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[15] 魚の城
健良 - 2004年10月01日 (金) 16時27分

五弦琵琶― 姿が美しく優しい音色のこの楽器は、二世紀初めにインドで発生して以来、西域人の間で流行したという。

---------

「この、スカポンタン!」  

悠が、アストスの襟を締めあげながら彼を罵倒するのを、ラゼイは大人しく見ていた。仲裁すれば、自分も罵倒されてしまう。ここは黙っていたほうがいい。 

罵倒されたアストスは、少しムッとしたような顔をして悠を見返した。

「スカ…? 俺、唐の言葉は余り得意じゃないけど、意味は何となく通じるもんだな」

かすれた声でそういうと、彼は派手に鼻水をすすりあげる。

「ケンカの売り言葉に、国境はないらしい」「だったら何だって言うのよ!」 

悠は怒りに顔を歪め、大きな漆黒の瞳を胡桃のように大きく見開くと、八重歯で桃色の紅をさした下唇を噛んだ。 

その顔で真っすぐ睨まれたアストスはもちろん、横で見ているラゼイも、思わず竦み上がった。

「いや、その」  

アストスは途端に劣勢になり、青ざめる。

「俺はただ…」

「ただ、何よ? ええ? あたしと口ゲンカしようっていうの? いい根性しているわね。上等じゃないの。受けて立つわよ。さあ、何とか言ってごらん!」

「…ご、ごめんなさい」  

だいたい、悠に口答えするのが間違っている。ラゼイはいつも通りの展開に、溜め息をついた。 

ここは杭州、広い西湖の北のほとりである。唐の国でも有数の大都市、呉縣まであと三日という地点で、ラゼイ、アストス、悠の三人は野宿をしたのだった。

この辺りは街道からも外れてて、人の営みの気配が全くない。ただ、彼らの前には水面が金色に煌めく西湖と真っ白な砂浜があり、それを初夏の緑が鮮やかな森の木々が囲んでいる。

空はぬけるように蒼く、今日も暑くなりそうだった。

ただし夜はかなり冷え込んだため、アストスは風邪を引いたのである。

「歌をうたう人間が風邪引いて声を枯らすなんて、どういうことよ」 

悠に再度睨みつけられ、アストスは狼狽えてしまう。彼ら三人は、歌や踊りを披露しては小銭を稼いで旅をする、大道芸人だった。 

ラゼイより二つ年上の兄アストスが五弦の琵琶を弾いて歌をうたい、ラゼイが口笛で鳥の鳴き真似や調子のいい合いの手を入れ、悠がそれに合わせて踊るという構成である。 

悠は、ラゼイとアストスが唐の王都で出会った唐人の踊り子で、西域出身の二人が褐色の髪と瞳をしているのに対し、彼女は髪も瞳も黒かった。顔の作りもどちらかといえば平坦なのだが、表情の豊かさではラゼイたちもかなわない。

悠はラゼイの恋人であり、アストスがそれを受け入れた。ラゼイとアストスに悠が加わって、そろそろ丸二年になる。 

アストスは心底困ったような顔をして、手元の古ぼけた五弦琵琶に触れた。

「でも、琵琶はラゼイも弾けるよ。いざとなったら…」

「ラゼイは琵琶が弾けるけど、あなたは口笛が吹けないでしょっ」  

そのとおりである。ラゼイは、縁にひびの入った木の器に白湯を注ぎ、アストスに渡した。小さな焚火の中で、何かがパチンとはじける。悠は焚火を見やり、不満そうに鼻から息を吐いた。

「とりあえず、呉縣まであと三日あるんだから、その間に風邪、治しなさいよね」

「でも今、薬は一つも残ってないぜ」  

と、ラゼイは口を挟んだ。

「食料も、米が少ししかないしさ。兄貴には、自力で風邪を治してもらうしかないな」

「そんな無茶な…」

「だいたい何で風邪なんかひくんだよ。俺と悠は全然平気なのに」

「寒かったんだ。俺はラゼイたちと違って、気温の変化に敏感だし」

「ああ、兄貴は寝相が悪いからな」

「…お前も風邪、引いてみろっ」  

いきなりアストスに両頬をつかまれ、ラゼイは仰け反った。

「やめろっ、変態!」  

彼は唇を突き出してキスを迫ってくる。ラゼイは必死になってアストスの額と肩に手を突っ張っていたが、突然、アストスは低く呻いて彼の肩にもたれ掛かってきた。

「兄貴?」  

ふと見上げると、アストスの背後に悠が立っていた。しかもその右足は、彼の股間に蹴り入れられている。悠は軽蔑しきった顔でラゼイとアストスをじろじろと眺めた。

「お楽しみ中悪いわね、邪魔して」

「いや、あの、何?」

「夏に風邪を引くのは、アストスが『馬鹿』だからよ」  

悠は、馬鹿のバにアクセントを置いて、そう言った。

「それに、食料がないなら魚を釣るしかないでしょ。あたしはミミズを捕ってくるから、ラゼイは釣り竿を造ってちょうだい。アストスはぼんやりしてないで、しっかり荷物番してるのよ」 

