[64] 祝30000HIT記念小説「吾輩は犬である」 |
- 眠ってメガンテするコナン - 2004年12月10日 (金) 16時38分
私はまぎれも無く犬である。 名前は、まだ無い。 今私は、住宅街から住宅街へ移り住む生活をしている。 もちろん危険はつき物だ。 特にこの時期は寒さがこたえる。 ・・・、おや、私の元に誰かが近づいてきた。 少女と母親だ。 少女「うわー、汚い犬。うちのポチに比べたら月とすっぽんだね。」 母「近づくんじゃない。けがれるわよ。」 そういって、親子は走り去っていった。 ポチに比べても私のほうが頭はよっぽどいい。 あの親子め。今度あったら噛み付いちゃる。 仕方ない。この田園調布から立ち去るか。 浦安にでも行ってみよう。 そういって私はこの田園調布から立ち去った。 途中で小さな川に入ってみて体を洗った。 そのままにしておくと風邪を引いてしまうので、レストランの調理場の換気口からでる温風をドライヤー代わりにしてみた。 そして、再び浦安目指して歩き出した。 田園調布から旅立ってはや一週間。 浦安に着いた。 といっても、皆TDLの袋やミッキーマウスの人形を持っているではないか。 これなら私の人形も作ってほしいところだ。 おや、今度は学生二人組みが近づいてきた。 A「何この犬、きたねーなー。」 B「なんだろこれ。柴犬かな。」 A「柴犬はもっと綺麗だよ。サハリン犬かなんかじゃない。」 B「アイヌ犬とかロシア犬だったりして。」 A「まあいいや。行こう。早くMEGUMIの写真集買いに行こうぜ。」 そういって彼らは立ち去った。 MEGUMIより私の毛のほうがよっぽど綺麗だ。 ♂の私が言うのもなんだが毛並みは素晴らしいぞ。」 仕方ない。今度は霞ヶ浦を目指そう。 といって、私は霞ヶ浦を目指した。 歩くこと9日。やっと霞ヶ浦に着いた。 と思ったらいきなり小熊に追いかけられた。 走って走って走りまくったら後ろには何もない。 近くの民家のテレビを見てみると小熊は捕獲されたらしい。 ここはどこだと思ったらおやおや、なんと日光ではありませんか。 ここはうってつけだと思った私はまず観光をかねて日光東照宮に行ってみた。 と思ったら猿が出てきてしまった。 追いかけてはこないだろうと今来た道を戻ろうとしたら、猿が追いかけてきた。 走って走って逃げても猿は追いかけてきた。 私は焦ったが、14日走り続けて、猿はついに倒れこんだ。 旅を続けようと思ったらもうここは仙台だった。 14日間走り続けたのでレストランの余り物を食べた。 仙台名物牛タンである。 仙台の人からの冷たい視線。 私の事は、仙台の地方ニュースで放送されたらしい。 ニュースの内容は犬を捕獲して保健所に届けるという内容だった。 気付いた時には私は走り出していた。 走って走って東北新幹線に沿って走った。 すると着いたのは、もちろん八戸である。 八戸からはフェリーに隠れて乗り、函館に行った。 函館ではちょっと犬かきの練習をした。 今、函館市は合併したばかりでにぎわっている。(これは事実) 誰も私を眼中に入れていない。 私はここを永住の地にしようと思った。 そして函館山の名犬としてその名を残そうと考えた。 そう考え、登山すると、犬の隠れ住む場所など無く、人間の声やロープーウェーの音がうるさく、旅立とうと決意した。 つづいて私は洞爺湖に行った。 国立公園だから住み着くには難しい土地だが、頑張った。 洞爺村の国道230号線沿いの「香川」という地名のところに住みかを作った。 ところが村民か誰かが村の環境衛生課に連絡をいれたらしく、役場の職員が駆けつけ私の捜索を開始した。 私は隠れて逃げ出し、室蘭を目指した。 室蘭に着いたが、住む場所は無く、つづいて登別を目指した。 温泉街は森が豊富なため、私にはうってつけの土地だが、気温が低く、北海道から旅立つことを決意した。 そう考えた私は苫小牧に行き、敦賀行きの船に乗り、敦賀から博多行きの船に乗り、博多に着いた。 しかし博多では暴走族に襲われ、本州に渡った。 まず着いたのは下関。 下関で関門峡を目に焼き付けた後、船に乗り、大阪へ渡った。 しかし、東京に戻ろうと考えた私は、すぐに横浜行きの船に乗って、東京へ戻った。 その後私は東村山に行きここで今も暮らしている。 くれぐれも皆さん、邪魔しないでください。 PS,一部夏目漱石著「吾輩は猫である」に近かったです。
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