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タイトル:Crimson Nightmare ホラー・怪奇

――進行する吸血鬼化に抗いながら、純粋な人間に戻る方法を模索し続けるシオン。しかし、とある日そんな彼女の元に、差出人不明の手紙が届く。それ以降、急速に進む吸血鬼化に、彼女の理性は砕かれていく。自分の中に在る異形の血。それに抗い続ける彼女。果たしてその先に救いはあるのか……。都古ちゃんメインのほのぼのストーリーの次は、一転ダークサイドに走った暗くシリアスな物語。

月夜 2010年07月04日 (日) 01時52分(213)
 
題名:Crimson Nightmare(第一章)

――コンコン

「はい」
扉のノックされる音に、私は書物へと落としていた視線を持ち上げた。
「シオン、入ってもいいかしら?」
「秋葉? えぇ、構いませんよ」
「失礼するわ」
開かれた扉の奥から、秋葉の姿が現れる。
その手には盆が乗っており、湯気を立ち上らせる純白のティーカップが一つ、そして皿によそわれた数枚のクッキーが目についた。
後ろ手に扉を閉め、こちらへ歩み寄る彼女の方へと、私は座ったまま向きを正す。
「今日も頑張ってるみたいね。調子はいかがかしら?」
「今日も今日とて、いつも通り……といったところですね」
私は苦笑いを浮かべ、横目でつい先ほどまで見ていた書物を流し見た。
私の研究内容は、吸血鬼かした人間を、元の純粋な人間に戻すこと。
そのためには、私が今持っている知識だけではどうにもならない。
先人たちが後世に遺した全ての知識、この世界に存在する全ての文献を読み漁るくらいの覚悟をもって臨まなければ、ほんの僅かの光明すら見出だせないことだろう。
無理かもしれない。
そう思ってしまった時点で、それは現実となる。
世界は諦観の念を持つ者に対し、非情に徹することを、私は知っている。
光を手にするのは、総じて不屈の信念に支えられた屈強な心のみ。
だから、私は決して諦めない。
後ろは振り返らず、ただ愚直なまでに前だけを見据えて、歩み続けてみせる。
例えそれが、どれだけ険しい棘の道だったとしても。
「そう」
そんな私の内心を察してくれているのか、テーブル隅に盆を置きながら、秋葉はそうとだけ呟いた。
下手な励ましをかけるくらいなら、何も言わない方が良いという彼女なりの優しさが、その端的な言葉に良く表れている。
「まぁ、頑張るのも程々にね。それで逆に体を壊しては、それこそ元も子もないでしょう?」
「えぇ、そうですね。……あれ?」
と、不意に視界の端、盆の上に何か白い塊が見え、私は何気なくそちらへと手を伸ばした。
「これは……」
「あぁ、貴女宛の手紙みたいよ。今朝、琥珀が郵便受けに入っていたものを取ってきたらしいわ」
「……郵便受け、ですか」
手紙の表面に視線を落とす。
そこにはここの住所と、左上隅に切手が貼られているだけで、差出人の住所や名前は書かれていなかった。
さつきからだろうか?
彼女から私に何かしらの接触を図る時、こうして手紙を出してきたことは、今までにも何度かあったことだから、別に不思議はない。
そう思いながら手首を翻し、裏側へと目を向ける。
「……!?」
しかし、そこに書かれていたのは、予想外のことだった。

“シオン・エルトナム・ソカリス様”

「……」
無言のまま、その名をじっと見つめる。
この名は、私がアトラシアの名を授かる以前のもの、つまりは私の本名とでも言うべきものだ。
アトラシアとは、アトラス院次期院長の謂わば肩書きであり、この手紙に書かれてあるものが私の本当の名前。
けれど、このことを三咲町に来て以来、誰かに話したことはない。
つまり、この事を知っている人間は、この町にはいないということだ。
だが、逆に私がここにいるということを知っている人間は、この町にしかいない。
つまり、この宛名の手紙が、ここに届くはずがないのだ。
「……それじゃ、私はおいとまするわね」
「……何も、聞かないのですか?」
「それが話すべきことなら、私がわざわざ聞かなくても、貴女の方から話してくれるでしょう?」
そう言って微笑むと、秋葉はゆったりとした動きで踵を返した。
「……」
秋葉の言う通りだ。
別に話す必要はないと思ってたから、誰にも話さなかっただけのこと。
何も隠そうとしていたわけじゃない。
だけど、いざこうなってしまうと、何か言い様のない罪悪感が芽生えてくる。
「……秋葉」
だから、私は扉の前に立つ秋葉の背に声をかけた。
「何?」
「その……」
だが、何と言うべきかわからなかった。
特に悪行ではない以上、謝罪するのはおかしいし、言い訳がましいことを言う気にはならない。
だから、短いながらも様々な感情を込められる便利な言葉を、その背に放った。
「……ありがとう」
「……えぇ」
こちらを振り返ることなく、でも暖かな声でそう答えると、秋葉は静かに部屋を後にした。

――バタン。

扉の閉まる音が、やけに反響して聞こえた。
「……」
秋葉が去った後も、私は封の閉じられたままの手紙をただ見つめていた。
封を開けるべきか、それとも封をしたまま捨ててしまうべきか。
中身を見ることに抵抗はあった。
だが同時に、この届くはずのない手紙に何が書かれているのか、それに対する興味もあった。
しばしの逡巡の後、私は、

――バリッ。

結局封をといた。

月夜 2010年07月04日 (日) 01時53分(214)
題名:Crimson Nightmare(第二章)

――私はシオン。
エルトナム家の長女として生まれ、39年。
今はデザイナーとして活動している。
特にこれといって秀でた能力があったわけではなかったが、生来の忍耐力はその限りではなかったらしい。
デザイナー会社設立当初から、長きに渡り続く苦難にも、耐えることができていた。
だけど――

私の家は元々貴族の出であり、幼少期から名門の学校に通わされていた。
礼儀を重んじられた厳格な家庭で、自分で言うのもなんだが、あの時分の私は、自他共に認める典型的なお嬢様だったと思う。
父は有名な不動産会社の社長で、ゆくゆくは私も、父親が経営している会社を継ぐものと思って、特に疑いもしなかった。
敷かれたレールの上を沿って、前に進んでいくだけの日々。
そこには何の障害も妨げもなく、道を踏み外す心配もない、不安こそないものの退屈極まりない毎日。
私が望もうと望まいと、そんな毎日がひたすら続くんだろうなと、そう思うことに、私はいつしか何の抵抗も抱かなくなっていた。
だが、そんな私の人生に、最初の機転が訪れる。
あれは高校時代だったか、私の友達にいつもオシャレな格好をしていた人がいた。
聞くところによると、デザイナーの卵として校内でも有名な人らしかった。
ある日のこと、私は彼女に聞いた。
「デザイナーって楽しい?」
「もちろん。第一、楽しくないことなんて、やりたくないでしょ?」
その言葉は、当時の私に凄まじい衝撃を与えた。
あの頃の私にとって、親の会社を継ぐということは至極当然であり、そこに喜怒哀楽といった感情の入り込む余地はない。
それが当たり前だと思っていた。
だから、彼女がさも当然のように言った、楽しくないことなんかやりたくないという言葉は、私の中にあった概念を一気にひっくり返してしまったのだ。
そして、私はその日から、自分の中にあるやりたいことを探してみた。
だけど、見つからない。
今の今まで、何も考えることなくただ安穏と生きてきたのだから、むしろそれが普通と言えた。
私は何をやりたいのか、何を為したいのか、それだけを探し、やっぱり淡々と日々を過ごすだけの毎日。
しかし、ある日またしても転機は訪れる。
その日も、私は学校でぼんやりと授業を聞いていた。
教師の言葉を右から左へと聞き流しながら、でもサボっていると思われないように、白紙のノート上にペン先の出ていないペンを走らせる。
いつもの毎日だ。
しかしそんな時、ふと隣の席に座っている、例のデザイナーを目指す友達の机上が目に映った。
彼女も、私と同じようにノートにペンを走らせていた。
けれど、彼女は私と違い、何かを書いているようだった。
何だか気になり、私は気付かれないよう目を凝らして、その何かを横目で凝視した。
細い線画でラフに描かれているそれは、一目で洋服の様相を呈していると分かった。
きっと、今考えている服のデザインの下書きをしているのだろう。
最初はただの味気ない洋服でしかなかったそれは、次第に可愛い紋様やフリルを纏い始め、いつの間にか、どこかの洋服屋に置かれていても何らおかしくない、立派なブラウスになっていた。
すごいと思った。
最初、ただの乱雑な線でしかなかったものが、数分の後には可愛らしい洋服になっていた。
何だか魔法みたいだ。
そう思った時、私は既にペンを動かしていた。
私も描いてみたい。
私も、あんな魔法を使いたい。
それだけを考えて、がむしゃらに洋服を描き続けた。
しかし、彼女のように上手くはいかない。
完成したそれは、かろうじて洋服であろうことは分かっても、なんだか線が重ね合わされすぎてぐちゃぐちゃで、とてもじゃないが綺麗とは言い難い酷いものだった。
思わず苦笑い。
だけど、不満は何もなかった。
楽しい。
そう、心から思えた。
その日以来、私は暇さえあれば服を描いていた。
授業中も、家に居る間も、電車での移動中も。
誰に見せることもなく、ただただ自己満足に近い絵を描き続けた。
その内、それを誰かに見てもらいたいという欲求が生まれた。
でも、所詮は素人の落書きレベル。
そんなものを、いきなりその道のプロに見せられる程の度胸は、私にはなかった。
だから、それを見せられる人物など、私には最初から一人しかいなかった。
「……」
「……ど、どう……かな?」
恐々とする私の前で、彼女は様々な服のデザインが描かれたノートをペラペラとめくっていく。
そして、次にこちらを向いた時の彼女の表情を、私は生涯忘れないことだろう。
「すごい! すごいよ! 私、こんなデザインを描ける人をずっと待ってたんだ! ねぇねぇ、私と一緒に、デザイナーとしてやってみない!?」
矢継ぎ早にそう口にする彼女の嬉々とした表情は、興奮のあまり仄かに紅潮していた。
そこで私は告げられる。
彼女が、学校を卒業したら本格的にデザイナーとして活動しようとしていること。
そして、そのために自分の会社を設立しようとしていることを。
彼女は、その会社設立のパートナーとして、私を迎えたいと、そう言ってくれたのだ。
嬉しかった。
本当の私を、一人の人間としての私を必要だと言ってくれたのは、彼女が初めてだった。
だけど、私は直ぐに両手を上げて喜ぶことはできなかった。
私には、予め敷かれたレールがあった。
父親の会社を継ぐというレールが。
その日、私は彼女に「少し考えさせて」と言って別れ、家に帰った。
そして迎えた、家族一同が食卓を囲む晩餐の時、私はおもむろに切り出した。
私が将来デザイナーになりたいこと。
友達に、一緒に会社を設立して頑張ってみないかと誘われたこと。
私もそれを望んでいること。
全てを語り終えた時、きっと何勝手なことを言っているんだと怒られるとばかり思っていた私は、両親の言葉に耳を疑った。
「良いじゃないか」
「えぇ。やってみたら?」
「え……?」
反対の言葉などその片鱗すら覗かせず、その返事は第一声から賛同の意を示すものだった。
「で、でも、私がデザイナーなんてやりだしちゃったら、会社は……」
「はははっ。なぁに、俺だってまだ40半ば。まだまだこれからだよ。老いぼれるまでに、お前が良い婿を連れてきてくれれば問題ないさ」
「あら、良いんですか? 誰にも娘はやらんって息巻いてた人と、同じ口から出た言葉とは思えませんね」
「だから、嫁に行かせるんじゃなく、婿に来てもらうんだと言っただろう?」
そう言って、父親と母親は、心底楽しそうに笑っていた。
その笑顔をきっかけに、私の迷いは断ち切られた。
そして、私たちは学校を卒業した後、二人で念願だったデザイナー会社を設立する。
最初こそ無名で何の援助もなく、苦しい経営を余儀なくされていたものの、徐々に私たちのデザインが世に認められ始め、数年後にはそこそこ名の知れたブランドとしての地位を確立していた。
……だけど、今になって思えば、それが崩壊の序曲だったのかもしれない。
確かに、私たちの会社は大きくなっていった。
しかし、人気ブランドとして受け入れられるのは、そのほとんどが私のモノばかり。
彼女のデザインは、いつも世の潮流に弾かれ、誰にも知られることなくひっそりと消えていった。
そんな状況に、彼女自身焦りや苛立ちを覚えていたのだろう。
次から次へと発案してゆくその速度は、きっと私の倍や三倍程度じゃ収まらなかったと思う。
それでも、彼女の作品は誰にも受け入れられなかった。
いくら作っても、成功するのは私の作品ばかり。
不満はやがて絶望となり、それは次第に嫉妬や殺意へと変換されていく。
だけど、彼女なら大丈夫。
きっと、彼女ならこんな逆境くらい、乗り越えてくれる。
そしていつの日か、本当の意味で二人手を取り笑い合える日がくる。
そう……信じていた。
それが脆くも崩れ去る時は、何の変哲もない一日の終わりに、突如として訪れた。

