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[11613] 神戸市東灘区反高林購入入魂式 投稿者:いわねえ 投稿日:2024年03月17日 (日) 21時43分
神戸市東灘区反高林購入入魂式見に行きました。
約1世紀ぶりの神戸への里帰りです。
文書がないので有識者の意見で書いています。
元々は明治29年頃、灘の酒造家(沢の鶴か?)が孫誕生祝いに新調し町に寄贈(おそらく河原)。
青年団も孫の名前に合わせ雅号をつけるが、孫が死去したので大正か昭和初期に泉大津市上之町に売却。
その後泉大津市森町⇒羽曳野市西浦に売却。
これからは反高林で安住されるでしょう。

 この入魂式には先代地車を入手した町の人も来ておられました。
村のイベント(6月9日)でお披露目されるようです。
■[11618] 灘区のだんじり(2024年03月19日 (火) 02時07分)
突然、失礼致します。気になったので、もし宜しければ教えてください。
河原といえば、地車請取帳に4回記載あり、元々地車を保有していた町みたいですが、現反高林の地車は、河原に寄贈されただけで本祭には一度も曳かれてないのでしょうか?
また、沢の鶴といえば大石ですが、昭和13年に阪神大水害で廃絶した大石地区の先代地車としての線は考えられるのでしょうか?
どのような理由から、おそらく河原だと思われたのか気になりました。
■[11619] いわねえ(2024年03月19日 (火) 21時16分)
文献が無いので推測が多いのですが、
某有識者の話では(上野地車復活にも関わった人で実兄も高名な人です)、河原といえば沢の鶴だそうです。
また沢の鶴に聞き取りしたが、創業者の家系は教えてくれなかったそうです。
清和さんが存命時は曳いていたそうです。
死去されて売却したそうです。
今の時代では考えられませんね。
また上之町が購入したのは大正末期か昭和初期と言われているので少し年代が合わないのでは?
■[11622] 灘区のだんじり(2024年03月19日 (火) 22時27分)
返信いただきありがとうございます。
菊正宗→御影東之町など、酒造会社が地車を地区に寄贈するのは昔ありましたが、今から考えるとなかなか凄いことですね。
灘区も昔の方が今よりも地車が多かったですが、大石か新在家の大地車かと思っていたので、まさか河原が出てきたので、個人的に驚きでした。
死去して売却とは、地区の為というよりはまさにお孫さんの為の地車だったのでしょうかね。
とても興味深く感じました。
■[11623] いわねえ(2024年03月19日 (火) 23時40分)
 昔の酒造会社はすごかったそうです。
そのころはビールはまだまだ生産量も少ないですから。
純粋な酒造会社ではないですが、地車と縁が縁あるのは東明と甲南漬ですね。
甲南漬の会長は私が甲南大学陸上ホッケー部員の時の監督で、
おまえ卒業してからホッケー部に顔出せへんけど、
祭りの時はいつでもおるなあと言われます。


■[11624] 灘区のだんじり(2024年03月19日 (火) 23時54分)
灘五郷のある地域に神戸型地車が分布していたので、酒造会社と神戸型地車の関係性は切っても切り離せないんだろうなと思います。
今はないですが、戦前だと西宮市今津から三宮も含めた兵庫区の和田宮に至るまで、神戸型地車があったと考えると、酒造会社がある意味、地車の大口スポンサーだったんだろうなと推察されます。
間違いでなければ、甲南漬はTさんかと思いますが、御影小学校の同窓会会長をやっておられ、仮に進学や就職で地元を離れたとしても、祭りの時だけは帰ってきてほしいとスピーチされていたのは、とても記憶に残っております。
■[11625] いわねえ(2024年03月20日 (水) 10時25分)
話が飛んじゃいますが、今も私が祭りに参加しているのが西宮神社神輿奉賛講社です。
初めて参加した時の酒が飲んだことがないくらいうまくてうまくて。
聞けば神社に奉納した10万円くらいの酒だとか。
あの酒飲みたいとずっと参加しているのですが、あの酒は出ません(笑)
西宮神社主催の祭り終了時の合同懇親会でスピーチは某酒造会社の社長でしたね。
■[11626] いわねえ(2024年03月20日 (水) 19時52分)
メール頂きました。
◎JR六甲道駅過ぎたら山側に河原自治会の建物。海側にホームセンターコーナン灘大石川店がありますが、
元は酒蔵のあったところで、昭和13年の阪神大水害で被害をうけており絵葉書にも出ているそうです。