悠はふんっと気合いを入れると、少し離れた木の根元で、黒土を掘り返し始めた。 

ラゼイは長くて比較的真直ぐな木の枝を拾ってくると、先に鉄の小さな針をつけた糸を結びつける。「ラゼイ、本当に悠と結婚するのか?」  

アストスは、蹴られた股間を右手で押さえてラゼイを見上げた。股間を揉む手つきが、妙にいやらしい。

「まだ痛いのか? 背中、叩こうか?」

「いや、いい」  

しかしアストスは、顔色が悪く額に汗を浮かべている。力一杯『馬鹿』と言われて落ち込んでいるのかもしれないと、ラゼイは考えた。

「悠がきついのはいつもの事だし、言葉ほど悪気はないんだから、気にするなよ」

「でもラゼイ。俺は、男の股間に蹴りを入れるような女は、絶対にやめたほうがいいと思うぞ」

「そう? 俺、ああいうところが好きだよ」

「あっ、この裏切り者っ。お前は、平然とミミズを掘り返すような女が好きなのか?」

「うん。大好きだね」  

いつのまにか戻ってきた悠が後に立っていることに、アストスは全く気付いていないようだった。

「アストス、あんたって人は…」  

悠の声に、彼はぎょっとしたように振り返る。ラゼイは、溜め息をついた。 

乱暴はされなかったようだが、言葉の限り罵倒され、アストスは完全に大人しくなってしまう。

ラゼイと悠が釣りの準備をしているうちに、横になったアストスから規則正しい寝息が聞こえてきて、二人は顔を見合わせると、声を押し殺して笑った。 

ラゼイが、アストスの枕元に護身用の杖を半分まで砂に突き刺し、麻の布を被せて日除けをつくると、悠が彼に薄い毛布を掛ける。

二人はまた顔を見合わせて笑うと、裸足になって波打ち際で釣りをはじめた。水は温かく気持ちいい。魚が、手の届くほど近くを泳いでいるのが見える。昼近くなって日も高くなったが、人影はなく静かだった。 

人のいる証拠といえば、遥か右手の山に貼りつくように幾つか並んだ、小さな家屋だけである。 

ラゼイと悠は、魚がかかるまでの時間、腕を組んで見つめあい、ふざけあった。少しくらい騒いでも水しぶきを上げても、魚はすぐに戻ってきて、何もなかったように泳いでいる。

二人がこんなふうに寄り添うのは、アストスが近くにいない時、または寝ている時だけである。それでも二人きりになれる時間は少ないから、アストスのことよりも優先になってしまう。もちろん、罪悪感が無いわけではなかった。 

不意に浮き代わりの小枝が動き、二人は口を噤んだ。浮きが少し沈み、左右に動く。

「よしっ、かかった!」  

ラゼイが勢い良く竿を上げると、十五センチほどの魚が白銀の腹をきらっと輝かせて宙を舞い、砂浜に落ちる。

「やったあ、七匹目よ!」  

悠が、大喜びで水しぶきを上げて走っていく。ラゼイは釣り竿に糸を巻き付けた。

「悠、ナイフ持ってきてくれよ。はらわた出して、焼こうぜ。兄貴も待ちくたびれてるんじゃないかな」 

振り返ると悠は、まだ口をパクパクさせている魚を両手に一匹ずつ持ったまま、じっと立っていた。

「おい、悠。どうした?」

「あれ…」  

彼女は魚を下に落とし、戻ってきてラゼイの腕を掴む。彼女の視線の先には寝ているアストスと、彼の脇に屈んでその顔を覗き込んでいる一人の女性がいた。  

寄せては返す波に揺られ、朽ちかけた木の桟橋が、ギッ、ギッと音をたてている。 

女性の顔は、綺麗に化粧されていた。眉を剃った跡に、柳の葉のように細い線を長く描き、その眉間には金で四つの花びらの花が小さく印されていた。

頬から目尻にかけてほんのりと頬紅が差してあり、薄い唇には、紅梅のような、少し桃色がかった紅が塗られている。服も同系色の赤でまとめられているせいか、襟と袖からそれぞれ覗く首と手は、真っ白で細く、華奢に見えた。 

彼女の口が、アストスに息を吹き掛けるように微かにすぼめられる。

「…」  

ラゼイは悠の腕を掴み、女に走り寄った。甘い香の匂いが辺りを漂う中、彼女はふと顔を上げると、薄い唇を下弦の月のようにたわませて、上品な笑みをつくる。

「この方、具合が悪そうですわね」  

鈴を転がすような、とでもいうのか、柔らかく少し高い声で、彼女はそう言った。

年は二十才ぐらいで、色々な都市を旅してきたラゼイでさえ、こんな美女に出会ったのは初めてだった。

「…俺の兄貴で、風邪をひいているんです」 

こういう姫君は、たとえ一人でいても油断できない。どこに従者が隠れているか、わからないのだ。

ラゼイは、アストスを見た。彼はまだ眠っていたが、額に汗を浮かべ、服も汗で色が変わっている。

「わたくし、そこの屋敷に住んでおりますの。もし宜しかったらこの方が良くなるまで、しばし滞在なさってくださいませ」

「でも…」  

ラゼイが躊躇すると、彼女は立ち上がり、懇願するような顔をした。

「わたくし、魚が食べたいんですの。でも、我が屋敷では魚を捕れる者がおりません。どうかお願いいたします。わたくしの家にいらして、あの魚をわたくしにもわけてくださいませ」 

変な姫君である。ラゼイは、しばらく黙っていた。

隣の悠を見ると、彼女も面食らったような、呆れた顔をしていた。その姫が、演技をしているとも思えなかったが、信用していいかもわからない。結局断ろうとした瞬間、アストスが苦しそうに呻いた。