――ピンポーン。

夜、そろそろ日付も変わろうかという時間に、鳴り響いたチャイム。
「は〜い」
私は玄関へ向かうと、不思議に思いながら扉を開いた。
「……」
その先に立っていたのは、見慣れた彼女の姿だった。
「あら、どうしたの? こんな時間に」
「……」
問いかけても、彼女は何も答えない。
ただその場で顔を伏せたまま、黙りこくっていた。
「ねぇ……どうした……の……!?」
ゆっくりと面を持ち上げた彼女の表情を見た時、私は目を疑った。
つい先日まで、多少陰りは差していたものの、彼女の顔つきにこれといった異変はなかった。
それが、今はどうだ?
頬は痩せこけ目の下にはクマが、その癖目つきだけは妙にギラついていて、そこには普段の彼女の面影すらなかった。
そして、その眼に宿るのは、ドス黒い負の想念。
違う。
今、目の前にいるのは、私の知ってる彼女じゃない。
本能的にそう感じた。
……が、その時にはもう何もかもが手遅れだった。

――ドスッ。

「……え?」
それは、未だかつて聞いたことのない不気味な音だった。
刹那、腹部に芽生える激痛と生暖かい感覚。
「うっ……!?」
膝から崩れ落ちながら、私は見た。
痛点から止めどなく溢れる、真っ赤な何か――血を。
「……ど、どう、して……」
口内に溢れ返る血の味に蒸せそうになるのを堪えて、私は必の思いで問いかけた。
「……貴女が悪いのよ」
そんな私の問いに、彼女は静かに口を開いた。
「貴女にデザインを教えたのは私なのに、どうして貴女のデザインばっかり評価されるのよ! どうして私のデザインは誰にも受け入れられないの!?」
怒りに表情を歪めながら、でも目尻に溢れんばかりの涙を浮かべながら、彼女は叫んだ。
叫びながら、彼女は私の腹部に突き刺した刃物を引き抜く。
「うぁっ!」
再度押し寄せる苦痛の波と、噴き出す大量の血液。
「貴女さえ……貴女さえいなければ、私は……私はあああぁぁっ!!」
再度振り上げられる刃が、私の肉を穿つ。
何度も、何度も、何度も突き刺さる。
朧気な視覚は、いつしかもう何も捉えなくなっていた。
彼女の悲鳴も、私の肉を裂く鈍い音も、もう聞こえない。
あれほど全身を刺していた痛みも、もうない。
そして私は、彼女に――



















    シオンに殺されちゃった

月夜 2010年07月04日 (日) 02時01分(215)
題名:Crimson Nightmare(第三章)

「っ!?」

――バッ!

気付いた時、私の手は反射的にその手紙を捨てていた。
「はぁ……はぁ……」
机の上に両肘を突き、額を押さえながら、両肩を激しく上下させて呼吸する。
額に浮かんだ汗に触れ、手のひらに感じる湿り気。
なんて気味の悪い冷や汗だろう。
こんな汗をかくのは、随分と久しぶりだ。
「すぅ……はぁ……」
全身を仰け反らし、大きく深呼吸をする。
目を閉じ、二度三度と大きく息を吸い込み、肺の中の空気を絞り出すようにしてゆっくりと吐く。
……よし、大分落ち着いた。
荒かった呼吸や脈拍も、普段の間隔を取り戻している。
冷や汗も止まったし、思考にノイズもない。
問題ない、大丈夫だ。
「ふぅ……」
私が普段の私に戻ったことを確認し、小さく安堵の溜め息をついた。
首を捻り、床にぶちまけた手紙へと目線を向ける。
散乱して折り重なる手紙の一番上にあったのは、偶然にも最後のあの1ページだった。
血を思わせる真っ赤な文字が、まるでこちらを向いているようだ。
「……」
さすがにこのままにしておくわけにもいかない。
しばらく迷ったが、私は腰を上げると、その手紙の元へ歩み寄った。
屈み込み、手紙をきれいに整えて拾い上げる。
そして、再び腰を下ろし、秋葉が持ってきてくれた紅茶を片手に、私はそこに書かれている内容を見返した。
最初は、ただの自伝のようなものかと思っていたが、事はそんな単純なものではないようだ。
この話の中の、第一文に登場するシオン。
私は、この物語が彼女の主観で描かれているものだと、勝手な先入観からそう思い込んでいたが、それは全くの逆だった。
デザイナーの卵である友達に感化された少女ではなく、そのデザイナーの卵こそがシオンだったのだ。
シオンより、彼女の方がデザイナーとしての発想力で勝っていたのだろう。
時を経るに従って明確になっていく、両者の実力差。
きっとこの物語の中のシオンは、自分を差し置いてめきめきと頭角を表し出した友人のことが、羨ましかったのだろう。
そしてある日、その羨望は殺意へとその姿を変え、衝動的に友をその手にかけてしまった。
……悲しくも切ない話だ。
しかし、今私が思考を巡らすべきは、登場人物たちの分析などではない。
何故、この宛名の手紙が、この屋敷に届いたのか。
そして、この手紙を私に読ませることで、送り主は何がしたかったのか。
可能性として挙げられるのは、私のことを知る何者かが、何らかの手段を用いて私がここに宿を取っていることを知り、精神的揺さぶりをかけるためにこのような手紙を送り付けたということ。
その目的は、アトラス院への妨害といったところだろうか。
アトラス院の、しかもアトラシアの名を冠する人間が吸血鬼化したとなれば、その権力は少なからず失墜する。
しかし、もしそうだとするならば、これは有効ではあるものの、あまり効率的な手段であるとは言い難い。
吸血鬼化の進行度合いは、精神面に大きく左右されるもの。
だから、負のイメージを抱けば抱くほど、その進行速度は加速度を増す。
だから、抗うにあたり最も大事なことは、何事にも揺らがない均衡した精神を保ち続けることなのだ。
そういう意味で見れば、この手紙は多少の有用性を持っていた。
さっき、最後のあの一文を見た瞬間、私はあからさまに心を乱してしまった。
直ぐに落ち着かせることが出来たから良かったものの、もしあの状態が長く続いていたら、危なかったかもしれない。
しかし、それはあくまでも多少程度。
私を吸血鬼化させたいというのなら、最も効率的な手段がある。
私の前で人を殺し、その生き血を見せることだ。
もしそんなことをされたなら、とてもじゃないが正気を保ってなどいられない。
こんな手紙を送りつけるよりも、もっと確実に私の精神を崩壊させられる。
いや、わざわざ誰かを拐ってこずとも、私の目の前で自身の体を多少傷付けるだけでも、十分な効果が見込めるだろう。
そのような強行策に出なかったのは、私に顔が知られている組織、または人物だからだろうか。
もしくは……それが出来なかったから?
「……はぁ」
そこまで考えて、私は溜め息と共に頭を振った。
犯人の正体もその思惑も、今はまだ何一つとして明確に見えてきていない。
これ以上考えても、いたずらに時間を浪費するだけだ。
私は手紙を折りたたみ、封筒の中に戻すと、それを引き出しの奥へとしまい込んだ。
さて、いつまでもこんな下らない手紙を気にしていられる程、私は暇じゃない。
残った紅茶を一気に飲み下すと、私は再び自身と戦うため、机上の分厚い書物に目を向けた。

月夜 2010年07月04日 (日) 02時04分(216)
題名:Crimson Nightmare(第四章)

「ひっ……」
私が一歩、彼女の方へ歩みを進めると、彼女は一歩後ろへと後退る。
ひきつったその表情に浮かぶのは、明確な恐怖。
しかし、私にはその理由が分からない。
何故、彼女はこんなにも怯えているのだろう。
彼女は、一体何に対して、これほどまでの恐怖を抱いているのだろう。
そんなことを考えながら、私はもう一歩、前へと歩みを進めた。
「こ、こないで……!」
私に向かって、彼女は上擦った声でそう言った。
あぁ、そうか。
彼女が怖がっているのは、他でもないこの私か。
そのことを認識してから、私は改めて歩みを前へと進めた。
「お、お願い、だから……」
恐怖で歪んだ表情に、今度は戦慄と苦悶の色が浮かび始める。
恐ろしさのあまり潤んだ目元から透明な雫が溢れ、それは頬に一筋の線を残し、顎の先から地面へと零れ落ちた。
そんな彼女の姿に、私はこの上ないいとおしさを覚える。
この子は、なんて可愛らしい顔をするのだろう。
もっと……。
そう、もっと――

――もっと……何?

