【広告】楽天市場にて お買い物マラソン5月9日開催予定

メルブラ短編置き場

ホームページへ戻る

書き込む
タイトル:Fotune 恋愛

――“もし”でしかなかった幸せの時は、確かな“幸福”となって二人の元に舞い降りる……はずだった。しかし、そんな二人のことを、やっぱり陰から見つめる何者かの姿が! 薄幸少女は、自分の願う幸せを手にすることが出来るのか!? If続編となる第十作目は、前回同様恋愛模様!

月夜 2010年07月02日 (金) 02時08分(171)
 
題名:Fotune(第一章)

「……良い天気だな」
待ち合わせ場所である広場のベンチに座り、志貴は空を仰ぎながら、一人小さく呟いた。
その視界いっぱいに隈無く広がる、無限の如く澄みきった遠い青空。
雲一つ存在しないそれは、まさに頭上高くに広がる大海そのものだった。
「……」
何気なく眼鏡を外してみる。
それでも、その瞳に映る世界は何一つと変わらない。
「……良い天気だ」
誰に言うという訳でもなく、もう一度だけ静かにそう呟くと、外していた眼鏡を掛け直し、視線を水平に戻した。
広場の周りに植えられた枯れ木達が、今の季節を雄弁に物語っている。
だが、それを思わせない程の陽光が、街全体にさんさんと降り注いでいて、肌寒さよりかは仄かな暖かみを感じた。
天気の良さに引かれたのか、冬の朝なのにもかかわらず、広場のあちこちに人の姿が見られる。
ジョギングしてる人や、犬の散歩をしている人。
それに、ベンチに座って読書に耽っている人もいる。
皆各々に、冬の最中に訪れた、一時の暖かな快晴の休日を満喫しているようだった。
「遠野くーん!」
そんな目覚めを間違った春を思わせるのどかな空気の中に、聞き慣れた声が響いた。
「ん……」
何気なく立ち上がり、声の音源へと目線を動かす。
その瞳に映し出されたのは、肩から下げた鞄を上下に揺らしながら、こちらへと駆け足で走り寄る、一人の少女の姿だった。
白のレンチコートを身に纏い、首元に巻かれた赤いマフラーが一際目を引く。
一歩駆け寄るその度に、今日の空のように鮮やかな青のロングスカートが、彼女の動きに合わせてヒラヒラ風と戯れる。
「遠野君、おはよう♪」
志貴の目の前まで来てから、その少女―さつきは、満面に笑顔を浮かべて言った。
「あぁ、おはよう。さ……弓塚さん」
一瞬“さつき”と言いそうになって、志貴は慌てて“弓塚さん”と言い直した。

――危ない危ない……これは夢の中じゃなかったな……。

口には出さず、自分自身に言い聞かせる。
「ごめんね。待たせちゃったかな?」
「ん……いや、そんなこと無いよ。俺も今来たばかりだから」
腕に巻いた時計に、一度だけ目を落としてから、志貴はやんわりと答えた。
実際には、軽く半時間ほどはベンチに座り続けていたようだったが、別にそんなことを敢えて言う必要は無いだろう。
さつきが罪悪感を覚えるだけだ。
「そう? 良かった♪」
さつきが朗らかな笑顔を浮かべる。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時09分(172)
題名:Fotune(第二章)

見ているだけで、こっちが幸せになれるような、無邪気で屈託の無い明るい笑顔。
それは、どこも取り繕っていない何気ない笑顔だったが……いや、それが何気ないものであればあるほど、胸の奥から愛しさが込み上げてくるようだった。
つられて、こちらまで自然と口元が綻んでしまう。
いつも、いつまでも見ていたい。
心の底からそう思った。
「ど、どうしたの?」
そんな志貴に、さつきが戸惑い気味に問いかける。
何故か、その頬をほんのりと赤く染めながら。
「え? 何が?」
その問いの意図するところが分からず、志貴が思わず聞き返す。
「だ、だって、さっきから、何だか私のことジーッと見つめて……」
「えっ!?」
そこで初めて、志貴はさつきの顔をずっと凝視していたという自らの行為に気が付いた。
「あ、い、いや、違うんだ! こ、これは別に……!」
恥ずかしそうにうつ向くさつきに、大げさ過ぎるくらいの身振り手振り付きで、志貴が慌てて弁解を述べる。
その顔色は、彼女とは比べ物にならないくらい、上気して真っ赤になっていた。
必死に言い訳を考える思考回路が、この場に適した言葉を模索し、拾っては切り捨てて、悪循環的な空回りをし続ける。
何か言わなければと思うのだが、その思いが強くなればなるほどに、口から言葉が離れていくようだった。
「えと、あの、そのぉ……」
慌てふためく志貴。
「……ふふっ」
「え?」
その耳に、突如として届いた彼女の含み笑いに、志貴は目を丸くした。
「どうしたの〜? 遠野君、そんなに慌てちゃったりして♪」
言いながら、さつきが悪戯っぽく笑う。
それを見てやっと、さっきの彼女のしおらしい態度が、良く出来た演技であったことを悟った。
「なっ! ……だ、騙すなよ〜」
志貴が口を尖らせながら、思わず顔をあらぬ方へと背ける。
ちなみに言うと、その表情が紅潮しているのは、恥ずかしさよりも、彼女の子悪魔的な笑みにドキッとしてしまったからだったりする。

――いつもの無邪気な笑顔もいいけど、こういう悪戯っぽい笑顔も、これはこれで可愛いかも……。

ついつい、そんなことを考えてしまう。
「遠野君って、可愛いね♪」
志貴の顔を覗き込みながら、さも嬉しそうにさつきが微笑む。
「バッ、バカ! からかうなって!」
より一層、頬を朱に染め上げる志貴。
「あはは、ゴメンゴメン♪ それじゃあ、行こっか♪」
そんな志貴の手を引いて、さつきが公園の出口へと歩き出す。
彼女の暖かい手に引かれながら、志貴は昨夜見た夢を思い出していた。
玄関にて立ち尽くす自分の眼前に、可愛い動物のイラストが描かれた、ピンク色の寝間着に身を包んでいる彼女の姿。

――……ちょっと見てみたかったなぁ……。

隣を歩く楽しそうな彼女に気付かれぬよう、志貴は内心密かに呟くのだった。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時13分(173)
題名:Fotune(第三章)

「……」
無言を保ったまま、翡翠は空を仰いだ。
その瞳に映し出されるのは、無限の如くどこまでも広がる、雄大な青空。
雲一つと無いその空は、まさに快晴という言葉の示す通り、快いまでに晴れ渡っている。

「……」

だが、そんな青空とは対照的に、それを見つめる翡翠の心には、薄暗い陰りが射していた。

――……はぁ。

心の中で深い溜め息を付く。
「あっ、翡翠ちゃん!」
隣から聞こえてくるのは、楽しげな声色で呼ばれる自分の名前。
「……何?姉さん」
うんざりとしたような調子で、翡翠がその呼びかけの音源へと向き直る。
「ほら、見て見て。広場の入口の方に、志貴さんの彼女と思しき人影が♪」
そこに居たのは、草場の陰に身を隠し、好奇の眼差しで広場の入口を見つめる琥珀の姿だった。
「あらあら、満面の笑顔で手なんか振っちゃって……う〜ん、青春ですね〜♪」
さも嬉しそうにそう言う琥珀の手には、一体どこから取り出したのか、小型の双眼鏡が握られていた。
この状況を、心から楽しんでいるようだ。
「あの……姉さん……」
そんな琥珀に向かって、翡翠がおずおずと口を開く。
「ん? な〜に? 翡翠ちゃん」
適当に返事をする琥珀。
その視線は、双眼鏡のレンズ越しに、待ち合わせ場所にて何やら話している、二人の姿を捕えたままだ。
「その……もう、止めにしない?」
無駄だろうとは思いつつも、とりあえず言ってみるだけ言ってみた。
「止める? どうして? 翡翠ちゃんは、志貴さんの事が気にならないの?」
目線を二人から外すことなく。琥珀が逆に問いかける。
「そ、そんなことは……だけど、お屋敷のお掃除が……」
「一日くらい、お掃除しなくたって平気よ。翡翠ちゃん、ただでさえキレイ好きなんだから」
「シーツを替えなきゃいけないし、お洗濯だって……」
「何言ってるのよ。翡翠ちゃん、そういうことは、いっつも朝一番にやってるじゃない」
「う……で、でも、姉さんこそ、夕飯の下ごしらえとか……」
「今日はお屋敷を出る前に終わらせちゃった♪」
「……あ、秋葉様……」
「は、今日は浅上女学院の寮でお泊まり……でしょ?」
琥珀が双眼鏡から目を離し、翡翠の方へと向き直りながら、口元に勝利の笑みを浮かべる。
「うぅ……」
翡翠がたじろぐ。
彼女が何を言おうと、常に琥珀の切り返しの方が一枚上手だった。
こういう時に限って、何故か琥珀の理論武装は強固だったりする。
それに、翡翠自身、口ではなんだかんだと言いつつも、やはり気にせずにはいられなかった。
なんてったって、自分が密かに慕っている人が、知らない誰かと二人っきりでデート。
ともなれば、気にならない方がどうかしている。
琥珀は最初から尾行する気マンマンだったし、幸か不幸か、今日は屋敷の当主である秋葉が丸一日不在だ。
志貴に失礼だとは思いつつも、翡翠は琥珀の口車に乗らずにはいられなかったのだ。
「翡翠ちゃんも見てみる?」
問いかけながら、琥珀が双眼鏡を手渡してくる。
「う、うん……」
それが悪魔の囁きと分かっていながらも、翡翠は複雑そうな表情で頷くと、琥珀の手からそれを受け取る。

――あぁ、志貴様……申し訳ありません……。

心の中で陳謝しつつ、翡翠は双眼鏡を構えた。
その奥に映し出される、黒いレザーコートを羽織った、頬を紅く染めてそっぽを向いている志貴の姿。
そんな彼に、からかうような笑みを向ける、白のレンチコートを身に纏い、赤いマフラーを巻いた一人の少女。
微かにだが見覚えがあった。
確か彼女は、志貴のクラスメートの女子生徒だ。
彼が貧血で早退した日などに、HR時に配られた宿題やらプリントの類を、何度か持って来てくれたことがある。
「……」

――……羨ましいな。

表明上では無言無表情を崩すことなく、心の中では羨望を露わに翡翠が呟く。

――……もし、私が……。

……分かってる。
今、自分の考えていることが、現実では決して起こり得ないことだということくらい、言われるまでもなく分かっている。
それが、ただの儚い妄想であることくらい、私が一番良く分かっている。

――……志貴様と……。

……そう、他の誰より、私自身が、一番……。
「あっ!」
と、唐突にすぐ側から聞こえてきた声に、翡翠の両目がその焦点を取り戻す。
双眼鏡のレンズの奥に覗ける視界。
そこには動かぬベンチがあるのみで、他には何も映っていない。
「翡翠ちゃん、二人が移動し始めたわよ」
ひそひそと、琥珀が小声で耳打ちをしてくる。
その言葉に、翡翠は双眼鏡から目を離すと、広場の入口の方へと視線を向けた。
そこに見える二人の姿。
少女が、志貴の手を引いて歩いていた。
「言われなくても、分かってます」

