕や、足。いたるところを自分の目で確認した。

 大丈夫だ。四肢は全てある。

「……突然なんだけどさ」

 自分の四肢を確認して、小波は突拍子に言った。

智美と湯田は呆気にとられて喋ることさえ忘れてしまっていた。

とくに智美においては、何をすればいいかわからない右手が右往左往している。

 小波は特に智美を見据えて、言った。

「倉刈さんのところへ行かなきゃならなくなったらしい」

その予想だにしなかった言葉に、二人はさらに言葉を失った。






















「生死は確認してはいないが、奇跡が起きないかぎりは死んだはずだ」

 辺りは暗い。この辺りの地形は常に日の光があたらず、夜が続く。

森の茂みの中にこの山荘はあり、そこを彼等は拠点としていた。

 鴉がぎゃあぎゃあと五月蝿く叫ぶことと風によって木が撓る音以外、それ以外に物音はしない。人気は皆無だ。

「ご苦労様。灰原さん」

 紅いドレスを着て、華美に着飾った女性が灰原を慰労するようにコーヒーカップを手渡した。

灰原はそれを手に取り、ソファに腰を下ろした。

「余興にもなりはしなかったな。唯一の手柄は――そう、牢屋にぶち込んであるあの女だけだ」

「ええ。私も探す手間が省けたわ。ありがとう」

 ぐちゃっ、と肉が引き裂かれる音がした。

「……また失敗?公爵」

 女――浅上綾華は、綾華のすぐ隣にあった机の上に乗せた人間の腹をメスで弄くっていた男に視線を向けた。

男は、過去に公爵と呼ばれ亀田の元に就いていた男、智林だった。

「ぐぐ……人間の構造とは難しくできているのだ。そう簡単にはいくまい。次だ。次の被験体もってこい!」

そう言うと、奥から新しい“人間の体”が運ばれてきた。

 改めて辺りを見回して、智林はなんという光景だろうとあきれ果てた。

血飛沫にまみれた室内でティータイムを楽しんでいる男女に、当然血にまみれたノコギリ、ドリル、メス。

ビーカーに試験管に、よく解らない機械類。そして転がる死体。

――狂気の沙汰だ。まともじゃない。

まともじゃない我輩が言うのだ、間違いない。

「一体」

一度、言いかけた。戦慄したのだ。この言葉を言ったらどうなってしまうのか。

だが好奇心は土石流のように流れて、口を開放させた。

「一体、何をしようと言うのだ。不死の技術など」

「あなたに知る必要があって?公爵」

「そうは言うがな、そんなものを作っている身になってみろ。気になるのは自然な流れだと思うのだがな」

 体が飛び跳ねた。綾華の視線を捉えてしまったからだ。

深い赤みのある目は智林を強く睨みつけた。

奥底にある淀んだ何かが、視線を伝わり、智林を強く縛り付けた、

手に握ってあったメスを落す。

「知りたい、のかしら?」

 聞けるわけがない。

智林は慌ててメスを拾い上げて、苦し紛れに笑って見せた。

「ふ……ふん。まぁいいだろう。詮索はしまい。貴様にも、組織にも、な」

 そう言うと、やっと纏わりついていた視線は外れた。

綾華はやさしげに笑ってみせ、穏やかな声で言う。

「それが懸命ね。復讐と生を望むのなら」

 背筋が寒くなる。智林は二度と話をしまいと心に誓った。

「……ところでだ。今度の実験の被験者は組織の吸血鬼だと聞いたのだが」

 公爵は肉を切りながら、会話を変えた。

 実験――とどのつまり、不死者の製造実験である。

実験の回数を重ねるごとに、不死者のクオリティは格段に上がっているのだが、それすらも不死者とはなりえないのだ。

十字架に、祝福された武器等に攻撃されてしまえば簡単に朽ちてしまうからだ。

それ故に良質な実験材料が必要だ。

そこで公爵は、被験体に特別な能力を求めた。

それは、“吸血鬼であること”。

実験体が丈夫であるほどに、その丈夫さに見合う能力が使えるようになる。

向上に見合う代償だ。

「ええ。組織の中でも、最強を選んだわ」

「最強、か」

「その男よ」

「そうか……って」

智林は、手を止めた。

「……その男というのは、この男のことか?」

そして顎で灰原を指してみる。綾香はゆっくりと頷く。

「……強いのか?」

「試して見るか?」

 鋭い眼光が智林を睨んだ。ここでもまた背筋が凍る。

――どうしてここにはこう、目力が強い奴が多いのだ!

と、心の中で叫んでみる。心臓がばくばくして、冷や汗をかいてしまう。

「……うむ。悪かった。見た目で判断してはいかんとはこのことだな」

 すると、灰原が手に持っていたカップを宙に放り投げた。

液体が空中に散乱し、カップをもそのまま地面に衝突してしまいそうな勢いだった。

そして、刹那。刀を突き出して、先端にカップを乗せて見せた。

「……?」

 我輩だってこれくらいできるわ、と言おうと思ったが確実に屠られるので公爵は口を閉じた。

だが、瞬間腰が抜けた。

数秒後、カップは微塵切りされたようにぱらぱらと分散されて地に落ちていったのだ。

「―――!?」

陶器が壊れてしまった音が、地面に接触するとともに奏でられて、それを見て智林は呆然とした。

灰原は刀を鞘に収めると、ふぅと溜息をついてサングラスをかけなおした。

「私はさらに強くなる。そのためには貴様の実験が必要だ。――期待しているぞ」

 


 血に染まり行く世界は、やがて進行していくのだろう。

その元凶と成り得る彼等の欲深き業が、深くなっていくのは、誰にも止められない。






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