呻きながら彼が、首を傾げるように横を向いた途端、額の汗が幾筋も流れていった。 ラゼイはもう一度悠を見て、それからその姫に向かって頷いた。

「…じゃあ、今夜一晩」

「まあ、うれしゅうございますわ。では参りましょう」  

彼女が行こうとしても、従者は姿を現さない。

たいてい、本人が知らなくても、何人もの兵がついてきたりするのだが…

「ここまで、一人で来たんですか?」  

訝しむラゼイの問いに、彼女は満面の笑みで頷いた。

「ええ、近くでございますから。わたくし、勝玉と申します」

「俺はラゼイで、彼女が悠。それと兄のアストス」  

ラゼイが紹介すると、彼女は口に手を添えて品よく微笑んだ。細めた目の間から覗く瞳は漆黒で、潤んだような光を放っている。

「承知いたしましたわ。さ、参りましょう。あら、わたくしも何か、荷物をお持ちいたしましょうね」 

そして手を伸ばし、彼女はラゼイたちの唯一の財産である古ぼけた琵琶を、大切そうに抱え上げた。琵琶の、やわらかな丸みを帯びた胴体部分を、緋色の爪が生えた白い指で撫で、弦にそって視線を上から下に動かしていき最後に口の端でニヤリとする。 

悠が溜め息混じりに肩を竦め、魚を拾いに水際に戻っていく。ラゼイは、悠一人でも十分持てるほどしかない三人分の荷物を、いつも通り一つにまとめた。護身用の杖と魚、そしてまとめた荷物を悠に持たせ、ラゼイは毛布ごとアストスを背負い、勝玉姫の後についていった。 

勝玉姫は、琵琶を抱えて森にそって西に向かってどんどん歩いていく。

「さ、こちらでございますわ。どうぞ」  

彼女は、森のほうに向かって手を指し示した。そこには、どこかの王族の別邸のような、堂々とした白い門があった。門の扉は鉄製で、人の背丈の倍はありそうだった。扉一枚の幅も、両手を広げたくらいでは足りない。 

だが、扉と扉の合わさる部分は緑に錆付いている上、蝶番のところまで、蔦が伸びている。門の前にある五段ほどの石段も、石と石の間から雑草が生え、端のほうの石は風化して白くなり、ひびが入って崩れているものもあった。 

勝玉が石段を上ると、扉が音もなく中から押し開けられた。開いたところから、青白い顔の女官が数人、無表情な顔を覗かせた。

「お客人を連れてきましたよ」  

彼女たちは門から出てくると、勝玉とラゼイたちに恭しく頭を下げ、荷物を持ってくれる。彼女たちも眉を剃って細く描いているが化粧はほとんどしておらず、蒼褪めた唇を剥出しのままにしている。

「さあ、客人のお部屋を三つ、用意してちょうだい」

「あのっ、出来れば部屋、三人一緒にしてくれません?」  

唐突な悠の申し出に、勝玉は驚いたような顔をした。

「でもあなた女性ですし、男の方と一緒では湯浴みや着替えが…」

「そういうときは、兄達のことは追い出しますから、心配なさらずに。それにわたし、アストス兄さんのことが心配で、傍にいてあげたいんです」 

こういう場合、ラゼイがすることはただ一つ、ひたすら悠に合わせることだけである。

「ぜひお願いします、勝玉様。俺も兄のことがとても心配ですから」

「まあ、なんて美しい兄弟愛なんでしょう」 

勝玉は、ほうっと吐息を漏らした。その前でラゼイと悠は、唖然として彼女を見ているしかない。勝玉は悠の手を握り、瞳を潤ませるようにして瞬いた。

「悠さま方って、お兄さま思いですのね。わたくし、感動いたしましたわ」       

そして彼女は、赤く染めた長い爪で引っ掻かないように、人差し指の腹で優しく悠の手の甲を撫で回した。

「わたくしもアストス様の看病をお手伝い致しますから、お二人も無理をせずにぜひ、ゆっくり休んで下さいね」

「はあ、ありがとうございます」  

悠は困惑を隠しきれずに眉間にしわを寄せたが、それでもどうにか勝玉にむかってにっこりと微笑んで見せたのだった。 

------

ラゼイは、アストスの寝ている牀(しょう・ベッド)に腰掛けた。気が付いたアストスに事のあらましを話して聞かせ、勝玉にもらった薬を飲ませて、そろそろ二時間がたつ。

「薬、効いたのかな? よく寝てるよな」

「なんかあの女、変じゃない? 一人でふらふら出歩いてるくせに、言うことは深窓の姫君っぽいわよね」

悠は、窓に近寄ると、鳳凰と龍の透かし彫りが施されたた朱色の格子を開けて腕組みをした。広々とした部屋の中には牀が三つ運びこまれ、テーブルのうえにはお茶と菓子が用意されている。

窓の外の庭には、桃の木が一本だけ植えられていた。桃の季節は終わっているが、木には実もなっていなければ、緑の葉もほとんどない。褐色の枝だけが天に向かって生え伸び、まるで女の手のようだった。 

その下には池があって蓮が浮いているが、やはり花はない。しかも池は、緑に濁って澱んでいる。

「もしかしたらあのお姫さま、アストスに惚れたんじゃないかしらね?」

「まあ、女うけする顔してるもんな」  

と、ラゼイは答えて背伸びした。

「この館、女ばっかりだな。男手がなくて、庭の手入れも出来ないのかな?でもさ、悠、何も、三人一緒の部屋じゃなくてもよかったんじゃないか?兄貴ぐらい、一人で寝かせても…」