「……っ!?」
意識が覚醒すると同時に、私は文字通り跳ね起きた。
その勢いのまま、覆い被さっていた布団が吹き飛び、ベッドからその半身をはみ出す。
「……夢、か……?」
ボソッと呟き、周囲へと目線を動かす。
見慣れた室内の景観に異変はなく、窓から見渡せる外の景色にも変わりはない。
「……はぁ」
大きな溜め息を溢す。
それが果たして呆れを示すものなのか、それとも安堵によるものなのか。
額に滲む夥しい量の汗から察するに、私が見ていた夢は恐らく相当な悪夢だったのだろう。
だけど、何の夢を見ていたのか思い出せない。
私は、一体どんな夢を……。
「……さつき?」
不意に、その名が私の口を突いて出た。
自分でも、どうして彼女の名を呼んだのかわからなかった。
だけど、夢の記憶を辿っている途中、自然と出たのがその名前。
私の悪夢の中に、彼女が出ていた?
……何だか、嫌な予感がする。
気付いた時、私は既に行動を開始していた。
寝間着を脱ぎ捨て、いつもの服に着替える。
無論、武装も忘れない。
いつもそうしているように、エーテライトを腕に通し、ブラックバレルのレプリカを懐に差す。
鏡の前に立ち、鏡面に映る自分の姿を見ながら、紫の長髪を交差させて三つ編みに結わえていく。
これで準備は完了だ。
扉を開き、私は部屋から出るなり、一直線に玄関へと向かった。
「あら? シオンさん、どこかへお出かけですか?」
屈んで靴を履いていると、背後から琥珀の声が聞こえてきた。
「えぇ、少し。多分直ぐに戻ります」
立ち上がり、つま先で地面を叩いて履き心地を整えながら、私はそう言った。
「そうですか。お昼はいかがします?」
「そうですね……」
さつきの様子が気になったから見に行くだけで、特にこれといった用事はない。
このような時間だ。
今日は曇っていて、彼女にとって活動しやすい日とは言え、きっといつもの路地裏に居るだろう。
何も起きなければ、時間のかかる外出にはならない。
「……お昼は、どこかで適当に済ませてきます。夕刻までには戻れると思いますので、夕飯はお願いできますか?」
「はい、かしこまりました♪ ではでは、いってらっしゃいませ〜」
笑顔の琥珀に見送られ、私は傘立てから適当な傘を手に、屋敷を後にした。
普通に考えれば、大した時間はかからない。
だが、どうにもそうはならない気がした。
何の確証も裏付けもない、ただ単なる私の予想。
しかし、何故かそれは確信に近いものがあった。
我ながら、なんという破綻した論理だろうと思う。
だけど、これはもう理屈ではない。
もちろん、何も起きなければそれに越したことはない。
私が目的地に着いた時、いつものように彼女がそこに居て、いつものように微笑んでくれていれば、それで良いんだ。
曇り空を仰ぐ。
灰色に染まった空は、今にも泣き出さんばかりに、ぐらぐらと揺らめいていた。



目的地に辿り着き、私は歩みを止めた。
いつも薄暗いそこは、今日の曇り空も相まって、普段より一層暗さの度合いを増しているようだった。
そこかしこに空き缶やら新聞の切れ端といったゴミの類が散らばり、表通りと違って清潔感の欠片も感じられない。
……というのは、あくまで以前のこと。
彼女が居着くようになって以来、ここは路地の裏でありながら、一般に言う路地裏の様相は呈していなかった。
ゴミの類はほとんど見当たらず、雑草も取り除かれていて、下手をすれば表よりキレイかもしれない。
少し前まで、ここでは吸血鬼関連の事件が頻発していたが、それもまた彼女のおかげで大分件数を落としており、今ではかなり安全になっている。
しかし、そこに本来あるべき姿は見当たらなかった。
「……居ません、か」
早速、嫌な予想が当たってしまったことに、私はうつ向きがちに肩を落とした。
「……ん?」
そんな時、私は地面に落ちている何かに気付いた。
その場に膝を折り、その何かを手に取る。
「……手紙?」
それは、ピンク色の封筒に包まれた手紙らしきものだった。
表裏共に見てみるが、全くもって何も書かれていない。
しかし、手に持った感じ、中身は確かに入っているようだった。
「何故、こんなところに……」
呟きながら、私は特に何かを考えるわけでもなく、極々自然にその封を開いていた。

月夜 2010年07月04日 (日) 02時04分(217)
題名:Crimson Nightmare(第五章)

――私、シオンは恵まれていた。
自分では気付けなかったけど、本当は恵まれた人間だったんだ。
ありきたりな生活。
衣食住に困ることはない、退屈ではあれど安心と安全に満ちた日々の暮らし。
社会の中、やはり苦しいことや辛いことはいっぱいあった。
誰かに対する嫉妬や妬み、殺意すら覚えたこともあった。
だけど、それと同じくらい、楽しいことや嬉しいこともあったはずなんだ。
友達と笑い合ったり、他人に認めてもらったり……恋人と愛し合ったり。
そんな楽しいことが、26年間いっぱいあったんだ。
これからだって、まだまだ沢山ある。
……あったはずなんだ。
それなのに、私は――

ある日の会社からの帰り道、私は偶然見かけてしまった。
愛する人が、私の知らない女と歩いているのを。
あの人が見せる眩しい笑顔。
それが、私以外の女に向けられている。
ショックだった。
頭の中が真っ白になるくらい。
その夜、私は彼を自分の部屋に呼んだ。
そして、問い詰めた。
夕方、一緒に歩いていた女は誰、と。
その時、私はまだ絶望していなかった。
もしかしたら、仕事関係の相手だったかもしれない。
ただそれだけで、別に好き嫌いとかそういった関係じゃないかもしれない。
そんな私の希望的観測は、彼の一言で脆くも崩れ去った。
「なんだ、見てたのか。なら話は早い。別れてくれ」
何の抑揚も感情もない、ただただ冷たい言葉だった。
「……どうして?」
そう、問い返すのがやっとだった。
「お前より、あの娘の方が一緒に居て楽しいんだよ。ってか、もうお前なんか飽きたし」
「……」
絶句するしかなかった。
もう、何も返す言葉が思い浮かばない。
ホワイトアウトした脳内は、既に思考という行為を行っていなかった。
「話はそれだけか? なら、俺は帰るぜ。じゃあな」

――バタン。

玄関の扉の閉まる音だけが、一人になった部屋に虚しく響き渡る。
彼の背を見つめたまま、私は結局何も言えなかった。
心変わりした彼への憤怒や、私から彼を奪った女に対する嫉妬が、なかったわけではなかった。
だが、それ以上に、彼に飽きられてしまった自分に嫌気が差した。
私が、彼に好かれようと努力しなかったから、彼は私の元を去ってしまったんだ。
悲しかった。
切なかった。
死んでしまおうかとさえ思った。
だけど、私は諦められなかった。
手首の動脈に刃を添えた時、喉元に包丁を突き立てた時、屋上の手すりから身を乗り出した時、いつでも思い出すのは彼のことだった。
嫌だ。
このまま、死んでしまうのは嫌だ。
今のまま……彼に嫌われたまま死んでしまったら、私は未来永劫嫌われたままだ。
そんなの……嫌だ!
私は思った。
そうだ。
嫌われるのが嫌なら、好かれるよう努力すれば良いじゃないか。
彼の全ての好きを理解し、受け入れ、彼の求めるような女になればいいんだ。
そう考えた私は、行動を開始した。
今までの経験や、彼の友人から聞いた話を参考に、彼の理想とする女性像を組み立てていく。
だが、ふとあることに気付く。
いくら私の過去の経験や、彼の友人の意見に基づいたところで、それは所詮彼ならざる者の言葉。
それが、本当の意味で彼が求める理想の女性像かどうかなんて、誰にもわからないことだ。
彼の口から聞いた言葉でない以上、その情報の真偽は定かでない。
そんな紛い物かもしれない情報、いくら集めたところで無意味だ。
しかし、彼に嫌われてしまっている今の私に、彼本人の口から聞き出すことは不可能。
そう思った私が、彼の行動を監視しようと思ったのは、至極自然なことだった。
彼の家に留守中に忍び込み、盗聴機と監視カメラを取り付ける。
だけど、それじゃあ彼が自宅にいる時しか意味がない。
だから、私は彼の携帯電話に細工することにした。
彼が普段、胸ポケットに携帯をしまっていることを、私は知っている。
それにこれなら、彼が携帯で電話している内容も聞き取れる。
幸いなことに、彼と私の職場は同じ。
隙を見て携帯を盗み、盗聴機を仕込んだ後返すことは、さほど難しいことではなかった。
これで下準備は完了。
私は、直ぐ様彼の趣味嗜好の研究を開始した。
彼が、本当に好きな女性の性格はどんなものか。
容姿は?
服装は?
アクセサリーは?
性癖は?
彼が好きと言う、ありとあらゆる要素を調べ尽くした。
誰かと話していることから、誰にも言ってない独り言に至るまで、一言一句と聞き逃すことなく。
その内、私の心に芽生えるのは歪んだ優越感。
彼以外、誰も知らないことを私は知っている。
私は、誰より彼のことを理解しているんだ。
そう思うと、心の底から言い知れぬ快感が沸き上がってくるようだった。
しかし、それと同時に、もう一つの別の感情も抱くようになった。
それは、今の彼と付き合っている女への怒り。
その根源にあるのは、嫉妬ではなかった。
まるで彼のことを理解していない、あの女に対するどこまでも純粋な憤り。
彼の好きな料理や味付け、好きな服装や髪型、情事の時における体位。
そういった彼の趣味を、あの女はまるで理解していない。
でも、私なら違う。
私なら、彼の願うこと、望むことを何だってしてあげられる。
……だというのに、このメスブタときたら……低脳にも程がある。
こんなクズに、彼の女でいる資格はない。
彼の愛を受ける権利はない。
……そうよ。
真に彼に愛されるべきは、他の誰でもない、この私なんだ。
なら、あの女はナニ?
決まってる。
彼の私へ向けるべき愛を盲目にしている、害虫だ。
害虫は生きている価値すらない。
殺すしかない。
殺すべきだ。
いや、殺すんじゃない。
これは駆除だ。
別に悪いことじゃない。
むしろ、当然のこと。
そう考えた私の行動は、極めて早かった。
善は急げとは良く言ったものだ。
目の前で、恐怖のあまり全身をガタガタと震わせる害虫。
そいつは、震える声で私に向かってこう言った。
「わ、私が、貴女に何をしたって言うの!?」
「分かんない? 頭悪いのね、あんた」
「わ、分かるわけないでしょ! 貴女のことなんて、私全然知らないわっ!」
「あんたが知ってるか知らないかなんて、関係ないの。自分が彼にどれほど残酷なことをしていたか、それすら分からないだなんて、どこまでも救いようがないわね」
「な、何を言ってるのか……全然分からないわよ……!」
「分からないなら分からないで良いわよ。どうせあんた、今から死ぬんだし」
「ひっ……」
私が一歩、前へ歩みを進めると、そいつはへたり込んだまま、その分だけ後ろへと後退る。
ひきつったその表情に浮かぶのは、確実な死に対する明確な恐怖。
「こ、来ないで……」
「私だって、あんたみたいなクズに近付きたくなんかないわよ。でも、行かなきゃ殺せないもの」
そう言って、私はまた一歩、歩みを進める。
さっきと同じように後ろへ下がろうとして、そいつは気付く。
背後は既に壁。
退路など、もうどこにもないということに。
私は、そいつの眼前に立つと、右手に持った刃を高々と振り上げた。
そして――
「もうその顔も見たくないし、声も聞きたくない。さくっと死んでくれる?」
「ひ、人殺し……っ!」
「あははははは! 何言ってんの!? これはただの害虫駆除よ。さ、死になさい」
「い、嫌……嫌アアアアァァァ!!」
――降り下ろした。

――ザシュッ!

