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No.7071 20141117報告 投稿者:栃木の研究者   投稿日:2014年11月17日 (月) 05時39分 [返信]

震源や震度および津波の考察:その1
11/9の観測の要約の一部
「巨大地震震源域は、鴨川近郊の房総沖ではなく、それよりかなり南方であると推察された。」
震源域や震度および津波の考察を試みた。

図表は、本サイト内の「房総沖巨大地震モニタリング:抜粋:11/7→こちら

http://www.tochiginokenkyusha.com/ikase8/ikasebousoumonitor.html

図2014117-1に、「大地震の定説、本当?『慶長、南海トラフではない』疑問視する研究次々:朝日新聞 2013年10月31日 31面に掲載された図を示した。

静岡大学生田 生田助教らは、公開されている地質調査や全地球測位システム(GPS)などからはじき出したプレートの動く速度から、
1900年から2010年までの過去111年間で沈み込んだ長さを推定。

国際地震センター(英国)が持つ同期間の9248個の地震の記録と照らし合わせて、プレートが元に戻った長さを求めて、
たまっているエネルギーを算出した。

M9クラスのエネルギーが蓄積されていると算出された領域は、赤で示してあります。
伊豆諸島の南部から小笠原諸島と、四国沖から日向灘、南西諸島海溝で、M9クラスのエネルギーが蓄積されていると算出された。

このことは、11/9の解析結果の裏付けになっていると考えられた。

一方、東日本大震災が発生した、東北地方沖では、震災によりエネルギーは解放され、
海溝沿いにエネルギーがエネルギーが蓄積された領域が残っっている。

2013年10月の地震学会で、石橋克彦・原田智也らは、慶長地震が
南海トラフのプレート境界型地震ではなく伊豆・小笠原海溝の一部(鳥島付近100km四方前後)の
M8.2-8.4の地震を仮定すると津波の再現ができるとした。

※石橋克彦, 原田智也(2013):
1605(慶長九)年伊豆-小笠原海溝巨大地震と1614(慶長十九)年南海トラフ地震という作業仮説,
日本地震学会2013年秋季大会講演予稿集,D21-03

東京大の原田智也特任助教らは伊豆・小笠原海溝で津波が起きると、各地でどれくらいの高さになるか試算した。
図2014117-1で示した12カ所の震源域を組み合わせて試した結果、
四角の斜線領域、鳥島の東側の100キロ四方の領域のM8・4程度の地震、海溝の東側の細長い領域のM8・2程度の地震の場合、
記録に残る慶長地震の津波の高さと最も一致した。

震源域など、謎が多い慶長地震がどこで起きたかは、今後も議論は続きますが、
伊豆鳥島付近100km四方前後で、M8.2-M8.4の巨大地震が起きれば、慶長地震と同じ津波となるということです。

飯田汲事(1981):
歴史地震の研究(4)
慶長9年12月16日(1605年2月3日)の地震及び津波災害について,

図1の慶長地震の震度および津波の波高分布を図2014117-2として示しました。
薄い赤で加筆した領域で、大きな津波被害がみられた。

東から
房総半島外房、八丈島、伊豆半島西岸、静岡県と愛知県の県境周辺、三重県南部、紀伊半島の西岸から徳島と高知、鹿児島県です。

表2014117-1に、わかりやすく、慶長地震の震度および津波の高さを一覧として示しました。

他の文献での解析結果も加味すると、
八丈島では、10-20m、外房では、5-7mの津波
伊豆、東海道、志摩沿岸では、3-6mの津波
紀伊半島西側、徳島、高知沿岸では、5-10mの津波
だったようです。

ゆれについては、多くの地域で、震度5程度だったようです。
西日本のゆれの記録については、いろいろと議論があり、1596年の慶長伏見地震と混同されていると指摘する研究者もいます。