月夜 2010年07月02日 (金) 02時14分(174)
題名:Fotune(第四章)

本当は分かってなかったのだが、つい今しがたまで、変な妄想に思いを巡らしていたことを悟られないよう、普段通りの平然さを装って答えた。
「ぼーっとはしてられないわ! 私達も行くわよ、翡翠ちゃん!」
「……ちょっと待って」
今にも茂みを飛び出さんばかりに立ち上がる琥珀を、翡翠が呼び止める。
「? どうしたの? 翡翠ちゃん」
そんな翡翠の引き止めに、足を止めて首を傾げる琥珀。
その表情を見る限り、止められた理由などは皆目見当も付いていなさそうだ。
「……屋敷を出る前にも聞いたけど……」
琥珀の頭からつま先までを撫でるように見つめながら、
「……本当にそんな格好で行くの?」
不安と困惑の入り混じった複雑そうな表情で、翡翠が尋ねた。
「え?」
そんな翡翠の言葉に、琥珀が自分の体へと視線を落とす。
「……」
しばらくの間、黙って自分の姿を見続けた後、
「……何かおかしい?」
琥珀は首を傾げながら尋ね返した。
「……はぁ」
そんな姉の様子に、翡翠が重い溜め息を溢す。
今日の琥珀の身なりは、もちろん屋敷に居る時のような、茶の割烹着にエプロンといういつもの服装ではない。
だが、普段と変わらぬ服飾の方が、まだ怪しまれないことだろう。
……真っ黒なフード付きの外套を羽織った、今の彼女の姿に比べたら。
薄暗い曇りの日ならいざ知らず、こんな快晴の休日に、こんな黒一色の出で立ちでは、嫌が応にも目立ってしまう。
極めつけは、その頭髪だ。
金糸を彷彿とさせるような、陽光を反射して輝く鮮やかなブロンドの長髪。
無論、それが彼女の地毛であるはずがない。
カツラを頭に付けているだけだ。
もし、万が一志貴に見つかっても、正体がバレないようにという考えらしいが、逆効果なのは言うまでもない。
余りにアンバランスなこの配色は、確実に周囲の人の目を引き付けることだろう。
もう、何から突っ込めばいいのか分からないくらい、まさに全身ネタの塊のような彼女を前に、翡翠は、
「……すごく目立ってます」
とだけ告げることにした。
「そう? でも、どこからどう見ても、私には見えないでしょ?」
「まぁ……確かにそれはそうだけど……」
翡翠が複雑そうな表情を浮かべる。
確かに、この姿を見ただけでは、彼女が琥珀であることなど、志貴や秋葉でも見抜けないだろう。
だが、尾行をするという上においては、何かが根本的に間違っている気がしなくもない。
「それより……」
と、そんなことを考えていた折に、
「……翡翠ちゃんこそ、本気でそんな格好で二人の後を尾ける気?」
琥珀が唐突に切り返してきた。
「え? 私?」
聞き返しながら、翡翠が自分の服装へと目線を落とす。
その瞳に映る、少し黒っぽい、大きめのコートに身をくるみ、ジーンズをはいた自分の姿。
頭には、鍔のこれまた大きな帽子を被っている。
これに、今は懐にしまい込んでいるサングラスを掛ければ、たちまち迷探偵翡翠の完成だ。
「……目立たないでしょう?」
翡翠が確信に満ちた表情を浮かべる。
琥珀も本気だったが、翡翠もまた本気だ。
そのことは、平常時と何ら変わらない、彼女の眼差しが物語っている。
「……はぁ」
呆れたように溜め息を落とす琥珀。
「どうかしたの? 姉さん」
「……ううん、何でもないわ。さ、早く志貴さん達を追いかけましょう」
そんなどっちもどっちなやり取りが終わったのを境に、怪しげな二人組の少女達は、隠れていた茂みを飛び出し、駆け足で広場の出入口へと向かった。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時15分(175)
題名:Fotune(第五章)

歩き慣れた街道を歩く。
今まで、何度となく歩いてきた道だ。
いつもと違うところなんか、何もない。
「……」
歩きながら、私は視線を自分の隣へと移す。
そこに確かに居るのは、私と肩を並べて歩く彼の姿。
……そう、私のすぐ横にいる、彼の存在を除けば。
「……ん?」
私の目線に気付き、こちらを向いた彼と、思いがけす目が合った。
「どうかした?弓塚さん」
「えっ!? あ、う、ううん! な、何でもないよっ!?」
私は赤面しながら答えた。
語尾がしり上がりになっていることくらい、自分でも分かっている。
「そ、そう? ならいいんだけど……」
私の妙な気迫に押されたのか、遠野君が少し退き気味に返事をする。
我ながら、動揺を押し隠すのが下手な体質だ。

――でも……。

今度は前を向いたまま。視線だけを横に泳がせ、流し目で彼の横顔を覗き見る。

――……動揺するなっていう方が無理だよ〜。

心の中で呟いた。
右の手の平を持ち上け、自分の目の前に掲げる。
広場を出る時に繋いだ、彼の手の感触と暖かみが、今でも残っているかのようだ。
何となく気恥ずかしくなって、どちらからともなく手を離してしまったのが、悔やまれるような、それでいてどこかホッとしたような、何とも言い難い複雑な心境だった。
「ところでさ」
「ん?」
不意に口を開いた彼の方へ、私は子首を傾げながら向き直った。
「これからどうする予定なの?」
「え?」
あ、そうだ。
そういえば、今日のこのデートは、私から誘ったんだっけ。
昨日、ベッドの中で瞳を閉じながら、色々と今日について思いを巡らせていたことが、今でも鮮明に思い出せた。
「あ、うん。今日は、二人で映画でも見にいかない?」
“二人で”の部分を少し強調しながら、私は言った。
「映画かぁ……良いね」
そんな私の言葉の調子に気付いてか否か、遠野君がにこやかな笑みを浮かべる。
眼鏡のレンズ越しに見える彼の優しい瞳に、思わず引き込まれそうになった。
「それで、どんな映画を見に行くつもりなの?」
いや、引き込まれそうになったのは今更ではなく、本当は当の昔に惹き込まれていたのかもしれない。
優しく暖かく、それでいてとても大きな、彼という存在そのものに……。
「……お〜い、弓塚さ〜ん?」
「ひゃぃ!?」

月夜 2010年07月02日 (金) 02時16分(176)
題名:Fotune(第六章)

そんな恥ずかしいことを考えながら、心ここにあらずといった感じで、ぼんやりと遠野君のことを見つめていた私の意識を、彼の呼び声が呼び戻してくれた。
そのすぐ眼前にあるのは、訝しげに私の顔を覗き込む彼の眼差し。
「あ、え、えと……な、何?」
しどろもどろな口調で言葉を返す。
私のバカ〜!
これじゃあ、恥ずかしさを隠すどころか、逆に露呈しているようなものじゃない!
「大丈夫? 何だか、ちょっとぼーっとしてたみたいだけど」
「う、ううん、そんなことないよ」
私は慌てて首を左右に振った。
今、自分がどんな顔をしているのかなんて、早鐘をうつこの心臓が、考えるまでもなく教えてくれていた。

――はぁ……ふぅ……。

だから私は、自分を落ち着かせるために、一度だけ深く深呼吸をした。
……よし。
これで大丈夫。
「……で、何だっけ?」
私は、自分が落ち着いたことを確認してから、改めて遠野君に問い返した。
「いや、どんな映画を見る予定なのかなって」
「それなら、どこかでお昼を食べる時にでも、パンフレット見ながら一緒に決めようよ」
「そうだね。そうしようか」
遠野君が私に柔らかい微笑みを向けてくれる。
これで、本日のデートコースは決定だ。
「あ、でも……」
そんな折り、遠野君の口から困ったような呟きが漏れた。
「どうしたの?」
「まだ、お昼には少し早くないかな?ほら」
そう言って、遠野君が私の目の前に左腕を掲げる。
そこに着けられた腕時計の針が、私に今現在の時刻を教えてくれた。
時計の短身が、今ちょうど10の付近にさしかかったところだ。
「あ、ホントだ」
彼の言う通り、まだ昼食時までは些か時間があった。
待ち合わせの時間が、ちょっと早すぎたかな?

――……ん?

と、そんなことを考えながら歩いていると、その視界の隅に、一軒の大きな建物が映った。
何回か、学校の友達と来たことのある、大きな洋服店だ。

――……そうだ!

「ねぇねぇ、それじゃあさ、あそこで少し時間を潰さない?」
「あそこ?」
問い返しながら、遠野君が私の指差した先へと視線を送る。
「洋服屋で?」
「うん。遠野君に、色々と私の服を見立てて欲しいし」
上げていた腕を下ろし、彼の方へ向き直って微笑みかける。
「私も、遠野君の洋服、色々と見立てて上げるからさ♪」
「なっ……い、いいよ、そんなの……」
「恥ずかしがらなくてもいいじゃない。ほらほら、行こうよ♪」
「わ、分かった分かった。だからそんなに引っ張るなって」
広場を出た時同様、恥ずかしがっている遠野君の腕を引いて、私は意気揚々と駆け出した。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時17分(177)
題名:Fotune(第七章)

「さぁ、行くわよ。翡翠ちゃん」
「う、うん……」
怪しげな黒い外套を身に纏う、自称“正義の魔法少女”こと金髪姿の琥珀が、黒く大きなコートに鍔の長い帽子を被った、こちらも怪しげな探偵っぽい服飾の翡翠を引き連れて、道路の陰から陰へと伝っていく。
時折曲がり角から顔だけを出して、前方の様子を伺う。
その手に握られた双眼鏡が、太陽の光を反射して、眩しく黒光りしていた。
「あらあら、さっきまで手を繋いでたのに、離しちゃったみたいですね〜」
せっかくラブラブな感じだったのに〜、と、何とも言えず楽しそうな琥珀。
「……ね、姉さん……」
それとは対照的に、怯えた小動物のような眼差しで、周囲をキョロキョロと見回す翡翠。
「何? もしかして、“こんなことするのは、やはり志貴様に失礼です”……なんて、まだ思ってるの?」
双眼鏡から両目を離すことなく、どこか挙動不振な翡翠に声を掛ける。
「ううん……そうじゃなくって……って、そうなんだけど、今、私が言いたいのは、そんなことじゃなくって……」
翡翠がおたおたとした口調で答える。
何やら、いつもの冷静な時と違って、話し方がかなりたどたどしい。
「じゃあどうしたの?」
「……何だか私達、色んな人に見られてる気がして……」
絶えず瞳を動かし、周辺に目配せをしながら、翡翠が不安げな調子で呟く。
彼女の言う通り、道行く人々の視線は、その過半数どころかほぼ全てが、翡翠達二人へと向けられていた。
……まぁ、このような格好をした二人組が、目立たないはずがないのだから、当然といえば当然のことだ。
「……翡翠ちゃん、もしかして今更気付いたの?」
琥珀が呆れたように呟いた。
その足は、既に志貴達の姿を追って、曲がり角から飛び出していた。
「今更って……あ、ね、姉さん! ちょっと待って……」
その後ろ姿を追って、翡翠も慌てふためきながら、でも、周りからの視線が気になるのか、少し身を屈めた低い体勢で駆け出す。
「姉さん……もしかして、最初から分かってたの?」
今度は看板の陰に隠れた琥珀の元に追い付いてから、翡翠はその耳元で小さく囁いた。
「もちろんよ〜。だって、翡翠ちゃんがそんな格好してるんだもの」
「え? 私が?」
再度、翡翠が自らの体に視線を落とす。
そして、じっくりと、なめるようにその全身を見渡した後、
「……姉さんのせいじゃない?」
そう切り返した。
「ふぅ……翡翠ちゃんは困ったちゃんね〜」
そこでようやく、琥珀は双眼鏡から目を離すと、翡翠の前に立って、両腕を大きく広げてみせた。
「どう? 私の格好、そんなにおかしいところがある?」
「おかしいところって……その外套なんか特に……」
「翡翠ちゃんがそう思うのは、エプロン姿の私を、常日頃からずっと見続けているからよ」
「……それに、その金髪も……」
「それだって、毎日私を見ているからこそ生まれる違和感。他の人が見たって、別に何とも思わないはずよ」
それに比べて……と、言葉を繋げながら、今度は琥珀が言い返す。
「翡翠ちゃんの格好は、もう見るからに怪しいわ。こんな大きなコート着て、少し頭を下げたら、もうそれだけで顔が見えなくなっちゃいそうなくらい、縁の長い帽子を被った人の、どこが怪しくないと言うの?」
「う……」
翡翠が返す言葉に詰まる。
言われてみれば、そんな気がしなくもない。
何だか、だんだんと今のこの状況を作っている要因が、全て自分にあるような気がしてきた。