肉を穿つ不気味な音。
それと同時に、噴水の如く噴き上がる汚らわしい血液。
「ア゛アア゛ア゛アア゛アアアア゛アア゛ア゛アア゛アァァ゛ァァ゛ッ!!」
耳をつんざくような悲鳴は、聞くに耐えなかった。
だから、私は次に、喉に包丁を突き立てた。
「ガ……ゴボッ……!」
声を奪われたそいつの口は、血反吐を撒き散らすことしかしなくなった。
これで、少しは快適になったかな。
喉に突き立てた包丁を抜き、今度は目を穿つ。
だが、一気にはやらない。
ゆっくりと、最初は触れるぐらいの優しさから、ゆっくりと眼球を貫いていく。
そいつは反射的に目を閉じ、両手で私の腕を握ってきた。
「あはははは! それで抵抗してるつもりなの!? それに、いくら目を固く閉じたって、無駄無駄!」
そんな抵抗などものともせず、容赦なく眼球を抉った後、私は刃を引き抜いた。
このまま奥まで貫いてしまったら、それだけで死んでしまう。
それじゃあ、私の気が収まらない。
「次はぁ……何処がいい? 耳? 鼻? それとも腕でも落として欲しい? お望みはどこかしら……って、そういやもうろくに喋れなかったっけ? あはははははは!!」
何が愉しいのか、自分でも良く分からない。
しかし、私はこの笑いを抑えることができなかった。

――ガチャッ。

次の瞬間、玄関の方で扉の開く音がして、私は背後を振り返った。

月夜 2010年07月04日 (日) 02時06分(218)
題名:Crimson Nightmare(第六章)

「う〜っす。ただい……ま……」
そこに立つ愛しき想い人は、目の前に広がる光景を、驚愕に見開いた眼で見ていた。
「お帰りなさい、あなた」
私は、そんな彼を恍惚の眼差しで見つめる。
「ガボッ……ナ、オ……」
しかし、直ぐ足下から聞こえてきた耳障りな掠れ声に、私の中のどす黒い感情が、再びうねりを上げて高まった。
「うるさい」
私は笑うのを止め、躊躇いなくその頭頂部に刃を叩き付けた。

――ザクッ。

何度も聞いた肉を断つ音と、次いで激しい勢いで噴き出す血。
数回、そいつはビクンビクンと全身を痙攣させると、白目を剥いて動かなくなった。
裂傷部から微かに覗ける脳は、縦に深く切り裂かれているのが見てとれる。
ふん。
害虫の癖に、彼の名を呼ぼうだなんて、身の程知らずも甚だしいわ。
「シ……オン……?」
「あ、ごめんね。ちょっと害虫駆除に時間かかっちゃって。直ぐにご飯の用意するね」
未だ、茫然自失と玄関に立ち尽くす彼に向かって、私はにこやかな笑顔を向けた。
「お前……何、してるんだよ……」
「え? 何って……」
彼のただならない様子に、私は今さっきの己の行為を振り返ってみた。
彼の家に巣くっていた害虫を駆除した。
以上。
それ以外のことはしていない。
彼は、何をそんなに怯えたような顔をしているんだろう?
……あ、そうか。
良く良く見てみれば、床から壁、それに天井に至るまで、こいつの血飛沫で酷く汚れていた。
確かに、こんなに部屋を汚ならしい血で汚されたら、怒りに言葉を失ってもしかたない。
「あ〜、害虫一匹殺すのに、ちょっと汚しすぎたよね? お料理の前にキレイにしなきゃ。少し待ってて」
「そうじゃないだろ!?」
「っ!?」
突如として上がった彼の怒声に、私は大きく肩を震わした。
「な、何? 一体どうしたの?」
「何とぼけてんだよ! お前……お前、何てことを……!!」
彼は涙ながらにそう言うと、私の体を突き飛ばして部屋の奥へと駆け出す。

――ドン!

「きゃっ!?」
いきなりの衝撃に抵抗できず、私は強かに壁へと身を打ちつけた。
「何で……どうして、こんなことに……」
その場に立ち尽くす私の前で、血だるまの害虫の為に泣き崩れる彼。
そんな彼の姿を見ていると、沈みかけていた負の感情が、また沸き上がってくるのを感じた。
「……どうして?」
私は問いかけた。
「どうして、そんなクズのために涙を流すの? 貴方のことを何一つと理解していない、理解しようとしていない。そんな奴なんかのために、貴方が泣く必要なんてないのに」
「ふざけるな! お前なんかより、こいつの方が何倍も俺のことを理解してくれていた! お前に何が分かる! お前なんかに、俺の何が分かるってんだよ!」
「……分かるよ」
小さく呟く。
私はゆっくり彼の元へと歩み寄り、そして
「何を――っ!?」
彼の唇に、自分の唇を重ねた。
一体いつ以来か分からない、懐かしい感触。
それをひとしきり楽しんでから、私は口付けた時と同じようにゆっくりと唇を離した。
「分かるよ……貴方のことなら、何でも」
「な、何を言って……」
瞳孔を開ききったまま固まる彼の目の前で、私は着ていた服に手をかけた。
そっと衣類をはだき、露わになった肢体を彼の前にさらけ出す。
「貴方は胸が大きい方が好きなんだよね? だから私、最近豊胸手術したんだよ? 肌は色白が好みだって言うから、毎日エステにも通ったし、足も細い方が良いって言ってたから、ジムで鍛えたりもしたんだよ? どう? キレイになったでしょ? 貴方好みの体になったでしょ?」
手を使って隠すようなことは一切せず、頭からつま先までその全てのあるがままを、彼に見せつける。
「他にも色々知ってるよ? 貴方が興奮する衣装は何か、感じる前戯は何か、どんなプレイが好きなのか、どんな体位で女性を犯したいのか……何だって知ってるんだから。そして……」
依然として固まったままの彼の体を優しく抱き締め、私はその耳元で囁く。
「……私なら、貴方の望むことを、何だってシテあげる」
「っ!?」
そう。
何だってシテあげる。
どんなに恥ずかしいことだって、貴方が本当に望むことなら、いつどこでだってシテあげる。
「だから、私だけを見て……こんな女のこと忘れて、ただ私のことだけを見つめて……」
「……は、離せっ!!」

――ドンッ!!

またしても突き飛ばされ、私は為されるがままに床に倒れ込んだ。
「お前、こんなことしといて、何言ってんだよ!? 俺の女殺しといて、私なら何でもしてあげるだって!? あぁ!? 意味わからねぇよ!!」
倒れる私に、彼が罵声を浴びせる。
腹立たしかった。
私自身に対する罵倒がじゃない。
彼の心の中には、まだあの女のことが残っている。
それが許せなかった。
忘れて欲しい。
あんな女のこと忘れて、私のことだけを想って欲しい。
私のことだけを考えて欲しい。
私のものになって欲しい。
その時、私の脳が一つの答えを弾き出した。
彼にあの女のことを忘れさせ、かつ私だけのものにするたった一つの方法。
あぁ、なんだ。
こんなにも簡単な答えが、すぐ身近にあったのか。
何で今の今まで気付けなかったんだろう。
「もう頭おかしいとかじゃねぇ! 狂ってやがる!! 今すぐ警察に突き出し……え?」

――トスッ。

それは、とてもとても、軽い音だった。
音として認識できるかどうかも危ういぐらい微かで、だけど、他のどんな音より鮮明に聞こえてきた。
「最初っから、こうしてれば良かったんだよね」
「う……シオ、ぐはっ……!?」
苦しみ悶える彼の辛そうな表情。
こちらを見上げるその弱々しい瞳に、私は込み上げてくるいとおしさを抑えきれなかった。
血を垂れ流すその唇に、自身の唇を重ね合わせる。
口内に侵入してくる暖かみは、錆びた鉄を思わせるような味を孕んでいた。
だけど、それも愛しい彼のものと思えば、たちまち甘美な蜜の味へと変化する。
唇を離した時、私のすぐ眼前にある表情は、苦悶の色に満ちていた。
「ごめんね。痛いよね? 苦しいよね? でも、大丈夫だよ。今楽にしてあげるからね」
私は血に濡れた包丁を振り上げる。
死の恐怖からか、全身を強張らせてガタガタと震える彼。
こんなに怖がって……可哀想に。
「でも、安心して。直ぐに、私も一緒に逝ってあげる。そしたら……」
高く掲げた腕に力を込める。
そして、私は――

「ズット一緒ダヨ♪」




















    彼ヲ殺シチャッタ


月夜 2010年07月04日 (日) 02時08分(219)
題名:Crimson Nightmare(第七章)

「……うっ……」
私は目眩を覚え、ふらつきながら額を押さえた。
壁面に身を預け、ともすれば倒れ込みそうになる体をなんとか支える。
と、その衝撃で、手の中から手紙がするりとこぼれ落ちた。
ヒラヒラと舞い落ちる、封筒と同じくピンク色をした数枚の紙切れ。
その様を見つめ、私は思った。
何故、私はこの手紙を最後まで読んでしまったのだろう。
封を開け、中身に少し目を通せば、直ぐにこれが昨日届いた謎の手紙と同じ種類のものとわかったはずだ。
最後まで読んだ時、私の精神が激しく乱されるということも。
ならば、その場で即座に破り捨てるべきだったはず。
にもかかわらず、気付いた時、私は既に手紙を読み終えた後だった。
何を意識したわけでもなく、それが当たり前であるかのように読んでいたのだ。
「何で……私は……」
自分で自分が分からない。
理解できない。
こんなことは初めてだ。
「あれ? シオン?」
自身に対する混乱の極みにあった頃、不意に投げ掛けられる声に私はそちらへと慌てて向きを直した。
そこに立つのは、見覚えのある少女の容姿。
何度も見たことがある。
故に見紛うはずのない姿。
「……さ、さつ、き……?」
しかし、それは断じて私の知る彼女ではなかった。
「どうしたの、シオン? 急にこんなとこに来るなんて」
笑顔でこちらへと歩み寄るさつき。
薄暗いせいで、全身を具に認識することはできなかったが、その至るところに染み込んだ何かの色はしっかりと視認できた。
「さつき……貴女、一体何を……」
「今日は天気が良かったからね。ちょっとお腹も減ったし、久々に美味しいモノ食べに行ってたんだ」
ちょっと汚れちゃったけどね、と良いながら、彼女は苦笑いを浮かべて己の体に視線を落とす。
服に付いた赤黒いシミ。
それは、間違いなく人間の血液だった。
「貴女、正気ですか!? 血を飲まないのは辛いけど、人間に戻りたいから我慢すると言っていたじゃないですか!?」
「うん、そうだよ」
彼女は浮かべていた苦笑いを止め、私を直視して言った。
「確かに、人間には戻りたかった。人間に戻れば、あの頃の幸せだった生活に戻れる。一度踏み外したレールの上を、もう一度普通の人間として走れる。そう思ってた」
「だったら……」
「でも、それが何なの?」
「えっ……」
「人間だったのは昔の話で、今の私はもう吸血鬼。人間として生きるのも良いけど、吸血鬼には吸血鬼なりの楽しみがあるんだよ。私はね、この楽しみを、シオンにも教えてあげたいんだ」
「なっ……」
「シオンだって、もう本当は気付いてるんでしょ? 一度吸血鬼に噛まれた人間を、元の純血な人間に戻すことなんて、到底不可能なんだって」
「そ、そんなことない! 何事も、諦めなければ可能性は……」
「ないよ」
「っ!?」
さつきの断言するような口調に、私は思わず言葉を遮られてしまった。
それは、私が常々思っていたこと。
不吉な考えだからと、いくら頭の片隅に追いやっても、決して消えることはなかった負のイメージ。
それが、さつきの言葉を受けて、私の中で急速に膨張していくのを感じた。
止めろ!
私は諦めない!
私は認めない!
私は吸血鬼なんかじゃない!
これ以上、私の中で暴れるな!
「シオン。貴女は良く頑張ったよ。頭が狂いそうになる衝動を必死に抑えて、ずっと苦しんできた。もう、そろそろ楽になっていいんだよ」
「楽、に……」
「そう。こんなにも苦しんできた私を、誰も責めたりなんかできない。これがどれほど苦しいことか、私たち以外の誰かになんて、分かるはずがないんだもの」
「あ、あぁ……」
心に染み入る優しい言葉。
しかし、それは決して優しさなんかじゃない。
私を、暗き深淵の奥底へ堕としめんとする暗黒色の手招き。
そう、分かっているのに、抗う力がみるみるうちに削られていくのを感じる。
私の本性は……。
「さぁ、もう我慢するのは止めにしよう? 私が本当にしたいこと、望むことは何なのか、分かってるはずでしょう? さぁ、言ってごらん? 私の望みは何か」
「私の……望みは……」
私……私の本質は……。
「望みは……?」
私は――

