確かに…
[282]ちーな(管理人)
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2004年11月30日 (火) 02時44分
紐だらけ!ですね(汗)あえて付け加えさせていただければ作家さんのパフォ−マンスとも言える即興の流れで2人は結局グルグル巻になりましたがそのうち片方は作品に縛りの物を取り入れている故か申し出て縛ってもらったと言う形になりました。裸族の羞恥についての記述が大変興味深いですが先進国に生まれて来た故か裸よりもかえって紐1本で隠してある方がエロく感じますがどうなんでしょう…
サドマゾの世界に精通している訳ではないので憶測に近いかも知れませんがサドの文章を読む限りでは本来の自由奔放な姿を徹底して追求してその敵の存在をキリスト教(結局は道徳的思考?)を槍玉にあげられておりますが現在で言えば社会的なモラル、常識云々と言った物になるのでしょうか?人が集まればすべてが円満…と言う訳にも行かない物なのでしょうからその事柄に反発するもの、深く考えずに従うもの、歪曲されて違うもものに逃避するもの色々と様変わりしていくのでしょうか…結局は自分達人間が便宜上決めた事なのに。普通と言う物は統計的に中間値でありましょうからはじき出された「普通」に一致する方が奇跡的で結局の所は「異常」になってしまうように思います。それに近い物は多数存在すると思いますが…
前書きが長くなってしまいましたが結局は何が言いたかったのかと言いますと私の作品について触れて下さったのでそれにお答えしたいと思っておりましたら少しずれて参りましたので軌道修正致します。「目は口程に物を言う」という言葉が有りますが私はこの言葉を一切信じておらず、結局の所は人の考えている事なんて何も言わなければ通じる訳は無いと考えております。そんなに人は単純では無いと思っていますので…外人の方が日本人等の一重の目を見ると無表情に見えて何を考えているか判らなくて無気味な様ですが私は作品に個人的な主観が無いと描けないタイプですので、1つの作品を描いていてもその世界の場合感情1つを取っても嬉しい、悲しい、辛い等分類できず1つの表情だけでは難しくそれに置き換えられるうってつけのああ言った顔になってしまいます。いや、綺麗な顔が描けないと言う技量面の方もかなり大きいですが(汗)
せめて思考の世界だけでも自由でありたいと願っておりますので結局はサディスティックと言う事になるのでしょうね…人間の本性(結局は自分でしょう…)を虚栄心で隠さず表現すると言う物は制作開始当初からのテーマでありますのでさすがズバリでありますよ。作品で見栄をはったところで残るのは空しい感情だけでしょうから。一休さんで思い出しましたがアニメの方で「どうして坊や」という常にどうしてどうしてと聞きまくる端から見ればうっとうしい(笑)子供が出てくるのですが私の子供の頃がまさにそれに近い状況でいつしか大人から注意され問いただす事を止めて空想に走るようになるのです。こう言った事から人の顔色を伺うという事も生まれてくるのでしょうね。しかしこんな長い文章のるのかなぁ?
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