――おかしいなぁ……尾行と言えば、この服装が定番のはずなのに……。

心の中で呟く。
……それが、かなり間違った知識であることを、彼女はまだ知らない。
「あっ、志貴さん達、何かの建物の中に入ったみたいよ♪」
と、下顎に指を添えて、重々しい様子で考え込む翡翠をよそに、そう告げる琥珀の目線は、いつの間にか前へと戻されていた。
「翡翠ちゃん。私達も行くわよ」
「あ、ま、待って、姉さん」
「何してるのよ〜。ほらほら、急いで急いで♪」
戸惑う翡翠の腕を、楽しげな調子で琥珀が引っ張る。
周りの人々の視線を釘付けにしながら、二人はその建物―洋服店の中へと足を踏み入れていったのだった。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時18分(178)
題名:Fotune(第八章)

「……しっかしまぁ……」
首を左右へとせわしなく動かしながら、
「すごい規模の店だなぁ……」
誰に語りかけるという訳でもなく、志貴は感嘆の意を露わにした。
左を見ても右を見ても、おおよそここから見渡す限り、どこもかしこも洋服だらけだ。
しかも、この階層にあるものは、一つの例外もなく全てがレディースだというのだから、そう考えると尚更すごい。
一階はオールレディースで、二階はオールメンズ。
三階は子供服で四階は礼祭用。
そして五階は海外モノと、そのジャンル分けはすさまじいまでに徹底している。
この建物自体が、もうほとんど小規模な百貨店クラスの大きさであるが故に出来る、一種の荒業とも言えるだろう。

――何とも贅沢な使い方してるよなぁ。

「……ねぇ、遠野君……」
「ん?」
と、そんなことを呆れ混じりに考えていた矢先、不意に名前を呼ばれ、志貴は自らの背後を振り返った。
そこに見える、試着室のカーテンの隙間から、顔だけを覗かせているさつきの姿。
「どうしたの?」
「あ、あの……着替え終わったんだけど……」
おずおずとした控え目な口調でそう言いながら、

――シャッ。

さつきは、閉めていたカーテンをゆっくりと開いた。
たちまち、今までその布に隠されていた彼女の首から下の姿が、志貴の眼前に晒される。
淡い水色を基調とした、薄地のオフタートルのセーターに身をくるんださつきの姿。
その上に羽織ったグレーのジャケットと相まって、明暗のはっきりと分かれた画然的な美しさを感じる。
「に、似合うかな……?」
「え……あ、あぁ。すごく似合ってるよ」
そんなさつきの姿に見とれながら、志貴が心ここにあらずといった様子で答える。
「でも……」
そう言葉を繋げながら、志貴は彼女の下半身へと視線を落とした。
つい先ほどまで、青のロングスカートだったものが、その半分くらいの丈しかない紺色のミニのスカートに変わっていた。
そのことによって、今まで生地の下に隠されていた彼女のナマ足の、膝から下の部分が露出されている。
「……寒くない?それ」
「大丈夫だよ。ほら、今日なんか、とってもあったかいし」
「まぁ、そうだけど……」
無意識の内に、自然とその目線は彼女の足へと向けられてしまう。
「あ、あんまりジロジロ見ないで……は、恥ずかしいよ……」

月夜 2010年07月02日 (金) 02時19分(179)
題名:Fotune(第九章)

そんな志貴のあからさまな視線に頬を赤らめながら、さつきが壁に掛けていたコートを使って、外気に晒されている部分を隠す。
「あ、い、いや、そういう訳じゃ……う、うん!とっても良く似合ってるよ!」
動揺を隠そうとして、志貴が慌てて言葉を紡ぐ。
その妙な白々しさが、かえってその狼狽えの程を露呈しているのは言うまでもない。
「ホントに?」
「ホントもホント! バッチリだよ!」
「そう? じゃあ、私はこれに決〜めた♪」
さつきが溢れんばかりの笑みに表情を綻ばせながら、とても嬉しそうにそう言う。
そんな彼女を見ているだけで、何だかこっちまで楽しくなってくる。
「あ、ちょっとだけ待ってて。すぐに着替えるから」
再びカーテンが閉められる。
奥から聞こえてくる微かな衣ずれの音。
その内部の光景を想像しかけて、

――な、何を考えているんだ!俺は!

志貴は、音がするくらいの勢いで首を左右に振り乱し、頭に張り付く煩悩を、その片隅へと追いやった。
腕を組み、試着室に背を向けて、どこか深刻な表情でうつ向く。
時折、組まれた腕が震えているのは、彼の中で理性と欲望が激しい葛藤をしている証拠だろう。
「……」
チラッと背後に目を向ける。
依然として聞こえてくる衣ずれの音と、何やらもぞもぞと動いている彼女の気配。

――だ、だから、ダメだって! こんなの、弓塚さんに失礼じゃないか!

自らに対して強く言い聞かせる。
軽く上体を反らしながら、一度だけ深く深呼吸をした。
ゆっくりと膨張し続ける欲望を、理性という名のしがらみでがんじ絡めにする。
と、唐突に、試着室から聞こえていた音が途切れた。
勢い良くカーテンが開かれる。
「遠野君、お待たせ」
次いで耳に届いた彼女の声。
「あぁ」
後ろを振り返り、手短に応えながら、志貴は心の内で安堵の溜め息を溢した。
……まぁ、ちょっとは残念な気がしなくもなかったのだが。
「じゃ、今度は遠野君の番だね」
今さっきまで試着していた服を腕に掛けて、さつきが靴を履いて試着室を後にする。
「お、俺はいいよ……」
「ダ〜メ。ここに入る前に、ちゃんと見立ててあげるって言ったでしょ? それとも、私なんかじゃイヤ?」
陰りを含んだ残念そうな表情を浮かべ、うつ向き加減に少し頭を垂れながら、上目使いでこちらを見上げる。

――うっ……。

そ、そんな表情をされたんじゃ、断れる訳がないじゃないか……。
「い、いや、決してそんなことは……」
戸惑い気味に、歯切れ悪く言葉を返す志貴。
「ホントに? じゃあ行こう♪」
そんな困惑する志貴に向かって、先ほどまでとは打って変わったような笑みを向けるさつき。
ぐいぐいと腕を引っ張られながら、

――……何だか、今日は連れ回されっ放しだな……。

志貴はそんなことを考えつつ、さつきに引かれるがままに、二階へと続く階段を上っていくのだった。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時20分(180)
題名:Fotune(第十章)

「きゃ〜っ♪ ひ〜ちゃん可愛い〜っ♪」
琥珀の甲高い歓喜の声が、場違いな騒音となって周囲に響き渡る。
瞳を輝かせながら、どこか光惚ささえ感じさせるような表情の彼女が見つめる先。
そこにあったのは、試着室の中で、周りの人から向けられる驚愕と好奇の眼差しに、恥ずかしさを覚える翡翠の姿だった。
「ね、姉さん……ち、ちょっと静かに……」
辺りをキョロキョロと見回し、羞恥心から翡翠が琥珀に語り掛ける。
「だって、ひ〜ちゃんがこんなに可愛いらしいんだもの〜♪」
反省の色皆無で、とても嬉しそうな様子の琥珀。
「いっつもメイド服ばっかりだから、たまにはそんなのも良いでしょう?」
「それは……まぁ……」
翡翠がなぁなぁに答え、その目線を自らの体に落とす。
その服飾は、先ほどまでの怪しい探偵っぽいものではなく、普通の女性らしいものへと変貌していた。
ノースリーブの白いセーターの上に、紺色のジャンパー。
下にはジーンズで、頭にはニットキャップと、かなりボーイッシュな服装だ。
いつもと違うということもあり、かなり新鮮味を感じる。
何より、なかなか似合っていた。
「でしょでしょ♪ ひ〜ちゃん、やっぱりスタイルが良いから、何でも上手に着こなせちゃうんだろうな〜」
羨ましいな〜、と言いながら、相変わらずの朗らかな笑顔を向けてくる。

――私と姉さんのスタイルって、ほとんどおんなじじゃない。

「……それはともかく、その“ひ〜ちゃん”って何なの?」
そんなことを考えながらも、敢えてそれは心の中に押し止めて、翡翠は前々から抱いていた疑問を口にした。
「これなら、志貴さんに聞かれても、私たちだってバレないでしょ?」
琥珀がさも当然のことのように言う。
どことなく観点にズレを感じるのは、恐らく気のせいでは無いだろう。
「……まず、それ以前に、そんな大声出さないで……」
「ささ、そんなことは置いといて、次はこれ♪」
翡翠の呆れたような呟きなど全くノー眼中で、琥珀が新しい服をその眼前に差し出す。
「ね、姉さん、だから……」
「ほらほら、早く早く♪」
反論しようとする翡翠の体を、琥珀が無理矢理試着室の中に押し込む。
「着替え終わったら呼んでね〜♪」
「あ、ちょっと……」