◎武庫郡誌にも記載があるが、青年会(清和会)が発展的に解消して河原自治会になったとある。

◎また大佐受取帳の河原町4回の一部または全部は実は東灘区岡本の可能性があるらしい。

 以上お教え頂きました。
■[11627] 画像ありましたいわねえ(2024年03月20日 (水) 22時30分)
河原にあった沢の鶴の画像は12です。
https://kobe-city.maps.arcgis.com/apps/MapTour/index.html?appid=0665177a81fc4ac884d0313e6fcedfd5
■[11628] 灘区のだんじり(2024年03月20日 (水) 23時05分)

情報ありがとうございます。
青年会(清和会)が発展的解消して、河原自治会となったとすれば、河原の可能性がとても高いですね。
確かに昔の沢の鶴の位置を調べると、大石というより河原の位置にあるので、合点がいきました。
もしも、沢の鶴関連だとしたら、沢の鶴側が河原時代の地車の写真や史料を持っている可能性もありそうですが、そこまでは教えてくれないのでしょうね。
昔、船寺神社の地車(河原?)が復活するのではないかという噂は聞いたことがありますが、灘区以西には、当時、原田や徳井、高羽、脇浜、小野、筒井、熊内など多くの地車が存在したと考えれば、とてもロマンがあります。
■[11629] いわねえ(2024年03月21日 (木) 08時34分)
◎船寺神社の地車が復活するのではないかという噂は聞いたことがありますが?
 ⇒大石は現在、獅子舞ですが子供が多いので小型地車購入しようかとという話があり、
私もマッチングの用意したのですが、見にも来てくれず用意した地車は現・奈良県大和高田市浮孔の地車となりました。

◎徳井
⇒東灘区呉田新調時に話があり投票の結果、否決されたとききました。
まあこの地車は新在家に行きましたね。

◎原田、高羽、脇浜、小野、筒井、熊内など
⇒私の神戸在住の祭り友だちがまず鳴物から復活しませんかとお声掛けしたそうですが、
実を結んでいませんね。
■[11636] いわねえ(2024年03月22日 (金) 20時17分)
さらにメール届く。
JR上にも沢の鶴の酒蔵があったとのこと。
資料が無いので推測だが、
河原という地名から米が取れなくて家も無く、言わば沢の鶴の企業町だったのでは?
だから青年会(清和会)が発展的に解消して自治会になったり、
孫が死去したので地車を売却したり。
とりあえず資料で確認せねば。
■[11637] 灘区のだんじり(2024年03月22日 (金) 22時58分)
河原が企業町だったのではという考え方は、清和会であったり、孫の死去に伴って地車を売却したということに繋がるのに合点がいきます。
そもそも、なぜ孫の誕生祝いにだんじりなのか?
孫が死去しても、地車を継続していくという考えにはならなかったのか?
というところは気になりますが、地車をそのまま続けていたとしても、南部にあった大石地区同様に、昭和13年の阪神大災害によって地車自体が残っていなかった可能性も高いでしょうし、泉大津に大正末期か昭和初期に売却したのは不幸中の幸いだったのかもしれませんね。
■[11668] いわねえ(2024年04月10日 (水) 09時31分)
 話が飛んじゃいますが、
聞いた話ですが、灘区の某社長が太鼓正より彫忠製の地車を買い、
植山工務店で神戸型に改修と聞きました。
いずれは社内のイベントで出すのでしょうか。
神戸の社長はすごい。
■[11669] 灘区のだんじり(2024年04月10日 (水) 11時34分)
自地区にも寄贈して、曳行となれば凄い展開ですよね。
今後どうなるか見守っていきたいですね。
社内だけなのか、地区としても曳くのか気になるところです。
■[11676] いわねえ(2024年04月12日 (金) 09時00分)
大正10年発行の武庫郡誌には明治30年9月従来の若衆を改めて清和会と称し、
明治42年8月、河原青年会と改称とあります。
他にも酒造とか近隣の祭礼も少しばかし書いてあります。
復刻版も出ていますので、
図書館でごらんになってはどうでしょうか?




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