「何言ってんのよ。アストスを一人にしたら、何があるかわかんないわよ」

「何かって言ってもさ、ここが盗賊の巣ってこともなさそうだし、病人の兄貴が、夜這いなんかするわけないよ」

「当たり前でしょ。アストスに、夜這いする甲斐性なんかあるもんですか。あたしが心配してるのは、逆夜這いよ」

「逆夜這い?」  

ラゼイは、呆れて悠の顔を眺めた。

「なんだ、それは」

「アストスが、あのお姫さまに襲われるかもっていうことよ。夜中にアストスを襲って、既成事実を作るかもしれないじゃないの」 

あまり現実感がない。

あんなお姫様が、既成事実作りなんかするだろうか? ラゼイは肩を竦めた。

「甘いわよ、ラゼイ」  

悠はラゼイの態度に不満そうに口を尖らせ、窓際から戻って来ると彼の前で仁王立ちになった。

「いい? ラゼイ。身分の高い女性はね、気にいった男を兵士に押さえ付けさせて、用をするそうよ」

「用?」  

と、彼は思わず聞き返した。意味が分からなかったわけではないが、聞き返さずにはいられなかった。

「用って、用?」

「そう。都のお姫さまや宦官は、気に入った男をそうやって襲うらしいわよ。アストスなら、簡単にやられちゃうわよ」 

ラゼイも、それには賛成だった。

「でもさ、それならそれで、いいんじゃないか?」  

彼は足を組んだ。

「そうでもしなきゃ兄貴なんて、一生女性とはお近付きになれないぜ」

「何言ってるのよ」  

悠はラゼイに顔を近付ける。

「あたしはね、アストスが犯されたってかまわないのよ。でも既成事実が出来上がった後に、あの姫君の父上だの兄上だのが現われたら、どうするの?」

「どうするって…」

「向こうはお姫様で、こっちはしがない旅芸人よ。身分違いで殺されるわよ。アストス一人が殺されるならいいけど、あたしまで巻き添え食うのは絶対にイヤ!」 

ラゼイは、ため息をついた。巻き添えなんて、彼だってごめんである。

「思い切って、こいつ置いて逃げちゃおうか?」

「そうね。それが一番いい方法だわね」  

と言いながら、悠も牀に腰掛けた。

「でも、なんか腹立つわよね。アストスのせいで、あんな変なお姫さまに見込まれちゃったりして。本当に、冗談じゃないわ」 

悠は、寝ているアストスの腹に拳骨鉄を振り降ろしたのだった。

「うっ」  

アストスは呻いたが、起きる気配はない。こういうふてぶてしさが、悠の怒りの原因になるのだ。

「錘をつけて、西湖に沈めてやろうかしら」

「まあ、そういうことはさ、女官に渡した魚を食ってから、夜中に考えようぜ」 

言ったとたん、扉がノックされて勝玉姫が顔を覗かせた。

「お夕食ですけど、アストス様のお加減はいかが?」

「大分いいようですう」  

悠はいきなり、にっこり笑って立ち上がった。

「本当にご心配おかけしまして」

「いいえ、そんな。もし宜しかったら、このお部屋にお夕食の準備をしたいのですけど」

「ハイ、お願いしますう」

「…お前、何者だよ?」  

後ろで呟いたとたん、ラゼイは右脛に、悠の踵蹴りを喰らって黙った。

「すぐに兄のこと、起こしますわ」  

悠は、満面の笑みのままアストスの襟をつかみ、ぐっと引っ張る。

「お兄さ〜ん。起きなさ〜い」  

その後ろで、勝玉姫と女官たちがいそいそと食事の用意を始めた。

一方悠は、声をひそめてアストスの首を絞めあげる。

「起きろって、言ってるでしょっ。早く起きなさいよっ。起きないと、明日から二、三日、食事抜きにするわよっ」

「はいっ、起きますっ」  

アストスは、慌てふためいて目を開け、起き上がった。

「死ぬかと思った…」

「ま、アストス様。随分汗かいていらっしゃいますのね」  

勝玉は、心配そうに小首を傾げて、アストスの傍によった。ラゼイと悠は、思わずそこから退いてしまう。 

勝玉は、細い腰を屈めると、アストスの額の汗を絹の手拭で拭いた。

「まだ熱、下がらないようですわねえ。起きても大丈夫かしら?」

「ええ。いただいた薬のおかげで、随分楽になりましたから」

「まあ、よろしゅうございましたわ」  

勝玉は、アストスの肩に上着を掛けた。

「ラゼイ様と悠様の釣ったお魚、美味しそうにお料理できましたわ。他にもいろいろ、作らせましたの。沢山召し上がって、早くお元気になってくださいな」

これはなんだか、邪魔の出来ない怪しい雰囲気である。

ラゼイと悠は、顔を見合わせた。アストスは勝玉に手を取られ、食事の支度が整ったテーブルに連れていかれる。

「さ、ラゼイ様と悠様も、お座りになって」 

勝玉はそう言いながら、アストスの隣に座り、いそいそと箸を渡したりしている。ラゼイと悠は、二人の向かいにそれぞれ座った。 

並んだ料理は色とりどりで、何種類もの野菜を使って皿の上に描かれた鳳凰や、小麦を練って形作った動物が乱舞している。おまけにスープの中には、餃子で作られた金魚が泳いでいた。 