――シャッ。

翡翠の抗議の声は、カーテンの閉まる乾いた音に遮られて、誰に届くこともなく空気の中に溶けてしまった。
「……はぁ」
翡翠の口から、重々しい溜め息が溢れる。
そして、仕方なく半ば強制的に突き付けられた衣服に目線を落とした。
「……」
……その服を睨んだまま、何故か無言の翡翠。
顔面蒼白とまではいかないが、その顔色は決して良好とは言い難い。
襟の部分を掴んで、腕を前に突きだし、その服の全容を確かめる。
「……え?」
そんな間の抜けた声しか、翡翠の口からは出てこなかった。
黒を基調としたマントは構わない。
だが、異常なのは、派手な装飾が至るところに散りばめられた、濃厚でカラフルなこの生地だ。
その肩の部分には、何やら突起物のようなパッドが付けられている。
何より、余りにも露出度が高い。
上は余裕でヘソ出しノースリーブだし、下に至っては超が付くくらいのミニスカートだ。
一体、膝上何十センチあるというのだろうか?
こんなものをはいていたら、普通に歩いているだけで下着が見えてしまいかねない。
「……あの、姉さん?」
カーテンの向こう側に居るであろう琥珀に向かって、翡翠が小声で話しかける。
「何? 着替え終わった?」
「いえ、そうじゃなくって……これは…………何?」

月夜 2010年07月02日 (金) 02時21分(181)
題名:Fotune(第十一章)

この場に適切な文章を思い付けず、何やら漠然と問いかける翡翠。
「何って……お洋服だけど?」
「だから、それは分かってるけど…………何で、こんなに露出度が高いの?」
「何でって、別に理由は無いわよ? ただ、ひ〜ちゃんが着たら似合うんじゃないかな〜、と思って」
琥珀があっけらかんと告げる。
思わず目眩を起こしそうになり、壁に手を付きながら、反対の手で自らのこめかみを押さえる。
この人は、一体どういう感性をしているのだろう?
第一、こんな服を、この店のどこから見つけてきたのだろう?
浮かんでは浮かんでくる幾多の疑問。
ありとあらゆる意味で謎だらけだ。
「……ん? どうかしたの?」
反応が無いことに不審感を抱いたのか、琥珀が怪訝そうな口調で尋ねる。
「……ううん……なんでもない」
「そう? じゃあ早く着替えてね〜♪ さっさとしないと、カーテン開けちゃうよ〜?」
力無く言葉を返した翡翠の耳に、琥珀の楽しそうな声がカーテン越しに届いてくる。
「……はぁ」
本日何度目かの深い溜め息を溢した後、翡翠はそのコスチュームと向き合った。
……どれだけプラス思考になれども、やはり見れば見るほど恥ずかしい。
だが、あの半トランス状態の琥珀に、恥ずかしいなんて訴えをしたところで、せいぜい満面の笑顔の内に黙殺されるのがオチだ。

――……着るしかないのね……。

翡翠は肩を落としながら、今まで試着していた衣服を脱ぐと、諦めたようにそのコスチュームへと袖を通した。
鏡の前に立ち、自分の姿をそこに映し出す。
未だかつて見たことの無い自分が、すぐ目の前に立っていた。
そこに、普段の彼女が漂わせている清楚さなど、微塵も感じられない。

――……これ、本当に私なの?

思わず自分で自分を疑ってしまうくらいだ。
服装が変わると、その人のイメージや雰囲気もその変化に伴うとは聞いていたが、まさかこれほど一変してしまうとは……。
「着替え終わった〜?」
「あ、うん……」
そんな自分の姿に、色んな意味で見とれていたからだろうか。
背後から聞こえてきた催促の声に、大して意識することもなく、反射的に肯定の意を返してしまった。
シャッという音と共に、カーテンが開かれる。
「えっ!?」
弾けたように、翡翠が背後を振り返る。
「きゃ〜〜〜っ♪ ひ〜ちゃんやっぱり可愛いすぎ〜っ♪」
空前絶後な彼女の姿に、琥珀が歓喜を通り越した狂喜の叫びを上げた。
またしても集中する周囲からの視線。
「……」
唖然と立ち尽くす翡翠。
臨海点を突破した恥ずかしさにより、頭の中は既に真っ白だ。
「それじゃあ、これ被って、これ持って……」
よって、傍でブツブツと呟く琥珀の声は、今の彼女に届くはずもなかったのだった。

――パシャッ!

「ひゃっ!?」
と、不意に瞳を貫いた眩い輝きと、シャッターの切られた時の乾いた機械音に、翡翠の意識はようやく現を取り戻した。
その視界に映る、どこから取り出したのか、高級そうな一眼レフを構える琥珀の姿。
ふと気付くと、いつの間に握らされたのか、右手には上部に星の付いたキューティクルなステッキと、頭には紫色のトンガリ帽子が。
「……」
「♪♪」
同じ顔に相反する表情。
醸し出される一種独特の沈黙が、人々の眼差しを更に釘付けにする。
「きゃああぁっ!!」
そんな空気を破って、翡翠は悲鳴と共にカーテンを締め切った。
強く脈打つ心臓は、胸の上に手を置かずとも、その激しさを全身で感じ取ることができた。
言うまでもないが、それが心地よい脈動であるはずもない。
試着室内の鏡の中に、今の自分の姿が映り込む。
露出度の高い服装と、背に羽織った漆黒のマント。
右手にステッキ、そして頭にはトンガリ帽子とくれば、もうあれしかないだろう。
「姉さんのバカ……」
弱々しく呟く翡翠。
「ふふっ、良いものが撮れました〜♪」
その背後、試着室の向こう側には、いつもより一層の笑顔でカメラを抱える琥珀。
そのフィルムには、魔女っ娘翡翠の姿が、鮮明に収められていたのだった。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時22分(182)
題名:Fotune(第十二章)

「ねぇ、遠野君」
「うん?」
不意に隣から呼ばれた名前に、俺はそちらへと目線を動かした。
「何?」
「そろそろ、お腹減ってこない?」
弓塚さんが、どこか控え目に問いかけてくる。
そこに微かに覗ける罪悪感みたいなものは、ただの気のせいだろうか?
「え? そうだなぁ……」
俺は曖昧に言葉を繋げながら、二人分の洋服で少し重たくなった腕を持ち上げた。
腕時計に示された現在の時刻へと目を落とす。
短針、長針両方が、12の部分を少し回ったくらいだった。
確かに、そろそろ昼食時だな。
「うん。少し減ってきたかな」
そのことを確認した後、俺は笑顔で相槌を打った。
「じゃあ、お昼食べに行こっか」
「そうしよう。どこに行く?」
「良く友達と行く喫茶店があるんだけど、そこはどうかな?映画のパンフレットとかも、結構沢山置いてあるんだけど……」
「よし。じゃあ、それに決定。弓塚さん、道案内よろしくね」
「う、うん……」
弓塚さんが、やっぱりぎこちなく首を縦に振る。
さっきの洋服店を出てからというもの、何だか少し元気が無い。
彼女本来の朗らかな笑顔も、すっかりその陰を潜めてしまっている。
一体どうしたんだろう?
何か、気に障るようなことをしてしまったんだろうか?
言動はもちろんのこと、何気ない行動一つ一つにも、常に気を付けていたつもりなのだが……。
もしかして、無意識の内に何かしらのNG的な事をしてしまったのか?
今日、今まで過ごしてきた彼女との時間の、ありとあらゆる方面へと思考を巡らせてみる。
……が、一体何が原因なのか、皆目見当すら付かない。
「……」
無言を保ったまま、ちらっと彼女の横顔を盗み見る。
朝出会ってすぐの時の笑顔とは、まるで打って変わったかのような寂しげな表情。
寂しげと前述したが、見方によっては、その表情は悲しげにも見えたし怒っているようにも見えた。
「……」
「……」
二人の間に、次第に満ちてゆく気まずい沈黙。

――ど、どうしよう……。

何か掛ける言葉は無いかと必死に模索するものの、この場に適切と思えるような文章は、たった一つと見つからなかった。
どうして、女性の悲しそうな表情というものは、こうまでも男の心を掻き乱すのだろう。
無数の言葉の取捨選択の中で、行き場のない焦りだけが募ってゆき、胸の内が空虚な空回りをし続ける。
「……やっぱり、私が持つよ!」

月夜 2010年07月02日 (金) 02時23分(183)
題名:Fotune(第十三章)

と、そんなことを考えていると、急に大声を上げて、弓塚さんが俺の方に手を伸ばしてきた。
「え?」
戸惑う俺には目もくれず、半ばふんだくるようにして、二人分の洋服が入った紙袋をその手に持つ。
何やら、いつもの温厚な彼女と違い、かなり激しい剣幕を感じた。
「ど、どうしたの? 急に……」
不思議に思って問いかけると、弓塚さんは、やっぱりどこか気の毒そうな表情をしたまま、俺の顔を見上げた。
「だって……洋服代、私の分まで出させちゃったから……」
少しうつ向きがちに、視線を地面へと落としながら、消え入るような弱々しい声で、弓塚さんがボソボソと呟く。
その瞬間、先ほど彼女から感じた罪悪感の正体に気付いた。
なるほど。
それが理由で、あんなに黙りこくっていたのか。
紙袋の紐を握る、力の込もった彼女の両手を見て、俺は自分の推測に確信を覚えた。
「バカだなぁ。そんなの、全然遠慮なんかしなくたっていいのに」
彼女の中に芽生えつつある不安を打ち消せるようにと、俺は努めて明るく笑った。
「俺が自分から買ったんだから、弓塚さんが気を悪くすることないよ」
「でも……」
それでも、依然として暗雲の晴れない彼女の表情。
全く……優しくて遠慮がちなのは、弓塚さんの良い所なのだけれど、俺に対してまでちょっと遠慮し過ぎだ。
その洋服代だって、二人分合わせても一万を少し越したくらいのものだ。
確かに、一般的な高校生にとったみれば、それは決して安いとは言い難い金額ではあったが、二人分ということを含めて考えれば、そこまで高額という訳でもないだろう。
いや、質の面から考えれば、むしろ少し安いとも言える。
だが、無論そのような理屈めいたことで、彼女の心に安寧をもたらすことが出来ないのは明確だ。
再度思考を巡らせ、次に言うべき言葉を探す。
「……それじゃあ、これは俺からのプレゼントだと思ってよ」
ふと、そんな言葉が口を突いて出た。
「プレゼント?」
その言葉に、弓塚さんがゆっくりと顔を上げる。
「そう、プレゼント。それだったら良いだろう?」
もう一度、今度は何を考えるということもなく、自然と口元を綻ばせた。
我ながら、なかなか上手いこと言ったものだ。
何気なく腕を伸ばし、彼女の手から紙袋を受け取る。
「……うん! ありがとう!」
弓塚さんの表情に、いつもの明朗な笑顔が戻ってくる。
「それじゃあ、このプレゼント、来週のデートの時に着てくるね♪」
「あぁ……って、ら、来週!?」
「うん。来週。あ、それとも、私と二週連続でデートなんか、嫌だって言うの?」
「い、いや、決してそんなことは……」
「なら決定! 遠野君も、私が見立ててあげた服、ちゃんと着てきてね?」
「あ、あぁ……でも、黒の革ジャンなんか、今まで着たこと無いからなぁ……」
「大丈夫。とっても似合ってたよ♪」
良かった。
弓塚さんの、嬉しそうな微笑みを見ながら、俺はそう思った。
やっぱり、彼女はこうでなくっちゃな。
「あ、遠野君。あれ」
そう言って、弓塚さんが街道の一角を指差す。
「ん?」
その指が指し示す先へと、視線を流す。
そこにあったのは、どこかゴシック調に彩られた、なかなか小洒落たデザインの喫茶店だった。
「あれが、さっき言ってた良く友達と行くっていう喫茶店?」
「うん、そうだよ」
さりげなく目線を下に落とす。
長針は4の付近を指し示していた。
ちょうど良い時間だな。
「よし。じゃあ、入ろっか?」
「うん」
笑顔で頷く弓塚さんを引き連れるような形で、俺はその喫茶店へと歩みを進めた。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時24分(184)
題名:Fotune(第十四章)