――人間だっ!!

「……お前を消すことだっ!!」
薄れていた意識が目覚める。
消えかけていた自我が、確固たる私という人間を再度形作る。
私は、引き抜いたバレルレプリカの銃口を、目の前に佇むさつきの貌を偽った何者かの額に突き付けた。
「っ!?」
驚愕に目を見開く何者か。
だが、今更何を企もうともう遅い!
私は、躊躇いなく引き金を引いた。

――ガァンッ!

路地裏に轟く銃声。
それは周囲の壁によって跳ね返り、幾重にも重なり合って反響する。
その音が鳴り止む頃、私の眼下には横たわるそいつの姿があった。
「……」
そっと目を閉じ、心を落ち着ける。
時間にして僅か数秒。
しかし、次に瞼を持ち上げた時、私の視界には何も映りはしなかった。
「……くっ」
全身を苛む著しい疲労感に、私はふらふらと数歩後退った後、力なくその場に座り込んだ。
危なかった。
もう少しで、本能の囁きに負けるところだった。
だけど、まだ大丈夫。
まだ、私の理性は死んでいない。
私は私のままだ。
「うぅ……」
頭を押さえ、うめき声を漏らす。
頭痛が酷い。
意識も朦朧として、目の前の景色が霞んで見える。
少しでも気を緩めれば、今すぐにでも意識を失ってしまいそうだ。
だが、今ここで倒れるわけにはいかない。
彼女の……さつきの無事を確かめるまでは、決して……!
壁に手を突き、寄り掛かったまま緩慢な動きで立ち上がった……ちょうどその時だった。
「シ、シオン!?」
鼓膜を震わせる誰かの呼び声。
薄れる意識の中、持ち上げた視線上に見える誰かの姿。
ぼやけた輪郭のそれは、こちらへと近づいてくるにつれて、私の良く見知った人物の容姿を形成していく。
「さ、つ……き……」
途切れ途切れにその名を呼ぶ。
瞬間、何とか保たれていた気の張りが、音を立てて切れたような感覚に襲われた。
体がぐらつき、前方へと倒れ行く。
このまま倒れ込めば、地面に激突する。
分かってはいるのに、もう体中どこにも欠片たりとて力が入らない。
今にも消え去りそうな意識の中、私は最後に訪れるであろう衝撃に備えた。

――トサッ。

だが、そんな予想に反して、私の体を包んだのは柔らかい感触。
その優しさに身を委ねたまま、私は暗き深淵の縁へと落ちていった。

月夜 2010年07月04日 (日) 02時15分(220)
題名:Crimson Nightmare(第八章)

……暗い。
暗くて、何も見えない。
闇に埋め尽くされた世界は、一切の光が存在しない暗黒の空間。
光なき暗闇故に、その中において確かに在るはずの自身でさえ暗闇と同義。
自分を自分と認識する為の要素が、ここには一つもなかった。
目を閉ざす、閉ざさないにかかわらず、眼前の光景は黒一色だ。
これでは、視覚などあって無きに等しい。
何も聞こえないはずなのに、音なき音が耳をつんざく高音となり、鼓膜を刺々しく刺す。
聴覚も狂いに狂っていた。
無論、自分自身を認識できない以上、触覚で何かを捉えられるはずもない。
味覚や嗅覚に至っては、言わずもがなだろう。
何一つ正常に機能していない私の五感。
まともに行えることなど、せいぜい思考程度のものだった。
ここは……どこなんだろう?
考えて、周囲を見渡してみる。
しかし、景色は変わらない。
ただただ、どこまでも黒く染め上げられた漆黒の闇が、果てしなく続くのみ。
どこかへ向かおうにも、進むべき目標がないから、足を前に踏み出すことすらできない。
いや、それを言えば、今私は自分がどんな状態にあるかすら把握できていなかった。
立っているのか、座っているのか、はたまた横になっているのか。
それすらもわからない現状のままでは、何一つと私に行える行動はない。
そう思った時、世界に異変が起きた。
「っ!?」
突如として降り注いだ光に、私は眩しさから目を細めて手を額に添えた。
空を見上げる。
上空一面を埋め尽くす黒の内一点から、私の周りにだけ光が注がれていた。
それは、私の動きに合わせて前後左右へと照らす範囲を移動する。
まるでスポットライトのようだ。
そんなことを考えながら、私は足下に視線を落とした。
先ほどまで闇に閉ざされていた地面は、光に照らし出され、その真の姿を現していた。
アスファルトが敷き詰められた、特に何の変哲もない地面。
だが、照らされている範囲が狭すぎて、今のままでは何もわからない。
私は、何を考えるでもなく歩き出した。
カッカッという靴音が、私の足下で上がっては、響くことなく闇に飲まれて消えていく。

――カッ。

ふと、私は足を止めた。
ひたすら続くと思えた色褪せた黒の中に、何かが見えた。
破裂したように飛び散った、赤黒いシミ……血痕だ。
それは一つや二つで終わりなどではなく、この闇の向こうへと続いていた。
延々と延びる血の道を歩く。
次第に、視界に映る血の密度が濃くなってゆく。
その色も、赤黒く乾いたものから、生々しい極彩色の深紅へと移り変わる。
目的地は近い。
そう感じた、その矢先だった。

――ガッ。

妙な衝撃をつま先に感じた。
それと同時に、何か黒い塊のようなものが、蹴られた勢いで転がり、私の周りを照らす光の枠からはみ出した。
今の、何だろう?
その消えた方へ歩みを進めようとして、あることに気付いた。
さっき、蹴り飛ばした何かの周りで、夥しい量の血液が血溜まりを作っていたことに。
間違いない。
ここまで続いていた血の源泉は、あれだ。
そう確信を抱き、更に前へと足を踏み出した。
照らされるのは、血の海に沈む解体されたその五体。
切断された両手足が無造作に散乱し、その近くには胴体も転がっている。
着ているのは男子学生服のようだった。
確か、志貴の学校のものと同じだった記憶がある。
歩みを進める。
次いで視界に入ったのは、柄から刃まで赤く染まった血塗りの短刀。
かつては白銀の輝きを放っていたであろう刃も、今となってはくすんだ鈍色へと成り果てていた。
これも、志貴の持っていたものに似てる。
また一歩、足を前へと踏み出す。
床に転がる、血に濡れた味気のない眼鏡。
これも……志貴の……。
ここで、私は確信を抱く。
この先に広がる光景が、何であるか。
反射的に立ち止まる。
否、立ち止まろうとする。
だが、歩みは進む。
私の意思に関係なく、前へと運ばれる足。
抗おうにも、まるで力が入らない。
目を閉じようにも、瞼を下げることすらできない。
視神経以外の全てを、私ならざる何者かに乗っ取られてしまったかのようだ。

――嫌……

先ほど蹴ってしまった物体が、私の足下に再びその姿を現す。

――嫌……!

私の拒絶など意に介さず。
視覚は確実に、そして残酷に足下にある塊を捉えようとする。

――嫌っ……!

だが、それはこちらを向いておらず、私から目を背けているため、ただの黒い塊でしかなかった。
ふと、心に芽生えそうになる安堵の気持ち。
しかし、そんなものは、次に私の取った行動によって、脆くも崩れ去ることとなる。
その場に膝を折る私。
何をするのかと思っていると、次の瞬間、私はその黒い塊を持ち上げていた。

――っ!?

口を突いて出る驚愕の声も、音となることはない。
私は冷静さを保ったまま、それを両手で抱えていた。
そして、次にそれをゆっくりと回転させ始める。

――や、止めて……。

私の懇願は誰にも届かず。
ゆっくりと、そして確実に手の中にいる誰かを、私はこちらへ向けようとしていた。

――止めて……止めてっ……!

