阪神大震災の続きだけど。
[196]すすき
[ Mail ] [ HOME ]
2004年01月16日 (金) 18時32分
1995年1月17日、午前5時46分、阪神大震災
犠牲者六千四百三十二人、この数字に 私たちはどれ程の重みを感じる事が 出来ているのかなぁ。
この一人、一人の方々に家族がいて、 それぞれの日々の営みが、あったはず。 9年と言う数字で、これは過去の教訓 として扱う事は、ご遺族の方々にとっては 出来る筈もない。 実際に家族を亡くされた方が、 インターネット上でこれを語られると言う事は、 まだまだ望むべくも無いかも知れない。
その当日、私が西宮のアパートにいた彼女が 家の下敷きになったと言う連絡を受け ご両親たちと共に、やっと現場に駆けつけたは 午前10時を過ぎていた。
その途中の散々たる様子を 今、ここで簡単に表現できる筈もない。 突如別世界に放り込まれた、とはまさにこの事。
大勢の人々が、黙々と瓦礫を素手で取り除いた。 聞くと、身内が下敷きになっていると言う。 だけど私たちに、手伝ってほしいという方は余りいなかった。
やっとの思いで現場にたどりつくと、 数人の方々が、瓦礫を取り除いた。 相当血まみれの方も、タオルを巻いただけで 作業を手伝っていた。 聞くと、彼女だけが未だ見つからないと言う。 私たちは取りあえず、持ち込んだスコップとハンマー バールを使って瓦礫を片づけ始めた。
血まみれの彼女の遺体がみつかったのは、 夕方4時をまわっていた。
彼女は成人式に出席するため、 14日から実家に戻っていたとの事。 成人式が終わり、16日の夜遅くに アパートに帰っていったそうだ。
ご両親にとっての阪神大震災は、 まだまだ過去の教訓として、語れる筈がない。
彼女が生きていれば、今は可愛い孫が 誕生していたかも知れない。 あと一日だけ、引き留めていれば と言う悔しさを、拭い去ることが出来ないと思う。
こういう思いが6432も積み重ねられた上に、 今の私達の日々があるという事を、 思い知らされる。
|
|