「何やってるの? 翡翠ちゃん、急いで急いで!」
曲がり角に身を潜めて、催促の言葉と共に琥珀が翡翠を手招きする。
「はぁ……はぁ……ち、ちょっと待って……」
息を乱し、サングラス越しに見える琥珀を頼りに、翡翠がそちらへと駆け足で走り寄る。
その服装は、先ほどまでの怪しい迷探偵風なものではなく、上は紺色のジャンパーに下はジーンズ、頭にはニットキャップと、試着室で試したそのままの姿だった。
因みにさっきのコートやら帽子やらは、右手にぶら下げられた大きな紙袋の中に、ぎちぎちと押し込められている。
多分、今頃は皺だらけで着れたものじゃなくなっているだろう。
あれから志貴達が洋服店を後にするまで、翡翠はさながら琥珀専用の着せ替え人形と化していた。
こんなもの、一体どこから見つけてくるのだろう、と思えるような品ばかりを、次々と手渡してくる琥珀。
チャイナからナース、制服やウェイトレス、挙げ句の果てには、訳の分からない熟語の散りばめられた特攻服まで、そのジャンルは多種多様に渡った。
拒否したかったのはやまやまだったのだが、「彼にも、ひ〜ちゃんの可愛らしい姿を見せてあげませんとね〜♪」と、さも嬉しそうに言いながら、クルクルと一眼レフを回す琥珀を前にしては、拒絶など出来ようはずがない。
そんなことをしたら、後々どうなることか……。
従って翡翠には、黙してこの状況に甘んじる他、術は無かったのだった。
その時に着せられた服の内、琥珀の目にかなってしまったもののいくつかは、今も翡翠の左手からぶら下がる紙袋の中に、結構な重量を伴って内蔵されていた。
「もう、ぐずぐずしてたら置いていかれちゃうでしょ?」
相も変わらず、双眼鏡を構えた姿勢のまま、幼子を諭すような口調で、琥珀が翡翠に声を投げ掛ける。
「そ、そんなこと言っても……」
そんな琥珀の隣では、やっとの思いで追いついた翡翠が、息も絶え絶えで膝の上に手をついていた。
たかが洋服、されど洋服。
数集まると、やはりなかなかの重さだ。
「さてさて、次はどこへ行くのかな〜♪」
「はぁ……っはぁ……そろそろお昼時ですし、喫茶店かレストランにでも入るんじゃないですか」
苦しそうに肩を上下させ、乱れた呼吸を整えながら翡翠が言う。
「え? あ、ホントね。もうこんな時間」
琥珀が懐から取り出した懐中時計に目を落としながら、微かな驚きの声を上げる。
そして、そんな二人の目の前で、志貴たちは一件の喫茶店へと足を踏み入れたのだった。
「すご〜い、さすがは翡翠ちゃん♪」
琥珀が胸の前で手を合わせて、翡翠に対する感嘆の意を表す。
「当たり前です。このくらいのこと、常識的に考えれば直ぐに分かります」
そんな琥珀に対して、翡翠が淡々とした口調で言葉を返す。
まぁ、実際は、疲れたから座りたいという、翡翠自身の希望的観測も含まれていたりいなかったり。
「さ、それじゃ、私達も急いで行くわよ〜♪」
「あ、だ、だから、ちょっと待ってって……」
再び前方へと走り出した琥珀を追って、翡翠は息も整わぬ内に駆け出すのだった。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時24分(185)
題名:Fotune(第十五章)

「お待たせいたしました」
両手で紅茶のカップを持った、一人の赤髪のウェイターが、志貴とさつきの座るテーブル席の傍で立ち止まる。
「ありがとう」
丁寧に置かれていく食後の紅茶を前に、志貴は簡潔な言葉で感謝の意を告げた。
そのウェイターが、控え目な笑顔でその言葉に応える。
「それでは、どうぞごゆっくりとお寛ぎ下さい」
テーブルの端に伝票を置き、軽く頭を下げると、そのウェイターはゆったりとした足取りで調理場の方へと戻っていった。

――結構、感じの良い喫茶店だな。

紅茶のカップを持ち上げ、その後ろ姿を見つめながら、志貴はそんなことを思った。
容姿そのものは、余り営業向きとは言えない……と言うか、有彦が見たら一発で喧嘩になりかねないタイプのものだったが、その動作はなかなかに洗練されていた。
料理を置く時の手つきや、客に礼を言われた時の態度などを見れば、そのことが良く分かる。
「あ、遠野君、あったよ」
向かい側で、パンフレットと睨み合っていたさつきが、あるページを開いたままのそれを志貴の方へと手渡す。
「ん?」
カップをテーブルの上に置きながら、もう片方の手で志貴がそれを受け取る。
そのページに記載されていたのは、映画に関する数多くの最新情報だった。
所狭しと貼り付けられた、映画内のワンシーンと思われる画像たちや、その詳細に関する解説の文章で、ページの隅から隅まで、余すことなく埋め尽くされている。
次のページをめくってみた。
同じように、空きスペース一つと見つからないほどに、映画に関する情報が敷き詰められている。
次も、そのまた次も同様だ。
「知らないのばっかりだなぁ」
志貴が小声でぼやく。
「あれ? 遠野君って、あんまり映画には興味無かったっけ?」
そんな志貴の様子に、さつきが不安げな口調で問いかける。
「いや、映画は好きだよ。ただ、あんまり最新のものは分からないんだ」
「そうなんだ。でも、テレビのCMとかでいっぱい紹介されてるよ?」
「俺、あんまりテレビは見ないからね」
志貴が答える。
だからといって、別にテレビが嫌いな訳ではない。
第一、こんな現代に生きている以上、テレビが嫌いなんて言ってられないだろう。
遠野邸は、あれほどの広さを誇っておきながら、何故かテレビなるものはたったの一台しか所持していない。
それも、皆が集まる居間などではなく、琥珀さんの部屋に一つあるだけだ。
よって、どうしてもということが無い限り、テレビを見ることはまず無い。
当初はかなり不便さを感じたものの、人間というのはなかなか適応能力に優れているらしく、気付いた時には、そんな環境に不便さはおろか、大して疑問や憤りを感じることもなくなっていた。
「ふ〜ん。遠野君って変わってるんだね」
紅茶を口元に運びながら、さつきは不思議そうに言葉を返した。
「まぁね。……あ、これなんかどう?」
「ん? どれどれ?」
数ある作品の中から、志貴が指で指し示すものを、さつきが上から覗き込む。
それは、なかなか派手そうなアクションモノの映画だった。
解説文の上に、激しく爆破炎上するトレーラーの画像が、でかでかと載せられている。
「へぇ〜、面白そう……」
と、言おうとしたさつきの声は、
「きゃっ!」

――ドタッ!

すぐ傍で唐突に起きた、大きな悲鳴と転倒音に遮られ、空気中に霧散して消えていった。
「だ、大丈夫ですか!?」
半ば呆気に取られるさつきをよそに、その女性に向かって志貴が慌てて声を掛ける。
「はい。どうもご親切に、ありがとうございます」
ゆっくりと立ち上がりながら、志貴に向かって、その女性はおしとやかに頭を下げた。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時25分(186)
題名:Fotune(第十六章)

――……あれ?

背を向けて、店の奥へと去り行くその女性の後ろ姿を見ながら、志貴は微かに首を傾げた。
あの声、どこかで聞いた覚えがあるような……。
「遠野君? どうしたの?」
「え? あ、いや、別に何でも……」

――……気のせいかな?

今一つ納得のいかないといった表情をしつつも、志貴は大して気にしないことにした。
「そういえば今思ったんだけど、さっきの映画、この近くの劇場で公開されてるのかな?」
「あ、どうだろうな……」
さつきの言葉に、志貴がパンフレットのページをめくっていく。
「……あった、ここだな」
劇場別の映画情報が記載されたページを見つけ、二人がかりで近所の劇場に関するものを探す。
「う〜んと…………あ、あったよ、遠野君」
そう言って、さつきがその一部を指で示した。
劇場名の下に、そこで公開されている映画の題名が、ズラリと箇条書き風に並べられている。
……しかし、そこに先ほど見つけた映画の名は記されていなかった。
「……無いな」
「うん……あ、でも、こんなのとかはどう?」
「ん? どれ?」
さつきが指差すその先を見つめる。
そこに載っていたのは、やはり聞いたことの無い映画の題名だった。
ジャンルの所には、“推理サスペンス”と銘打たれている。
「友達に聞いただけなんだけど、結構面白いらしいよ」
「へぇ〜。じゃあ、これを見てみようか」
他にこれといって見たいものがあるという訳でもなかったので、さつきの言葉に志貴はあっさりと頷いた。
これで、今後のデートコースも決定だ。
「よし、それじゃあ……」
と言って、志貴はテーブルの端に置かれた伝票に手を伸ばしたが、
「ダ〜メ♪」
さつきの手によって、それはヒョイと先取られてしまった。
対象物を失った腕が、その途中でさ迷うように停止する。
「え?」
「さっきは奢られちゃったから、今度は私がご馳走する番だよ」
困惑する志貴に、さつきがどことなく楽しそうな表情で告げる。
「でも、こういうのは普通男の方が……」
「……そんなに私にご馳走されるのがイヤ?」
頬を膨らまし、不服そうに尋ねるさつき。
「い、いや、そういう訳じゃないけど……」
そんな彼女に、志貴は首を左右に振った。
「それじゃ、ここは私が払うね♪」
横に置いていた鞄を肩に下げて、さつきが意気揚々と立ち上がる。
伝票片手にレジへと向かうさつき。
「……ふぅ」
志貴はそんな彼女の背を見つめ、軽い溜め息を付きながら立ち上がった。
だが、そんな溜め息とは裏腹に、その口元は柔らかな笑みに綻んでいたのだった。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時26分(187)
題名:Fotune(第十七章)

「お待たせいたしました」
一人の赤い髪をしたウェイターが、紅茶とコーヒーを持ってテーブルに近づいてきた。
音をほとんど立てることなく、静かに丁寧にカップが置かれる。
パッと見は粗野で乱暴そうに見えたのだけど、どうやらそういう訳でも無いらしい。
―人は見かけによらないと言うけれど、本当ね。
「ありがとうございます」
そんなことを考えながら、私はそのウェイターに小さく頭を下げた。
それを受けて、彼が控え目だが感じの良い微笑みを浮かべる。
礼儀作法の行き届いた応え方だ。
「それでは、どうぞごゆっくりとお寛ぎ下さい」
軽く頭を下げてから、そのウェイターは調理場へと戻って行った。
目の前に置かれた紅茶のカップを持ち上げる。

――……ん?