ただ、釣ってきた七匹の魚だけは、塩焼きにされて四角い皿に並べられていた。その魚の回りには、蒸しただけの黄色い芋が、ごろごろと盛り付けられている。

魚の頭は、ラゼイのちょうど前にきていた。魚の口は苦しそうに突き出され、その口の回りは粗塩が褐色に焦げて固まり、ぶつぶつになっている。

しかも魚は、まるで白目を剥いているようだった。 

その皿だけが、豪華な料理の調和を乱している。

「ささ、アストス様。どうぞ召し上がってくださいませ。あら、お酒はどうしましょう? 薬の代わりに、少し飲まれたほうがよろしゅうございますわね、きっと」 

彼女は、ついでのようにラゼイたちの杯に酒を注ぎ入れ、あとはアストスにべったりである。ラゼイと悠のことは、色白で薄化粧の、ふくよかな美人女官たちが給仕してくれるのだが、彼女たちは愛想なくがなく一言も口をきかない。

それのせいもあり、ラゼイは面白くなかった。

「なによ、ラゼイったら。アストスにやきもちやいてんの?」  

嫉妬などという感情にはおよそ無縁な悠に肘で突かれ、ラゼイは鼻息を吹いた。

「目の前でいちゃつかれて、お前平気なのかよ?」

「平気よ。幸せそうで、微笑ましいじゃない。それにあたしたちだって、アストスの前でいちゃつくでしょ」 

それはそうだが、自分たちの前でやられると、これはかなり不愉快だった。だいたいラゼイと悠は、こんな甘ったるい寄り添い方をしたりしない。これこそ、見せ付けやがって! というものである。

「アストス様、お魚もどうぞ。魚はやっぱり塩焼きにかぎりますわね」 

勝玉には、魚料理に対して相当のこだわりがあるらしいが、こだわっているわりには、あまりにも簡素である。彼女は魚を長い箸で優雅に一匹取ると、アストスの皿に乗せた。

「まあ、なんて美味しそうなんでしょう。骨、お取りしますわね」

「ああ、そんなに気を使わないでください」 

アストスは、勝玉に微笑んだ。

「姫こそどうぞ、食べてください。魚、好きなんでしょう? よかったら、俺の分も」

「まあ」  

勝玉は、透明に近い澄んだ白い頬を頬紅よりも赤く染め、アストスを見上げた。

「アストス様って、なんてお優しいのでしょう」  

彼女は漆黒の瞳を文字どうりキラキラさせて、酔ったような顔でアストスを見入っている。その彼女の視線に、アストスは困惑することもなく微笑んで答えている。

これも相当、異様だった。

「わたくし… ああ。どうしましょう」  

勝玉は腰をしならせ、箸で器用に魚の骨をとり、身をほぐす。

「お魚は、一緒にいただきましょう。さ、お口を開けてくださいませ。はい、あーん」

彼女はアストスに魚の身を一通り食べさせると、苦悶してる表情の魚の頭を、箸でつかんだ。

「ふふ…おいしそうですこと」

そしてそれを、一口で食べてしまったのだった。

---------

「ところでラゼイ」  

ラゼイは、悠を見上げた。

「何?」

「何って、あたしが聞きたいわよ。あの二人は、一体何?」

「お前にわからないもの、俺にだってわからないよ。ただ、気味悪いのは確かだな」 

アストスと勝玉は、窓際の椅子に腰掛けて楽しそうに話していた。開け放たれた窓の外は、低く垂れこめた灰色の雲のせいで薄暗く、一雨降りそうな気配があった。 

その窓際にいる二人をラゼイと悠は、一番離れた所にある牀に腰掛けて眺めていたのである。

「本当に、なんてお礼をしていいか」  

とアストスは、膝に置いた琵琶の調弦を始めた。優しい音が、低く響きわたる。

「お礼だなんて、気になさらないで下さいませ。わたくしのほうこそ、厚かましくも魚をいただいたんですもの」 

食事の後、勝玉はしばらく部屋に戻っていたのだが、再び現われた彼女は、昼よりも薄着だった。紅色の、透けるような着物に白い絹の帯を締め、昼は結い上げていた漆黒の髪の毛を、今はゆったりと垂らしていた。

唇だけは深紅に染めてあるのだが、化粧そのものは薄くなり、顔がかなり柔和に見える。勝玉は、その美しい顔をうつむかせて微笑んだ。

「わたくし、アストス様に優しくしていただいたりして、もう、それだけで…」 

そして、もじもじと服の裾をいじる。

「その上、琵琶を聞かせていただけるなんて、幸せでございますわ」

「俺に出来るお礼といったら、これだけですからね。風邪を引いてなければ、歌もうたえるんですけど」

「そんな、歌なんてうたっていただいたら、わたくしもう、どうしたらよいのか」 

勝玉は、いっそう落ち着かなくなった。アストスが調弦を終えた琵琶を抱えなおすと、間もなくゆっくりとした曲が奏でられる。 

ラゼイはそのまま後に引っ繰り返り、頭の後で手を組んだ。

「あら」  

と、悠が振り返る。

「眠くなったの?」

「ま、そんなとこ。たまには兄貴の独奏を聞くのも、いいもんだと思ってさ」

「…そうね。あたしも、アストスが琵琶弾いてる時は踊りまくってるもん。こんなふうにアストスの琵琶を聞くのも、たまにはいいものだわ」 

ラゼイは、目を伏せた。彼も琵琶は弾けるが、見せ物として弾いたことはほとんどなかった。もちろんアストスのほうが上手だからなのだが、ラゼイが琵琶を弾きたがらないことを、アストスは不満に思っているらしい。