ただ、多数の記録が残る京都では、京都は揺れなかったと結論付けられているようです。

伊豆諸島南部や小笠原で地震があると、
西日本は揺れなくても、遠くの関東や東北での揺れが大きい「異常震域」という現象が起きる。

固い太平洋プレートを通って地震波が伝わる北側は揺れが弱まりにくく、
軟らかい層で地震波が伝わりにくい西側は揺れが弱まりやすいためだと考えられる。

津波被害による溺死者は当時、約5,000人(1万人という説もある)だが、
地震による陸地の揺れが小さいのが特徴です。

津波を想起させる大きな地震動が発生しない津波地震であったとされ、
同様の地震が将来発生した場合に避難が遅れ大きな被害が出る可能性があり、問題となっている。

最後に、
津波の被害の当時の記録を上記、飯田汲事(1981)や伊藤純一・都司 嘉宣・行谷 佑一(2005)の報告から、抜粋します。


房総半島に津波が到達したのは確かと思われ
特に現在の勝浦市、鴨川市などで大きな津波であったと推定される。
但し、その高さは元禄地震による津波よりは低いと考えられている。

記録では、
「「海上、にわかに潮引き、上総、下総では30町、干潟になった後、大山の如くなる浪が押し寄せたとある。」」
波高5~7mとなる。

小田喜(大田喜)では人馬数百死亡し, 7 村みな流失した。小囲喜領の海辺であり,九十九里浜沿岸域の村落と思われる。
推定波高は4 -5m である。


図2014117-4による、主な被災地リストを北から順に列記する。
九十九里町、白子町、一宮町、岬町、大原町、御宿町、勝浦市、天津小湊町、
鴨川市、和田町、白子、千倉町、白浜町

東京都においては八丈島・谷ケ里で在家残らず流失し,57人死亡した。
そのうち中之郷小島の人が17 人あった。
この時島中の田畑過半損亡した。波高は10m 程度に達したものと思われる。

伊豆半島の伊豆仁科
海溢れ,陸地に12-13町(1.3-1.4km浸水した)。波高は4m 程度

静岡県舞阪(現湖西市)
今夜遠江国舞坂辺高波打あげ、橋本辺の民家八十ばかり、波と共に海に引入られる。

舞坂において高波打ち上げ,釣船20 余行方不明となり, 山際まで船が打ちあげられた
波高5 -6m と推定される。

愛知県では渥美半島堀切において、五つ時分(午後8 時頃) に地震,津波打ちあげ
片浜の船皆打ち破れ,漁網も流出したが,その時夜で,人々が気付かず翌日みて驚いた
推定波高5 -6m 。

三重県伊勢市
 三重県では伊勢国浦々で数町干潟となり,その跡に残った多数の魚貝類をとりに集まった漁人らが,
にわかに来た津波で殆んど溺死した。この津波は浦うらに大石を打ち上げたりした。


三重県伊勢市大湊では大津波で大被害,
浦口では数百m 潮が引き2時間後に津波が襲来した。推定波高5-6m 。

津においても津波被害があった。推定波高2-3m 。


紀伊西岸の紀伊半島広村(和歌山県広川町広)
1,700戸中700戸が流された。

 徳島県海部郡海陽町鞆浦(とものうら)では,未亥刻(22 時)頃大海が3 度鳴り,
逆浪しきりに起こり,高さ10 丈で,7 度来た。
水死者男女100余人であった。推定波高6 -7m 。

 徳島県の最南端宍喰(ししくい)町では、津波の高さ2 丈余となり,町家・寺院等流失または倒壊した。
溺死老が1500 人。推定波高6-7m 。

高知県室戸では東寺・西寺の浜男女合わせて406 人溺死した。推定波高6 -8m 。

高知浦戸…山内一豊入封のとき、浦戸城では前代修築の突堤が慶長九年の激浪のため崩壊した

九州鹿児島県においては,薩摩・大隅で大波寄せてぎて死者がでた。推定波高1 -2m 。


現代の日本の人口は、江戸時代初期の7.53倍です。
もし、現代に、慶長型地震が発生すれば、
津波被害による溺死者は、3万7千人から7万4千人になる計算です。

相模湾については、上記のように、1605年の記録には残されていない。

神奈川県の「慶長型地震による津波浸水予測図」の記述によれば、
「「神奈川県内に津波の記録は残っておらず、痕跡等の史料は乏しいが、
本県に対し最大規模の津波を生じる可能性があるため対象とする」」と記載されている。

(神奈川県の津波浸水予想図のもとになる慶長型地震断層モデル。
上記の鳥島周辺震源ではなく、東海沖から房総沖までの地域を断層モデルとしているため、
相模湾で最大クラスの津波が起きると予測されている。
でも、記録に残っていないからと油断しないでください。
慶長地震は400年前の出来事で、何かの事件で、神奈川県での記録が紛失したことも考えられます。)



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