と、その視界の端に、向かい側の席に座る翡翠ちゃんの姿が映った。
「……」
何だか落ち着かない様子で、そわそわとしている。
その理由は、口にせずとも何となくだが伝わってきた。
このまま見ていても面白いんだけど、コーヒーカップを持ち上げたり下ろしたり、周囲をキョロキョロと見回すその姿は、もはや挙動不審の変な人でしかない。
「翡翠ちゃん翡翠ちゃん、それじゃ、ただの田舎者みたいよ」
そんな彼女が、だんだんと可哀想に見えてきたので、もうちょっと見ていたいという自らの欲求を押し殺して、私は仕方なく声を掛けてあげた。
「で、でも……」
それでも、依然としてもどかしそうな様子の翡翠ちゃん。
困った表情も、やっぱり可愛い。
「翡翠ちゃんは真面目過ぎるのよ。今はご奉仕される側なんだから、素直に接待されておかないと」
「けど……私はメイドです……」
「だ〜か〜ら、翡翠ちゃんは真面目過ぎるの。今はお屋敷に居る訳でもないし、メイド服だって着てないんだから」
「それは……そうだけど……」
口ごもる翡翠ちゃん。
その表情は、未だに納得の色を浮かべてはいなかった。
料理等を運ぶという行為は、彼女にとって、もう完全に自分の義務となっているようだ。
それを誰かにされてしまうのは、生理的に受け付けないということなのだろう。
全く……自分の仕事に忠実なのも、ここまでくると困りものね。
これが翡翠ちゃんの悪いところ……いや、良いところなのかな?
「……そんなことより、姉さん」
そんなことを考えていると、まだ少しもじもじしながら、翡翠ちゃんが声を掛けてきた。
「ん? なぁに? 翡翠ちゃん」
「ここからだと、志貴様達が店を出ても、それが分からないんじゃないですか?」
翡翠ちゃんが、志貴さん達の方へと視線を向けながら言う。
確かに、言われてみればそうだ。
志貴さん達の座っているテーブルの場所は覚えているけど、ここからではその姿を視認することは出来ない。
後ろの席に身を乗り出せば、何とか見えないこともなかったが、いつまでも後ろのテーブルが空席とは限らないし、第一そう何度もそんなことをやってはいられない。
レジなら容易に見えるが、それでは万が一清算の時を見逃してしまえば、その時点でゲームオーバーだ。

――……まぁ、そんなこともあろうかと、準備は怠って無いんですけどね〜♪

「心配無用よ、翡翠ちゃん。ここは私に任せておいて」
私はニヤリと笑みを浮かべると、その場に立ち上がった。
「じゃあ、ちょっと待っててね」
訝しげに首を傾げる翡翠ちゃんを残して、私はそのままお手洗いへと向かった。
鏡の前に立ち、懐から小さなケースを取り出す。
その中から、赤色のカラーコンタクトを手に取り、鏡に映る自分の姿を頼りに、それを両方の瞳に取り付けた。
まぁ、これはあくまでも念のための対策だ。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時27分(188)
題名:Fotune(第十八章)

ケースを閉じ、それを元あった場所へしまい込んだ後、今度は別の小さな袋の中から、黒い円形のボタンのようなもの―盗聴器を取り出す。
ちゃんと張り付くかどうか、自分の指で数回試してみた。
何も問題無さそうだ。
よし。
これで準備は完了。
私はお手洗いを後にすると、右手に盗聴器を隠したまま、志貴さんのテーブルへと歩みを進めた。
そのすぐ傍まで近づいてから、

――ドタッ!

思いっきり派手に転倒してみせた。
「きゃっ!」
受け身を取りながら、もちろん、女の子っぽい悲鳴も忘れない。
すかさず、テーブルの裏側にその盗聴器をしっかりと張り付ける。
「だ、大丈夫ですか!?」
「はい。どうもご親切に、ありがとうございます」
慌てて声を掛けてくれた志貴さんに、私はなにくわぬ様子で声を返した。
ちょっと声の波長は変えたから、多分バレてはいないだろう。
逸る気持ちを抑え、私は志貴さんに背を向けると、落ち着いた足取りで翡翠ちゃんの待つテーブルへと戻った。
「お待たせ♪」
満面の笑顔を向ける私。
「……姉さん、一体何をしてきたの?」
そして、そんな私の笑顔を受けて、疑惑と怪訝でいっぱいの眼差しを跳ね返す翡翠ちゃん。
「ん〜? ちょこっとシールを貼ってきただけよ〜」
席に付きながら懐に手をしのばせると、私はその中から黒いレシーバーを手に取った。
「盗聴器っていう名前のシールをね♪」
イヤホンを接続し、それを耳に取り付ける。
「……」
そんな私を見つめ、開いた口が塞がらないといった様子の翡翠ちゃん。
呆れとか驚嘆とか、そんな類の感情全てを超越した、表現のしようがない表情をしている。

――う〜んと……あ、あったよ、遠野君。

機械を通じて、耳に届いてくる話し声。
「ふんふふ〜ん♪ 感度は良好っと」
レシーバーの音量を調節しながら、私は耳に神経を集中する。

――……あ、でも、こんなのとかはどう?

――ん? どれ?

――友達に聞いただけなんだけど、結構面白いらしいよ。

――へぇ〜。じゃあ、これを見てみようか。

話の内容から察するに、どうやら映画を見に行く予定らしい。
まぁ、貧血持ちの志貴さんのことだから、遊園地みたいに激しい所は行かないだろうとは思っていたので、予想通りと言えば予想通りのルートだ。

――さっきは奢られちゃったから、今度は私がご馳走する番だよ。

と、唐突にレシーバーが、弓塚さんのそんな声を捕えた。

――でも、こういうのは普通男の方が……。

――……そんなに私にご馳走されるのがイヤ?

――い、いや、そういう訳じゃないけど……。

志貴さんの狼狽した声が聞こえてくる。
こういうところ、翡翠ちゃんとは違う意味で可愛い。
「……姉さん? どうしたの、ニヤニヤして」
「ううん、別にぃ♪」
何かおかしなものを見るかのような翡翠ちゃんに対して、私は心底楽しそうな笑顔を向けた。

――それじゃ、ここは私が払うね♪

再び、レシーバーから弓塚さんの声が聞こえてきた。
どうやら、そろそろ出るようだ。
私は後ろを向いて、レジの方を振り返った。
そこに見える二人の姿。
清算を済ませると、二人は肩を並べて喫茶店を後にした。
「それじゃ、私達もそろそろ出ましょうか?」
耳からイヤホンを外し、レシーバーごと丸めて懐にしまい込む。
「そうですね」
翡翠ちゃんの返事を待ってから、私は伝票を手に立ち上がった。
「……っと、いけないいけない」
レジへと向かいかけた足を止めて、先ほどまで志貴さん達が座っていたテーブルへと向き直る。
その傍で立ち止まり、裏側に張り付けた盗聴器を取り外すと、それも懐の中へと無造作に放り込んだ。
これで証拠隠滅完了っと。
私は盗聴器を入れた部位を、パンパンと軽く叩きながら、レジの前で待つ翡翠ちゃんの元へ、早足で歩み寄った。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時28分(189)
題名:Fotune(第十九章)

まだ少しざわつきの残る映画館。
その中の一席に腰掛けて、私は何も映っていない白色のスクリーンを眺めていた。
何か飲み物を買ってくると言い残し、席を立った遠野君。
あれからもう5分くらい経っただろうか?
少し遅い気がする。
探しに行きたいのはやまやまだったが、すれ違って逆にややこしくなってしまった時のことを考えると、やはり待っていた方が良いだろう。
「お待たせ」
と、そんな折、不意に斜め後ろから掛けられた声に、私はその音源へと振り返った。
そこにあったのは、両手にジュースを持って微笑む、遠野君の姿だった。
「ありがとう。遅かったんだね?」
手渡されるジュースを受け取りながら、私は問いかけた。
「予想以上に混んでてね。やっぱり休日だからかな」
私の隣の席に腰掛けながら、遠野君が笑顔のまま答える。
ただの心配損で良かった。
内心ほっと胸を撫で下ろす。
「ねぇ、後どれくらいで始まるか分かる?」
「そうだなぁ……」
遠野君が自分の手首の辺りに視線を落とす。
「後10分くらいだね」
と、遠野君がそう告げると同時に、劇場内の明かりが消え始めた。
上段から順々に暗がりが広がっていくにつれ、劇場を包んでいた喧騒が徐々に静まっていく。
スクリーン上に、上映中における注意と題して、いくつかの事項が箇条書き風に記され、左右に設置されたスピーカーから、それらが音声となって観客達に降り注ぐ。
背もたれに体を預け、私はスクリーンへと顔を向けながら、
「……」
視線だけを泳がせて、横にいる遠野君の横顔を盗み見た。
静かに前を見つめる彼の表情。
薄暗い中にも、私の目には、彼の姿だけが特別映えて見えるような気がした。
「……ん?」
そんな私のジロジロと見つめる眼差しに気付いたのか、遠野君が私の方へと顔を向ける。
「どうしたの?」
「あ、え、えと……べ、別に何でもないよ?」
こちらを見つめる彼の不思議そうな表情に、私は焦りを露わに言葉を返しながら、反射的に顔を背けた。
顔が赤く上気しているのが、自分でも良く分かった。
薄暗い空間のおかげで、彼にこの頬の紅潮がバレなかったことだけが、せめてもの救いだろう。
「……」
もう一度、チラッと彼の横顔を流し見る。
今度は、そこから視線を下へと落とした。
肘掛けの上に置かれた、彼の手が瞳に映る。

――……。

しばらくそれを見つめた後、私はゆっくりと腕を持ち上げた。
そっと動かし、彼に気付かれないように、その手の上に自分の手を持っていく。
そんな私の脳内を、ある一つの妄想が駆け巡る。

彼の手を包み込むように、私が優しく掌を重ね合わせる。
最初は驚いたように、でも、すぐに恥ずかしそうに頬を染める遠野君。
そんな彼に向かって、悪戯っぽく笑い掛ける私。
そのまま、いつしか固く手を握り合って、映画などそっちのけでお互いに見つめ合ったりなんかして……。

「……えっと……どうしたんだ?」
「!!?」
そんな恥ずかしい妄想を繰り広げていた私の意識は、すぐ隣から聞こえてきた彼の声によって、頭から冷や水を掛けられた時のように、急速にそのズレていたピントを合わせ始めた。
すぐ眼前にある彼の顔。
それを改めて直視した瞬間、私の中の恥ずかしさのメーターが、一撃で限界値をすっ飛ばした。
「あ、う、えと、あと……」
何か言わなきゃと考えはするのだけれど、口から出てくるのは途切れ途切れの文字だけで、言い訳はおろか文章にすらなっていない。
恥ずかしさの余り、私は何も言えないまま、またしても顔を背けてしまった。
私のバカーッ!
これじゃまるで、私が遠野君を嫌ってるみたいじゃない!
さっきの自身の行為に対する自責と後悔で、私は押し潰されそうになっていた。
それはさながら、純白の半紙に落とされた一滴の墨汁が、ゆっくりと白を侵食していくかのように、じわじわと重さを増していくような感じだった。
……だが、
「……え?」
不意に感じた、右手の甲の仄かな暖かみ。
私は自分の右手に目を落とした。
そこに重ねられている、誰かの掌。
それが誰のものかなんて、考えるまでもなかった。
目線を持ち上げる。
そこに映る遠野君の顔。
照れたように頬をかきながら、私に向かって優しく微笑む。
「……あ、ありがとう」
他にも言いたかったことは沢山あったのだけど、これしか言葉にならなかった。

