[ No.760 ]
投稿者:
2004年06月03日 (木) 18時28分 |
|
|
|
6月の社説
掲載日 2004年6月3日(木) 朝刊 --------------------------------------------------------------------------------
小6同級生殺害・傷つけ合う言葉の応酬
なんとも痛ましい事件だ。長崎県佐世保市の小学校で、六年生の女子児童(一一)が同級生(一二)をカッターナイフで傷つけ死亡させた。制御できないほど感情が高ぶっていたのだろう。人間として越えてはならない一線を越えてしまった。
警察の事情聴取に対して加害女児は「ホームページの書き込みでトラブルになった。殺すつもりで呼び出した」と話している。
十一歳の小学生が「誤って」ではなく、明確に「殺すつもり」で事件を起こした。女児の言葉のまっすぐさに暗たんたる思いがする。
二人は他の一人を交えた三人で、各自宅のパソコンを使い、ネットで即時にメッセージをやりとりする「チャット」のグループをつくっていた。「チャット」は「おしゃべり」のことだ。
普段のおしゃべりは、相手の表情やしぐさを見ながら楽しむ。話すことは録音でもしない限り、口の端から出てすぐに消えてしまう。互いに感情を読み取りながら、相づちを打ったり、反対の意見を言ったりすることもできる。気心の知れた仲ならきわどい言いぐさも許される。その機微が会話の妙味だ。
文字によるおしゃべりは、言いたいことだけを一方的に発信するやりとりで成り立つ。ちょっと言い過ぎかなと思っても「送信」のキーを押してしまえば取り返しがつかない。しかも記録として残る。これがネット上の「おしゃべり」だ。かつて誰も経験したことのないネット社会が子どもの社会に浸透しつつある。
事件のあった学校でも「パソコン教育」を推進していた。「チャット」のグループをつくった三人は、パソコンを通してどんなやりとりをしていたのか。仲のいい友達同士だった、というのが周囲の証言だが、仲の良さと殺害の現実はあまりにも落差が大きい。
子どもたちは新しいコミュニケーションの手段を手に入れた。それがきっかけで友達を殺してしまった。この事件が特殊なのか、ほかにもあり得ることなのか、大人は判断できるほどの経験がない。
事件の経緯をじっくりと検証し、子どもの心に沿って現実をとらえ直すことが求められる。
かつては十七歳に焦点が当たった少年事件だが、神戸の連続児童殺傷事件は十四歳の犯行だった。長崎市で幼稚園児を殺害した少年は十二歳、今度の加害女児は十一歳だ。人間関係を学ぶ学校という場で、「殺す」という決着のつけ方を実行してしまった。思春期を乗り越える体験にしてはあまりにも重い。
なぜ少女は衝動を爆発させてしまったのか。背後にある病巣を何としても探り当て、今後に生かしたい。
|
|
[ No.761 ]
レス書きます
投稿者: ドリーム
2004年06月04日 (金) 00時24分 |
|
|
|
適切かどうか分かりませんがとりあえずレスつけます。
日本には1億以上の人間が住んでいるわけなので、その社会の中にはいろんなことが起こりうるのではないのかな。という印象を持っています。
何が言いたいか誤解を受けそうですけど、たいへん悲しいことではあるけど、「衝撃的なこと」として捉えるのはどうなのかな。と。マスコミが踊りすぎではないかと。遺族が重罰を求めて運動する場合を除いて、とにかく遺族をそっとしておくべきです。
保険金のために家族を殺して愛人に貢ぐ女性がいたり、中学生が実の姉を嫉妬かなにかで殺したり・・我々はすぐ忘れるけど「衝撃的なこと」って実は度々起こっているように思います。 |
|