後頭部から側面へ、そして側面から正面へと回って行く。
髪に隠されて、見えなかった部分が徐々に明らかとなって行く。

見覚えのある目。
見覚えのある耳。
見覚えのある鼻。
見覚えのある口。
見覚えのある――

それら全てを目の当たりにした時――
「いっ……」
――私の心は爆ぜた。
「いやああああああぁぁぁっ!!」

月夜 2010年07月04日 (日) 02時18分(221)
題名:Crimson Nightmare(第九章)

気付いた時、私は既に上体を起こした後だった。
目覚めた直後、決まって訪れる気だるい感覚はまるでない。
しかし、その代わり激しい動悸と息切れに苛まれた。
「はぁ……っはぁ……」
シーツを固く握り締めたまま、荒れた呼吸を何度となく繰り返す。
だが、息が整う気配はまるでなく、早鐘を打つかのような脈拍もより一層激しさを増すばかり。
汗の量も尋常ではない。
額や首筋だけに止まらず、全身の至るところに湿り気を感じる。
この私が、悪夢にうなされてここまで動揺するなど、あるわけがない。
昨日も悪夢を見た記憶はあるが、これほどまでに心を乱すことはなかった。
所詮はただの夢と、割り切れる程度のものだったということだろう。
しかし、今日は違う。
夢と理解した後でも、鳴り止む気配すら見せない激しい鼓動の高鳴り。
その息苦しさに伴う、酷く荒々しい呼吸。
いくら拭えど、次から次へと浮かんでくる多量の冷や汗。
どれもこれも、私が未だかつて一度も体験したことのないものだった。
これが……ただの悪夢?
……そんなはずはない。
もしそうであったなら、どんなに気楽だろうか。
一昨日、私宛に届いた怪しげな手紙。
昨日見た悪夢。
路地裏に落ちていた、一昨日と同類の手紙。
そして、今さっきの悪夢。
……どう楽観視したところで、これらの出来事が全て偶発的なものであるはずがない。
誰か……私の吸血鬼化を早めようとしている何者かが、この裏に潜んでいる。
これはもはや疑いの余地がない明白な事実だ。
だが、現状分かるのはここまで。
一体どこの誰が、何の目的でこんな回りくどい手段を用いているのかまでは、どんな可能性を考慮してもどうにもしっくりこない。
だからと言って、のんびり構えていられる状況でもないようだ。
一昨日、あの手紙が届く前までの私と今の私とでは、明らかに状態が異なる。
以前の私には、まだまだ余裕があった。
例え目の前で他人の血を見たとしても、理性に多少のノイズが混じることはあれど、それだけで完全に我を見失うような事態には陥らなかっただろう。
だけど、今となってはそうもいかない。
自分でも分かる。
今、誰かの血を見たら、きっとそれだけで理性なんか一瞬の内に弾け飛ぶ。
私の中のシオンという人格は、瞬間的に消えてなくなるだろう。
早く……一刻も早く、何か手を打たなければ、私は……!

――コンコン。

「っ!?」
反射的に身を強張らせる。
それがノックの音だと理解したのは、その向こうから彼の声が聞こえてきた後だった。
「シオン、入っていいかな?」
「……志貴? え、えぇ、どうぞ」
「失礼するよ」
扉が開かれ、その奥から制服を着込んだ志貴が姿を現す。
横目で時計を流し見てみると、時刻は朝の7時過ぎ。
登校前の僅かな時間を縫って、私の元を訪ねてきたのだろう。
だけど、わざわざこんな時間に何の用だろうか?
「あのさ、シオ……うわっ!?」
扉を閉め、こちらを見ると同時に、いきなりすっとんきょうな声を上げて、志貴が両手で目元を覆い隠す。
だが、それはあくまでも上辺の態度だけ。
その証拠に、指と指の隙間から、眼鏡の奥の見開かれた目が容易に見えた。
「? どうかしましたか?」
「シオン、そ、それ……」
首を傾げる私に向かって、志貴が指を指す。
その指し示される先、自分の体へと視線を落とした。
そこでようやく気付く。
汗でぐっしょりと湿ったワイシャツ越しに、地肌が透けて見えていることに。
「っ!?」
反射的に手近にあった枕を掴むと、私はそれを志貴の方へと投げつけた。
「うわっ!?」
聞こえてくる志貴の驚きの声をよそに、私はシーツをひっつかみ、それを体に巻き付けた。
改めて、彼の元へと目線を向ける。
枕を両手で受け止め、驚愕の眼差しで私を見つめる彼と、ベッドの上、シーツで全身をくるむ私とが生み出す、一種独特の奇っ怪な間と雰囲気。
よし。
ちょっと空気的にはアレだが、当初の目的は果たせたと考えるべきだろう。
「あ、え、えっと……な、何か用ですか?」
先ほどの恥ずかしい姿を見られたせいか、僅かに頬が紅潮している感があるまま、私は沈黙を破った。
「え? あ、あぁ……実は、これをシオンに渡しにきたんだ」
そう言うと、志貴は先のことについての話題をぶり返そうとはせずに、私の元へと歩み寄りながら、懐へと手を伸ばした。
しばらく手探りした後、そこから姿を現したのは――
「……あ」
――赤い封筒だった。
いつぞやの記憶……秋葉が私の部屋を訪れた、あの朝の情景が脳裏をよぎる。
「……うっ」
刹那、脳髄を締め付けるかのような、キリキリという頭痛に襲われ、私は顔をしかめた。
「シ、シオン!? どうしたんだ、大丈夫か!?」
「平気です……それより志貴。貴方はこれをどこで?」
本当は酷い頭痛と吐き気をもよおしており、とてもじゃないが平気とは言い難い状態だったが、無理をして平静を装い、私は志貴に尋ねた。
「どこでって……リビングのテーブルの上だけど。なんか一通だけ赤い封筒があったんで、見てみたらシオン宛の手紙みたいだったから、持ってきたんだよ」
「……それは、誰かに確認を取りましたか? 本当に、郵便受けから取ってきたものの中に、最初からこの手紙が入っていたかどうか、確かめましたか?」
「い、いや……琥珀さんも翡翠も忙しそうだったから、特には聞いてないけど……」
「……そうですか」
「……一体どうしたんだ? 何だか、今日はいつものシオンらしくないと言うか……」
「気のせいでしょう。不要な心配はいりません」
「だけど……やっぱり昨日の今日で、まだ体調的に優れてないんじゃないか?」
「え? ……あ」
志貴のその言葉で、私はあることを思い出した。
そうだ。
私は昨日、さつきに会いに例の路地裏へ行って、そこでまた妙な手紙を拾って、それを読んですぐに気を……。
「ほら、昨日、チャイムを押したところで気を失って、屋敷の前で倒れてたんだろ? 琥珀さんが言ってたよ」
その言葉を、自分の中で咀嚼して解釈する。
昨日の私の記憶は、あの路地裏で途切れている。
そんな私が、自力で屋敷まで帰ってこれたとは考え難い。
なら、誰かに連れてきてもらったと考えるべきだろう。
誰に?
簡単すぎる問いだ。
さつきに決まっている。
意識を完全に失う直前、朧気ながらさつきの姿を見た記憶が微かにある。
まったく……心配になって会いに行った私が、逆に迷惑をかけてしまっては元も子もない。
「……あぁ、そうでしたね」
彼には見えないよう、自嘲気味な笑みを口の端に浮かべる。
「別に外傷も熱もないみたいだから、休ませておけば大丈夫とは聞いたけど……何かあったら、遠慮なく言ってくれよ?」
私のことを真に思ってくれている彼の気持ちに、心が喜びでうち震える。
だけど、それに甘えるわけにはいかない。
これは私自身の問題。
無関係の彼を、みすみす危険に晒すなど横暴且つ無神経にも程がある。
だから、私は笑顔で答えた。
「気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます。それより、学校へ行かなくて良いのですか?」
「え? あっ、もうこんな時間!?」
腕時計に視線を落とすなり、そこに示された時刻を見て急に志貴が慌て出す。
「ごめん、もう行かないと! この手紙、ここに置いておくから! 何があったか知らないけど、無茶して体を壊すようなマネはしないでくれよ? それじゃ!」

――バタン!

矢継ぎ早に言葉を私に投げ掛けると、赤い封筒を机の上に置いて、その勢いのまま彼は部屋を飛び出して行った。
ドタドタという足音が、次第に玄関の方へと遠退いていく。
一人きりになった部屋の中、再び満ち始める音の無い空間。
耳孔内で反響する音なき音に軽い目眩を覚えながら、私は机の上をただ凝視していた。
「……」
重々しい腰を上げ、そちらへと歩み寄る。
瞬間、視界に飛び込んでくる赤という色。
「うっ……」
それを見ただけで、気分が悪くなり、背筋を悪寒が駆け抜けた。
血を連想させる赤を視界に入れただけで、こんなにも苦しくなるなんて……。
その場で目を閉じ、全身を使って深く深呼吸する。
闇色に転じた視界の中、徐々にだが心が落ち着きを取り戻してゆくのを感じる。
頃合いを見計らい、私は瞼を開いた。
再び、瞳孔を貫き脳を刺激し始める赤の色彩。
……気分は優れない。
だけど、それもさっきほどではなかった。
封筒を手に取り、まじまじと眺める。
一昨日の手紙と違うところは、封筒の色と、裏面に書かれている宛名が“シオン”という私のファーストネームだけというところだ。
しかし、この手紙が例の件と無関係などとは、到底考えられなかった。
しばしの間迷った後、私は――

――ビリビリ。

――中身を見ることなく、封筒ごと破いてゴミ箱に捨てた。
くだらない。
こんな手紙、見るからいけないんだ。
読まずに破り捨ててしまえば、中に書かれているのがどんな内容であれ、恐るるに足りない。
こんなものに割いている時間があるなら、それを研究に回すべきだろう。
椅子に腰を下ろし、私は二日ぶりに机へと向かった。
机上は一昨日と同じ状態で、途中まで読んでいた書物が、そのページを開いたまま放置されている。
「さて、と……」
腕を軽く交差させて伸びをした後、私は優れない体調をおして、視線を読みかけの書物へと落とした。

月夜 2010年07月04日 (日) 02時18分(222)
題名:Crimson Nightmare(第十章)

「……良い景色」
ポツリ、そんな呟きが自然と漏れた。
俯瞰する光景はそこにある全てが小さい。
巨人っていうのは、きっとこんな感じなんだろうな。
「風も気持ち良いなぁ……」
正面から勢い良く吹き付ける風。
普段なら生温くまとわりつくだけであろうそれも、全身を濡らした今の私には冷やっこくて心地良かった。
「貴方も、そう思わない?」
私は隣の女の子にそう語りかけた。
「あ……あぁ……」
でも、その名も知らぬ彼女は、私の隣でガチガチと歯を鳴らし、恐怖に表情を歪めているだけ。
この子は、何をそんなに怖がっているんだろう?

――バタン!