ラゼイは、先日の彼の説教を思い出して苦笑した。

2人とも弾けたほうがいいんだから、もっと練習しろよ………

琵琶の音は優しく、踊りにあわせる時と違って眠気すら誘う。  

うとうととし始めたとたん、琵琶の音がだんだん小さくなって終わった。 

ああ、もう少し聞きたいよ…

「ちょっと、ねえ、ちょっと」  

腿を叩かれ、ラゼイは渋々起き上がった。

「何だよ。このまま寝かせてくれよ」

「呑気なこと言ってないでよ!」  

目をこすっていた手を捕まれて、ラゼイは顔を上げた。琵琶を膝から下ろして壁に立て掛けたアストスの胸に、勝玉が正面からぴったりと添っていたのである。彼女はアストスの胸元にそっと人差し指を押しあてた。

「アストス様。今夜、わたくしの部屋にいらっしゃいません? ゆっくりお話したいわ」

「でも…」

「アストス様は、わたくしみたいな女、お嫌い?」

「いや、そんなことはありませんけど」

「じゃあ、ぜひ…」  

勝玉が言い掛けたとたん、窓の外が金色に輝き、大地を揺るがすような鋭く低い音が響きわたった。

「きゃあ」  

悠が右肩を竦めて、体当たりするかのように勢い良くラゼイに抱きついてくる。彼女の銀の髪飾りに思いっきり顎を打ち付けたラゼイは、呻き声と涙を必死にこらえて天井を見上げた。 

大きく深呼吸して、アストスのほうを見ると、彼にも勝玉が抱きついている。

「近くに落ちたようですね」  

アストスは彼女の背中に手を回し、平然として外を見ていた。いくらも経たないうちに、灰色に澱んだ空から大粒の雨が降りだして、激しく大地を叩き始める。 

アストスの胸に額を押し当てていた勝玉は、そのまま横を向いて彼の胸に頬を強く押しつけた。そして、耳まで届きそうなくらい口の端を吊り上げて笑う。その顔はどう見ても、どさくさ紛れに抱きついたことを喜んでいるはずかしがりやの女性の表情ではなかった。まさに、妖怪のようである。

「すごい雨だ」  

アストスの呟きに、勝玉と悠が、ほぼ同時に顔をあげる。

「もう、だからイヤよ。雷は!」  

悠は照れ隠しのように悪態をついた。勝玉のほうはアストスの両腕を掴んだまま、さっきまでとは違う恥ずかしそうに穏やかな微笑みを浮かべる。

「大きな音でしたわね。わたくし、びっくりしましたわ」  

彼女はほっと溜め息をつく。

「アストス様は、ご立派ですわね。落ち着いていらっしゃるんですもの」

「雷が苦手な人間って、結構多いものなんですね」  

と、アストスは笑った。

彼の言う「雷が苦手な人間」の中には、ラゼイも入っている。女のように悲鳴を上げないだけで、実は硬直しているのである。

悠と出会ってからのこの二年間は、雷が鳴ってもアストスには抱きついていない。悠を庇っているようなふりをして、悠に抱きついているのである。雷が鳴っても平然としているアストスは、ラゼイからみれば超が無数につく鈍感な人間であった。

