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「ありがとうの気持ち」とはどのような時に思うのでしょう。 @自分にとってとてもめずらしく、なかなかありそうもないことや有益と思っていることをしてもらった時などにそう思うのでしょう。 A人の親切や好意などに対し感謝したいとか自分の身にしみてうれしいと思った時などにそう思うのでしょう。 B自分のおかれている環境など本当に恵まれていると思う時そう思うのでしょう。 「忘れる」ことは許せるでしょうか。許せないでしょうか。 @記憶になく忘れているのはしかたないと思います。 A思い出せないでいるのもしかかたないと思います。 B記憶していてすべきことをしないのは、許してはならないと思います。 さて、みなさんの「ありがとうの気持ちを忘れない!」とは何でしょうか? 「ありがとうの気持ち」は、先生、先輩、後輩、同級生、父母、家族などの人が対象となることが多いのでしょう。その他には、防具、胴衣、竹刀などの物に対する気持ち、志士会のような組織、稽古をする道場、試合に出る機会に恵まれるなどの環境に対する気持ちもあるでしょう。 ありがとうの気持ちをたくさん表すことができる人は、知識や感情が豊かで、自分の立場を正しく理解できる人ではないでしょうか? 豊かな心の持ち主は、惻隠の心の持ち主でもあり、常に相手を尊敬することを忘れないといわれます。すなわち「礼節」です。また、自分の立場を正しく理解できる人は、思い上がりの心を戒めることができる人ではないでしょうか。すなわち「謙譲」です。 たとえば、竹刀の手入れは何のためにしますか? ささくれ予防のために、ささくれができたから、弦がゆるんだから、中結いがゆるんだから、先革がやぶれたから、・・・・・いろいろでしょう。壊れるまでしない、カーボン竹刀だからしない・・・・いろいろでしょう。 竹刀は、剣の代替品です。三種の神器の一つの宝物であることから、どのように扱うべきものかは言わずもがなでしょう。しかし、このようなことを小、中学生に言ったとしても身近に感じることができずピンとこないでしょう。 家庭科の時間で包丁を使います。刃こぼれした包丁や錆びた包丁では、肉や魚がよく切れないでしょう。よく切れるように手入れや砥石で研いだりしますよね。竹刀も同じですと。 剣道は、摺足、竹刀の握りなどの技術的なものも大切ですが、気持ちの入れ方も大切です。有効打突を打突するのは大変です。そのために、竹刀に対し「ありがとうの気持ち」をこめて、磨き、研ぐのです。 研ぐ場所はどこですか。そうですね。ものうちの部分です。となるのでしょう。 さらに、ささくれた竹刀は、とても危険です。ささくれた竹刀で上達しないあなたは、それでしかたありません。しかし、相手に怪我をさせることは、絶対にしてはいけないことです。ささくれた竹刀が折れて、相手の目にささり失明した人もいるのですよ。 自分が上達するために竹刀の手入れをすることも大切ですが、その前に自分を上達させてくれる相手のために、「ありがとうの気持ち」をこめて竹刀を手入れすることが大切です。 このように、竹刀に対して、相手に対しての「愛」が、家族へ、地域へさらには「愛地球心」へと発展していくのではないでしょうか。
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2009/04/29(Wed) 08:45
No.129
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