「美奈!!」
不意に、背後からそんな呼び声が聞こえてきた。
もちろん、私は美奈なんていう名前じゃない。
私には、祇音っていう名前があるんだもの。
誰が付けてくれたかもわからないけど、結構気には入っている。
祇という文字が、祈という言葉を連想させるからだ。
祈りなどという儚い音を紡ぐ哀れな少女。
ふふっ……昔の私にぴったりだ。
「お……母、さん……」
必死に首だけを捻り、母のいる方を振り返る美奈ちゃん。
次から次へと浮かんでは零れ落ちる涙が、足下のコンクリートを点々と黒く染めていく。
「その子を……美奈を放してっ!!」
「祇音ちゃん! バカなマネはよすんだ!!」
私の背に掛けられる悲鳴にも似た声。
その声に応えることなく、私は美奈ちゃんへと語りかけた。
「美奈ちゃんって言うんだ? 良い名前だね」
「あ……あぁ……」
それでも、彼女の反応はまるで変わらず。
ただ私のことを見つめたまま、何も言えずにいた。
「何歳?」
「……き、9歳……」
「そう。それじゃあ、私の方が4つお姉ちゃんだね。9歳ってことは、今小学校三年生かな?」
「う……うん……」
片言で返事はするものの、依然として声色は固く、明確なまでの怯えを孕んでいた。
「私の事、そんなに怖い?」
「……」
強張った固い表情のまま、コクンと頷く。
「……どうして? 私、そんなに怖い顔してるかな?」
「……」
私の問いに、今度は首を横に振った。
「じゃあ、私の何が怖いの?」
「……だ、だって……いっぱい、人、殺して……」
途切れ途切れの涙声で、彼女は初めて言葉を発した。
「それが怖いの? 美奈ちゃんは、自分が殺されるかもしれないのが怖いんだ?」
「……」
美奈ちゃんが震えながら頷く。
なんだ、美奈ちゃんも死ぬのが怖いんだ。
みんなもだけど、どうしてそんなに死ぬのが嫌なんだろう?
わからない。
私は知ってる。
つまらない、しんどい、ダルい、めんどくさい……みんな、そんなことばっかり言ってるから、私がせっかくその苦しみから救ってあげたのに、最後の最後まで怖がって、悲鳴を上げて、抵抗して……。
どうして生きたがるんだろう?
生きるのも嫌、死ぬのも嫌。
なら、一体どうしたいって言うんだろう?
「美奈ちゃんは、どうして死ぬのが怖いの?」
「ど、どうしてって……」
「生きてたって、嫌な事ばっかりなんだよ? 大人の人はみんな言ってるもの……ねぇ?」
私は、そこで初めて背後を振り返った。
青ざめた顔の大人たちは、私の視線を真っ直ぐに見つめ返すことができず、反射的に目を逸らす。
「ほらね? ここにいるみんなも、心当たりがあるんだよ。生きてたってロクなことがない。そのことを知ってるから、みんな何も言わないんだよ」
「そんなことない!」
聞こえてきた声に、私は美奈ちゃんに向けていた視線を再び後ろへと戻した。
そこに見えるのは、周囲の医者や警官の抑止を無視して、こちらへと食ってかかる美奈ちゃんの母親の姿だった。
「生きてさえいれば、楽しいことは絶対にある! 美奈にだって祇音ちゃんにだって、必ずあるわ!!」
「うん、知ってるよ。私が言ってるのは、楽しい事と嫌な事、どっちが多いかっていうこと。ねぇ、貴女はどっちが多いと思う?」
「それは……」
しばらく言葉を迷った後、彼女はこう言った。
「楽しい事の方がきっと多いわ!」
「……本当に?」
「本当よ!」
私の再確認にも、彼女は自分の言葉を取り消そうとはしなかった。
「ふ〜ん……そんなこと言うんだ? それじゃ、ちょっとしたゲームをしよっか」
「ゲ、ゲーム……?」
「そ。私と貴女のね。ルールは簡単。私は人生において嫌な事を挙げていく。そして、貴女は人生において楽しい事を挙げていく。先に言葉に詰まった方が負け。どう? 本当に楽しい事の方が多いなら、私はどうやっても勝てないはずだよね?」
「そ、それは……」
答えに困る彼女。
だけど、待ってなんてあげないんだから。
「じゃあ、まずは私からね。最初は……そうね。お金がなくなっちゃうこと。はい、次は貴女の番だよ」
「え、あ、えっと……お、お金が沢山あること!」
「え〜、なんかそれ卑怯だなぁ……まぁ、いいや。じゃあね〜……定職に就けないこと」
「えっと……き、希望の職場に就職できること!」
「またぁ? ……就職できた職場から、急にリストラされちゃうこと」
「あ、え……リ、リストラなんかされず、定年まで勤められること!」
「それはズルいかなぁ。そんなの、私の言ったこと否定して最後にちょちょっと文章付け足すだけじゃない。もっと新しいこと言ってよ。……まぁ、次からでいいや。それじゃあねぇ……家がいきなり壊れちゃうこと」
「と、友達ができること!」
「失敗をして、偉い人に怒られること」
「美味しい物を食べること!」
「信じてた友達に裏切られちゃうこと」
「欲しい物を手に入れること!」
「道歩いてて、交通事故に巻き込まれちゃうこと」
「試験に合格すること!」
「お金を預けてた銀行が潰れちゃうこと」
「えっと……ど、努力が実ること!」
「なんか曖昧だなぁ……もっと具体的なのしかダメだよ。それも、次からでいいけどさ。じゃあ、重い病気にかかっちゃうこと」
「あ、え……と、友達と一緒に遊ぶこと!」
「ブッブー。前に友達ができることって言っちゃったから、それはダメー」
「えっ……そんな……」
「あれ? もうないの? カウントダウン始めるよ。10、9、8……」
「ま、待って! す、直ぐに言うから……」
「7、6、5、4……」
「え、えっと……し、社会で成功すること!」
「それもアウトー。漠然とした答えはダメって言ったよ? ほら、もうないの?」
「ま、待って……!」
「3、2、1……」
「お願い! 止めて!」
「……0」
「止めてええええええぇぇぇぇっ!!」
彼女の叫び声が、周囲に痛々しくこだまする。
周りの人々は、泣き崩れる彼女のことを、不安げな眼差しで為す術なく見つめるのみ。
「ふふっ……あっはははは!」
それとは対照的に、私は高らかな笑い声を上げた。
なんだ、やっぱり嘘だったんだ。
楽しい事はいっぱいあるとか言っておきながら、実際に言わせてみればあの程度。
嫌な事なんて、まだまだ数え切れないくらいあるって言うのにね。
「美奈ちゃん、わかった? 生きてても楽しい事なんてほとんどない。その何倍も、嫌な事の方が多いんだ。なら、死んだ方がきっと楽だと思わない? 死ぬ一瞬の痛みさえ我慢したら、後は嫌な事なんて何もないんだから」
そう言って、私は右手に持っていた果物ナイフを振り上げた。
地塗られた白刃が、陽光を浴びて妖しく輝く。
「っ!? 美奈に何をするつもりなのっ!?」
「貴女、私とのゲームに負けたでしょ? だから、罰ゲームだよ」
「止めて! 美奈には手を出さないで! 私になら何をしてもいいからっ!」
「何を言ってるの? 罰ゲームっていうのは、その人が嫌がる事だからこそ罰ゲームなんだよ? 罰を受ける側が望むことをやったって、罰ゲームになんかならないじゃない」
「止めてっ! お願いだからぁっ!!」
「祇音ちゃん! 止めるんだ!」
数多の引き止めの声が私に降り掛かるが、聞く耳持つ気なんてさらさらない。
今の私の視界に映るのは、今からこの右手を降り下ろすその先だけ。
「それじゃあ美奈ちゃん。今、お姉ちゃんが楽にしてあげるね」
「……」
私の言葉に、美奈ちゃんは何も言わなかった。
私のことをただ見つめるだけ。
しかし、その目はさっきまでのそれとは明らかに異なっていた。
純真無垢な瞳の奥に覗けるのは、まるで哀れむかのような哀しい色。
それは、今まで私が楽にしてあげてきた人たちとは、決定的に違う眼差し。
「……美奈ちゃん。最後に一つ聞いてもいいかな?」
「……何?」
「美奈ちゃんは、私のことをどう思う?」
「……」
しばらく押し黙って俯いた後、美奈ちゃんはゆっくりと顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめたまま、こう切り出した。
「……可哀想な人だと思う」
「私が……可哀想?」
「うん。だって、生きてても楽しくないだなんて、すごく可哀想。美奈は学校で友達と遊んだり、家ではお父さんとお母さんとお話ししたりして、毎日とっても楽しいもん。だから、お姉ちゃんにはそういう楽しいことがないんだって考えたら、何だかとっても可哀想に思ったの」
「……」
美奈ちゃんの言葉を聞きながら、私はただ固まっていた。
「お姉ちゃん、お友達いないの?」
「友達、ねぇ……私、ずっとこの病院の中だから、友達なんていないよ」
「じゃあ、美奈がお姉ちゃんのお友達になってあげる」
「えっ……」
この時、一体私はどんな顔をしていたのだろう。
きっと、目が点になるというのは、今の私みたいな状態を言うんだろうな。

月夜 2010年07月04日 (日) 02時20分(223)
題名:Crimson Nightmare(第十一章)

「美奈がお姉ちゃんのお友達になって、毎日お見舞いに来て、一緒にお話ししてあげる。そうしたら、お姉ちゃんも毎日が楽しくなるよ」
こんな私に笑顔を向けて、美奈ちゃんはそう言ってくれた。
心の底から沸き上がる嬉しいという気持ち。
そして、同時に芽生える愛しいという思い。
これらは、今まで随分と忘れていた……いや、もしかしたら今の今まで一度も抱いたことのない気持ちだったかもしれない。
だから、私は――
「……ありがとう、美奈ちゃん」

――ヒュッ。

「……えっ」
――躊躇いなく右手を降り下ろした。
ザクッという肉を断つ鈍い音がして、刃の食い込んだ首筋から勢い良く血飛沫が舞う。
「きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
より一層の力を込める。
だけど、人間の首というのが見た目に反して頑丈なのか、それともこの果物ナイフの切れ味が鈍すぎるのか、なかなか首を切断することはできなかった。
「美奈アアアアアアアアアアアアアアァァァァァァッ!!!」
「お゛母さああ゛ああ゛ああ゛あ゛あああ゛ああ゛あ゛あぁぁ゛ぁぁ゛ぁぁん!!!」
悲痛な悲鳴が周囲に轟く。
聞いているだけで、その苦痛の程が理解できるようだった。
腕に渾身の力を込め、押しながら深く斬り込み、次いで一気に腕を払うように引く。
瞬間、耳元で上がっていた悲鳴が鳴り止んだ。
切断された彼女の頭部が黒い塊となって落ち、そのまま地上へと落下する。
同時にその断面から溢れる血が、既に赤黒く乾いた私の体を、再度毒々しいまでの赤へと染め上げた。
「ふふっ……良かったね、美奈ちゃん。これで、もう何にも苦しまなくて済むよ」
私はただの肉塊と化してしまった体をその場に放り捨て、屋上から落ちてしまった彼女の顔を追って眼下へと目線を向けながら、慈しむようにそう囁いた。
倒れた小さな体躯は、二・三度大きく痙攣した後、動かなくなった。
「美、奈……どう、して……」
後ろから聞こえてくる弱々しい声。
その声の主は、力なく場にへたりこみ、ただ茫然自失とこちらを見つめるのみだった。
周囲の大人たちも、多少の差はあれみんな同じような反応だった。
私が美奈ちゃんを殺した意味が、まるでわからないと言った風だ。
だけど、私には何がわからないのかがわからなかった。
美奈ちゃんは、私の友達。
なら、私が美奈ちゃんを殺してあげないといけない。
だって、生きてたって良い事より嫌な事の方が圧倒的に多いんだもの。
友達を救いたいと思うのは、至極当然のことでしょう?
さて、これで私の役目は終わりかな。
そろそろ、自分自身を救ってあげなきゃ。
「それじゃあみんな……」
私はその場で体を反転させ、唖然とする大人たちの方へと向き直る。

――バイバイ。

そう告げて、背面方向に体重をかける。
ぐらりと傾いた私の体は、何物にも阻まれることなく、重力に任せるまま自由落下し、頭から地面に激突する。
そして、原型を留めないくらいにぐちゃぐちゃに潰れて、私の生は幕を閉じる。
……そのはずだった。

――あれ?

体が言うことを聞いてくれなかった。
背側に倒れ込もうとしても、まるで動いてくれない。
まさか……私も、死ぬのが怖いの?
そう思った。
だが、そうではなかったことを、私は数瞬の後文字通り身をもって知ることとなる。

――え?