「やっぱり恐いわ、アストス様。こんな天気ですもの。ぜひ、わたくしの傍にいてくださいませ」 

勝玉の懇願に、アストスは初めて困ったような顔をした。そして勝玉の頬に張りついた髪の毛を払う。

「でも、風邪をうつしてしまうと申し訳ないので、俺は遠慮したほうがいいでしょう」 

アストスにしては、気の利いた断り方である。勝玉は残念そうに眉をひそめたが、すぐに笑顔を作った。

「我侭言ってごめんなさいね、アストス様。今は、お風邪を治すほうが先ですわね。早くよくなって下さいませ」 

そう言いながら勝玉は、アストスの胸にしっかりと抱きついたのだった。

----------------

「これはもう、なんて言ってよいのやら」

ラゼイは、アストスが眠っているのを布団を掛けながら確認してそう言った。アストスの枕元には、琵琶が立て掛けてある。 

悠は、肩を竦めて悪戯な顔で笑った。

「アストスも、結構やるじゃない。逆玉の輿だよね」

「あんな変な姫が義姉になるのはイヤだ」

「なんだ。やっぱりやきもち妬いてるんだ」 

指摘され、むっとするのは真実だからだ。ラゼイは、憮然とした顔で頷いた。

「確かに、そうなんだ」  

それに、あの口が裂けんばかりの薄気味悪い笑みも、気に入らない。

「まあ、あたしが言うのもなんだけど」  

と、悠は布団にくるまり、顔をラゼイのほうに向けた。

「ラゼイにあたしがいるようにね、アストスにも誰かが必要なのよ」

「そうなんだろうか?」

「うん。もしかしたらアストスはいつも、今のラゼイのような気持ちでいたんじゃないかしら?」

「…」  

ラゼイも横になり、ため息をつく。 

「とりあえず、寝ようぜ。明日、兄貴をつれてここから出ていけば、済むことだ」

「そうね」  

悠は、小さく笑った。  

どのくらいたったのか、ラゼイはふと目を覚ました。いつのまにか隣に、悠が来て寝ている。

部屋の中は、行灯のせいで薄明るく、麒麟や龍、蓮華や彩雲が描かれた天井が、やけに高く感じられた。 

ラゼイはアストスを、生活能力が著しく欠如した人間とみなしていた。

雷がなっても驚かない鈍さ、稼ぎ時が近付いているときに風邪を引く要領の悪さ。そしてアストス唯一の特技である琵琶を、自分に任せようとする欲と意地の無さ。 

軽蔑しているわけではないが、腹立だしいのは確かである。勝玉がアストスに惚れ込んでいるのも、気に入らない。あんな女に好かれるということに、腹が立つのである。

「だいたい兄貴は、琵琶を弾くことだけしか能がないんだ。自覚してほしいよ」 

と、ラゼイは苦々しく呟いた。自分が琵琶を弾いて悠が踊ったら、それこそアストスはすることがなくなってしまう。 

アストスの風邪のせいで呉縣への到着が遅れたというのに女に現つを抜かして、自分たちに迷惑をかけていると分かっているのだろうか? 

考えているうちになおさら腹が立ってきて、ラゼイは寝返りをうってみる。アストスのほうを向いた途端、彼はぎょっとして体を固くした。アストスの布団が、アストスの頭まで覆ったまま、ごそごそと動いている。

「兄貴? どうしたのさ?」  

返事がない。

「気分、悪いのか?」   

ラゼイは起き上がった。まさか、勝玉姫が来ていて、悠の言うところの「用」をしているわけではあるまい。ラゼイは少し迷ったが、勢い良くアストスの布団を剥いだ。その瞬間、思わず息が止まる。

本当に勝玉がいたのだ!

彼女は服こそ着ていたが、アストスの上にすがるようにかぶさっている。 

勝玉の顔は蒼白く、唇だけが深紅だった。彼女はその唇で緩やかな弧を描き、薄気味悪い笑みを浮かべてラゼイを見上げた。

はだけたアストスの胸には赤い口紅が、血のようにべったりとついている。

「アストス様がいてくれれば、あなた方二人も一緒にここにいて、わたくしは毎日魚が食べられますわ。その琵琶も、毎日聴ける。何よりもアストス様が、ずうっとわたくしの傍にいてくださる」

「何を言って…」

「このままアストス様を、喰らってしまいましょうか…」

「何言ってんだ! この妖怪女!」  

ラゼイは彼女を、乱暴に突き飛ばした。

「これは俺のだ。横取りするな!」  

悠も起きてラゼイの後ろで息を顰めている。ラゼイは、まだ目を覚まさないアストスの腕を引っ張った。

「あんたが兄貴の命の恩人でも、お礼に兄貴自身を渡すことは出来ないんだ!」 

叫んだとたんに勝玉の後ろの窓の雨戸が大きく開き、朱色の格子を粉々に砕け散らして、水が一気に流れ込んできた。 

その水の勢いに流されたラゼイは、壁に叩きつけられた。一瞬息が止まる。しかしラゼイは、とっさに悠の腕を握った。しかしアストスの姿が見えない。

「アストス!」  

ラゼイの声が聞こえたのか、アストスが水面に顔を出す。彼は、五弦琵琶をしっかりと抱えていた。アストスは流され、浮き沈みしながらも琵琶を離さないでいる。

「ラゼイ、琵琶を!」  

彼は流れに抵抗しながら、琵琶をラゼイに渡そうとする。

「馬鹿!」  

ラゼイは目一杯手を伸ばし、叱責した。

「琵琶じゃなくて、手を伸ばせよっ」

「馬鹿はどっちだっ」  

アストスに怒鳴られ、ラゼイは手を震わせた。アストスは水に咽せ、それでも必死に彼に琵琶を差し出す。

「弾き手は二人いるけど、琵琶は一器しかない! 踊り子といるほうが持ってろっ」 

その時、アストスの後ろの水面から、勝玉の真っ白な顔がゆっくりと現れ、彼の肩に両腕を回した。

「琵琶はアストス様と一緒に、沈んでもらいましょうか…」  

アストスが琵琶をラゼイのほうへ力一杯投げると同時に、勝玉は彼を抱き締めたまま沈んでいく。 

ラゼイはすぐ手前に流れてきた琵琶を押し退け、悠の手を引っ張ったままアストスが沈んだところへ向かって泳いだ。 

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ラゼイは、悠と顔を見合わせた。青い空の下、彼らは白い砂浜の上で呆然としていた。西湖の水が静かに波打ち、東の空に朝日が昇っている。

