過去の掲示板を見ていたら ふと、これを思い出したので書かせて頂きます。 「Walking Tour」 http://www.youtube.com/watch?v=SRVFNGVnJWY ネット上では結構有名な動画です。 題名で検索すると沢山出てきます。これを見て自分はだいぶ勇気づけられました。
自分はかつて、アメリカの牧場でカウボーイをしていました。カウドッグはじめ、沢山の動物に触れてきました。沢山の生と死を自分の手に直接触れながら生活して来ました。 自分がそんな中で思った事。経済動物という家畜です。牛も犬もです。牛は牛乳やお肉を人間にくれます。犬や猫はよき労働パートナーであり、何より肉の代わりに人間に「愛情」というモノをくれる家畜なんだと思います。なので死んだ事で、あまりに引きずるとその死んだ動物に失礼なのかも?と自分は思う様になりました。あまりに悲しんでいると、何か存在を否定している様で。。。悲しみを引きずって何も出来なくなってしまっている自分を見たらどう思うだろうと。「じゃ、僕(私)は生まれて来なかった方が良かったの?」と問われそうで。 だから、そのペットとの楽しかった事だけをいっぱいいっぱい思い出にしようと思いました。
自分は弟、母、兄と亡くしてます。そんな時、この動画に出会いました。死んだ側から見たらこの通りだと思いました。 あくまで僕の考えですが。自分より明らかに寿命の短い動物を飼う。この時点で「死」も一緒に迎い入れる覚悟。そして生の一部だと思う様に僕はしています。 賛否両論あると思いますが、動画を是非見てみて下さい。お勧めです。
2010年02月11日 (木) 13時15分
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[1232] 投稿者:砧 - 一緒にいる
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>自分より明らかに寿命の短い動物を飼う。 >この時点で「死」も一緒に迎い入れる覚悟。 >そして生の一部だと思う様に
そのとおりだと思ってます。 死ぬのを見たくないから動物とは暮らせない、というのは、何というのか、生きているもの全ての「生」をも否定しているように感じてしまうのです。
私は手を振りません。 身体が死んで無くなったとしても、見えなくなったものと距離を感じないからです。
2010年02月11日 (木) 17時06分
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[1233] 投稿者:☆青星☆ - 邂逅(出会い)
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「 人生 邂逅し 開眼し 瞑目す」 これは小生が青年期(大昔ですな)に出会った 亀井勝一郎の言葉です。 また、「人生は邂逅である。邂逅の歓喜あるところに 人生の幸福がある。」とも・・・ 人、生き物、学問等、全ての出会いに喜びがあります。 今でも大切な言葉として私の座右にあります。
2010年02月11日 (木) 18時38分
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