気付いた時、私は柵を越えていた。
何もできず立ち尽くす大人たちの方へ、私はゆっくりと歩みを進めていく。
おかしい。
私は、こんなことをしようとはしていない。
足が……言うことを聞かない?
足だけじゃない。
目も口も腕も、私の命令に一切従わなかった。
まるで、私じゃない私に操られているみたいだ。
そんな私じゃない私は、大人たちの元へ辿り着くと、迷いなく手に持った刃を振るった。
まず、美奈ちゃんの母親を、彼女と同じように首をはねる。
唯一違うところは、手こずることなく一刀の下に叩き切ったことだ。
怯え、悲鳴を上げる他の連中に対しても無慈悲。
心臓を突き、陰腹を切り裂き、頭部に刃を叩き込む。
一切の温情なく、どこまでも深く残酷に。
立ち上がる絶叫が消えた時、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わり果てていた。
辺り一面を染め尽くす赤と、漂う生臭い血の匂い。
「……ふふっ」
笑っているのは誰?
私だ。
でも、これは本当に私?
私の中に、私じゃない誰かの存在を確かに感じる。
あなたは誰?
「あっははははは!」
高らかに笑う私の身体を借りる誰か。
天を仰ぐ視界に映し出されるのは、どこまでも澄みきった青。

――綺麗な空……。

雲一つない空の大海は、まさに晴天と呼ぶにふさわしかった。

――……憎い!

刹那、私の身体に自由が戻る。
私は手に持っていたナイフを、そんな空目掛けて投げつけた。
それが最後。
もう、私の身体は私のものじゃなくなっていた。
あぁ、もしかしたら、空に投げたあのナイフが、私の上に落ちてくるかもしれないな。
いっそ、私の頭を串刺しにしてくれたらいいのに。
そんなことを考える。
だか、現実はそんなに甘くない。

――ギャリン!

アスファルトを打つ金属音が響き、私の最後の望みは断たれた。
「ふふっ、残念だったわね。貴女の負けよ。それじゃあ、今からこの身体は私のものってことで良いかしら?」

――好きにしなよ。私、もう寝るから。

私は投げやりにそう吐き捨てると、意識の瞼を閉じた。
全身を包む浮遊感にも似た微睡みに身を任せ、もう二度と目覚めることのない永久の瞑りへと誘われる。
そして私は――



















    ワタシニナッチャッタ


月夜 2010年07月04日 (日) 02時21分(224)
題名:Crimson Nightmare(第十二章)

「うっ……ぐぅっ……!」
寝苦しさに目が覚めた。
いや、寝苦しいなんてものじゃない。
自分が自分でなくなるような恐怖。
それは、さながら底なしの奈落へと堕ちていくかのよう。
あれは、悪夢なんかじゃない。
はっきりと覚えている。
あれは、夢なんてもので表現できる次元ではない。
何より夢の定義とは、あくまでも記憶の整理。
自分の体験した何か、印象に残っている何かが、絶対に関係してくる。
しかし、さっきのあれはまるで違う。
私の記憶や体験など、何一つと反映されていない。
何より、私がいない。
実体はもちろん、思考することすらなかった。
あれではまるで――
「……手紙を読んでいるよう」
ポツリ、呟く。
「くっ……」
私は胸を押さえて、ベッドから立ち上がった。
目眩を堪え、ふらつく足取りで机へと向かう。
椅子に手をつき、私は脇に備え付けてあるゴミ箱を覗いた。
暗がりのせいで視界は悪かったが、夜目に慣れた私の瞳には、確かに見えた。
ビリビリに破かれた、あの赤い手紙が。
膝をついて身体を机にもたれかけ、今にも倒れそうになる身体を支える。
ゴミ箱の中へと手を伸ばし、そこから数枚の紙切れを取り出した。
そこに書かれている文字を読み取る。
「……くそっ」
それが、あまりにも予想通りで、私は思わず悪態を付いた。
思考を働かせる。
だが、ノイズが混じり過ぎていて、分割するどころか人並みに思考するのが限界だ。
手紙の内容を反芻する。
最初、その次、そしてついさっきの夢を通じて読んだ最後の手紙。
最初のシオンは、39歳のデザイナー。
成功した友人への妬みから殺意に駈られる。
次のシオンは、26歳の会社員。
浮気した彼への嫉妬と、それでも尚冷めぬ深い愛故に狂い、浮気相手だけでなく愛した人をも殺してしまう。
最後のシオンは、13歳の少女。
死を救済、生を苦痛と見る歪んだ思想に走り、大量の人を殺めた挙げ句、心の奥底から現れたもう一人の自分に身体を乗っ取られてしまう。
最後の赤字の一文に目がいきがちだが、何より注目すべきは内容と登場人物の変化だろう。
最初は、ただの嫉妬からくる殺意。
これだけなら、多少狂っているとは言え、理解できなくもない。
しかし、次の手紙はただの妬みだけではない。
歪んだ愛憎に狂った病んだ殺意。
これは常人の神経では理解し難い感情だろう。
最後に至っては、最初から最後までひたすらに狂気の産物。
最終的には私がワタシに乗っ取られるなどと、常軌を逸している。
内容の密度だってそうだ。
最初のものは、生まれから最後まで、そこに至る過程が説明されていた。
だが、次の作品は浮気発覚後の数日からせいぜい数ヶ月程度。
極めつけの最後など、描写されているのはその当日のみだ。
さりげないが、登場人物の年齢も気になる。
39から26、そして13歳。
このペースで年齢が下がっていけば、もう次はない。
生まれてもいない人物の人生を、いかにして書くというのか。
これらの要素いずれもが、この次に届くであろう手紙の、得体の知れない薄気味悪さを演出している。
このままではダメだ。
次の手紙が届く日……恐らくは翌朝。
例え手紙を破こうと、強制的に読まされてしまう以上、その日をここで迎えてしまったら、もう私は私でいられない。
きっと私は……。

――シオン。

声が聞こえてくる。
私の名を呼ぶ、大切な人たちの声が。
ただの幻聴。
そんなことは分かっている。
今この場にいない彼らの声が、私の耳に届くはずがない。
しかし、それも私が本物と思えば、紛れもなき己の真実。
そしてそんな声が、私の中にある最後の理性を突き動かした。
「うぅっ……!」
消えそうになる自我を振り絞り、私は立ち上がった。
部屋を後にし、廊下へと出る。
時間が時間なだけに、電気は消されて薄暗く、誰かの気配も感じられない。
私は壁に身を預けながら、酷く緩慢な動きで前へと歩みを進めた。
ゆっくりと、だが確実に前へ。
……しかし、この廊下はこんなにも長かっただろうか。
普段なら、玄関まで辿り着くのに大した時間は掛からないのに……何だかもう何十分も歩いているかのようだ。
「はぁ……はぁ……」
ようやく廊下を歩ききった時、私は息も絶え絶えに、肩を激しく上下させていた。
ひっきりなしに額から滲み出す冷や汗を、拭う余裕さえない。
私は靴も履かずに玄関に下りると、脇目も振らず外の世界へと踏み出した。
冷たい風に全身を刺されながら、暗黒色の夜空を仰ぐ。
煌めく星々を装飾品に、漆黒の舞台を東から西へと優雅に舞う晧晧たる月。
「はぁ……っはっ……ふふっ……趣深い月夜ですが……呑気に眺めてもいられませんね……」
私は自嘲気味に口の端を歪めると、そんな月明かりを背に、最後の力で足を進めた。
宛はない。
目指す場所もない。
目的は一つ。
ただ遠く……ひたすら、少しでも遠くへ……。




朝、まだ月も沈んでいない早朝。
「……あら?」
一人の割烹着姿の女性が、郵便受けの前で首を傾げていた。
その手には、赤と言うにはあまりに鮮烈な色彩をした、一枚の真っ赤な封筒が。
「何でしょう……不気味ですね……」
そう呟きながらも、彼女はその封筒を他の郵便物と一まとめにすると、不安げな面持ちで屋敷へと踵を返した。

月夜 2010年07月04日 (日) 02時32分(225)
題名:Crimson Nightmare(あとがき)


























らめえええぇぇ! んじゃうううぅぅ!!

(主にレポート的な意味で)















はい、月夜です。
ホントにんじゃいそうなんですが、どうしましょう?
近年稀に見るスーパーレポートタイム。
英語関係三つに他教科書要約的なのが二つ。

ちょとこれはsYレにならんしょ……

正直、今この時に限っては、真面目に小説書いてる暇ががが(´・ω・`)


……え?
じゃあ今お前何やってんだって?
そりゃあれですよ。
授業中とか電車ん中とか、寝るか執筆するかしかないでしょ、JK。










こう見えても学生です(´・ω・`)












゜。゜(つ∀`)ノ゜。゜







さて、そろそろ逝っときますか、反省会(´・ω・`)

最初は、月夜らしからぬ作品を書こうとしてました。

月夜らしい=描写緻密過ぎてダルくなってあぼん。

月夜らしくない=リズム感を大事にテンポ良く読める作品を。

これだっ!

と思って書き出してみたはいいものの。
後半に行くに従ってなんか描写がいつものパターンに(´・ω・`)

そんなことだから、最初と最後で描写の量がえらい違いに。

なので最初からもう一度書き直して、結局いつもの型にはまってあぼん。


私としたことが、なんてこったい……(´・ω・`)




私ざまぁ! ざまぁ!(゜∀゜)


ゆっくり哀れんでいってね!



オワタ\(^o^)/


まぁ、でも作品的にはそこそこ気に入ってはいるんですけどね。

多少ヤンデレとかグロスなシーンが含まれてますが、まぁ大丈夫でしょ?


⊂(´・ω・`)⊃せふせふ
Ξ∪   ∪Ξ


今ふと思ったけど、これとアトリエの初期作品の赤い夜、紅の世界を繋げて読むのも、若干ありかもしんない。

大分文章構成に違いがあるかもだけど(´・ω・`)

後、今回初の試みとして、背景と文字色を特定の章でだけ変えるという暴挙に出てみました。(背景変えてるのは携帯の方だけです)
雰囲気出す為にやったんだけど、読みにくいわヴォケガァッ! って言われたら反省します(´・ω・`)
でも、基本こんなのをそう何度も何度もやるつもりはない……ってか、多分こんなの使うのはこれだけになると思いますのでご安心をば。


とりあえず、今回はこの辺りで幕引きとさせていただきます。

次回何を書くか、まだ検討中。
ただ、このスーパーレポートタイム乗り切るまで、本腰入れて執筆できないかもしれないんだZE☆(´・ω・`)

とりま、この作品に対する感想等ございましたら「小説感想アンケート板」または「小説感想掲示板」、「月夜に吠えろ」の方までドゾー(´・ω・`)ノ



ここまでは、人によって使うキャラ変えてたら、どれが自分かわからなくなりつつある月夜が、半ば錯乱状態のままお送りしました。









とりあえず、私はウホッではない(´・ω・`)

月夜 2010年07月04日 (日) 02時49分(226)


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