あんなに激しい水の流れに飲まれたのに、どこも濡れていない。しかも背後にある白い壁と鉄の大扉は、どう見ても墓所の封印だった。 

傍らにはアストスと琵琶が、横たわっている。

「アストス」  

ラゼイが彼を揺すると、アストスはすぐに目を覚まして起き上がった。

「あれ? 今のって、夢だったか? あ、声が出るや。風邪、少し良くなったみたいだ」

「何、呑気なこと言ってるのよ!」  

悠はラゼイの前から腕を伸ばし、アストスの襟を掴んだ。

「今のが本当に夢かどうか、もうちょっと疑ってみたらどうなのよ!」 

アストスは、悠とラゼイを眺め、そして門を振り返る。

「ああ、じゃあ妖怪の類に化かされていたのか。すごい美人の幽霊だったね」 

と、アストスはしまりのない顔をして微笑んだ。

「ちょっと恐かったけど、美人だったよなあ。風邪がなおってから、なんて断って、もったいないことしちゃったな」

「この、スカポンタン!」  

思わずそう怒鳴ったのは、ラゼイだった。

「兄貴はどうしてそうなんだっ。いっつもヘラヘラしやがって、腹が立つ!」

「何で怒るのさ?」

「そのしまりのない笑顔がむかつくんだよっ。だいたい兄貴には、危機感とか恐怖心とか、そういうモノはないのかよっ」

「…」  

アストスは、ラゼイに衿を掴まれたまま、首を傾げて考えるような顔をした。

「あの豪華な夕飯が、お供物だったのかなって思うと、ちょっとやだな。腹こわすの、恐いしさ」

「この馬鹿っ」  

ラゼイは、アストスに向かって、思いつくかぎりの罵詈雑言を浴びせ掛けた。言っているうちに、涙が出てきて止まらなくなってしまう。

「何で泣くのさ? 泣きたいのは、ボロクソに言われている俺の方…」

「うるせえっ」  

ラゼイはアストスを力一杯揺さぶり、もう一頻り文句をぶちまけた。言ってるうちに、なんで腹が立つのか分からなくなってきて、彼はアストスの右肩に額を押しあてた。 

泣いているうちにだんだん情けなくなり、ラゼイはため息をつき、泣き止むために息を止めた。が、背中を擦ってくれるアストスの手は止まらない。

「ねえ。あたしあの門、見てきたんだけど」 

傍らに、悠が屈んだ気配がする。

「何か碑文でもあったの?」

と、アストスが尋ねる。

「うん。呉の、勝玉公主の墓だって。大好物の魚が食べられないことを嘆いて自殺した姫君って書いてあるわよ」

「なんで魚が食べられなかったのさ?」

「そこまでは、難しくて読めなかったわ」

「じゃあ俺たち、いいことしたんだね」  

アストスの、その脳天気な言い方が腹立だしいのだが、ラゼイは諦めてアストスにすがりついていた。今更、悠の前で顔を上げるのが恥ずかしい。  

「でも、とりあえずみんな無事で、よかったわよね。琵琶も壊れてないみたいだし」 

と、悠が弦を指で弾く。

「アストス、あたしにも今度、琵琶を教えてよ。意外と才能あるかもしれないわよ」

「絶対駄目だっ」  

ラゼイは顔をあげ、アストスが答えるより先にそう言った。

「兄貴は、俺だけの師匠なんだから!」  

ラゼイの言葉に、悠が目を丸くしている。はっとしても、もう遅い。

泣き顔のまま悠と見つめ合い、彼は口走ってしまった言葉の内容に気まずくなってしまった。 

悠が大げさに肩を竦める。

「はいはい。あんたたちの仲を邪魔するつもりは毛頭ないわよ。昨日の朝みたいにアストスに迫られても、助けないでおいてあげる」

「それとこれとは…」  

ラゼイは口を噤み、アストスを見た。俯き、肩を震わせて笑っている。

「いつもそのくらい素直だと、いいのにね」 

途端に、悠まで笑いだしてしまう。

「二人して、何だよっ。笑うな!」  

そう言いながら、ラゼイはアストスに組みついていった。この照れを隠すのに、格闘ごっこしか思いつかなかったのだが、ラゼイはほっとしていた。

悠が横で、笑いながら彼とアストスに声援を送ってくれる。  

あの勝玉姫の、アストスに対する思いが嘘ではないのなら、彼女を仲間に加えてもよかったような気がする。彼女が加わった四人なら、きっとうまくやっていけただろう。            

ラゼイはアストスの耳元で、ごめん、と囁いた。  

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五弦琵琶― 優しい音を奏でたこの琵琶は、その後なぜか急速に廃れてしまった。

現在、当時のものとしては世界中でたった一器、奈良、正倉院に『螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんのびわ)』として残っているだけである。


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002の「聖剣コレクション!」を読んでくれた人なら、ピンときたかもしれません(^^)

芳花がラストで言っていた「磬郢(けいえい)剣のある呉王の姫の墓」というのが、ここです(^^)♪

「勝玉」という名前は私が勝手につけたけど、この姫の話は司馬遷の「史記」にも出ています。父の呉王が、「この魚を半分こにして食べようね♪」といって半分食べてしまったことを、「私が魚を好きなこと知ってて半分食べてしまうなんて、ひどいっ!」と深く恨み、自殺したそうな。

うーん、ワガママ☆

で、この「魚の城」は、本当は、五弦琵琶と磬郢剣の伝説を織り込んで、「聖剣コレクション!--魚の城編--」となるはずでした☆

登場人物が増えるってことは、枚数が増えるってことなんだよな〜と、構成を考えてたら面倒臭くなって、磬郢剣の話は削ってしまったんですけどね(^^;)

で、正倉院の『螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんのびわ)』は、当時のものとしては世界中でこれしか残ってないという本当に超貴重な楽器。日本史の教科書や国語の資料本なんかに、よく写真が出てますよね。

インドで発生したものが、シルクロードを行く商人の手で東へと運ばれ、ついには日本にまで伝わったと考えるととってもロマンチック♪♪

では、現代の琵琶は一体?と思った人もいるかと思いますが、琵琶法師が活躍する平安末期以降、現在まで広く一般に使われている琵琶は、「四弦」なのでした。



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