――ブーーッ。

上映開始間近を告げるサイレンのような音が、劇場内にうるさく響き渡る。
それを境に、水を打ったような静けさがこの空間を支配した。

――……遠野君……。

そんな中、私は重なった二人の手を見つめながら、心の中で一度だけ彼の名を呼んだ。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時29分(190)
題名:Fotune(第二十章)

映画の上映をひかえた劇場内。
まだ明かりは消されておらず、辺り一面から微かに発せらている話し声が、反響設備の整ったこの空間で幾重にも重なり響き渡る。
「姉さん……遅いなぁ」
その一角、最上段右端の席の一つ隣には、そこに腰を掛けたまま、一人ぼやく翡翠の姿があった。
先刻、お手洗いに行ってくると言い残し、席を立ってから早10分は経っただろうか。
一体何をしているのだろう?
早くしないと、そろそろ上映開始時刻なのに……。
「翡翠ちゃん、お待たせ〜♪」
と、そんなことを危惧していた矢先、背後から唐突に聞こえてきた声に、私はその方へと振り返った。
そこに佇む琥珀の姿。
お手洗いに行くと言っておきながら、その両手には何故かジュースのカップが握られている。
「はい。こっちが翡翠ちゃんの分」
「あ、ありがとう」
そう言って手渡されるカップを、ちょっと困惑しつつも、感謝の言葉と共に受け取る翡翠。
その隣の端っこの席に腰掛けると、琥珀は懐から懐中時計を取り出した。
「後10分くらいで……」
始まりそうと言いかけた琥珀の言葉を遮るかのように、頭上の明かりが消え始める。
最上段から順に消えていき、間もなく辺りは一面暗闇で包み込まれた。
壇上に設置された巨大なスクリーンが照らし出され、その上に注意書きが記される。
左右のスピーカーから聞こえてくる、義務的で抑揚の無い声が、まだ少しざわめきの残る劇場内に大きく響く。
「……」
そんなさなかに置かれて、翡翠の眼差しはスクリーンを捉えてはいなかった。
斜め下、ちょうど琥珀の膝上辺りに落とされている。
そこに在る、白色の光を放つ四角い何か。
その光と一緒に、何か映像のようなものが、中心部に映し出されている。
「……姉さん」
辺りを気にしながら、翡翠が小声で呼びかける。
「何? 翡翠ちゃん」
その呼びかけに、琥珀も小声で応える。
「それ……何?」
琥珀の膝に乗っている光源を指差した。
「これ? ……ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました!」
琥珀が得意気な笑みを口元に浮かべる。
琥珀のこういう笑顔が、ほぼ100%の割合で良くないことを招くことくらい、長年彼女の妹をやっている翡翠に分からない訳はなかった。
そして案の定、返ってきた彼女の答えに、翡翠は絶句することとなる。
「これはですね〜、“琥珀特製超小型監視カメラお手軽取り付けタイプ”ですよ〜♪」
自慢気に言いながら、琥珀がその何か、ちょうどビデオカメラのようなものを、翡翠の眼前に突き出す。
中央の画面に表示されているのは、暗がりの中、手を握り合っている志貴とさつきの姿だった。
彼の恥ずかしそうな微笑みが、瞼の裏に鮮明な画像となって張り付く。
「つい先日、やっと完成した傑作よ〜♪」
琥珀の嬉しそうな声。
だが、そんなものは、今の翡翠の耳に欠片たりとて届いてはいなかった。
頭の中が真っ白になっていた。
それが、果たして姉の傍若無人な行為によるものなのか、それとも、少なからず好意を寄せていた人の、自分以外の人に向けられた笑顔のせいなのか。
定かではなかったが、とりあえず、翡翠の思考回路は完全にフリーズしてしまっていた。

――ブーーッ。

上映開始間近をを告げるブザーの音で、劇場内が静まり返る。

――……志貴様……。

ぼんやりとスクリーンを見つめながら、翡翠は心の中で彼の名を呼んだ。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時30分(191)
題名:Fotune(第二十一章)

「楽しかったね。遠野君」
「あぁ」
腕を絡めたままこちらを見上げる弓塚さんに、俺は軽く微笑みながら答えた。
冬の夜道は既に薄暗くなっていた。
日中の暖かった空気とは一変して、街全体が肌寒いさで包まれていた。
冷涼とした風が頬を撫でる度、寒さが背筋を走り抜ける。
だが、絡めた腕から伝わる彼女の体温のおかげで、そんなことは気にもならなかった。
まばらに立てられた街灯の無機質な明かりと、きらびやかな星たち、そして、それらが彩る夜空という名のステージに浮かんだ、まるで真円の如き満月の妖しい光だけが、夜に抱かれた街を照らし出している。
映画を全て見終わり、映画館を後にした時には既に、もう辺りには夜が訪れていた。
それというのも……。
「まさか二本立てだったとはね〜」
「あぁ、全然気付かなかったな」
弓塚さんの呟きに、俺は簡潔に言葉を返した。
そう、見るまで気が付かなかったのだが、あの映画は前後編に分かれた二本立て構成だったのだ。
そのことを知ったのは、ちょうど前編を見終えた直後、劇場内に響いたアナウンスを聞いた時だ。
前編を見終えて、つまらなかったら帰っていただろうが、幸か不幸か、取っ付きやすくて内容の深い匠なストーリー構成に、かなり心惹かれていた。
そして、弓塚さんと相談した結果、意見があっさりと一致したため、後編も見ようということになったのだった。
「あの辺り営業上手いよな〜。前編見たら、後編も見たくなるように仕向けてあって」
「うん。おかげで、チケット代が二倍になっちゃったよ」
俺の言葉に応えながら、弓塚さんが困ったような笑みを浮かべる。
「でも、その分確かに面白かったから、私は許してあげるけどね」
「許してあげるって……弓塚さん、何だかお偉いさんみたいだな」
「映画館の人から見ればね。ほら、よく言うでしょ? “お客様は神様です”って」
「ってことは、弓塚さんはさしずめ“女神様”だな」
「えっ!?」
弓塚さんが、弾けたように俺の顔を見上げる。

――……あ。

一拍置いてから、俺も自分の発言の意味内容をようやく悟った。
「き、急にそんな……女神様だなんて……は、恥ずかしいよ……」
ごにょごにょと口ごもる弓塚さん。
「あ、あはは……」
ちょっと乾いた笑い声を上げる俺。
よくもまぁ、あんな恥ずかしいことを言えたものだ。
恥ずかしいのはこっちの方だよ……。
「……あ」
と、そんな俺のすぐ隣で、弓塚さんが小さく声を上げた。
その視線を追って、彼女が見つめる先と同じ場所へ、俺も顔を向ける。
瞳に映るいつもの分かれ道。
そこは、俺と弓塚さんが、各々別の帰路へと着くための別れ道だった。
一歩足を進める度に、ゆっくりと、だが確実に別れの刻は近づいてくる。
こういう時、時間というのは残酷だ。
永遠に続いて欲しいと思う時ほど、過ぎ去るのはまさに光陰矢の如し。
……分かっている。
いくら願えど、永遠などというものは、どこにも存在しないことくらい。
時を止めることなど、一体誰が出来ようか。

――……でも。

それでも……叶わないと分かっていても、心の片隅で願ってしまうのは、果たして儚い人の夢に過ぎないのだろうか。
「……」
俺は、弓塚さんに気付かれないよう、チラッと目線を横に流した。
少しうつ向き加減な彼女の横顔を盗み見る。
そこから感じ取れる微かな陰りは、彼女が俺と同じことを考えているからなのだろうか。
そんなことを考えている内に、俺達はいつの間にか例の分かれ道に立っていた。
「……」
「……今日は、とっても楽しかったよ」

月夜 2010年07月02日 (金) 02時31分(192)
題名:Fotune(第二十二章)

黙りこくっている弓塚さんに向かって、俺は静かに口を開いた。
「うん……私も、すっごく楽しかった」
弓塚さんが答える。
その腕は、俺の腕を強く抱きしめたままだ。
「……」
「……」
にわかに訪れる沈黙の時。
肌寒い風が、二人の間を裂くように吹き抜ける。
……このままじゃあ、いつまで経っても別れが惜しくなるだけだ。
そう思って、「それじゃ……」と別れを告げようとした、ちょうどその時。
「あ、遠野君、ちょっと待って」
彼女は、そんな俺の言葉を遮るように言うと、肩に提げた鞄を開ける。
その中から取り出されたのは、丁寧に編み込まれた青いマフラーだった。
「これ、私が編んだの。遠野君へのプレゼント」
そう言って、弓塚さんは俺の首に手を回し、優しい手つきでマフラーを巻いてくれた。
毛糸の、暖かくて少しくすぐったいような感触が、首を心地よく刺激する。
「ありがとう。すごく嬉しいよ」
俺は素直に喜びを表現した。
他にも何か、もっと気の利いた良い言葉は無いのかとも思ったのだけれど、生憎こんな端的な表現しか思い浮かばなかった。
自分の乏しい文章能力が、この時ばかりは心底恨めしい。
「……」
「……」
再び訪れる沈黙の時間。
別れを惜しむ未練がましい気持ちばかりが、時を経る毎に増大してゆく。
別れなければ。
バイバイと告げて……また明日会えることを約束して、この場から立ち去らねば。
そうしないと、いつまでもここから離れられない。
でも、離れたくない。
絶対的な逆説に弄ばれる、行き場の無い矛盾した思考。
断ち切らねばならないのに、どうしても断ち切ろうという気にならなかった。

――ギュッ。

「……ないよ……」
不意に、俺の服の裾を握り締めて、彼女が小さな声で呟いた。
「え?」
上手く聞き取ることができず、俺は思わず問い返した。
「……離れたくないよ……」
「……」
それは、とても弱々しく頼りない声だったが、今度は何に阻まれることもなく、鮮明な音声となって俺の耳に届いた。
俺のことを、上目遣いに見上げる彼女の瞳。
そこに滲んだ微かな涙を見た瞬間……、
「さつきっ!」
途端、胸の奥から込み上げてきた熱い感情に逆らうことなく、俺は強く彼女の華奢な身体を抱き締めた。
「えっ!? と、遠野君!?」
驚きの声を上げるさつき。
「……」
俺は何も返事はせず、その代わり、より一層の力を両腕に込めて、彼女を思いきり抱き締める。
「遠野君……」
彼女も、そんな俺の行為に応えるかのように、背中に腕を回してきた。
愛しかった。
彼女の全てが、愛しくてたまらなかった。
頬を朱色に染め、恥ずかしがったようにうつ向くさつき。
楽しそうに心から笑うさつき。
悪戯っぽい笑みを浮かべるさつき。
コートの裾を握り、離れたくないよと、寂しそうに呟いたさつき。
弓塚さつきという少女そのものが、もう好きで好きでどうしようもなくなっていた。
「……」
抱き締めていた腕をおもむろにほどくと、俺は無言のままその肩の上に手を置いた。
「……」
彼女はしばらく俺を見つめた後、ゆっくりと目を閉じる。
俺の手の上に、彼女の暖かく柔らかな掌が、そっと重ね合わされる。
そこから先は、もう言葉など必要なかった。
お互いの吐息を感じる。
重ねられた手に力が込もる
街灯に照らされた二人の陰が、一つに溶けてゆく。
二人が一つになる……その瞬間。
「……兄さん?」
「!!?」
何の前ぶれもなく、急に背後から聞こえてきた声に、俺の体は瞬時の内に硬直した。
表面的な静けさの中に、勁烈たる激怒を湛えた、非常に聞き慣れた声だ
……後ろを振り返る?
そんなこと、恐ろしくて出来ようはずがない。
「……?」
不思議に思ったさつきが瞳を開く。
「あ……」
その視界に映った何者かの姿に、間の抜けた声を漏らした。
……俺、これからどうなるんだろう?
背後から感じる強烈な死のプレッシャーを前に、俺は身動き一つ出来ないままだった。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時32分(193)
題名:Fotune(第二十三章)

「なかなか面白い映画でした」
冬の寒空の下、夜道を歩きながら、翡翠は満足そうに呟いた。
「そ、そうだったね」
戸惑い気味に言葉を返す琥珀。
その顔には、つまらなかったとしっかり書かれている。
「ただ、強いて言うなら、最初の事件がイマイチでした」
「そ、そうだったかしら?」
「保険金狙いであることを強く露呈するつもりなら、あそこで自ら手を下すのは非効率的です。もっと確率的なもの……そう、プロバビリティな犯罪でなければなりません」
「プ、プロバ……?」
聞き慣れない言葉に、琥珀が首を傾げる。
「蓋然性、つまりは確率的な犯罪です。分かり易く例えるなら、人の眉間に銃弾を叩き込むような直接的な手段ではなく、糖尿病の患者に糖分の多い食事を食べさせるような、間接的な手段で人を殺めることです」
「へ、へぇ〜」
「保険金が払われるのは、被害者が偶然の事故死、または完全な第三者の手によって殺された時だけです。だから、あんな風に直接自ら手を下して保険金を騙し取るのは、非常に分の悪い掛けなはず……あ、でも……そうよ。第二の事件では、被害者の人は確か……」
なぁなぁに相槌を打つ琥珀をよそに、翡翠はぶつくさと自分の世界に入り込んでしまっていた。
こうなると、もう手の施しようが無いことを、長年の姉としての経験から、既に琥珀は知っている。

――これは、しばらく放置プレイが吉ですね〜。

そんなことを考えながら、琥珀は懐から双眼鏡を取り出すと、前方の志貴達を注視した。
腕を絡め、仲睦まじい様子で歩いている。
ウブな感じがして何とも微笑ましい。
不意に立ち止まる。
分かれ道に差し掛かる、すぐ手前の辺りだ。
どうやら、ここで二人は別れるらしい。
双眼鏡越しに見える二人の姿からは、別れを惜しんでいる感が見て取れた。
そのことは、まだ絡められたままな彼女の腕からも感じることができる。
さつきが腕をほどいた。
だが、まだ別れる気配は無い。
彼女は肩から提げた鞄に手を入れ、中から青い何かを取り出す。
暖かそうな、毛糸のマフラーだ。
それが彼女の手編みであろうことは、自然と想像が付く。
恥ずかしそうな様子で、そのマフラーを志貴の首にふわっと巻き付ける。
慣れない手付きではあったが、志貴に対する深い想いが、その随所に現れていた。
にしても、プレゼントに手編みのマフラーとは、古典的だがかなり効果的なアプローチだ。

――秋葉様も、一度やってみたらよろしいのに。

もし本人に聞かれたら、何と言われるか分からないようなことを考える。

――でも……。

普段気の強い秋葉が、愛する人のことを考えながら、一編み一編み丁寧にマフラーを編んでいく姿を想像してみると……。

――……可愛らしいかも。

……案外似合ってそうな気がした。
「っ!?」
と、そんなことを妄想していた矢先、レンズの奥で起きた劇的な異変に、琥珀は思わず息を呑んだ。
志貴が、さつきを抱き締めていた。
彼女も、それに応えるように、両腕を背中へと回して抱き返している。

――おぉっ! 志貴さんも何て大胆なことを!

琥珀は双眼鏡を懐にしまい込むと、それと入れ違いに素早く一眼レフを手に取った。
それを構えながら、上部に設置されたレバーを上下させて、遠近感と拡大度を合わせる。
無論そのレンズが捉える先は、お互いを堅く抱き締め合っている志貴達だ。
志貴が抱き締めていた腕をほどき、さつきの肩に手を乗せる。
その手の上に、彼女がそっと掌を重ねる。
二人の間から距離が消えてゆく。

――こ、これはまさか……!

この衝撃的なワンシーンを撮り逃すまいと、カメラを握る琥珀の手に、俄然力が込もる。
近づいてゆく二人の距離。
琥珀が、今まさにシャッターを切ろうとした、次の瞬間。
「……兄さん?」
……何か恐ろしい声が聞こえた気がした。
志貴が条件反射的に身を硬直させる。
傍観者にこれほどのプレッシャーが伝わるのだから、当事者には相当なものだろう。
その証拠に、志貴の表情は青ざめており、その至るところから明確なまでの怯えが感じ取れた。
構えていたカメラから目を外す。
広角となったその視界に映る、二人+一人の姿。
その髪は、心なしか朱に染まり始めているように見えた。

――ふっふっふ……これは面白くなってきましたね〜♪

未だにぶつぶつと一人問答をしている翡翠を放って、琥珀は再びカメラを構えた。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時33分(194)
題名:Fotune(第二十四章)

「……?」
いつまで待てども何も起きず、不思議に思い、私は閉じていた瞳を開いた。
「あ……」
思わず声を上げた。
遠野君の体越しに、誰かの姿が見えたからだ。
灰色のコートを身に纏い、緩やかな長い漆黒の髪を風にそよがせる、一人の少女。
見覚えがある。
確か、遠野君の妹さんだ。
「……」
後ろを振り返ろうともせず、無言というより言葉を失ったように硬直したままの遠野君。
肩に乗せられた手から伝わる小刻みな震えが、その恐怖のほどを物語っている。
「兄さん……何を、なさっているのです……?」
静かな口調はあくまでも表面上。
その水面下で渦巻く絶大な激怒が、他人の私にもありありと感じ取れた。
「や、やあ秋葉……」
壊れたゼンマイ人形のように、遠野君がぎこちない動きで背後を振り返る。
声の端々が震えて聞こえるのも、多分聞き間違いではないだろう。
「き、今日は、帰って来ないんじゃなかったのか?」
「えぇ。その予定でしたが、遠野家の当主としてやり残していた仕事を思い出したもので」
秋葉さんが静かに答える。
もちろん、おしとやかに聞こえるのは上辺だけだ。
「そんなことより、兄さんは一体何をしているのです?こんな夜中に、こんな場所で」
「あ、いや、それは……」
「……しかも、女性と二人っきりで」
秋葉さんが私を一瞥する。
その眼差しの鋭さに、一瞬体がすくみかける。
「……」
……でも、負けられない。
反射的にうつ向きかけた顔を、私は強い意思でもって持ち上げた。
そう、私は負けちゃいけない。
秋葉さんも、きっと遠野君のことが好きなんだ。
誰に聞いたという訳でもないけれど、ほとんど直感的にそう感じた。
何の根拠も無い可能性。
だけれど、それは限りなく100%に近い気がした。
そう私が思った以上、これは既にあやふやな予想ではない。
女としての確信だ。
「遠野君!」
そう考えた瞬間、私は行動を起こしていた。
「え?」
こちら振り返る遠野君。
私は彼のマフラーを軽く引っ張りながら、小さく背伸びをした。
刹那、時が止まる。
唇に感じる柔らかい感触と仄かな暖かみ。
永遠とも一瞬とも思えるような、感覚を失った時の流れ。

――……。

そっと唇を離す。
「……」
呆気に取られたような表情で、ただ私だけを見つめる遠野君。
「……」
目を見開き、同じく唖然とした様子でこちらに視線を向ける秋葉さん。
再び、止まっていた時が流れ始める。
「……そ、それじゃあ、ま、また明日ね!」
何だか、無性に恥ずかしくなって、私は手を振りながら逃げるようにその場を走り去った。
入り組んだ路地を駆け抜け、いくつ目かの曲がり角を折れると、私はコンクリートの壁にもたれかかった。
「はぁ……はぁ……」
絶え間なく、口から白い息が漏れていく。
胸の上に手を置いてみた。
激しく高鳴る動悸が、定間隔おきに私の掌を打つ。
でも、決して息苦しい鼓動なんかじゃない。
微かな苦しさの中にも、大きく確かな喜びが含まれた、心地よい胸の高鳴りだ。
「……」
そっと唇に手を触れてみる。
それだけで、胸の奥から幸せが沸き上がってくるようだった。
「……遠野君……」
来た道の方から聞こえてくる、破壊音混じりの騒がしい物音を聞きながら、瞳を閉じ、胸に手を置いたまま、私は小さな声で彼の名を口にした。

月夜 2010年07月02日 (金) 02時34分(195)
題名:Fotune(あとがき)

さて、この小説を作った作者として、魂の叫びを一言。



















さっちんみたいな彼女が欲しい〜〜っ!!





。゜・(ノ∀`)ノ・゜。







さて、皆さんお久しぶりでございます。
長らく更新していなかったせいで、存在を忘れられていないかと冷や冷やしている今日この頃です。
“if”の続編ということで作らせていただきました今作、いかがでしたでしょうか?
尾行者がアルク&シエルから、ヒスコハに変わった以外、何にも変わってないじゃないかとかいうツッコミは、

一切受け付けません

のであしからず(爆)



にしても、純愛モノというのは、書いてて恥ずかしいものですね〜。
書きながら自分で自分を爆笑ですよ。
バスの中とかで書いてたので、もしかしなくても怪しい人に見られていたかもしれません。




「ちょっと奥さん。ほら、あの子」

「あら。何かしら、ニヤニヤしちゃって」

「携帯片手にニヤついて、何ていやらしいんでしょ」

「ホントね〜。頭弱いんじゃないから」

「親の顔が見てみたいものですわね」

「それより、ご両親がお気の毒だわ」

「それもそうですわね。どこをどう道を踏み誤ったら、こんな可哀想な子になってしまうのかしらね?」

「きっと毎日親の不安をよそに

萌え〜

とか叫びながら、毎夜毎夜オーバードライブしてるのよ!」













余計なお世話です
(既に重度の被害妄想)




さて、それでは、今回はこの辺りで幕引きといたしましょうか。
この作品についてのアドバイス、感想等ございましたら、下にある「小説感想アンケート板」または「小説感想掲示板」、「月夜に吠えろ」まで、どしどしとお便り下さいね〜♪
ではでは、また会えるその時まで。
素人小説家兼管理人の月夜でした♪

月夜 2010年07月02日 (金) 02時44分(196)


Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場にて お買い物マラソン5月9日開催予定
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板